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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ウィンターズ・ボーン

2011年11月09日 | 洋画(11年)
 『ウィンターズ・ボーン』をTOHOシネマズシャンテで見ました。

(1)予告編を見たのと、『あの日、欲望の大地で』で主人公の娘時代を演じたり、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』で女性ミュータントとして活躍したジェニファー・ローレンスが主役で出演するというので、映画館に足を運びました。

 タイトルの「ボーン」は、「ボーン・アイデンティティ」のような人名ではなく(注1)、単に「bone」とのことで、原作(注2)の「訳者あとがき」によれば、犬に与えられる骨→ちょっとした贈り物、といったような意味合いのようです。
 それがなぜ「ウィンター」なのかというと、映画が取り扱っている時期が冬だからで、さらにまた舞台が実に荒涼とした山岳地帯だからということもあるのかもしれません。
 そうした場所に設けられている壊れかけた小屋に、心が病んでしまって何も出来ない母親と3人の子供たちが一緒に住んでいます。
 ただ、生活のすべては17歳のリー(ジェニファー・ローレンス)の肩にのしかかってきます。というのも、一家の大黒柱である父親のジェサップが失踪中だから。
 彼らは、周囲の者に支えられてヤットのことで毎日を凌いでいるものの、それもモウ限界だという頃に、あろうことか父親の問題で、住んでいる家や持っていた森までも取り上げられそうになります(注3)。
 それを何とか回避しようと、リーは父親を捜しに親族の間を尋ね回りますが、逆に親族の皆から、そんなことをしてはダメだと酷く冷たい仕打ちを受けます。
 どうも父親は事件に巻き込まれたらしく、親族たちは官憲の詮索を受けることを嫌って、皆口を噤んでいるのです。それでも、なんとかしないと自分たちがのたれ死にしてしまいますから、リーはアチコチ探し続けると、……。

 リーは半殺しになってまでも頑張りますが、それは親族の中でただ一人、ジェザップの兄ティアドロップ(ジョン・ホークス)が支えてくれたことも大いに与っています(注4)。



 リーと伯父ティアドロップとのこうした関係について、評論家の町山智浩氏は、劇場用パンフレット掲載のエッセイにおいて(注5)、『トゥルー・グリット』のマティとコグバーンに似ていると述べていますが、マサニそんな感じもしました(注6)。

 とはいえ、この映画で目立つのは、『トゥルー・グリット』が保安官コグバーンやラビーフらの男どもであるのに対して、女どもなのです。
 まず、リーは、親友のゲイルに随分と助けられますし(注7)、旦那の顔色をうかがって遠巻きにしていた親戚筋の女たちが、最後には、リーが何としても探し出そうとしてしていたものを見つけるべく手を貸してくれるのです(注8)。
 ここら辺りに住む男たちは、地域共同体の掟に縛られて、身動きが取れなくなってしまっている感じです。これに対して、女たちは、男に頼らざるを得ないとはいえ、そんな掟をむしろ馬鹿らしいと思っているのでしょう、より人間的な見地から事態を見据えて、最後にはリーに手を差し伸べたのではないでしょうか?

 それにしても、こんな地味な映画がアメリカで作られているとは、と驚きでした(勿論、ハリウッドではなく、インディ系の作品なのですが)。
 なにしろ、家の軒先にシカの肉がぶら下がっていたり、リスの肉をむしり取る光景が描き出され、また登場するのは、うらぶれた身なりをした年配者で、それも覚醒剤中毒者とか精神に障害がある人だったりするのですから!
 でも、ジェニファー・ローレンスの演技は、随分と見ごたえがあり、これからの一層の活躍が期待されるところです。




(2)この映画でいたく興味を引くのは、こんな荒涼とした山岳地帯に住んでいる人々が、まだアメリカには存在していて、それも外部からの侵入をなかなか寄せ付けない強固な共同体を作り上げているという点です。
 映画では、当該地域は「ミズーリ州オザーク山脈」とされていますが、アメリカについて詳しくない者にはなかなかピンときません(注9)。
 そこで、上で触れた町山智浩氏のエッセイを見ますと、「オザークはミズーリとアーカンソーの州境に東西に延びた丘陵地」で、「傾斜が多くて耕地面積がが少なく、しかも岩だらけなので、農業には適さない」とあります。
 さらに、町山氏によれば、リーたち一家のような「人々は「ビルビリー」と呼ばれ」、その「多くがスコッチ・アイリッシュ、つまり英国が合併した北アイルランドに入植したスコットランド人たち」であり、「19世紀にアイルランドを襲ったジャガイモ飢饉を逃れてアメリカに渡って来た」ものの、「当時、耕作に向いた土地は既にイングランド系移民が独占し」ていたために、独立して暮らすには、こうした荒涼とした山奥で暮らす以外に選択肢がなかったようです(注10)。

 なお、通常のアメリカ映画ではあまり見慣れない風景という点で思い出すのは、『フローズン・リバー』でしょう。その作品では、セントローレンス川を間に挟んでカナダにも広がるインディアン保留地の同じように荒涼とした風景が描き出されていました。
 同作品では、インデアン保留地を通ってなされる密入国を巡る物語が描かれていますが、主人公の夫が、貯めてあったお金を持って失踪している点とか、また女性を中心とする作品であるという点でも、本作と類似するといえるでしょう。

(3)伯父のティアドロップの風貌については、映画ではよくわかりませんでしたが、原作では、「(覚醒剤)密造所で起きた事故で、左耳がちぎれ、首から背中のまんなかにかけてひどい火傷を負って、肉が溶けたような跡が残」り、「耳の残りはごく小さく」、「耳の周囲は髪がなくなり、首の火傷の跡が襟からのぞいていた」とされています。
 そして、「左の目尻からは、青い涙の粒ティアドロップ)が縦に三つこぼれている」とあり、それは、「刑務所で青インクを使って入れた刺青」とされています(P.35)。
 ここまでくると思い出すのが、『闇の列車、光の旅』のヒーローのカスペルの右の眼尻にあるティアドロップです。こちらの場合は殺人を犯したことを示しているようですが、『ウィンターズ・ボーン』の原作では、「噂によれば、服役中に人にいえないある事柄を3回やらねばならなかったことを意味しているらしい」とのことです。

(4)渡まち子氏は、「この物語は、わずか17歳の少女が、アメリカ伝統の自立自助のスピリットを、満身創痍になりながら体現してみせた魂の旅路だ。あきらめることに慣れた大人の想像を超えた勇気。それが、閉塞感に満ちたアメリカ社会の希望と重なってみえることが、感動の震源となっている」として85点をつけています。
 福本次郎氏は、「映画は、保釈中に行方をくらました父を探す少女が、地域を支配する見えない掟と大人たちの妨害を受けながらも、何が起きたのかを探り真実を知っていく姿を描く。どんな状況でも卑屈にならず、困難に対して挑みかかるような彼女の視線には命がけで家族を守る覚悟が宿る」として70点をつけています。



(注1)「ボーン・アイデンティティ」の「ボーン」は“Bourne”で綴り自体も違うのですが。

(注2)邦訳は、『ウィンターズ・ボーン』(黒原敏行訳、AC Books、2011.10)。

(注3)父親は、覚醒剤密造容疑で警察に逮捕され、その後、保釈金保証業者から金を借りて保釈金を支払い、保釈されはしましたがすぐに失踪してしまいます。
 ただ、父親は、保釈金を借りる際に、リーたちが住んでいる家や森を担保に入れていました。失踪したままで裁判の当日に出廷しないと、保釈金は官に取り上げられてしまいますから、保釈金保証業者は担保物件を競売にかけて処分しようとします。
 そこで、リーは父親を必死で探し出そうとするのです。

(注4)リーが殺されかけた時にティアドロップが現れ、「弟のジェサップは掟に背いたから、どうなろうと当然だ。だが、その子は関係ない。残り少ない家族の一人だ。この子の保証人になる。何かしたら自分の責任だ」と言って、リーを家に連れ帰ります。

(注5)原作の邦訳には、町山智浩氏の「解説―ヒルビリー、まつろわぬ者たち」が掲載されていて、同趣旨のエッセイながら、やや詳細に書き込まれています。

(注6)本作では、21歳のジェニファー・ローレンスが17歳のリーを演じていて、14歳のヘイリー・スタインフェルドが14歳のマティを演じる『トゥルー・グリット』とは異なる面もありますが、町山智浩氏のエッセイによれば、『トゥルー・グリット』の原作者は、「オザーク地方の大学で新聞記者として地元のお婆さんたちから聞き取り調査した昔話からマティのキャラクターを創造」したとのことです。

(注7)ゲイルは、結婚していて赤ん坊もいるため、当初、親友にしてはつれない対応だったのですが(夫の言うことを聞かなくてはいけないからという理由で)、暫くすると、夫から車を奪ってリーを全面的に助けてくれるようになります。

(注8)父親ジェザップの死体が捨てられた沼に船を出してくれて、とうとう父親の死体の一部をリーは手に入れることができ、それを保安官に見せることで、出廷が不可能なことを証明することができたのです。それにより、保釈金の没収は行われなくなって、家や土地の競売も行われないこととなります。
 さらに、保釈金保証会社の者によれば、保釈金の足りない分を出してくれた見知らぬ人がいたとのことで、それがリーに渡されたために、リーの一家の生活は、一時的にせよ少しは安定すると思われます。
 なお、タイトルの“bone”は、直接的には、沼で見つかった父親の死体(その一部)を指すのでしょうが、「ちょっとした贈り物」という意味もあるとすれば、ラストでリーの妹のアシュリーが手にしているバンジョーもあるいは該当するかもしれません。

(注9)Wikipediaの「オザーク高原」のには、「時にオザーク山脈とも言われるが、この地域は高くまた深く侵食された高原である」と述べられています。

(注10)たとえば、原作によれば、リーが探しに行く先の親戚筋の「ほとんどの家は、いまでも玄関のドアがふたつある。聖書のある種の解釈をもとに、男用と女用とを分けてあるのだが、実際にはそれほど厳密な区別をしてはいない」(P.66)などとあります。




★★★★☆






象のロケット:ウィンターズ・ボーン


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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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こんにちは (オリーブリー)
2011-11-09 10:54:04
クマネズミさん、こんにちは。

背景を知らなかったので、違和感のある暗い印象で終ってしまいました。
後から町山氏の解説で知って、なるほど、そう言う人たちだったんだと納得です。
この一般的でない社会通念みたいのを、ある程度把握していた方が、作品の理解ができますよね。
失敗したな~と後悔してます。

男達は裏社会へ引きこもり、表の現実は女が仕切る。
徹底していたと思いました。
ティアドロップはリーの為に表に出たんでしょうね。
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Unknown (KLY)
2011-11-09 15:22:09
ジェニファー・ローレンスはいわゆるハリウッドの美人女優ではないですが、だからこそ良かったのかもしれません。田舎のねーちゃんが素朴に合い、しかし閉鎖社会で生きてきた芯の強さ、生き抜く智恵を持ち合わせていたとおもいます。『X-MEN ファーストジェネレーション』の彼女も悪くはないですが、本質的にはこういう作品の方が彼女のよさが出るのかなと。
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ケルト神話へ (クマネズミ)
2011-11-09 22:40:33
オリーブリーさん、わざわざTB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、町山氏の背景解説を見る前に知っていれば、もっとよく映画の中に入り込めたのかなと思います。
でも、また見終わってから、そうした書き物を読んで、さらにいろいろ考えを巡らせる作業もまた楽しいのでは、とも思っています。
そこで興味を引くのは、町山氏のエッセイもさることながら、原作を翻訳している黒原敏行氏の解説で、同氏によれば、「ビルビリー」にはケルト文化が流れているとのこと。そして、リーを父親の死体のある沼地に連れて行く3人の女は、ケルト神話に登場する戦いの女神に相当するとも考えられるようです。
となると、リーたちも3人ですから(母親を除いて)、全体として物語はケルト神話に通じて、さらにはヨーロッパ大陸の方にまで広がるのではないのか(デュメジルの三神構造!)、と思ったりしました。
でも、実際の映画では、船に乗ってリーを導くのは2人の女ですし、またリーの家の子供たちも、小説では弟2人に対して、映画では弟妹と変えられていますから、神話的な構造が弱められている気がして、本文では触れませんでした。
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今後が愉しみ (クマネズミ)
2011-11-09 22:41:19
KLYさん、わざわざコメントをありがとうございます。
ジェニファー・ローレンスは、「本質的にはこういう作品の方が彼女のよさが出るのかな」とのKLYさんのご意見に同感です。とはいえ、まだ出演本数が少ないので、これからの活躍が楽しみでは、と思っているところです。
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Unknown (Quest)
2012-05-25 01:08:55
こんにちは。

ジェニファー・ローレンスの良さがきれいに出た作品だったと思いました。いわゆる都会的な洗練された美人というよりも、田舎のかわいいおねーちゃんという感じでしょうか。

あと、保釈金の不足分を皺くちゃの札で出した謎の人物は村の人なんですね。保釈して殺す為に。後で気付いてなるほどと思いました。結果的には村からの見舞金なんですね。
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なるほど (クマネズミ)
2012-05-25 07:01:35
Questさん、TB&コメントをありがとうございます。
ジェニファー・ローレンスについて、「田舎のかわいいおねーちゃんという感じ」とは、まさに言い得て妙ですね!
それから、リーの父親のジェサップを保釈させて殺す為に、村の人が保釈金の不足分を支払ったとのご指摘、ありがとうございます。なるほど、そうだと分かれば、この重苦しい物語により一歩近づける感じになります。
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ボーンについて ()
2014-09-25 11:41:08
今日は、はじめまして。「愛のむきだし」の監督のおすすめ、ということで普段サスペンスばかり見ているのですが、今回この映画を見ました。17才の女性の自立心、たくましさに感心させられ、シリアスな全体の中で、子供たちが無邪気に過ごすシーンに、心がいやされもしました。小生はボーンは、生まれる、冬を困難と取ってそこから何かが生まれるのか、と映画のクライマックスを待っていたのですが、ボーンは骨…なんですね、成る程・・。

さてコトタマノマナビとして俳句や短歌、趣味で他に陶芸。お茶を少し習っておりますが、お気に入りの短歌三首をご紹介させていただきます。(Dankon!)

草の葉に置く身は露と消ゆるとも 意は法の華に注がん〈日応上人〉

わが願ひエスペラントの歌まつり人類同胞こぞりてエルサレムの野〈大本五代教主〉

なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな〈日本語の起源・言霊百神〉
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Unknown (クマネズミ)
2014-09-25 18:54:18
「辻」さん、回文歌まで付けていただいたコメントをありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します。
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