孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

マケドニア  アレキサンダー大王も困惑 国名問題

2009-06-21 12:56:00 | 国際情勢

(こちらはギリシャ・中央マケドニア地方の首府テッサロニキにあるアレキサンダー大王像。
テッサロニキはアレキサンダー大王によって創建された都市。ギリシャにとってもアレキサンダーは“おらが国の偉人”でもあります。
“flickr”より By macropoulos
http://www.flickr.com/photos/markop/359293162/)

【マケドニアの大王像にギリシャ怒る】“マケドニア”と聞いて連想するのはやはりアレキサンダー大王でしょう。
古代ギリシアが終わる時代を風のごとく駆け抜けた英雄として、ロマンを掻き立てるものがあります。
現代においては、ユーゴスラビア解体で生まれた“マケドニア共和国”があって、コソボ独立問題とも関連して名前があがります。

ただ、この“マケドニア共和国”という名称は、非常にもつれた国際問題をも引き起こしており、アレキサンダー大王をも巻き込んでの騒動となっています。

****アレキサンダー大王像めぐるマケドニアとギリシャの攻防*****
マケドニアが首都スコピエのマケドニア広場に設置を予定しているアレキサンダー大王像の建設計画が、ギリシャの怒りを買っている。
ウマの背にまたがり右腕を掲げた高さ22メートルの大理石像の建設は、決して裕福とはいえないバルカン半島の小国、マケドニアが、1000万ドル(約9億8000万円)を超える予算をつぎ込んだ1大プロジェクトだ。
同国の基礎自治体ツェンタルのウラジーミル・トドロビッチ知事によると、建設作業は現在、最後の仕上げ段階にあるという。

しかしアレキサンダー大王の生誕地、古代マケドニアの首都ペラは、現在のギリシャ内にあることから、マケドニアとギリシャの双方が、同大王は自国の英雄だと主張して譲らない事態となっている。
トドロビッチ知事は、先に放送されたテレビインタビューのなかで、「アレキサンダー大王をめぐる話し合いは、ギリシャ側からは何の譲歩もないまま2年間もこう着状態にある。銅像の建設計画は、こうした状況の打開を目指したものだ」と語っている。

自国内のマケドニア地方の正当性を主張するギリシャは、マケドニアという国名さえも、認知を拒否している。
1991年のユーゴスラビア解体に伴いマケドニアが独立してから18年間におよぶ両国の確執は、国連の仲介努力も及ばず、ギリシャは前年、国名論争を理由にマケドニアの北大西洋条約機構(NATO)加盟を拒否。マケドニアの欧州連合(EU)加盟の行方にも暗雲が漂う。
当然ながら、ギリシャは、マケドニア広場を囲む建物も圧倒する巨大なアレキサンダー大王の建設についても、マケドニア政府に激しい非難を浴びせている。【6月12日 AFP】
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【「領土的野心の表れ」】
“マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあり、マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占めている。残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属している。また歴史的には、マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。これらの理由から、ギリシャがマケドニアという国名を拒否し、同国との間で激しい国名論争が生じている。”【ウィキペディア】
マケドニア共和国、ギリシャ、ブルガリアだけでなく、細かく見るアルバニア、コソボ、セルビアにもマケドニアの一部と見なされる領域が含まれているようです。

バルカン戦争(1912~13)までオスマン・トルコ支配下にあったマケドニア地域は戦後、大きくはギリシャとブルガリア、旧セルビアに分割され、セルビア側の領土だけが91年に独立してマケドニア共和国となっています。
ギリシャが“マケドニア”の名称にこだわるのには、“マケドニア” の国名が「わが国(ギリシャ)のマケドニア地方への領土的野心の表れ」という懸念を抱いていることが根底にあります。

確かに、“火薬庫”バルカン半島は民族が入り乱れており、アルバニア系住民を主体とするコソボ独立で“大アルバニア主義”の動き活発化したように、もし隣国が“マケドニア”を名乗り、古代マケドニア王国の旗である「ヴェルギナの星」を国旗とすれば、ギリシャ・ブルガリア領内のマケドニアを含めたマケドニア統一運動的なものにその裏づけを与えることにもなって、将来的な混乱を呼び起こす・・・ということも考えられなくはありません。

【NATO加盟見送り】
こうした政治的問題や文化的アイデンティティーの問題から、マケドニア共和国とギリシャは長く論争を続けており、93年のマケドニア共和国の国連加盟時には、両国は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の暫定名称を使うことで妥協しましたが、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)へのマケドニア共和国の加盟について、ギリシャは“マケドニア”の使用に強く抵抗しています。

昨年4月ルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATO首脳会議を前に、国連ニーミッツ事務総長特別代表は仲介案として、国名を「マケドニア(スコピエ)共和国」と変更することを提示しましたが、ギリシャがそれを認める保証が得られず、マケドニア政府はこの案の議会提出を見送っています。
なお、スコピエはマケドニア共和国の首都であり、“中華台北”みたいなものでしょう。
結局、NATO首脳会議ではアルバニア・クロアチアの新規加盟が承認されましたが、“マケドニア”の国名を認めないギリシャの反対があって、マケドニアの加盟は見送られています。

なお、このNATO加盟見送りで、もともと国内に少数派アルバニア人問題を抱えるマケドニア共和国の内政も大きく混乱し、議会解散に至りました。
****マケドニア議会が解散 NATO加盟先送りで内政混乱****
マケドニア議会は12日、賛成多数で解散を決めた。2カ月以内に前倒し総選挙が行われる。解散は国家統一民主党のグルエフスキ首相率いる連立与党が求めた。
マケドニアは多数派のマケドニア人と人口の約4分の1のアルバニア人などからなる多民族国家。隣国コソボの独立に伴って権利拡大を求めるアルバニア人系政党と、国家統一民主党などとの亀裂が広がっていたが、北大西洋条約機構(NATO)加盟を目標に何とか連立を維持してきた。しかし、その加盟が今月初めのNATO首脳会議で先送りになり、連立政権が解散に踏み切った。【08年4月12日 朝日】
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ギリシャのマケドニア新規加盟反対はマケドニア側の怒りを増幅させ、昨年11月には国際司法裁判所にギリシャを提訴しています。

****マケドニア:国名論争でギリシャを国際司法裁に提訴*****
マケドニアからの報道によると、同国のミロショスキ外相は17日、国名論争で対立を続ける隣国のギリシャがマケドニアの北大西洋条約機構(NATO)加盟を妨害しているとして、国際司法裁判所に提訴したことを明らかにした。
同外相によると、両国は95年にマケドニアの国際機関での正式名称を暫定的に「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」とするとともに、ギリシャがマケドニアの欧州連合(EU)やNATO加盟を妨げないことで合意した。
しかし今年4月のNATO首脳会議でギリシャが国名論争を理由にマケドニアの加盟を拒否し、加盟実現が先送りになったことから今回提訴に踏み切ったという。【08年11月19日 毎日】
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【中華台北】
国名・名称では台湾も中国との間で長年もめています。
最近の中台接近の流れのなかで、中国側が台湾の世界保健機関(WHO)年次総会オブザーバー参加を容認し、今年5月、台湾は38年ぶりに国連関係機関参加を果たしました。
このときも参加名称が問題となりましたが、「中華民国」「台湾」ではなく、主権問題を棚上げする形の「中華台北」で決着しました。
この名称問題について、馬総統は「妥協の結果であり、最善の選択ではない」とする一方、「今回は貴重な機会だ。参加しなければ(国際社会から)排除され続ける」と指摘しています。

アレキサンダー大王はギリシャ文化とオリエント文化を融合してヘレニズム文化を生みましたが、その偉業のスケールに比べると、名称問題などは瑣末なことにも思えます。
ただ、アレキサンダーの帝国が死後に瓦解したように、現実政治はなかなか厄介です。

コメント
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