海外生活は、ゴルフができるところではゴルフ三昧の生活だった。暮らした国の中には、ゴルフ場が無い国もあった。 しかし自分の事業を売却して、主夫になり妻の転勤にくっついて海外に出るまで、私はゴルフをしなかった。理由は、高校の同級生で銀行員だったD君の一言が原因だった。私は、彼に銀行で融資を断られた話をした。
「君、大口融資を受ける時、窓口へ行っても無駄だよ、ゴルフ場なの。君はその銀行からゴルフコンペの招待受けたことあるの?」 調べてみると、どこの銀行も、頻繁にゴルフコンペを開催していた。私は、招待されたことがなかった。ゴルフなんてやるものかと思った。
以前、トヨタの創業者の豊田佐吉の伝記を読んだ。佐吉は、何度も銀行に融資を申し込んだが、全て断られた。佐吉は、銀行には金輪際頼らないと決意した。そしてトヨタを別名トヨタ銀行と呼ばれるほどの、無借金財務優良会社にした。私もそうなりたかった。
Nさんは私と同い歳、資産家の一人娘と結婚した。奥さんの父親の跡をついで紡績工場を経営していた。車は、ベンツ、クラウン、NSXと三台を乗り分けていた。青年会議所、ロータリークラブと、華々しく活動していた。青年会議所の定期会合の後の飲み会で、「今日のコンペでさ~、十八番の最後のパット打とうとしたら、支店長にさ~、二億使ってくれませんかって言われて、パットはずしちゃったよ」と嬉しそうに話した。
1990年、日本の株式市場が大暴落した。これを境に、彼の羽振りのよさが激変した。バブル崩壊の狼煙だった。銀行の支店長が、あっちもこっちも急に変わった。ある晩、Nから電話が掛かってきた。借金の無心だった。断った。間もなく、Nの会社は倒産した。Nの行方は、未だに知れない。栄枯盛衰、栄者必衰。私が銀行ゴルフコンペに招待されていたらならば・・・
団塊世代はみな激動の社会を生き抜いてきている。行方知らずになった者は、数多い。過労死した者もいる。世の中の流れに翻弄された。戦争を知らない世代と上から揶揄され、帰国子女のように下から疎まれた。それもこれもみな“ご苦労さん”で終わる。これからだ。最近ゴルフ場で、静かにコースを回る仲良し夫婦をよく見かける。団塊世代が日本を変えている。(写真:セネガルの土漠ゴルフ場、芝はグリーンのみ)