映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ジュリエットからの手紙

2011年06月04日 | 洋画(11年)
 『ジュリエットからの手紙』を渋谷のル・シネマで見ました。

(1)この作品は、ストーリー自体よくあるお話ながら、ヴェローナにある「ジュリエットの家」を話の起点にするなど、なかなか着眼が面白いなと思いました。

 ニューヨークでジャーナリストを目指す主人公ソフィアマンダ・セイフライド)は、婚約者のヴィクターガエル・ガルシア・ベルナル)と一緒にイタリアのヴェローナにやってきますが、そこでひょんなことから、イギリス人のクレアヴァネッサ・レッドグレイヴ)が50年前にジュリエット宛てに書いた手紙を発見してしまいます。



 そこで、ソフィはクレアに、ジュリエットからとして手紙を書いて送ったところ、すぐにクレアがイタリアにやってきて、50年前の手紙が触れていた恋人ロレンツォ(フランコ・ネロ)を探す旅に出ることになります。



 さあ、クレアは昔の恋人に会うことができるでしょうか、クレアと一緒にやってきた孫のチャーリー(クリストファー・イーガン)とソフィとの関係は、そして婚約者ヴィクターをソフィはどうするのでしょうか、
……。




 ただし、問題がないわけではないでしょう。
 例えば、
・関係する人たちは、それぞれ皆誰かを失っている(あるいは失うことになる)のですが、それが逆に幸いして幸福な結末に至るというのは〔ソフィに捨てられる婚約者だって、レストランを軌道に乗せることに没頭できるでしょうし〕、余りに出来過ぎではないでしょうか?
・煉瓦の壁の間に置かれたクレアが書いた手紙は、隙間から入ってくる湿気などで、50年もの長い間のうちに劣化しなかったのでしょうか?
・その手紙に対してソフィが返事の手紙を書くのですが、それが英国に住むクレアのもとに届けられる、それもごく短期間の内にという展開は、いくら英国の郵便システムが立派に機能しているからといっても、目を剥いてしまいます。

 とはいえ、こうしたファンタジックな作品にくだくだしくいちゃもんを付けても始まりません。マアそういうお話もあるのかな、くらいに受け止めておくべきなのでしょう。

 なお、この映画には、少し前に見た『トスカーナの贋作』の舞台となったトスカーナ地方の風景がふんだんにが登場し、特にソフィとチャーリーが訪れるシエナは、10年ほど前にクマネズミも行ったことがある都市なので、その光景は非常に興味をひかれました(ただし、本作品に登場するヴェローナは行きませんでした。ただ、遠景からすると、シエナのすぐそばのフィレンツェに感じがよく似ています)。



 他方で、もう一つのイタリアを舞台とする映画『四つのいのち』が取り上げている南イタリアのカラブリア州の田舎とはまるで違う雰囲気だなと、今更ながら思いました(日本では、今やどこへ行っても外観上はほとんど同一ですが、イタリアの場合には、古都でありながらも現代的な感じがするところと、前世紀のままの生活を続けているところとが併存しているようです)。

 本作品の主演のアマンダ・セイフライドは、メリル・ストリープが大活躍するミュージカル映画『マンマ・ミーア!』に出演していましたが、この3年ほどの間に一段と魅力が増してきたように思われます。

(2)原題が「Letters to Juliet」であり、邦題とは違ったものを指していることはすぐに分かりますから、今更そんなことをどうのこうの言ってみても始まらないでしょう。
 ここではむしろ「ジュリエット」の方に若干こだわってみたいと思います。
 というのも、「ジュリエット」といって連想されるのは、確かに一般にはシェイクスピアの戯曲に登場する女性でしょうが、クマネズミには、マルキド・サドの『ジュリエット物語又は悪徳の栄え』のジュリエットも思い浮かびました(注)。
 そうなると、映画が“ジュリエットの「手紙」”ならば、この本を翻訳している渋澤龍彦の『サド侯爵の手紙』(ちくま文庫)ではないのか、そうであれば例えば次のような手紙があるな、と連想が働きます。
 これは、前年に何度目かの逮捕の憂き目にあったサドが、獄中から家政婦(愛人?)のマリー=ドロテ・ド・ルーセ宛てに書いたものの一部です(1779年3月21日)。
 「すでに元日もすぎてしまいましたが、貴女は一向に私に会いにきてくださらないのですね。私は毎日、むなしく貴女を待っておりました。すっかり色男の身づくろいをしてね」。「貴女はきっと、私の準備していたささやかな祝宴によって、耳も目も心も堪能させることができたにちがいありません。それがすっかり当てはずれになってしまったのです。私の苦心も骨折り損でした!」
 「次の機会には今度のように、気を持たせておいて最後に背負い投げを食わせるようなことはしないでいただきたい」。云々

 まるで、クレアに見捨てられたロレンツォが書いたものだとしてもおかしくない内容ではありませんか!


(注)この本は、一般には、渋澤龍彦の翻訳が知られていますが、それは全体の 3分の1 の抄訳であり、完訳本は未知谷から佐藤晴夫訳 (横尾忠則・装幀)で出版されています。


(3)渡まち子氏は、「メールでもなく電話でもなく、手紙という古風な伝達手段での初恋探しは、なんともロマンチック。観光案内のようなストーリーと恋愛至上主義のベタな展開は、クレアにもソフィーにも御都合主義なのだが、それでもスクリーンの中で、ヴェローナやシエナといった美しい都市を巡るうちに、愛の奇跡を信じてみたくなるから不思議である」として55点をつけています。
 他方、福本次郎氏は、「物思いにふけ、抱き合い、愛の素晴らしさを語り合う、そんなバルコニーに象徴される「ロミオとジュリエット」の設定をうまく生かした脚本がとてもウイットに富んでいて、幸せな気分になれる作品だった」として70点もの高得点をつけています。





★★★☆☆




象のロケット:ジュリエットからの手紙