かなり昔になりますが1990年にタンザニアのイリンガ近辺に農場を
購入した先輩を訪ねました。まだ携帯電話もなく、連絡はエアメール
でした。イリンガの鉄道駅に到着する日だけを連絡して出発しました。
ダルエスサラームで鉄道駅に切符を買いにいきました。長い行列の中で
順番を待っていると、あと2-3人というところで突然発売窓口の扉が
しまってしまいました。列車に乗れなっかったら会うことができなく
なるので大騒ぎしました。すると脇の扉が開いて中に入れてくれました。
扉の向こう側には発券する機械とか、連絡用機械とかがあるように
思っていましたが機械のようなものは何もなくテーブルに2-3人の
人が座っているだけでした。扉があれば扉の向こう側には希望や可能性
がキチンと揃っているように思ってしまいますが、実は何もないことが
あると知りました。向こう側が見えないと、実態とは関係なく勝手に
自分の理想的なことを想像してしまいます。
機械はなかったのですが手書きの切符を発行してくれました。希望は
かないました。写真トップは無事たどり着いた先輩の農場のバナナ。
オレンジなども栽培していました。

日本では鉄道が頻繁に走っているので、交通手段の中心のように
考えてしまいますが、普通はバスが中心のようです。帰りはイリンガ
の大きなバスセンターからダルエスサラームに戻りました。
購入した先輩を訪ねました。まだ携帯電話もなく、連絡はエアメール
でした。イリンガの鉄道駅に到着する日だけを連絡して出発しました。
ダルエスサラームで鉄道駅に切符を買いにいきました。長い行列の中で
順番を待っていると、あと2-3人というところで突然発売窓口の扉が
しまってしまいました。列車に乗れなっかったら会うことができなく
なるので大騒ぎしました。すると脇の扉が開いて中に入れてくれました。
扉の向こう側には発券する機械とか、連絡用機械とかがあるように
思っていましたが機械のようなものは何もなくテーブルに2-3人の
人が座っているだけでした。扉があれば扉の向こう側には希望や可能性
がキチンと揃っているように思ってしまいますが、実は何もないことが
あると知りました。向こう側が見えないと、実態とは関係なく勝手に
自分の理想的なことを想像してしまいます。
機械はなかったのですが手書きの切符を発行してくれました。希望は
かないました。写真トップは無事たどり着いた先輩の農場のバナナ。
オレンジなども栽培していました。

日本では鉄道が頻繁に走っているので、交通手段の中心のように
考えてしまいますが、普通はバスが中心のようです。帰りはイリンガ
の大きなバスセンターからダルエスサラームに戻りました。