きんちゃんが死んだ。テレビのニュースで知った。埼玉県のマラソン大会で走っていて心筋梗塞で急死した。享年六十二歳。
きんちゃんは、私が狭心症でバイパス手術を受けるために、病院に入院していた時、よくお見舞いに来てくれた。ある時、私がどう狭心症と診断されて、どういう検査を受けたか細かく聞いた。その時、私はきんちゃんも心臓に問題を抱えていると直感した。私は検査を薦めた。きんちゃんは言った。「俺、おっかねえ」
私の病室でマラソンの身支度に着替えて、「手術がうまくいくように、俺これから寺へお参りに走ってくる」 と言って部屋を出て行った。途中で心臓の形の小石を見つけ、「どうぞこの石にあいつを力づけ、手術がうまく行くよう御利益を入れてください」 と願をかけてきたと私に渡した。私は今でもそれをお守りとして大切にしている。
きんちゃんは何でもストレートに言う。ある時、私に「俺はお前の人生ちっとも羨ましいとは思わねえ」 と言った。 きんちゃんの人生も波乱万丈だった。私ときんちゃんの違いは、きんちゃんの故郷密着型人生に対して、私の放浪型人生であった。
決してきんちゃんは、私の人生を否定したり卑下しているのではない。それよりも自分に自分が生きた人生を、これで良かったのだと納得させているように思えた。二十年以上、兄と築き上げた会社が倒産して、自己破産していた。
きんちゃんは、精神的に浮き沈みの少ない人だった。苦しい事、悲しい事を上手に生きるエネルギーに変換できた。マラソンもその手段のひとつだったに違いない。42・195キロを人生に見立てて走っていた。どんなに苦しくてもゴールがある。ゴールに飛び込むたびに、これが人生だと満足感を感じたと言っていた。
きんちゃんは、何故か今回、天国のゴールまで走って行ってし
まった。(写真:彼が辞世直前に私達のために描いた油絵)