団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

社会問題 性教育

2007年06月24日 | Weblog
 ギラ先生の本名は、松本仁。でも生徒は皆、先生をギラ先生と、親しみと尊敬を持って呼んでいた。

 私の担任ではなかったが、理科を三年間教わった。私の担任のT先生は病弱で、三年間ほとんど学校に来なかった。そんなわけで、私たちのクラスは、ギラ先生を頼りにしていた。 ギラ先生は、バスケットボールクラブの顧問だった。その指導力で、チームは県大会に連続で出場していた。 

 ギラはあだ名で、ギラギラしている存在感と、当時流行った映画『ゴジラ』のラをダブらせた。エネルギッシュで熱血漢の先生にぴったりだった。 ギラ先生は教え方が上手かった。先生の話に、生徒全員引き込まれた。クラスには、他の先生が、手を焼いていた不良少年が数人いたが、彼らもギラ先生には一目置いていた。ギラ先生は、体も大きく、押しだしがよいこともあるけれど、なにより生徒を思う熱い気持ちが、私たちに伝わってきた。

 中学三年になり、高校受験の志望校を決めなければならない時期になった。悩む生徒が多かった。団塊の世代のトップランナーで、一歳年上の学年は二クラスしかなかったのに、我が学年は九クラスだった。当然、高校入試の倍率も高くなる。 

「お前たちは、入試の倍率にビビッているようだが、そんなもの恐れるに足りない。母ちゃんの卵巣からたった一個の卵が出て、父ちゃんの睾丸から約三億の精子が用意ドンでスタートした。三億だぞ。一個の卵に一匹の精子しか入れない。お前たちこそ、三億倍の勝利者だ。高校の入試平均倍率が1・5倍だって。なんだそんなもの。三億から勝ち上がったお前たちには、もっと大きな未来がある。心しろ!」 ギラ先生は、理科の『生殖』の授業で言った。 

 私は、自分の子供達にこの話を、性教育としてしたことがある。私と二人の子供と3人、風呂での裸の教室だった。あの時の私たちと同じように、目を輝かせて熱心に聴いてくれた。妻は、ギラ先生の話は性教育としても優れていると褒めた。良い教師の良い話は、四十数年経っても忘れない。団塊世代の競争は激しく厳しいものだった。だからこそ定年退職後は穏やかなものであって欲しい。(写真:高校合格発表)

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