映画的・絵画的・音楽的

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起終点駅 ターミナル

2015年11月17日 | 邦画(15年)
 『起終点駅 ターミナル』を渋谷TOEIで見ました。

(1)佐藤浩市の主演の映画だということで、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の舞台は北海道で、冒頭は、吹雪の中の駅で呆然と立ちつくす主人公・鷲田完治佐藤浩市)の姿。



 そして、25年前の旭川地方裁判所の場面。
 事務室で事務官が「東京での夏休みは如何でした?」と尋ねると(注2)、鷲田は「こちらの夏が懐かしかった」と答え、さらに事務官は「今度は雪を見ることになりますよ。2年なんてすぐですよ」と言います。
 それから、法廷の場面。
 鷲田が、裁判長として、「それでは、被告に対する覚醒剤取締法違反事件に対する審理を始めます」と宣言した後、被告の結城冴子尾野真千子)の顔を見て驚きます。



 いったい鷲田は冴子とどんな関係があったのでしょう、………?

 さらに、2014年の時点で鷲田は釧路で法律事務所を開いていますが、国選弁護しとして担当した覚醒剤取締法違反事件の被告の椎名敦子本田翼)が、執行猶予付きの判決を受けた後、鷲田の家にやってきます。



 さあ、敦子は何のために鷲田の家にやってきたのでしょうか、………?

 本作は、主な舞台を釧路としながら、裁判官時代の主人公と学生時代の恋人との関係が、裁判官を辞めて弁護士になった主人公と被告との関係に重なるように描き出され、なかなか興味深い内容になっていて、さらに出演者のそれぞれも好演しているとはいえ、北海道新幹線の開業を前にしたJR北海道のPR映画のような雰囲気が濃厚に漂っていて、ちょっと引けてしまう感じにもなりました(注3)。

(2)本作では、佐藤浩市と尾野真千子との関係が、25年後の佐藤浩市と本田翼との関係に上手く重ねられて描かれています。
 まさに定石通りに、最初の関係は悲劇として、そして2番目の関係は喜劇(むしろ、明るいハッピーな物語)となっています(注4)。
 そんな点を考えつつ、映し出される北海道の様々な風景を味わいながら、佐藤浩市の落ち着いた深みのある演技や本田翼のみずみずしい演技などを見ることが出来ます。

 とはいえ、本作についてはいろいろの疑問点も湧いてきます。
 例えば、主人公の鷲田と冴子との関係はどうも不可解な感じがします。
 いったいどうして冴子は、鷲田が司法試験に合格すると、いともアッサリと身を隠してしまったのでしょうか?
 それは、鷲田の今後の飛躍に負担にならないようにという思いからなのかもしれないとはいえ、すっきりしないものが残ります。
 そして、10年後に再会して、鷲田が一緒に暮らそうと言うのに対して、なぜ自殺で答えるのでしょうか?今度も鷲田に負担にならないようにしたいというのであれば(注5)、再度10年前と同じように身を隠せば十分ではないかと思われるところです。

 また、本作の舞台とされる時点ですが、鷲田と敦子の関係が描かれるのは「平成26年春」(2014年)とされ、鷲田と冴子が再会するのがその25年前の1988年、そして鷲田と冴子が出会うのが学生運動のさなかの「昭和53年春」(1978年)とされています。
 ですが、学生運動が燃え盛ったのは、原作にあるように「1960年代後半」のことではないでしょうか(注6)?

 それから、冒頭のシーンはどこの駅なのでしょうか?
 冴子が列車に飛び込んでしまう駅は、跨線橋が設けられているそれなりの構造をしています。ですが、冒頭で鷲田が、列車が行ってしまった線路の先を見ながら佇んでいる駅は、どうみてもごく小さな無人駅のような感じがしてしまいます。
 そんな小さな駅しか設けられていない町に、冴子のいるスナック「慕情」などが集まった飲み屋街があるとはとても思えません(注7)。

 それに、ラストで、東京で行われる息子の結婚式に出席するために、なぜ主人公は、わざわざ鉄道を利用すべく釧路駅に出向くのでしょうか?
 なにより、そう描かれることで、原作とラストが全く異なってしまうのです(注8)。
 また、釧路から東京に向かう場合には、常識的には飛行機を利用するものと思います(注9)。まして、息子の結婚式が間近に迫っているのですから。
 こんなことになるのは、来春3月36日の北海道新幹線の開業を控えて、鉄道の良さをプレイアップしたいとするJR北海道(注10)の意向を踏まえて本作が制作されているからではないか、と勘ぐってしまいたくなります。

 まあ、これらは些細な点かもしれません。ですが、そう言ってしまうためには、他方で、もう少し目を引くような出来事(注11)が描かれている必要があるのでは、とも思いました。

(3)渡まち子氏は、「これはいったいいつの時代?と思わず首をかしげたくなるほど、古色蒼然としたドラマだが、時の流れに取り残された男の再生の物語には、その方がむしろしっくりくるかもしれない」として60点をつけています。
 村山匡一郎氏は、「監督は、「深呼吸の必要」や「山桜」などで知られる篠原哲雄。気負いのない演出で、日常的な生活感から人生の機微をじんわりと広げて、観客の心に沁み渡らせる手腕はさすがである」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
 小梶勝男氏は、「1988年は平成となる前年だ。ぎりぎり昭和という時代設定がうまい。恋人の死で時間を止めてしまった鷲田が、昭和から平成へ、時代に乗り移れなかった男に思えてくる。同じように、乗り移れない部分を抱えた人々は少なくないだろう」などと述べています。



(注1)監督は、『小川の辺』などの篠原哲雄
 脚本は、『柘榴坂の仇討』などの長谷川康夫
 原作は、桜木紫乃著『起終点駅 ターミナル』(同タイトルの小学館文庫に所収の短編)。

(注2)原作では、旭川時代の鷲田は、任地の旭川で妻や息子と一緒に生活していました(文庫版P.127)。
 これに対して本作では、「家族は旭川?」と尋ねる冴子に、鷲田が「家族は東京。単身赴任だ」と語っており、彼は、夏休みをとって東京の家族のもとに行っていたのでしょう。

(注3)出演者の内、最近では、佐藤浩市は『バンクーバーの朝日』(『ギャラクシー街道』でもカメオ出演していますが)、本田翼は『ニシノユキヒコの恋と冒険』、鷲田弁護士に開所顧問になるようしつこくつきまとう大下役の中村獅童は『銀の匙 Silver Spoon』、釧路における鷲田宅の隣りに住む老人の息子役の音尾琢真は『ジーン・ワルツ』、尾野真千子は『きみはいい子』で、それぞれ見ました。

(注4)この拙エントリの「注2」で触れたカール・マルクスの言葉より。

(注5)寝物語で、「ここを出て、どこか小さな町で法律事務所を開いて、一緒に暮らそう」と言う鷲田に対して、冴子は、「誰かの負担になるのなら寒すぎる」と言っています。おそらく、冴子は、鷲田が冴子のことを考えて無理をしているのだと思っているのでしょう(劇場用パンフレットに掲載の「特別対談2」の中で、篠原監督は、「(佐藤浩市から)完治は冴子に別れを告げるつもりなんだけど、ここに来てまだ決断できないんだと(いうことで、雪の中でタバコを吸いたいという提案があった)」と述べています。そんなところを冴子は察知したのでしょう)。

(注6)文庫版P.116には、「1960年代後半、完治は学生運動の真ん中にいた」と記載されています。
 確かに、本作に映し出されるタテカンなどには“三里塚闘争”のことが書かれています。
 とはいえ、よくわかりませんが、その当時の闘争は「1960年代後半」のものに比べたらセクト色が相当強まっていて、映画で描かれているような牧歌的なものではなかったのではないでしょうか(劇場用パンフレット掲載の川本三郎氏のエッセイ「悲しみが二人を近づける」でも、「年齢からいって、いわゆる全共闘世代らしい」と述べられています)?
 なお、完治が参加していた学生運動の時点を本作が10年繰り上げたのは、本作の現時点を「2014年」にするためと、敦子の年齢を、彼女を演じる本田翼の年齢(23歳)に近いものにするためではないかと推測されます(本作では、鷲田が旭川から釧路にやってきて住み着いた年数を、原作の「30年」から「25年」に短縮しています←下記の「注11」を参照)。

(注7)原作では、冴子がいるところは「留萌」とされているところ(文庫版P.119)、同駅は決して無人駅ではありません(この記事を参照)。
 ちなみに、劇場用パンフレット掲載の「Location」によれば、スナック「慕情」の撮影場所は、釧路市の「有楽街センター」にある「スナック八重ちゃん」とのこと。
 こんなところから、原作では留萌とされていた冴子の住所地が、映画では釧路とされているのかな、とも思えますが、釧路は釧路地方裁判所が管轄しており、鷲田が旭川から月1で出張する場所としては考えられないところです(この映画を全て釧路を巡るお話と考えれば、タイトルも受け入れやすい感じもするのですが。ただし、根室本線が釧路駅に通っているとはいえ、その終点は根室駅です)。

(注8)原作の鷲田は、2度にわたって息子から電話がかかってくるものの、最終的には欠席の旨を伝えておりますし(文庫版P.126とP.150)、ラストでも鷲田は、相変わらず釧路の裁判所への急な坂道を上っていくだけなのです。

(注9)旭川裁判所の事務官が、東京高等裁判所の裁判官に任命された鷲田に対して、「飛行機の手配をしましょうか?」と尋ねます。住んでいるところが、旭川から今や釧路に変わっているとはいえ、飛行機が常識でしょう。
 尤も、その際鷲田は、「いや、一度は列車で東京まで帰ってみたい」と答えるのです。その気持を、25年間も保ち続けていたというのでしょうか?

(注10)JR北海道は、エンドロールに「特別協力」として記載されています。

(注11)例えば、もう一歩踏み出して、敦子は、25年前に鷲田と冴子の間にできた子供であって、冴子は妊娠したがために、鷲田に黙って身を隠したとするストーリーにしたらどうでしょうか(原作では、冴子は30歳とされていて、鷲田が旭川から釧路にやってきて住み着いた年数と同じなのです)?
 尤も、そうなると、鷲田が敦子に抱く感情は恋愛ではなくて父親としての愛情ということになってしまい、鷲田と冴子の関係がそこに2重写しになるのも薄れてしまいますが。
 あるいは、劇場用パンフレット掲載の「特別対談1」で、原作編集担当の幾野克哉氏が、「初稿時は桜木さん、鷲田完治が大下一龍に殺される話にしていました」と述べているところ、確かに、このくらいの展開が描かれていたら、もっと印象深い映画になっていたのかもしれません。
 なお、原作者の桜木氏は、幾野氏に「桜木さんにアクションシーンは求めていません」と言われて書き直したわけですが、いったいこの“原作編集担当”って何なのでしょうか?『バクマン。』の服部(山田孝之)的な存在なのでしょうが、それは漫画の世界であって、そんな人が小説の世界でも存在するとは思ってもみませんでした。



★★★☆☆☆



象のロケット:起終点駅 ターミナル