団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

孫問題 カサブタ遊び

2007年06月13日 | Weblog
 子供の頃、よくあちこち怪我をした。転ぶ、ぶつかる、躓く、刺す。傷はしばらくすると瘡蓋になる。
 
 膝は瘡蓋はがしの『手すさび』に最良の位置だった。小学生の時、これをしていた男の子が、結構いた。不自然な姿勢をしたり、少し体をひねって肘を曲げたり、俯きかげんが深かったりが怪しい。時々「イテッ」とか「アッ」の小声が、身につまされた。

 私にも、もちろん経験がある。少しずつ治り始めた瘡蓋にちょっかいを出す。はがす頃合いを見定めるのが難しい。早すぎれば、元の木阿弥になる。血が流れ、あわてて手で拭きとり、ズボンにこすり付けた。こうなると再生されるのを待つしかない。

 やがてその時が来る。注意深く慎重に、全方向からじわじわと攻める。一滴なりとも出血させてたまるかと一心不乱になる。完璧にはがした瞬間に、至福の時がおとずれる。透き通った薄皮の下のピンクの美しかったこと。

 しかし、モノゴト全てがうまく運ぶ訳がない。こんな時にかぎって、先生が席の後ろに立って、事の一部始終を見ていた。廊下に出された。水が満杯のバケツを二つ両手に持たされる。瘡蓋をはがした跡は、むず痒い。身を捩って耐える。光り輝く傷跡は、屈辱感、重さ、痒さも半減してくれた。罰を与えられても、懲りない。

 瘡蓋が複数あった時は、いそがしかった。どれがはぎ時か見定めるのに、私は時間を掛ける。授業そっちのけで、『手すさび』に集中した。 

 この歳になると、瘡蓋にお目にかかる頻度も落ち、できても治る進度が随分遅い。子供の頃の、細胞分裂の爆発的活発さがなつかしい。

 訪ねて来た孫の手足を調べる。大将の勲章のような、もっこりしたりっぱな怪我の瘡蓋はなかった。モッタイナイ。だがまさか無理やり孫に怪我させるほどの勇気もない。ナサケナイ。それにしても孫のアトピーに心痛む。アトピーのカサブタは嫌いだ。

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