はじめの頃に出てくるナシの品種 太白
この頃字の小さな文庫本は読みづらく、大きな文字の本に目が
行きます。子規の「仰臥漫録」も大きな字の本がありましたので
読みました。毎日3食の献立と果物類が書かれています。印象的
だったのはほぼ毎日食べる果物の量です。それと葡萄酒を毎日
飲んでいたそうです。明治34(1901)年の9月2日から10月28日間で
献立が記載されている40日のうち時期もありますがナシが25日、
ブドウが18日、リンゴが7日、そしてカキを6日食べています。
現在より果物の大きさは小振りだったのですが、それでもかなりの
量です。手土産や送り届けられた果物も多く伊藤左千夫(千葉 ナシ)や
長塚節(茨城 クリ)の名前があります。
果物の品種は一部記載してありますが、ほとんど不明です。
ナシは太白があります。もしかしたら二十世紀も食べることが
できたかも
二十世紀
リンゴは河東碧梧桐から満紅(紅玉)、大和(倭)錦、紅しぼり(タマカンザシ
フランス原産)等、高浜虚子から青りんご。子規の菓物帖には西洋りんごと日本りんごが
描かれているので、両方とも食べていたのかも
紅玉
子規のカキは好きは有名ですが樽柿、熟柿、江戸一、百目、大和(御所 完全甘ガキ)柿が
見られます
禅師丸(不完全甘ガキ)
絵御所(不完全甘ガキ)