映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

マルガリータで乾杯を!

2015年11月26日 | 洋画(15年)
 『マルガリータで乾杯を!』を銀座シネスイッチで見ました。

(1)上映時間が時間の隙間にちょうど上手く嵌っていたので、何はともあれと事前情報を一切持たずに映画館に飛び込みました。

 本作(注1)のはじめは、母親の運転するバンが道路を走っている場面。 そのバンには主人公・ライラカルキ・ケクラン)の一家が乗っています。
 助手席の父親が歌を歌い始めると、息子が「音痴なんだから代金をくれ」と言い、父親が「大金をやるから聴け」と答えると、息子は「要らない」と応じます。
 最初の地点でバンから父親が降り、次の地点で、母親(レーヴァティ)がバンから車椅子を降ろして、それに乗って娘はデリー大学の教室に入っていきます。

 大学では、幼馴染で同じように車椅子に乗っているドゥルヴフセイン・ダラール)が、「ボクの花嫁候補は君だ」などと言ってくれます。



 ですが、ライラは、バンドでヴォーカルをやっているニマに恋してしまいます。なにしろ、ライラが自分で書いた詩をニマに送ると、ニマはそれに素晴らしい曲をつけてくれるのですから(注2)。
 スッカリ舞い上がってしまったライラは、ドゥルヴが「メールで俺を無視している」と詰ると、「私のことは忘れて、さよなら」と言ってしまいます。
 ドゥルヴは「健常者と付き合っても健常者にはなれないぞ」と警告しますが、ライラは「嫌なやつ」と突き放ちます。

 母親に対して、ライラは「好きな人が出来たの。彼も音楽が好きなの」と打ち明けます。



 さらに、音楽のコンテストが開催され、ニマのバンドは、ライラの歌を歌って優勝します。
 ですが、司会者が「障害者が書いた歌だというので優勝にした」と発言したために、ライラは引いてしまいます。
 それに、ニモの方も、ライラの詩作の才能は認めるものの、恋愛感情は持っていないことが分かってしまいます(注3)。
 ライラは母親に、「私バカみたい。彼は私のこと愛していなかったの。もうこの大学には通いたくない」と言います。
 さあ、ライラはこれからどうするのでしょうか、………?

 チケットを買うときにインド映画だと分かり、タイトルと考え合わせると(何しろ“乾杯”なのですから!)、例の歌あり踊りありの楽しいボリウッド映画に違いないと思っていました。
 ところがさにあらず、ボリウッド映画につきものの群衆の乱舞といったシーンなど全くありません。
 それどころか、これまで見た映画の印象から、インド映画界は至極保守的なところではないかと思っていたところ、邦画でもなかなか見られないような先端的な話題をふんだんに取り入れた映画に思いがけずぶち当たってしまったのです。
 一方で見入ってしまうと同時に、他方で酷く戸惑ってしまいました。

(2)なにしろ、主人公・ライラは脳性麻痺の障害者でありながらインドの名門大学に通う19歳の女子大生なのです。言葉を明瞭に発することが出来ず、また車椅子で生活しています。
 なおかつ、ニューヨーク大学に留学するのですが、そこで目の不自由な女子学生・ハヌムサヤーニー・グプター)と性的な関係を持ち一緒に同棲生活をするようになってしまうのです(注4)。



 そればかりか、アメリカからハヌムと春休みに一時帰国したら、ライラは、母親が結腸がんでステージ2であることを父親から告げられるのです。
そのうちのどれか一つでも重すぎる問題であり、そんな問題がこうも重なれば、見ている方としてはとてもついていけない気分になってきます(注5)。

 しかしながら、本作は、ライラを、過酷な運命に押さえつけられた暗い女性としては決して描かずに、絶えず前向きにポジティブに生きていこうとする好奇心旺盛な女性として描き出しています(注6)。

 それに、主役のカルキ・ケクランが言うように(注7)、「“たまたま車いす子に乗っている普通の女の子”がティーンエイジャー特有の恋愛や家族からの自立などの問題に直面する姿が描かれてい」るというように本作を見れば、本作が実にみずみずしく描かれていることもわかってきます(注8)。

 とはいえ、いろいろの観点から見ることができる作品ながら、もう少しすっきりと描いた方が見る者により強く訴えかけるのでは、と思いました(注9)。

(3)藤原帰一氏は、「確かに脚本は詰め込み過ぎだし、カメラにも取り柄はない。でも障害を抱える少女の性の目覚めをくっきりと表現しただけでお手柄。新しいものを見た幸せを与えてくれる作品」と述べています。
 暉峻創三氏は、「描かれる内容はセンセーショナルだが、それを終始淡々と語り進めていく監督の確信に満ちた態度が、映画をなおいっそう輝かせる。監督の人間観察力とケクランの演技力が、奇跡のような化学反応を起こした名作だ」と述べています。
 読売新聞の大木隆士氏は、「障害者の恋愛や性についても、避けることなく見つめる。深刻になりそうな題材だが、常に前を向き、失敗を重ねつつも成長していくヒロインの姿を、爽やかに描き出した」と述べています。



(注1)監督・脚本はショナリ・ボース
 原題は「Margarita with a Straw」。

(注2)その曲が「ドゥソクテ」(“君の瞳に”という意味)という歌で、こちらのURLの中で歌を聞くことが出来ます(歌詞を翻訳したものは、劇場用パンフレットに掲載されています)。

(注3)ライラが「あなたのことだけ思っている」と言っても、ニモは「バンドのみんなが君を好きだ」とか「みんながあなたを待っている」と答えるだけでした。

(注4)主人公・ライラは、レポート作成を手伝ってくれる男子学生・ジャレッドウィリアム・モーズリー)とも性的関係を持ちますから、バイセクシャルなのです。

(注5)ここに掲げた3つの問題でも深刻な消化不良を起こしてしまうほどにもかかわらず、劇場用パンフレットに掲載の松岡環氏のエッセイ「主人公の母娘と監督に乾杯!」によれば、父親と母親との間には、「異なる宗教の信者同士のカップル」(シク教徒とヒンズー教徒)であり、さらに「州をまたいで結婚」(パンジャーブ州出身者とマハーラーシュトラ州出身者)しているという問題までも設定されているのです。

(注6)ストローでマルガリータを飲んでいるラストシーンでのライラの姿がとても印象的です。

(注7)公式サイトの「Cast」掲載の「Interview」より。

(注8)例えば、最初の頃は口紅を塗り出したりするくらいですが(パソコンで怪しい画像を見たり一人エッチをしたりします)、ニモが好きになると、毎日母親に髪の毛を洗ってもらうようになったりします(母親が「昨日も洗ったはずなのに」といぶかしがります)。

(注9)本作は、障害者を描いても、例えば『くちづけ』のように“感動”を見る者に強制するような仕上がりにはなっていない点が評価できるのではと思いました。



★★★☆☆☆