孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ  長引きそうな首相府占拠 再び対峙するチャムロン氏とサマック首相

2008-08-29 18:46:56 | 国際情勢

(6月20日 演説する民主主義市民連合(PAD)リーダー、チャムロン氏 “flickr”より By adaptorplug
http://www.flickr.com/photos/11401580@N03/2594674791/)

【5月以来のPADによる抗議活動】
タイ・バンコクで続いている反政府団体・民主主義市民連合(PAD)による首相府の占拠は、混乱を避けたい政府側の意向もあって、長引く様相を見せています。

PADは06年、金権・強権的なタクシン元首相の追放をめざして結成された市民グループ連合で、その抗議行動は同年9月の軍事クーデターに道を開く形でタクシン政権を葬り、目的を達成しました。
しかし、07年末の総選挙ではサマック現首相を看板にしたタクシン元首相派が勝利して、現在のタクシン派主導のサマック政権が誕生。

サマック現政権下でタクシン氏らの政治復権が進み、クーデター体制下で制定された憲法改正手続きが進み出したことに反発したPADは、5月25日以来連日、道路を占拠し1万人規模の集会を継続していました。
当初は改憲反対を要求していましたが、次第に、サマック政権打倒を主張するようになりました。

こうした動きにサマック首相は「圧力に屈しない。不法占拠は強制排除する」と強調しながらも、憲法改正を一時棚上げ。
また、タクシン元首相の忠実な側近として知られるチャクラポップ首相府相が国王の顧問機関である枢密院を「旧態依然たる体質」などと批判する発言をしたことが「不敬発言」として問題化し、首相府相は辞表を提出。
更に、カンボジアとタイの国境に位置し長年その領有権が争われてきたヒンズー教遺跡「プレアビヒア寺院」の世界遺産登録を巡る両国の対立に関しても、政府の対応のまずさを批判して攻勢を強め、外相辞任に追い込みました。
そして、批判の矛先であるタクシン元首相は、自身の汚職疑惑に関する裁判での有罪判決不可避の情勢を見て、ついにイギリスに亡命するところとなりました。

【首相府占拠】
こうした“成果”をあげてきたPDAですが、ここに来て行動をエスカレーさせ、26日にはサマック首相退陣を求めバンコクの国営テレビ「NBT」を一時的に占拠。
政府の説得で、同日夜にはテレビ局からは退去したものの、支援者らは、国家警察本部や財務省、運輸省前でも数千人規模の大規模集会を開き抗議を続け、首相府を占拠するに至りました。

こうした過激化の背景には、PADが06年のときと同様に、軍の介入を誘おうとしていることがあると言われています。
“「成果」をあげてきたPADが大規模な違法行動に走った背景には、軍の決起への期待があったとみられる。26日は、軍首脳が定期異動リストを提出する日だった。PAD側は異動に不満な軍内部勢力に離反を働きかけたが、首相が陸軍本部に駆け込み、成功しなかったとされる。”【8月29日 朝日】
サマック首相も記者会見で「デモ参加者はこの国の流血を望んでいる。彼らは軍が出動し、再びクーデターを起こすよう望んでいる」と発言しています。

サマック首相は「占拠を解除しなければ法に基づいた措置を取る」「警察がデモ参加者に対して断固たる措置を取る。政府の自制もこれまでだ」と警告し、騒乱誘発および政府転覆未遂の容疑で指導者9人の逮捕状を取り、投降を要求。
しかし、流血の混乱を招くと逆に反政府活動を勢いづかせるだけとの判断で、「力は行使しない。政府の対応は穏やかなものなる」と、強制排除のような強攻策は控えています。
今のところ、裁判所の出した退去命令に従うように交渉を継続していますが、PAD側は「裁判所の判断は尊重するが、われわれは控訴する」と命令に従うことを拒否しています。

【醒めた国民の評価】
こうした反政府行動が国民にどのように評価されているかが問題ですが、同調する動きもない訳ではないようです。
バンコクと北部・東北部をつなぐ国鉄の組合がPADに同調して28日夜からストライキに突入。
南部路線も29日朝からスト入りする方針で、国内鉄道の長距離路線が完全にストップする事態になっているようです。

ただ、一般市民は06年に引き続くPADの過激な行動を冷ややかに眺めているとも伝えられています。
バンコク大学が実施した世論調査では、首相府占拠を「支持しない」との回答が68%を占めています。
抗議行動への参加者数も、06年のときのような盛り上がりはないようです。
議会を無視した“土俵外”での行動、クーデターを誘う過激行動には、市民は距離を置いているようです。

PADについては、“市民連合は、メディアグループ経営者や市民運動家などが率いる「市民団体」の体裁を取っているが、タクシン政権時代に利権を失った企業家ら旧来の支配層から資金提供を受けていると指摘される。市民運動の名を借りながら、事実上は反タクシン勢力が復権を目指した権力闘争という色彩が濃厚だ。”【8月26日 毎日】といった厳しい評価も見られます。

【軍も静観】
これまで何度も政治に介入してきており、クーデターが“お家芸”のような軍も、一昨年のクーデターが結局総選挙でのタクシン派復活という形で失敗に終わったばかりで、今また介入する気力はないように思われます。
パオチンダ陸軍司令官は市民に平静を呼び掛けており、激化する抗議活動を鎮めるために政府を転覆させるようなことはないと言明。「市民はパニックにならず、日常生活を続けるべきだ。軍は政治に関与しない」と記者団に語っています。

【「ミスター・クリーン」】
このPDAの中心人物として、メディアグループ代表のソンティ氏とともに名前があがっており、また逮捕状が請求されているのが、元バンコク知事のチャムロン氏です。
ある写真の記憶を呼び起こす名前です。
16年前、プミポン国王の前で、対立するスチンダ首相とともに跪くチャムロン氏の姿が思い出されます。

チャムロン氏の人となりを紹介した文章を、医療法人“徳洲会”のサイトから引用します。
*****
退役後、誠実、清潔、反官僚主義 の「ミスター・クリーン」チャムロン氏は民主化運動の指導者として、道義党党首となり、バンコク知事を1期半6年務め、92年には国政選挙で道義党が、首都バンコクの35議席中32議席を獲得。バンコク知事選でも、道義党のクリスダ氏が当選しました。5月には、非民選のスチンダ首相の退陣を要求、独裁権力に反対する大規模な民主化運動を起こしました。チャムロン氏は、断食やハンストを決行、それは国会議事堂前広場や王宮前広場で50万人を超える大集会に発展。しかし彼は軍に逮捕され「憎悪の5月」と形容される、多くの死者を出す悲惨な事件となりました。
 彼とスチンダ首相が国王陛下に呼ばれ、「今回の騒動は、もはや政治問題でも権力争いでもなく、国家の存亡に発展している。協力して国家を築き上げるようお願いする」とのお言葉を受け、スチンダ首相は辞任し、騒動は鎮静化しました。
 非暴力主義を貫き、非民選首相拒否などその民主化運動に対して、彼はアジアのノーベル平和賞と言われるマグサイサイ賞を受賞。その賞金は、5月の流血事件の犠牲者の家族を援助する基金に回されました。
 彼は、官房長官、上院議員、副首相、バンコク知事等の要職に就いても、汚職事件とは無縁でした。「いかなる脅迫、迫害、圧力にあっても、自分は不正を認めない。たとえ自分の身に何が起ころうとも、真実を守り犠牲を惜しまずに生きていく」と、常に国民に滅私奉公の精神で生きてきました。
 今年69歳のチャムロン氏は「1日1食」の菜食主義を通し、常に農民服の・モホーム・を着用し、バンコク郊外に「清潔、勤勉、質素節約、正直、自己犠牲、親孝行」の心を持つ人材を育てる人材育成センターを設け、有機農業を実践するなど若い頃と同様、相変わらず聖人そのものの生活です。
http://www.tokushukai.jp/media/chokugen/shinbun440.html
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また、89年当時のチャムロン氏の生活ぶりがhttp://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10046164/で窺えます。
どうも、「ミスター・クリーン」、農民服を着た“清貧の人”チャムロン氏のイメージと、首相府を占拠して軍の介入を誘うPADの行動というのが、つながりにくいところがあります。
タクシン一派の金権体質批判でしょうか。

【チャムロン、タクシン、サマック】
タクシン元首相を政治の世界に引き込んだのがチャムロン氏だそうですが、「ミスター・クリーン」と金権タクシンの接点はなんだったのでしょうか。
その後、二人は袂を分かちます。

サマック現首相は、以前はタクシン元首相と政治的に対立もしましたが、昨年“身代わり看板”となって首相へ。
しかし、タクシン元首相の露骨な復権に伴い、両者の間の権力闘争も囁かれていました。
そのタクシン元首相は亡命。

92年5月の流血事件のとき、反政府活動を率いたのがチャムロン氏であったのに対し、サマック現首相は当時副首相で抗議活動に対し厳しく弾圧した責任者でもありました。
16年後、二人は再度対峙しています。
チャムロン、タクシン、サマック・・・運命というか因縁を感じる関係です。

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