団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

辞世問題 ひとつの辞世例

2007年06月12日 | Weblog

  きんちゃんが死んだ。テレビのニュースで知った。埼玉県のマラソン大会で走っていて心筋梗塞で急死した。享年六十二歳。

 
きんちゃんは、私が狭心症でバイパス手術を受けるために、病院に入院していた時、よくお見舞いに来てくれた。ある時、私がどう狭心症と診断されて、どういう検査を受けたか細かく聞いた。その時、私はきんちゃんも心臓に問題を抱えていると直感した。私は検査を薦めた。きんちゃんは言った。「俺、おっかねえ」 
 
 私の病室でマラソンの身支度に着替えて、「手術がうまくいくように、俺これから寺へお参りに走ってくる」 と言って部屋を出て行った。途中で心臓の形の小石を見つけ、「どうぞこの石にあいつを力づけ、手術がうまく行くよう御利益を入れてください」 と願をかけてきたと私に渡した。私は今でもそれをお守りとして大切にしている。

 きんちゃんは何でもストレートに言う。ある時、私に「俺はお前の人生ちっとも羨ましいとは思わねえ」 と言った。 きんちゃんの人生も波乱万丈だった。私ときんちゃんの違いは、きんちゃんの故郷密着型人生に対して、私の放浪型人生であった。

 決してきんちゃんは、私の人生を否定したり卑下しているのではない。それよりも自分に自分が生きた人生を、これで良かったのだと納得させているように思えた。二十年以上、兄と築き上げた会社が倒産して、自己破産していた。

 きんちゃんは、精神的に浮き沈みの少ない人だった。苦しい事、悲しい事を上手に生きるエネルギーに変換できた。マラソンもその手段のひとつだったに違いない。42・195キロを人生に見立てて走っていた。どんなに苦しくてもゴールがある。ゴールに飛び込むたびに、これが人生だと満足感を感じたと言っていた。

 きんちゃんは、何故か今回、天国のゴールまで走って行ってし

まった。(写真:彼が辞世直前に私達のために描いた油絵)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辞世問題 老人ホーム

2007年06月12日 | Weblog

 コムスン問題が連日マスコミに取り上げられている。

 日本は不思議な国である。コムソンが経営している老人ホームには入居金3億円のところがあると言う。それだけのお金を払って満足する介護を一生受けられるとは思えない。つまり事業として成立不可能な分野に、したり顔で参入してきたのがコムスンである。実の親子通しでも問題だらけなのに、民間の利益を追求する株式会社が心のこもったサービスができるわけがない。老人ホーム事業、介護事業は3Kの最たる仕事である。コムスンのテレビコマーシャルを見て、いつもそう思っていた。

 私が子どもの頃、近所で老人ホームに入るお年寄りがでると、大人たちはお年寄りに同情的で、その家族を痛烈なことばで批判していた。家族が助け合って辞世の日まで面倒を見るは、暗黙の掟であった。

 私が暮らした国々は、平均寿命が日本の半分の40~55歳ぐらいのところが多い。それでも家族に老人、病人、障害者がいると幼い子供がその人の面倒を見るために、学校へ行かないでいる例をみた。貧しいながらも、懸命に家族の絆で生きている。

 留学したカナダで、私は日系人の老人ホームで奉仕活動をした。皆さん一世で日本から移民して、苦労して、戦争中は強制収容所に入れられ、それでも子供達を医者、弁護士、大学教授に育て上げた。しかし彼らは文化ギャップに悩んでいた。子供達は西洋式の自立を標榜し、親は日本式の家族連帯を主張した。結果、一世の老後は当然のように老人ホームで送ることになった。一世は子供に捨てられたと私に話しては泣いた。子供達は年に2,3回家族で悲壮感や哀れみのかけらも持たずに会いに来ていた。子供達の顔には、自分達も歳をとって親と同じに老人ホームに入ると書いてあるようだった。

 私が今までに見学した老人ホームでなかなか良い、自分もこういうところなら入ってもいい、と思ったのは、アメリカの宗教団体が運営するホームである。日本にも多くの歴史ある宗教、新興宗教がある。これらいずれの宗教も老人ホームを持ち、多くの老人を救っているとは聞いたことがない。根底はコムソンと同じと勘ぐる所以である。

 私のアメリカ人の友人達は、モービルハウスで結婚生活を始め、子供の数、昇給に合わせて、次々と家を変えた。夫婦二人になると小さなコッテイジのような家に移った。私の妻の母親は、今年の春夫を亡くした。一人で大きな家に住む。小さな老人が住みやすい家を建てようとか、老人ホームの話をすると、私達がまるで悪魔の使者のように不快感をあらわにする。「この家を建てるのにどれだけ苦労したのか、親不孝な者にはわかるわけがない。私はこの家で死んでいく」 最後まで家にこだわる日本人、快適な生活を追及するアメリカ人。私達はここならと見学して思うホームに申し込みをした。空きがでたら早めに移る計画だ。空きが出て私達の順番が来るのは15年先と言われた。辞世も段取りが必要だ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする