団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

セコンドライフ問題 夫婦旅行③

2007年06月04日 | Weblog
 「エベレストは、どちらの方向ですか?」 ドイツ人老夫婦が私に尋ねた。生憎の濃霧で、視界数メートル、エベレストを見に来た観光客には、最悪の状況だった。「ちょうどこの方角になりますよ」と、私はドイツ人夫婦に、指差して教えた。ナガルコットへは、客を案内して既に十回は来ていた。

 御主人が、古いライカのカメラを私に渡して言った。「申し訳ないが、エベレストの方向に向けて、私たちの写真をとっていただけますか?」 私は面食らった。心の中で、こんな霧の中でどうして写真なんか撮るのか、と思った。

 それを察したかのように彼は言った。「変な奴だと思うでしょうね。私は、ドイツでパン屋を、このばあさんと六十年間やりました。山登りが好きで、ヨーロッパの山は、ほとんど登頂しました。二人の夢は、世界一高いエベレストに登ることでした。気がついたらこの歳です。せめて見るだけでもと思い、やっと貯めたお金でここに来ました。もう二度と、ここに来ることは出来ないでしょう。せめて、霧の中の二人で撮った写真を見て、エベレストは見られなかったけれど、すぐ近くまでは行った、と思いたいのです。私たち夫婦が、仲良くふたりで助け合って生きた、その証として残したいのです。パン屋の跡を継いでくれた息子も、他の子供たちも、旅費の一部を出してくれました。その子たちにも、この写真を見せたいのです。お願いします」 

 エベレストは凄い山である。世界中から人々を引き寄せる。登頂に命を懸ける人もいる。ひと目見たいがために来る人もいる。万感の想いを胸に抱いて来ても、見える時もあれば、見えない時もある。

 ライカのファインダーの中に、光輝くエベレストは無かったけど、仲良く寄り添う夫婦の美しい姿があった。私達もいつか歳とってこのような夫婦になりたいと思った。そのひとコマは、 今も消えない私の心の写真である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セカンドライフ問題 夫婦旅行②

2007年06月04日 | Weblog
  スイスのピラトゥス(別名ドラゴンマウンテン)へ登る登山電車の中で、イスラエルから来た夫婦と一緒になった。私達はセネガルのダカールから来たと言った。若い時、砂漠の緑化事業でセネガルに派遣されたと言って、私たちに関心を持ち、こんな話をしてくれた。 

 「イスラエルは、人が住んで農業ができるような所に出来た国ではない事は、ご存知ですね。やればできるのです。砂漠だってちゃんと農地になります。日本へもイスラエルから、たくさんグレープフルーツを輸出していますよ。私達が砂漠を緑地化して農地に変えて、そこで作っています。グレープフルーツだけではありません。小麦、野菜、花だって育てています。私は、セネガルで緑化事業をやって思いました。砂漠を砂漠にしているのは人間です。止める方法があってもできない。人間があの砂漠を緑豊かな農地に変えて、自分たちはもっと楽に暮らせるようになりたいと、情熱を持たなければできません。国が、国民の先頭に立たなければできません」 

 隣で奥さんが、そうだそうだと頷いている。 「結局は教育です。セネガルでそう思いました。どんなに私たちが一生懸命教えても、教わる人たちは、自分でやろうとは思いません。他の人を働かせます。それは、その人が悪いのではありません。社会の仕組みが、そうなってしまっているのです。そんなことをしていたら、砂漠はずっと砂漠のままです。それどころか、砂漠は拡大します。不思議ですよ、緑化もある面積を超えると、自然に拡大を始めます」 今度は私と妻が大きく頷く。 

 「日本もある意味で、社会主義国家と学びました。イスラエルしかり。自分の手で働く人々がいて、国家を愛して、国の発展を願うからこそ、敵と砂漠と戦うのです。日本は美しい緑の国と聞きました。イスラエルにできて、他の国にできない事は有りません。今でもイスラエルの若者は、各地の砂漠で緑化事業を支援しています。ヨーロッパに来て思いませんか?人間は本来緑豊かな地に住むべきだと。日本も美しい緑の国と聞いています。ばあさんといつか行って見たいです」 そう言って、彼は奥さんの手を強く握った。

 私達夫婦もニンマリ、顔を見合わせた。旅は出会い、夫婦で旅すると、夫婦の旅人と簡単に仲良くなれる気がする。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セカンドライフ問題 夫婦旅行①

2007年06月04日 | Weblog
 夫婦で旅行を楽しむ方が増えた。
 私が高校1年生の時、英会話と聖書の勉強会で学んだ。先生はアメリカ人女性のネルソンさんだった。旦那さんが定年退職して、ダウン症の26歳の娘さんと3人で世界一周の船旅の途中、1年間日本でキリスト教の宣教師として活動した。当時、アメリカ人は退職後、まず夫婦で長い海外旅行にでるのが一般的だったが、日本人はせいぜい国内の温泉旅行で、それでも行ければ良いほうだった。私の両親は、4人の子育てでそれどころではなく、二人で旅行に出かけたことはなかった。それが今では海外旅行も当たり前である。

 団塊世代の夫婦旅行が更にグレードアップして、ただの『どこそこへ行ってきた』旅行でなく、二人しかできないユニークな旅行をして欲しい。私が出会った夫婦旅行のひとコマを紹介する。

 心臓バイパス手術の術後検診を受けるために、日本へ一時帰国することになった。パリで全日空便に乗り換えた。隣が日本人のおじいさんだった。耳に補聴器をつけていた。七十歳ぐらいかなと感じた。明るい感じの良い方だった。離陸して機内も落ち着いてくると、おじいさんは私に話しかけてきた。 東欧諸国を奥さんとツアーに参加して、回ってきたと言った。ずっとポーランドのアウシュビッツ収容所跡を訪れ、お参りしたいと願っていて、やっと実現できたと喜んでいた。場所が場所だけに正直それを聞いて驚いた。年齢を聞いてもっと驚いた。八十四歳だそうだ。

 夕食の時間になった。アテンダントがフランス人で、日本語が話せなかった。おじいさんに英語で夕食は、洋食と和食どちらにしますかと聞いた。私に通訳してくれと頼んだ。十日間も日本を離れていれば、当然和食を頼むと思った。「洋食をお願いしますか」と言った。ワインを飲み、出た料理も全て残さずきれいに食べた。デザートもぺろりと食べた。食後のコーヒーも飲んだ。話も盛り上がっておもしろかった。 映画上映時間になった。どんな映画をやるのか私に尋ねた。プログラムを見て教えてあげた。

 「もう見た映画なので、寝ます」と言った。シートを倒して、彼は寝る体勢に入った。数分後、軽い鼾をかいていた。 私は、術後検診が心配で眠れず、結局三本の映画すべてを観た。しばらくウトウトすると、機内の灯りが点灯されて、朝食の時間になった。

 隣のおじいさんは、爽快な顔で目を覚まして、「よく眠むれました」と言って、伸びをした。朝食もきれいに食べた。そして日本での生活の話を聞かせてくれた。長生きも健康なら良いものだと思った。無事成田に着陸して、飛行機を降りる時、奥さんから「お爺守ありがとう、お陰で久々に良く休めました」と言われた。 (写真:ネルソン一家の横浜出港風景、アメリカン・プレジデントライン)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする