団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

セカンドライフ問題 ゴルフ

2007年06月11日 | Weblog
  私はゴルフが好きだ。自己最高スコアを出したのは、心臓の手術を受けた後、ゴルフを8ヶ月ぶりに再開した日だった。ボールを遠くへ飛ばそうとか、ボギーだ、バーディーだと一喜一憂することなく、淡々と妻とプレイできた。りきみがなかった。遠くへ飛ばそうと力一杯振ってもボールは飛ばず、静かに柔らかに振れば思わぬところまで飛んでいってしまう。ゴルフは不思議なスポーツだ。

 海外生活は、ゴルフができるところではゴルフ三昧の生活だった。暮らした国の中には、ゴルフ場が無い国もあった。      しかし自分の事業を売却して、主夫になり妻の転勤にくっついて海外に出るまで、私はゴルフをしなかった。理由は、高校の同級生で銀行員だったD君の一言が原因だった。私は、彼に銀行で融資を断られた話をした。

 「君、大口融資を受ける時、窓口へ行っても無駄だよ、ゴルフ場なの。君はその銀行からゴルフコンペの招待受けたことあるの?」 調べてみると、どこの銀行も、頻繁にゴルフコンペを開催していた。私は、招待されたことがなかった。ゴルフなんてやるものかと思った。 

 以前、トヨタの創業者の豊田佐吉の伝記を読んだ。佐吉は、何度も銀行に融資を申し込んだが、全て断られた。佐吉は、銀行には金輪際頼らないと決意した。そしてトヨタを別名トヨタ銀行と呼ばれるほどの、無借金財務優良会社にした。私もそうなりたかった。
                                   Nさんは私と同い歳、資産家の一人娘と結婚した。奥さんの父親の跡をついで紡績工場を経営していた。車は、ベンツ、クラウン、NSXと三台を乗り分けていた。青年会議所、ロータリークラブと、華々しく活動していた。青年会議所の定期会合の後の飲み会で、「今日のコンペでさ~、十八番の最後のパット打とうとしたら、支店長にさ~、二億使ってくれませんかって言われて、パットはずしちゃったよ」と嬉しそうに話した。 

 1990年、日本の株式市場が大暴落した。これを境に、彼の羽振りのよさが激変した。バブル崩壊の狼煙だった。銀行の支店長が、あっちもこっちも急に変わった。ある晩、Nから電話が掛かってきた。借金の無心だった。断った。間もなく、Nの会社は倒産した。Nの行方は、未だに知れない。栄枯盛衰、栄者必衰。私が銀行ゴルフコンペに招待されていたらならば・・・

 団塊世代はみな激動の社会を生き抜いてきている。行方知らずになった者は、数多い。過労死した者もいる。世の中の流れに翻弄された。戦争を知らない世代と上から揶揄され、帰国子女のように下から疎まれた。それもこれもみな“ご苦労さん”で終わる。これからだ。最近ゴルフ場で、静かにコースを回る仲良し夫婦をよく見かける。団塊世代が日本を変えている。(写真:セネガルの土漠ゴルフ場、芝はグリーンのみ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦問題 ホルモン

2007年06月11日 | Weblog
 アンチエイジングドックで男性ホルモン、甲状腺ホルモン、糖代謝ホルモン、骨代謝ホルモン、成長ホルモン、DHEA-S(副腎ホルモンの一種)の測定をした。図を参照。私はDHEA-Sと男性ホルモンが非常に低い。これは生殖機能の低下を如実に表している。私は検査するまでもなくこのことを強く自覚している。夫婦にとって大切であることは重々承知している。

 ドックのあとの医者との面談で、男性ホルモンの注射治療を薦められた。注射は成人病にも良い効果があると言われ、ためしに1回受けてみることにした。効果抜群であった。自分の奥深くに退化していた生殖本能が竜のごとく熱く湧き上がった。恐ろしくなった。世の中には何歳になっても性犯罪を犯すやからがいる。つまり、その人たちの体内にはそういうホルモンがまだ力強く活動しているということか。私はもう二度とこの注射治療を受けまいと思った。

 現代はバイアグラ、シリコン器具で欲望を充たす方法が確立されている。私は妻には申し訳ないが、そこまでしたいとは思わない。人並みに生きてきた。男性機能が衰退するのも自然である。あがいて青春時代に戻ろうとすればするほど、心のどこかにねじれが生じる。自分の衰えを認め、もっと内面的なことに目覚めたい。

 決してこれは病気ではない。単なる衰えだ。人生を起承転結のグラフとすれば、転を迎える団塊世代、いつまでも若者と同じわけにはいかない。この問題はあくまで夫婦だけの問題である。お互いにとことん話し合うべきである。それでこそ夫婦。 

 昔アメリカのSF映画で宇宙人の夫婦は、二人がお互いに両手の10本の指先を触れるだけで充たされるというのを観た。当時は正直馬鹿らしいと一笑にふした。今はそうは思わない。それどころか映画の宇宙人のようになりたいとさえ思う。夫婦の絆をどんな形ででも強く持ち続けたい。精神的にだけでも、良い夫婦関係が保てるのであれば、私達も宇宙人に近づいてきていると言うことか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会問題 自由の女神

2007年06月11日 | Weblog

 自由の女神 台座の詩

 美しい花を愛するのは誰でもできましょう。

しかしそれは愛ではありません。

もしそれが醜く汚れたものであったとしても

そうゆうものに心をかたむけてこそ本当の愛というものです。

それがあなたにとって宗教でございます。

あなたの国の疲れた人、貧しい人

自由にあこがれながら

狭いところにすし詰めになっている人たち

岸辺にあふれんばかりの困窮の人たち

こうした宿無しの人たちを

私のところによこしなさい

嵐に乗せて

私は金の扉の傍らで

ランプを捧げていますから

 私が初めて自由の女神を見たのは、1967年だった。船で大西洋を渡って東からアメリカにたどり着いた多くの人びととは逆に、車で西から大陸を横断して、観光船で島に渡った。京都の古寺の観音さまのようにやさしい慈悲に満ちた顔をしていた。あまりの大きさに圧倒もされた。台座の詩を読んで涙がでた。

 私達が生まれたのは戦争が終わってからだ。戦争責任とか戦後補償とか難問が未だにくすぶり続けている。我々団塊世代の歩み60年が戦後日本の歩みと重なる。日本はこの間に奇跡の復興をはたした。韓国、台湾、中国、戦争で被害を受けた国々が、何を言って日本が負けた戦争のことで我々を責めても、反論することはできない。戦争は暴力である。彼らの怨念がすぐに消えることは絶対にない。日本人は、平和を願い、反省の気持ちを持ち続け、時間がいつか許してくれるまで待つことしかできない。

 イタリアのマフィアの語源は、13世紀の戦争でフランス兵に犯されたイタリア人の娘の恋人男性の叫び“すべてのフランス人に死を!! これはイタリアの叫び!!”のイタリア語5語の頭文字M、a、F、I、aからきている。形を変えても怨念は消えない。わだかまりとなって、すでに7世紀がすぎている。

 
しかし日本が復興したことで、近隣諸国にも少なからず良い影響を及ぼしたことも事実である。貧しく搾取され続けたアジアの中から、極東の小さな島国日本がモノづくりで世界に躍り出た。非白人で初めて先進国の仲間入りを果たした。日本のバブルがはじけて、リストラされた多くの団塊世代技術者が、韓国、台湾、中国に渡り、日本の技術移転を促した。それがどれほど3国にとって3国国民の勤勉性、標準化、マニュアル化の能力の高さと共に、大きな躍進する原動力になったか計り知れない。団塊世代の多くは国粋主義者では断じてない。アジアの発展への小さな自由の女神の働きをして、貧しいアジアを繁栄への入り口に、今度は平和的に誘ったと自負できる。自身得度先渡他の小さな善行であった。我々は金の扉にまた一歩近づいている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする