
写真はミャンマーを代表するする寺院、ヤンゴンのシュエダゴンパゴダの夜の様子。
ライトアップされた境内は、散歩がてら夕涼みを楽しみながらお寺にお参りする大勢の人々であふれていました。
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10117115/
一昨日はスーチー軟禁、昨日は日本との関係を中心に書きましたが、今日はミャンマーを観光して感じたことなど。
ミャンマーの印象を一言でいうと、その政治問題・経済困窮にもかかわらず、非常に穏やかな国のイメージです。
そのひとつの背景は、この国に敬虔な仏教徒が多いことがあると感じています。
普段日本の生活では自分自身の宗教なんて全く意識しませんし、お寺に行くのは法事・墓参りのときぐらいなのですが、海外を旅行して仏像を見たり、静かに仏像を拝む現地の人達を眺めていると非常に落ち着くものがあります。
ヒンドゥーやイスラムと接するときと明らかに異なるものがあります。
この国の男性は決まりではないが、一度は仏門に入るのが普通だとか。
仏門と言っても10日とか数週間と言った短い期間でもよく、ガイド氏もそんな短いお寺の生活を気が向いたとき数回経験していると言っていました。
「この国で生活するのは難しいことではありません。仕事がなかったらお寺に行けば、お寺の雑用などをして食べていくことができます。」ガイド氏はそうも言っています。
街のいたるところで、橙色の袈裟をまとったお坊さんの姿を目にします。
ミャンマーの仏教は個人の修行で自分自身の解脱を目指す上座部仏教(いわゆる小乗仏教)であり、広く大衆の救済を祈願する日本などのいわゆる大乗仏教とは異なります。
このため、人々の暮らしに大きな影響を持っている仏教ですが、社会変革とか民主化要求などの政治運動に宗教がかかわることはあまりないのでは・・・と推察されます。
ベトナム戦争当時仏教の僧侶が抗議の焼身自殺を行ったようなことはないのでは。
ミャンマーを旅行して否応なく気づかされるのが電力事情の悪さです。
「今日は長く電気が使えたから、次使えるのはあさってかな?」なんて感じで、“停電が多い”という状態を通り越して“ときどき使える”という有様でした。
工場などには優先的に供給してはいるのでしょうが、これでは経済が回復するのは困難ではないかと思われました。
軍事政権は「民主化には安定が必要」と言っていますが、辺境地域の民族問題はありますが、それ以外の社会の大部分においては決定的な民族対立みたいものはなく、仏教を基盤にした社会はむしろ安定的であるとも言えます。
一方で経済は停滞し、産業基盤整備が遅れ、役人の間には賄賂が横行している・・・というように“現状を維持すべき”理由も見当たらないように思えます。
民主化を促進して困るのは軍事政権及びそれにつながる人間のみで、ミャンマー全体としては民主化を躊躇する理由はないと思えました。
ミャンマーとの関係が深い日本も今後、民主化促進にむけて今まで以上に強いメッセージを発信していく必要があると思いますが、国際社会の圧力に抜け道をつくり、これを困難にしているのが中国の存在です。
ミャンマー、北朝鮮、あるいはスーダンといった国際社会から圧力をかけられている国を中国が実質的に支えている例が多くあります。
アジア世界の発展のためには、この地域にますます大きなプレゼンスを持つ中国を同じ価値観の上に立つアジア共同体的なものに取り込んでいくことが不可欠であるように思えます。