『ハート・ロッカー』を、日比谷のスカラ座で見てきました。
むろん、この作品が本年度のアカデミー賞の作品賞を受けたことから映画館に出かけたわけですが、見る前まで、タイトルはテッキリ『Heart Rocker』だとばかり思い込み、戦争と音楽がどのように関連付けて描かれているのだろうと興味がありました。ですが、実際には、『Hurt Locker』とのこと。『ワールド・オブ・ライズ』も、『World of Rise』ではなく『World of Lies』だったことが思い出されます!
(1)映画は、イラク戦争における爆弾処理班の様子を、実にリアルに描き出します。ですから、この映画はまずもって戦争映画といえるでしょう。
さて、米国の戦争映画というと、従来は、まるでフットボールの試合を見ているような感じにさせられますが(ナチス・ドイツ兵が、いとも簡単に米軍の自動小銃で薙ぎ倒されたりします)、今時の映画で描き出される戦争は、どれも対テロ戦争であって、敵の姿がはっきりと確認されないうちに仲間が少しずつ欠けていくという、なんともやり切れない戦闘シーンとか、爆弾テロによるものすごい爆発のシーンとかがあるだけで、むろん恰好のいい突撃シーンなどはトンと見かけなくなってしまいました。
とはいえ、敵の姿がはっきりと確認されないとか、軍艦、戦闘機とか戦車が現れないとかいった点は、ベトナム戦争のようなゲリラ戦の場合にも見られました。となると、イラク戦争における特徴は、まさに爆弾テロにあると言っていいかもしれません。
この映画で中心的な役割を演じる爆弾処理班の役割は、発見された爆弾から危険性を除去することにあり、班を率いるジェームズ二等軍曹は、仕掛けられた爆弾から起爆装置を取り外すことに長けた人物として描き出されます。
ですから、映画では、従来の戦闘シーンに代わり、爆弾から信管を抜き取る作業が何度も映し出されます。直接敵を倒すのではなく、爆弾テロから味方を守るという酷く地味な行動が専らとなり、それは決して格好のいいものではありません。
それでも、ジェームズ軍曹の作業は、死の淵のギリギリのところまで毎回追いつめられるわけで、見ている方もおのずと手に汗握る感じになってしまいます。
そのギリギリ感があるからこそ、ジェームズ軍曹は、いったん米国に帰って、家族と平和な日々を送ろうとしても我慢できずに、また戦場に戻ってしまうのでしょう。
となると、イラクに派遣されている軍人は皆が皆そんな感じなのかというと、そんなことはありません。ジェームズ軍曹と同じ爆弾処理班にいる黒人のサンダーズ軍曹は、早く除隊になって子供をもうけたいと言ったりします。
こうした常識的な米国人は、それではどんな意識を持ってイラクにまでやってくるのでしょうか?特に、ベトナム戦争時とは異なって、現在は「徴兵制」ではなく「志願兵制」ですから、なにも好き好んでこんなに大変な戦場に来なくてもよかったわけでしょうから。
ですが、この映画では、何を達成するために若者がイラクで戦っているのか、についてはほとんど触れられてはおりません。太平洋戦争時の“民主主義の擁護”とか、ベトナム戦争時の“共産主義に対する戦い”、といったスローガンに相当するお題目は一度として登場人物の口から聞こえてきません(いわれるようなテロ撲滅は当たり前の目的であって、わざわざ声高に叫ぶには及ばないのかもしれませんが。また、手厚い待遇のためだとか、市民権が得られるから、などともいわれますが、死を賭してまで追求すべき事柄かどうか疑問が残ります)。
それでいて、エルドリッジ技術兵は、現下の情勢下では今に皆死んでしまうのだよ、と悲しげに言ったりします。なぜ、わけもわからずに、そんな危険な戦場に自発的に出向いたりするのでしょうか?
実際の戦場は、映画よりももっと過酷な状況なのでしょう。130分の上映時間の間中、こちらはハラハラドキドキし通しでしたが、イラクに赴いている米国の若者は、それどころではないと思います。ですが、何故あなた方はそこにいるのだとツイツイ問いかけてみたくなってしまいます。
本作品は、以上のような戦争映画という面だけでなく、爆弾処理班内部の人間関係を濃密に描き出すことによって、男同士の友情が描き出されます。その際には、黒人のサンダース軍曹と白人のジェームズ軍曹との間の人種的な対立も取り扱われます。また、イラクにおける苛烈な状況と、米国本国における弛緩した雰囲気もうまく対比されています。
この作品は、単なる戦争映画というよりも、それを起点にして様々な次元をも同時に映し出していて、なかなか深みのある仕上がりとなっているなと思いました。
(2)本作品は、「戦争アクション映画」と紹介されることがしばしばです(例えば、wiki)。
ただそうなると、『日活アクションの華麗な世界』(未来社)で、著者・渡辺武信氏が、日活アクションについて、その核心にあるのは、「「我々には誰にも譲りわたせぬ〝自己〟というものがある」という信念」であり(P.16)、「日活アクションのヒーローたちは、いつも自己についてのくっきりとしたイメージを追い求めてきた」(P.17)と述べていることにどのように通じているのか、おのずと興味が湧いてきます。
あるいはもしかしたら、ジェームズ軍曹が、米国本国における家族との穏やかな生活に自分を馴染ませることが出来ず、再びイラクの危険な戦場に舞い戻ってしまうところが、「最後まで自分をとり巻く世界と合体することはない」日活アクションのヒーロー(P.18)と類似していると言っていいのかも知れません。
ただ、決定的に異なるのは、石原裕次郎の演ずるヒーローには、大部分の場合浅丘ルリ子が扮するヒロインが配されたのに対し、この映画ではヒロインはマッタク登場しないのです。
ですから、日活アクションの一つのジャンルである「ムード・アクション」の傑作である『銀座の恋の物語』(蔵原惟繕監督、1962年)のように、ヒーローとヒロインの「それぞれの過去、または二人の共通の過去が強く意識され、ドラマ全体が記憶への固執に支配される」といったこと(P.280)には、言うまでもなくなりません。
あるいは、この映画においてもそのように物語が進展するのであれば、『銀座の恋の物語』と同じように、イラク戦争に従軍した兵士の間で問題となっているPTSD(「心的外傷後ストレス障害」)についても、触れることが出来たのかも知れません(注)。
(注)ここらあたりで述べたことは単なる妄想にすぎませんが、あるいはHP「古樹紀之房間」に掲載されている「映画と記憶―『銀座の恋の物語』を巡って」が参考になるかも知れません。
(3)映画評論家の方々は、総じてこの作品を、戦争映画の側面からしか論評していないように思われます。
渡まち子氏は、「この映画の優れた点のひとつは、爆弾処理の知られざる実態を詳細に描き、広く認知させたこと」であり、「戦争は、ドラッグのように兵士を魅了し、精神を蝕んでいく。全編を通して甘さや情緒を廃し、女性監督らしからぬ骨太な描写を貫いたキャスリン・ビグローの 演出が素晴らし」く、「爆発の瞬間を恐れながらその重圧が快楽となった人間のヒロイズムとその代償を、ドライなタッチで描いた本作、紛れもない傑作だ」として85点もの高得点を与えていますし、
岡本太陽氏も、「ハリウッド女性アクション映画監督キャスリン・ビグローが監督を手掛ける本作は混沌とした戦地の状況をリアルに描き、手に汗握る展開で贈る驚きに満ち溢れた映画」であって、「今までわたしたちが知り得なかった隠れた英雄であるアメリカ軍爆発物処理班の活動に注目し、戦地において最も危険な役割を担う男達の生き様を描」いているとして85点を付けています。
福本次郎氏までも、「イラクでの任務の恐ろしいところは、敵が身を潜めている場所分からず、街では市民にまぎれて砂漠では風景に同化しているところだ。そんな環境で、普通の人 間は神経を病み、タフな者でも正気を保つのがやっと、ぶっ飛んだ者だけが順応できる。戦争の異常な状況をリアルに伝える見事な演出だった」として、氏にしては高得点の70点を付けています。
ただ、福本氏は、余りにもこの映画にのめり込んでしまい、まるでご自分が戦場にいるかの如く思いなして、「死と隣り合わせ、極限まで集中した命がけの作業は、見る者にも一瞬の気の緩みを許さない」とまで述べていますが、映画鑑賞者にどうして「一瞬の気の緩みを許さない」のかワケが分かりません!
★★★☆☆
象のロケット:ハート・ロッカー
むろん、この作品が本年度のアカデミー賞の作品賞を受けたことから映画館に出かけたわけですが、見る前まで、タイトルはテッキリ『Heart Rocker』だとばかり思い込み、戦争と音楽がどのように関連付けて描かれているのだろうと興味がありました。ですが、実際には、『Hurt Locker』とのこと。『ワールド・オブ・ライズ』も、『World of Rise』ではなく『World of Lies』だったことが思い出されます!
(1)映画は、イラク戦争における爆弾処理班の様子を、実にリアルに描き出します。ですから、この映画はまずもって戦争映画といえるでしょう。
さて、米国の戦争映画というと、従来は、まるでフットボールの試合を見ているような感じにさせられますが(ナチス・ドイツ兵が、いとも簡単に米軍の自動小銃で薙ぎ倒されたりします)、今時の映画で描き出される戦争は、どれも対テロ戦争であって、敵の姿がはっきりと確認されないうちに仲間が少しずつ欠けていくという、なんともやり切れない戦闘シーンとか、爆弾テロによるものすごい爆発のシーンとかがあるだけで、むろん恰好のいい突撃シーンなどはトンと見かけなくなってしまいました。
とはいえ、敵の姿がはっきりと確認されないとか、軍艦、戦闘機とか戦車が現れないとかいった点は、ベトナム戦争のようなゲリラ戦の場合にも見られました。となると、イラク戦争における特徴は、まさに爆弾テロにあると言っていいかもしれません。
この映画で中心的な役割を演じる爆弾処理班の役割は、発見された爆弾から危険性を除去することにあり、班を率いるジェームズ二等軍曹は、仕掛けられた爆弾から起爆装置を取り外すことに長けた人物として描き出されます。
ですから、映画では、従来の戦闘シーンに代わり、爆弾から信管を抜き取る作業が何度も映し出されます。直接敵を倒すのではなく、爆弾テロから味方を守るという酷く地味な行動が専らとなり、それは決して格好のいいものではありません。
それでも、ジェームズ軍曹の作業は、死の淵のギリギリのところまで毎回追いつめられるわけで、見ている方もおのずと手に汗握る感じになってしまいます。
そのギリギリ感があるからこそ、ジェームズ軍曹は、いったん米国に帰って、家族と平和な日々を送ろうとしても我慢できずに、また戦場に戻ってしまうのでしょう。
となると、イラクに派遣されている軍人は皆が皆そんな感じなのかというと、そんなことはありません。ジェームズ軍曹と同じ爆弾処理班にいる黒人のサンダーズ軍曹は、早く除隊になって子供をもうけたいと言ったりします。
こうした常識的な米国人は、それではどんな意識を持ってイラクにまでやってくるのでしょうか?特に、ベトナム戦争時とは異なって、現在は「徴兵制」ではなく「志願兵制」ですから、なにも好き好んでこんなに大変な戦場に来なくてもよかったわけでしょうから。
ですが、この映画では、何を達成するために若者がイラクで戦っているのか、についてはほとんど触れられてはおりません。太平洋戦争時の“民主主義の擁護”とか、ベトナム戦争時の“共産主義に対する戦い”、といったスローガンに相当するお題目は一度として登場人物の口から聞こえてきません(いわれるようなテロ撲滅は当たり前の目的であって、わざわざ声高に叫ぶには及ばないのかもしれませんが。また、手厚い待遇のためだとか、市民権が得られるから、などともいわれますが、死を賭してまで追求すべき事柄かどうか疑問が残ります)。
それでいて、エルドリッジ技術兵は、現下の情勢下では今に皆死んでしまうのだよ、と悲しげに言ったりします。なぜ、わけもわからずに、そんな危険な戦場に自発的に出向いたりするのでしょうか?
実際の戦場は、映画よりももっと過酷な状況なのでしょう。130分の上映時間の間中、こちらはハラハラドキドキし通しでしたが、イラクに赴いている米国の若者は、それどころではないと思います。ですが、何故あなた方はそこにいるのだとツイツイ問いかけてみたくなってしまいます。
本作品は、以上のような戦争映画という面だけでなく、爆弾処理班内部の人間関係を濃密に描き出すことによって、男同士の友情が描き出されます。その際には、黒人のサンダース軍曹と白人のジェームズ軍曹との間の人種的な対立も取り扱われます。また、イラクにおける苛烈な状況と、米国本国における弛緩した雰囲気もうまく対比されています。
この作品は、単なる戦争映画というよりも、それを起点にして様々な次元をも同時に映し出していて、なかなか深みのある仕上がりとなっているなと思いました。
(2)本作品は、「戦争アクション映画」と紹介されることがしばしばです(例えば、wiki)。
ただそうなると、『日活アクションの華麗な世界』(未来社)で、著者・渡辺武信氏が、日活アクションについて、その核心にあるのは、「「我々には誰にも譲りわたせぬ〝自己〟というものがある」という信念」であり(P.16)、「日活アクションのヒーローたちは、いつも自己についてのくっきりとしたイメージを追い求めてきた」(P.17)と述べていることにどのように通じているのか、おのずと興味が湧いてきます。
あるいはもしかしたら、ジェームズ軍曹が、米国本国における家族との穏やかな生活に自分を馴染ませることが出来ず、再びイラクの危険な戦場に舞い戻ってしまうところが、「最後まで自分をとり巻く世界と合体することはない」日活アクションのヒーロー(P.18)と類似していると言っていいのかも知れません。
ただ、決定的に異なるのは、石原裕次郎の演ずるヒーローには、大部分の場合浅丘ルリ子が扮するヒロインが配されたのに対し、この映画ではヒロインはマッタク登場しないのです。
ですから、日活アクションの一つのジャンルである「ムード・アクション」の傑作である『銀座の恋の物語』(蔵原惟繕監督、1962年)のように、ヒーローとヒロインの「それぞれの過去、または二人の共通の過去が強く意識され、ドラマ全体が記憶への固執に支配される」といったこと(P.280)には、言うまでもなくなりません。
あるいは、この映画においてもそのように物語が進展するのであれば、『銀座の恋の物語』と同じように、イラク戦争に従軍した兵士の間で問題となっているPTSD(「心的外傷後ストレス障害」)についても、触れることが出来たのかも知れません(注)。
(注)ここらあたりで述べたことは単なる妄想にすぎませんが、あるいはHP「古樹紀之房間」に掲載されている「映画と記憶―『銀座の恋の物語』を巡って」が参考になるかも知れません。
(3)映画評論家の方々は、総じてこの作品を、戦争映画の側面からしか論評していないように思われます。
渡まち子氏は、「この映画の優れた点のひとつは、爆弾処理の知られざる実態を詳細に描き、広く認知させたこと」であり、「戦争は、ドラッグのように兵士を魅了し、精神を蝕んでいく。全編を通して甘さや情緒を廃し、女性監督らしからぬ骨太な描写を貫いたキャスリン・ビグローの 演出が素晴らし」く、「爆発の瞬間を恐れながらその重圧が快楽となった人間のヒロイズムとその代償を、ドライなタッチで描いた本作、紛れもない傑作だ」として85点もの高得点を与えていますし、
岡本太陽氏も、「ハリウッド女性アクション映画監督キャスリン・ビグローが監督を手掛ける本作は混沌とした戦地の状況をリアルに描き、手に汗握る展開で贈る驚きに満ち溢れた映画」であって、「今までわたしたちが知り得なかった隠れた英雄であるアメリカ軍爆発物処理班の活動に注目し、戦地において最も危険な役割を担う男達の生き様を描」いているとして85点を付けています。
福本次郎氏までも、「イラクでの任務の恐ろしいところは、敵が身を潜めている場所分からず、街では市民にまぎれて砂漠では風景に同化しているところだ。そんな環境で、普通の人 間は神経を病み、タフな者でも正気を保つのがやっと、ぶっ飛んだ者だけが順応できる。戦争の異常な状況をリアルに伝える見事な演出だった」として、氏にしては高得点の70点を付けています。
ただ、福本氏は、余りにもこの映画にのめり込んでしまい、まるでご自分が戦場にいるかの如く思いなして、「死と隣り合わせ、極限まで集中した命がけの作業は、見る者にも一瞬の気の緩みを許さない」とまで述べていますが、映画鑑賞者にどうして「一瞬の気の緩みを許さない」のかワケが分かりません!
★★★☆☆
象のロケット:ハート・ロッカー
鑑賞後にこうやって比較してもらったものを読むと興味深いです。
戦場では一体感、連帯感、友情があるのに、
本国では孤独感や疎外感しか得られない。
結局彼らを戦場に送り返しているのは自分たちなんだ、
そういうことなんではないでしょうか。
本国でのシーンにはかみさんと子供しか出てこなかったのも象徴的でした。
とても興味深い 感想 考察で面白く 読ませていただきました。
この作品 私的には期待値は越えなかったのですが イラク戦争というモノの現実が少し垣間見えた気がしましたね。