孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

旧ユーゴスラビア(コソボ セルビア ボスニア・ヘルツェゴビナ クロアチア) 消えない民族対立

2018-10-11 23:37:19 | 欧州情勢

(【2月28日 NHK】 クロアチアの歴史再検証委員会 ジェリコ・タニッチ氏 民族の歴史の再検証で自己正当化へ)

【「平和的な民族浄化」との批判もあるセルビア・コソボの「領土交換」】
最初に断っておくと、私は日本の文化も自然も、日本人も日本の社会も大好きですが、ことさらに日本・日本人であることを強調するような論調は嫌いです。

民族が異なり、言語・文化が異なれば、さまざまの問題が生じることは当然のことであり、過去には不幸な歴史もあるでしょうが、それを何とかクリアして一緒にやっていくことはできないかという方向で考えるべきであり、そうした努力もなしに問題を相手にせいにするような料簡の狭い考えは嫌いです。

残念なことに、今も昔も、国内外にそうした民族の違いに固執した考え、そこから生まれる多くの不幸が絶えません。

そうした代表事例のひとつが、多くの民族が混在して「ヨーロッパの火薬庫」とも称されたバルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国における混乱でしょう。

旧ユーゴスラビア諸国の独立等で燃え盛った戦火は、現在は一応下火にはなっていますが、人々の心の壁が取り払われた訳ではありません。

セルビアとコソボ(アルバニア系)の対立、コソボ領内に存在するセルビア人が多く暮らす地域の問題については、9月4日ブログ“セルボアとコソボが「領土交換」を検討 EUは「禁じ手」と憂慮 トランプ大統領は同意か”でも取り上げました。

セルビア領内にもアルバニア人が集中的に暮らす地域があって、コソボ領内のセルビア人居住地域との「領土交換」でこの問題を“解消”して、両国関係を正常化しよう、そしてEU加盟の条件をクリアしようとの考えです。

現実的といえばある意味現実的ではありますが、理念を重視する立場で言えば、民族間の分断を固定化するものであり根本的解決とはなりえません。「平和的な民族浄化」との批判も。

また現実問題としても、国境線を変更することがパンドラの箱を開くことにつながることを懸念する向きもあります。

その後、この話はあまり順調には進んでいないようです。9月7日に予定されていたセルビアとコソボの首脳会談は中止されました。

****<首脳会談中止>セルビアとコソボ 領土交換の交渉不調****
「領土交換」について議論する予定だったセルビアとコソボの首脳会談は7日、セルビア側の意向で中止された。領土交換を巡って両国内で反発があり、協議に入れなかったとみられる。
 
協議を仲介した欧州連合(EU)のモゲリーニ外務・安全保障政策上級代表(外相)はセルビアのブチッチ大統領、コソボのサチ大統領とブリュッセルで個別に会談し、「(意見の)相違は残っているが、両国が数カ月以内の関係正常化に向けて努力すると信じる」との声明を出した。EUは今月中に改めて両国の協議を開催したい意向だ。
 
2008年にセルビアから独立を宣言したコソボとセルビアは関係正常化を巡る協議を続けており、両首脳はコソボ北部のセルビア系住民多数派地域とセルビア南部のアルバニア系住民多数派地域を「交換」することを検討している。【9月8日 毎日】
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セルビア大統領のコソボのセルビア人居住地域訪問にも、コソボのアルバニア系住民による激しい抵抗があったようです。

****セルビア大統領のコソボ訪問、アルバニア系住民が道路遮断し抗議****
コソボで9日、セルビアのアレクサンダル・ブチッチ大統領が訪問予定の村へと通じる道路を、アルバニア系住民ら数百人が遮断した。現地のAFP記者が伝えた。
 
これに先立ち、ブチッチ氏とコソボのハシム・サチ大統領との会談が、欧州連合の仲介によりベルギーの首都ブリュッセルで予定されていたが、直前に中止となっていた。
 
だがこの日、ブチッチ氏のコソボ訪問に抗議する人々が、同国北部ミトロビツァと、セルビアの飛び地であるバニェ村を結ぶ幹線道路に、車両や切り倒した木でバリケードを築いた。バリケードには「ブチッチは通れない」「無実の市民にジェノサイド(大量虐殺)を行ったやつらは通れない」などと書かれたプラカードが掲げられた。(後略)【9月9日 AFP】
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コソボでは国民の75%以上が、この案に反対しているとも。

****コソボとセルビアが目指す「領土交換」の落とし穴****
セルビアとの「領土交換案」をめぐり、コソボが揺れている。

セルビア系住民の多いコソボ北部をセルビアに帰属させ、代わりにアルバニア系住民の多いセルビア南部をコソボ(人目の9割以上がアルバニア系)に帰属させるという案だ。両国の大統領が共同で提案している。
 
専門家の間では、セルビアにコソボの独立を承認させる道はこれ以外にないとの見方がある。
コソボは08年にセルビアからの独立を宣言したが、セルビアやロシア、EUの一部有力国から承認されていないため、国連やEUに加盟できずにいる。
 
しかし、コソボのハラディナイ首相はこの案に強く反対している。「悲惨な過去を乗り越えてセルビアと法的合意を結ぶ必要はあるが、領土や国境線をいじるべきではない。それは悲劇への道だ」と、本誌に語る。
 
民族を基準に国境線を引き直すことには、国際社会でも批判がある。ニューヨークータイムズ紙は先頃、この案を「平和的な民族浄化」と批判した。
 
一方、未解決の状態が続くよりはましだという意見もある。
「領土交換にリスクが伴うという指摘はもっともだが・・・・このままでは外部勢力の介入を招き、紛争が再燃しかねない」と、コソボのセリミ元外相は本誌に語った。
 
それでも多くの国民は納得していない。9月末には、首都プリシュティナで2万人規模の反対集会が聞かれた。最近の世論調査でも75%以上が反対している。セルビアが約束どおり領土を引き渡さないのではないかとの不信感も根強い。
 
バルカン諸国のこれまでの努力が水の泡になることを案じる人たちもいる。民族ごとの「すみ分け」に公然と突き進めば、90年代の旧ユーゴ紛争以降、この地域の多くの国が追求してきた多民族共生の理想に終止符が打たれかねない。【10月16日号 Newsweek日本語版】
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上記記事では、コソボ国民の多くがどのような点を憂慮して反対しているのはよくわかりません。
“交換”だろうが、コソボ領土の一部をセルビアに渡すことに反対なのか、民族ごとの「すみ分け」につながることへの反対なのか、国境線変更への不安なのか・・・。

いずれにしても、うまくは進んでいないようです。

分離傾向を強めるボスニア・ヘルツェゴビナ内部
「民族ごとのすみ分け」・分離に向かうベクトルは、ボスニア・ヘルツェゴビナにも強く表れています。

もともとこの国は凄惨な内戦を終わらせるために、互いに争った民族をデイトン合意で、それぞれの民族の独自性および一定の「すみ分け」を認めた形でひとつの国家に封じ込めた不自然さもある国家とも言えます。

****国家」という枠組み ボスニア・ヘルツェゴビナの場合****
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、旧ユーゴスラビア連邦からの独立をめぐって1992年、イスラム教のモスレム人(ボシュニャク人)、カトリックのクロアチア人、セルビア正教のセルビア人の3勢力の間で紛争が勃発。

三つ巴の混乱に加えて、セルビア人勢力を支援するユーゴスラビア連邦軍の介入もあって戦況は泥沼化しました。
1995年には、イスラム教徒の男性約8000人が殺害された「スレブレニツァ虐殺事件」が発生するなど、「民族浄化」の言葉も生まれました。

1995年の「デイトン合意」で紛争は一応終結、ボスニア・ヘルツェゴビナとして独立したものの、ボシュニャク人とクロアチア人を中心としたボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人のセルビア人共和国に内部的に分断され、国家は3民族の不安定な均衡の上に成立しています。

中央政府の首相は事実上、3民族による輪番制になっていますが、2010年10月の総選挙後の組閣では、首相や閣僚ポスト配分を巡って難航し、新首相が決定するまで1年3カ月を要しています。

セルビア人からは分離を求める動きが絶えません。

分断は政治だけでなく、同じ小学校なのに民族・宗教ごとに教室や授業まで異なるといったように、教育・市民生活にまで及んでいます。【2013年1月30日ブログより再録】
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現在は対立があるにしても、三つの民族が和解の方向で進んでいるのであれば希望がありますが、現実には分断・対立が深まる方向にあるようにも見えます。(もちろん、学校で使用するバルカン半島の共通歴史副読本の試みといった融和・和解に向けた取り組みも行われてはいますが・・・)

国家の枠組みとして、上記のように、ボシュニャク人とクロアチア人を中心としたボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人のセルビア人共和国が並立する形になっています。

しかし、セルビア人共和国には強い分離志向があり、10月7日に行われた総選挙でもその傾向が強まっています。さらに連邦を構成するボシュニャク人とクロアチア人の間にも不協和音が。

****大統領職、「分離」主張のセルビア人指導者が当選見通し*****
旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナで7日、総選挙があり、主な民族別に3人が務める大統領職のうちのセルビア系大統領に、民族色を強く出すミロラド・ドディック氏(59)が当選する見通しになった。

セルビア人共和国の分離を主張するなど民族感情を刺激する発言を繰り返しており、国のトップに就くことに懸念の声がある。
 
ボスニア・ヘルツェゴビナは1990年代の旧ユーゴ解体に伴う紛争をへて、95年のデイトン合意で停戦し、異なる宗教・民族がすみ分ける国の仕組みを定めた。

国はボシュニャク系とクロアチア系が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア系主体のセルビア人共和国に分かれ、民族別に3人の大統領職が「大統領評議会」を構成して8カ月ずつ議長となって国家元首の役割を務める。
 
ドディック氏は、セルビア人共和国の中心都市バニャルカを拠点にして、セルビア人共和国の首相や大統領を歴任。反米・反西欧の立場で、ロシアのプーチン大統領と親しいとされ、国が目標とする欧州連合(EU)への加盟にも否定的だ。(中略)
 
クロアチア系の大統領職には、穏健派で民族色を抑えるジェリコ・コムシッチ氏(54)が現職を破って返り咲く見通しだ。

連邦では、ボシュニャク人とクロアチア人のどちらの大統領職に投票してもよいことになっており、多数派のボシュニャク系の支持も集めたとみられている。
 
ボスニア・ヘルツェゴビナは欧州最貧国の一つで、若者の高失業率などで人口流出に悩む。行政単位は国、セルビア人共和国と連邦、さらに連邦内には10の州があり、権限の分散による非効率が指摘され、汚職の蔓延(まんえん)や選挙の不正が、開発を停滞させていると指摘されている。
 
連邦内では、こうした現状への不満から民族色の強い現職が苦戦した。一方、セルビア人共和国では、分離傾向の根強さが浮き彫りになった。【10月8日 朝日】
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“連邦では、ボシュニャク人とクロアチア人のどちらの大統領職に投票してもよいことになっており、多数派のボシュニャク系の支持も集めたとみられている。”・・・・どういう意味か判然としなかったのですが、以下のようにも。

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イスラム系とクロアチア系の地域「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」では、イスラム系代表に民族主義派のセフィク・ジャフェロビッチ氏が当選し、クロアチア系代表に穏健派のジェリコ・コムシッチ氏が民族主義派の現職を破って選ばれた。
 
同連邦では、少数派のクロアチア系からセルビア系のような独自地域の創設を求める声が強まっている。

選挙はどちらの民族の候補にも投票できる仕組みで、クロアチア系は、多くのイスラム系有権者がコムシッチ氏に投票して民族派現職の再選を阻んだ・・・とも批判。双方の緊張が増す可能性も指摘されている。【10月9日 産経】
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イスラム系ボシュニャク人が、クロアチア人の分離傾向を封じ込めるために敢えてクロアチア人大統領選挙に投票して穏健派候補を当然させた・・・という話のようです。

実際にそうしたことを行うためには、高度に組織的な運動が必要になりますので、どこまでそうしたことが行われたのかは知りませんが、そうした話が出てくるところに民族間の緊張が見てとれます。

歴史再検討で民族の正義を主張するクロアチア
上記はボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人の話ですが、旧ユーゴスラビア諸国のひとつクロアチア共和国では、内戦時の戦犯を民族の英雄視する風潮が強まっています。

****旧ユーゴスラビアの遠い民族融和 戦犯の英雄視広がる****
民族紛争を経て7つの国に分裂した旧ユーゴスラビア。(中略)

しかし、民族間の対立はいまだにくすぶったままです。(中略)紛争のさなか、他の民族の殺害や暴行に関わった戦争犯罪人を、「民族の英雄」としてたたえる風潮すら生まれています。(中略)

この紛争では、セルビア系の勢力がイスラム教徒を大量虐殺する事件があったほか、クロアチア系の勢力もイスラム教徒を相次いで殺害するなど、戦争犯罪が横行しました。

こうしたさまざまな戦争犯罪を裁くために国連が設置したのが『旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷』です。 戦争犯罪を裁くことで、紛争後の民族の融和が進むと期待されましたが、去年(2017年)11月、法廷内で衝撃的な事件が起きます。

イスラム教徒の殺害に関わったとして有罪判決を言い渡された、元クロアチア系司令官のスロボダン・プラリャック被告が判決に抗議してその場で青酸カリをあおって自殺したのです。

有罪判決が下されたプラリャック被告を『英雄』とたたえて擁護する動きが今、クロアチアで広がっています。
現地で一体何が起きているのか、取材しました。

旧ユーゴスラビア 消えない民族対立の火種
(中略)(プラリャック被告の葬儀) 参列者からは、国際法廷で有罪判決を受けたプラリャック被告を擁護し、民族のために戦った「英雄」として称賛する声が相次ぎました。(中略)

戦犯法廷への反発が広がる中、クロアチア政府も、戦争犯罪を犯したと批判されているクロアチア系住民の勢力を正当化しようとしています。

去年、専門家を集めた委員会を新たに発足させ、旧ユーゴスラビアの内戦を含めた民族の歴史の再検証を開始したのです。

歴史再検証委員会 ジェリコ・タニッチ氏 「旧ユーゴの紛争は民族を守るための戦争だったのです。そのような自己防衛の歴史を非難すべできではありません。」(中略)

なぜ今? 歴史の見直し
花澤 「(中略)なぜ今このような動きが出ているのでしょうか?」

小原健右支局長(ウィーン支局) 「戦犯法廷に対する反発が大きな要因となっています。クロアチアの人たちの多くは、90年代の内戦について、自分の民族を他の民族から守るための戦いだったと捉えています。

これに対し国連の戦犯法廷は、クロアチアも加害者で、戦争犯罪があったことを明らかにしましたが、被害者としての強い意識が戦犯法廷そのものの拒絶につながっています。

多くの人は、仮に敵対した民族に危害を加えたとしても、自分の民族も同じ被害を受けたとして正当化しています。
その考え方をさらに正当化するために、歴史そのものを独自の視点で見直す動きが活発になっているといえます。」

(中略)「他の国々でも、同様の傾向がみられます。セルビアではイスラム系住民を大量虐殺した戦犯をたたえるポスターなどが貼られているほか、シャツなどの記念品まで販売されています。

また、大学の施設に戦犯の名前をつけたり、刑期を終えた戦犯を軍の講師として招いて教べんをとらせたりなど、教育の現場でも正当化の動きがみられます。

自分が受けた被害で、他の民族に与えた被害を正当化しようとする傾向は、どの国でも共通しています。」

(中略)「民族どうしの衝突や、最悪の場合、再び紛争に突入するのではないかと懸念する人もいます。」(中略)

花澤 「そもそも歴史というのは、悲劇を繰り返さないために学ぶものですよね。
それが、過去にさかのぼって双方が正義を主張する、その正義に基づいて憎悪を募らせるという構図になっている。
この過去の歴史とどう向き合っていくのか、非常に重い課題だと思います。(後略)【2月28日 NHK】
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悲劇を繰り返さないために学ぶ歴史は“自虐”と揶揄され、自己正当化、自分の側の正義を主張するために歴史が修正・利用され、憎悪が煽られる・・・・日本の話でもあります。


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