映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

クロエ

2011年06月25日 | 洋画(11年)
 『クロエ』を日比谷のTOHOシネマズシャンテで見ました。

(1)物語は、大学教授の夫に不倫疑惑を抱いた医師の妻が、娼婦を使って夫を誘惑させて真実をつかみ取ろうとするものの、……、といった展開をしますが、この映画は、ストーリー構成から配役、そして舞台となる建物といった点で、なかなか見応えのある作品だなと思いました。

 まず、次のような点に興味を惹かれました。

イ)妻キャサリンジュリアン・ムーア)が、夫デビットリーアム・ニーソン)を驚かせようと、夫に黙って盛大な誕生日パーティを企画したことがまさに裏目に出て、学生からのごく簡単なメッセージとツーショットの画像が夫の携帯電話にあっただけで、簡単に夫を疑ってしまう、という導入部はなかなかヨクできているなと思いました。
 おまけに、大学教授の夫が、大学でオペラ『ドン・ジョバンニ』に関する講義―それも、主人公の女性遍歴の数について!―をしている場面まで挿入されているのですから、観客もさもありなんという思いに囚われます。

ロ)そのパーティ会場である自宅の豪勢なことといったら(ただ、大学教授と医師の夫婦ですから、これでも中の上といったところなのでしょうか)!
 逆に、こんなに広大な空間を持つ超モダーンな家にわずか三人しか住んでおらず、それぞれが自分の部屋に籠もってしまえば、相互のコミュニケーションが酷く希薄になるでしょうし、キャサリンが自分の悩みを解消する術もなく孤独感を募らせるのも当然では、と思われます。
 キャサリンを演じるジュリアン・ムーアは、表向きは産婦人科医として活躍していながらも、心の中に深い孤独感を抱え持っているという役を実に巧みにこなしており、さらには50歳を超えていながらも実に官能的なシーンも演じていて目を瞠りました。



ハ)特に、キャサリンが溺愛する息子マイケルが、自分に一言の相談もなく女友達を自室に連れ込んだりというように、親離れをし出しているために、キャサリンは一層孤独の闇に落ち込むことになるのでしょう。なにかというとマイケルの行動に、これまでと同じように口を挟もうとしますが、自分たちだってそういうことをしてきたではないか、とデビットからたしなめられる始末です。
 ですから、キャサリンは、デビットに僅かな疑惑を感じると、普通では有り得ない極端な行動をとってしまいますが、それもまたありうるのかな、と思えてきます。

ニ)デビットの行動を探らせるためにキャサリンが雇うのが娼婦クロエで、アマンダ・セイフライド(注1)が演じています。『ジュリエットからの手紙』とは180度違った役どころであり、なかなか一筋縄ではいかない行動をとりますが、彼女はそれを実に魅力的に体当たりで演じています。
 アマンダが上手いなと思ったのは、マイケルとベットインしながらキャサリンの服や靴を見るシーンです。息子のマイケルはキャサリンの代わりにすぎないのだということを、特徴のある眼で示しているのでしょう。



ホ)この映画でも、キャサリンの妄想(デビットとクロエの密会)が映像となって映し出されます。孤独感に苛まれて欝状態に陥って、ちょっとしたことで妄想を抱いてしまい、さらにそれをクロエによって刺激されるのですから、一気にそれが膨張するのもうなずけるところです。
 なおこのところ、こうした映像を見せる作品が増えている感じで、『アジャストメント』のマット・デイモンも、当選確実と思われていた上院選に落選してしまったことから酷く落ち込んで、そのことでパラノイアになってしまったのでは、そして、あの映画の「運命調整局」の話はすべて彼の妄想なのでは、とも受け取れますし、『ブラック・スワン』もギリギリのところまで追い込まれたナタリー・ポートマンの妄想シーンが随分の割合を占めていると思われます。


(2)この映画は一応ハッピーエンド的なラストを迎えますが、とはいえ、デビットは、何の罪もないのにキャサリンから疑われたのですから、いくらそれが誤解に基づくものだとわかったとはいえ、わだかまりが残ってしまうのではないでしょうか?
 それに、息子マイケルが大学を卒業して自立してこの家を離れたら、キャサリンの孤独感はまたもや深まってしまうのではないか(この広い家にはたった二人しか住まないことになるのですから!)、とも思えてきます。
 目の前の問題は除去されたとはいえ、厳しい現実が改善されたわけではないのですから。

 というところから、ラスト近くでデビットは、妻のキャサリンと喫茶店でクロエに会うことになりますが、その際クロエを始めて見るといった態度をとりますが、そしてそのためにキャサリンは、すべてはクロエの嘘だったと悟るのですが、もしかしたらその態度は、デビットの完全な演技によるものではないでしょうか?
 というのも、

イ)デビットは、大学でオペラを講義していましたから、演技の意味を十分わきまえているでしょう。

ロ)クロエの話に拠りますが、彼女がデビットを連れ込むのは植物園ながら、人がほとんど来ない場所だとクロエ自身が保証するのですから、キャサリンがその光景を、妄想にしても思い描けるはずはないのではないでしょうか?



ハ)キャサリン達のいる喫茶店にクロエが入ってきたときに、彼女はデビットを見てハッと驚きます。これは、一度以上デビットに会っているからこその身振りなのではないでしょうか(一度も会っていなければ、誰だこの人はと不審な目つきをするだけではないでしょうか)?

ニ)元々、雇い主であるキャサリンに対し思いを寄せることは、娼婦家業を営んでいるプロのクロエにとっては、タブーの行為ではないでしょうか?

 仮に上記のように考えられるとすれば、キャサリンの妄想と考えられる映像も、あるいは実際のものかもと思え(注2)、そうなると、クロエのキャサリンに対する思いも作り物であって、狙いはキャサリン達の一家からとことん絞りとること、となるかもしれず、それはあと一歩のところ成功するかに見えましたが、……。


(3)この映画でガラスが大きな役割を演じていることは、スグに分かります(注3)。
 なにしろ、映画の最初の方で、キャサリンがクリニックの窓から外を眺めているときに、下の道路で商売をしているクロエを見つけるわけですから。



 また、自宅で開いたデビットの誕生日パーティで、キャサリンが夫からかかってきた電話を受けながら、階下のパーティの様子をガラス越しに見る場面もあります。



 さらに、居間のガラス越しに夫の書斎が見え、夫がパソコンで誰だか分からない相手にメールを打っている姿を、キャサリンは寂しそうに眺めていたりします。

 こうした場面の舞台となっているのは、キャサリン達の自宅ですが、劇場用パンフレットに掲載されているProduction Notesによれば、「建築家ドリュー・マンデルが建てたトロントの“ラヴィーン・ハウス”」を使用したとのこと。

 早速ネットで調べてみますと、いくつかのサイトで、Drew MandelのThe Ravine Houseが取り上げられています。
 たとえば、このサイトでは、“ラヴィーン・ハウス”の画像が何枚も掲載されていますし、またこのサイトでは、建築家Drew Mandelの写真が掲載されており、このサイトでは、映画に彼のデザインした建物が使われることになったことを巡って彼とのインタビューが掲載されています。



 なお、キャサリンがクラシック・コンサートから家に戻る場面がありますが、このサイトによれば、会場の「Royal Conservatory of Music」を出て、「Philosopher’s Walk(哲学者の道)」を経て(注4)、すぐ向い側にある「ROM(ロイヤルオンタリオ博物館)」の前を通ることになるようです。

 このサイトによると、ROMは酷評されているようですが、随分と斬新でモダーンな建物で、上記の“ラヴィーン・ハウス”といい、本映画によって、トロントにある現代建築のいくつかを見て愉しむことが出来ます。

(3)渡まち子氏は、「サスペンスや官能という点では弱いのだが、スタイリッシュな映像を撮るカナダの鬼才アトム・エゴヤンは、鏡を効果的に使って美しい心理ドラマとして仕上げている。欲求不満の人妻の夢をかなえる娼婦という単純な構図ではなく、やがて自我と愛に目覚める女の執念がクライマックスで炸裂。その後の、平穏な家族を見て、安易なハリウッド的収束かとがっかりしかけたが、最後の最後にジュリアン・ムーアが後ろ姿を見せたとき、秘めた愛情が垣間見えて物語に含みを持たせた」として55点をつけています。


(注1)Wikipediaも「サイフリッド」と表記していますが、公式サイトや劇場用パンフレットなどではすべてセイフライドなので、それに従っておきます(いずれにせよ、正しい発音を日本語で表記することは無理な話でしょうから)。

(注2) どうもこのところ、ソウした解釈が成り立つようなストーリーが多いのでは、と思っているところ、ただなんでもかんでも「妄想」で片づけてしまうと、すべては夢物語でしたという解釈と同じように、身も蓋もなくなってしまうので、ここでは逆に、妄想ではなくて真実の映像なのかもしれないと考えてみたわけですが。

(注3)劇場用パンフレットには、評論家・北大路隆志氏のエッセイ「ブルジョワのガラスが砕け散るとき」が掲載されています。そこでは、現代にあっては、「誰もが秘密のない透明性に支配された世界を生きる」が、本作は、「ブルジョワ社会における“透明性”なる理念は虚構である」と主張するのだ、と述べられています。

(注4)Wikipediaで「Philosopher’s Walk」を検索すると、京都の「哲学の道」に関する記事であり、こちらについては別の「Philosopher’s Walk(Toronto)」の項に掲載されています。




★★★★☆





象のロケット:クロエ