銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

女と業・・・・・瀬戸内寂聴と、五嶋節、の、どちらが罪が重いのか?・・・・夫を嫌いぬいたという共通点がある二人だが、子供に関しては?

2018-01-24 19:01:33 | Weblog

 三日目の、26日にさらに加筆をしています。その結果、私の猫の写真が必要になったので、最初に置きます。雑種ですが、非常に頭がよかったので、我が家でも、かわいがっておりましたが、伊藤玄二郎の元愛人を名乗る、石川和子さんが、気に入ってしまい、2005年に、警察を巻き込む大きなトラブルが、発生してしまった猫です。2016年の6月にあの世へ行きました。左下にある灰色の丸まったものは私の膝です。真夜中には、いつも、こうして二人で遊んでいました。これから始まる楽しさを期待して、彼女の眼は、輝いております。ところで、警察を呼んだのは、盗まれている私の方ではないのですよ。盗んでいながら、猫から、彼女ではなくて、私の方を選択されたので、その屈辱にパニックに陥った、石川和子側なのです。もう、驚天動地の出来事です。でも、それによって、政治の真実が判るのでした。つまり、私が常に繰り返して言っている『日本の警察とは、鎌倉エージェントの私兵である』が、判ったのも、ここからなのです。物事には、+-両面があるのでした。

 

副題1、『この章を書き始めるにあたっての、お断り』 

 これは、前報(後注1)から派生して来た文章です。

 前報をみじかく纏めると、・・・・・NHKの番組を中心として、教養系番組も、政治に利用をされている・・・・・と、言う事でした。ここでいう政治とは、永田町の奥の奥、一般庶民には、隠されている部分を指します。この日本は、1945年以来、非常に高度な管理下に在る植民地だからです。アイキャンと言う団体が、ノーベル平和賞を受けたって、日本政府は、核兵器を根絶しようとする国連決議を批准しません。独立国ではないからです。沖縄の米軍ヘリの問題も同じです。今、本当の意味で、役立つ論客を、潰して行く目的に、教養系番組も使われるという事です。この国とか、この国の国民を大切にしている人間の言論を弾圧して行く政治です。

 ただ、そういう政治を企画をして実行をする人間たちは、テレビにも出ないし、選挙にも出ません。テレビ画面で、顔を見せて、行動をしている有名人は、第三位レベルぐらいで、使役をされ、利用をされている人間たちです。一般庶民は、第七位レベルで、その尊厳を、やっと、認められて生活をしています。第三位レベルでも、テレビに、顔が写り、行動が報道をされ、金銭的収入が高い人(たとえば、北野武監督とか、林真理子さん)は、勝ち組として、庶民から、もてはやされていますが、より上位の人間から見れば、彼等でさえ、道具でしかありません。

 前報で挙げた、五嶋龍さんも、また、利用されている道具でしかないのです。彼を利用しようと、考えたのは、塩見和子(日本財団の理事、弦楽器の数億円する名器・を、演奏家に貸し出す仕事をしている女性で、ICU10期卒)、石塚雅彦(ICU7期卒、元、日経新聞論説委員、現在早稲田大学大学院教授)伊藤玄二郎(かまくら春秋社社長で、鎌倉ペンクラブ会長・・・・・井上ひさしと、深い関係を持っている。中央大学法学部卒)の、三人だと、思います。・・・・・そのことを詳しく書いたのが前報ですが、この章では、そこから派生して、気が付いたことを語りたいです。だから、内容のスケールは小さいです。が、私が得意としている分野です。

そして、三日目の26日に入り、さらに加筆をして、結論を、とうとう言っています。節さんのみどりさんに対する養育方法は、17歳ごろまでは、一種の変形の虐待だったと、私は、おもっております。しかし、みどりさんに、拒食症の症状が現れたので、節さんは、反省して、自らを改善して、行ったのではないですか?

 で、みどりさんへの接触の手法を変えたので、みどりさんは、その後、・・・・・他人のこどもたち(特に経済的に恵まれない子供たち)へのクラシック音楽への導入の仕事 を し始める・・・・・立派な大人へと、変化して行くのです。

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副題2、『この章を書くにあたって、私の前提条件は、次の二つの本だけである。しかし、万巻の書物を積み上げたって、かなわない程の、直感の持ち主である私は、自分が書くことが、それほどには、間違ってはいないと、思っている』

 瀬戸内寂聴さんについて、何かを判断する時に、参考にしているのは、雑誌別冊【太陽】の瀬戸内寂聴特集号だけです。そこに、地名を、各章のタイトルに挙げた、自伝的小説が載って居て、それは、真摯な部分が表明をされていると感じました。で、それ以外は、読んでいないし、瀬戸内晴美として活動をしていた時期の、テレビ司会者像も、見たことがありません。後、最近NHKがBSプレミアムで、放映をした、ドキュメンタリーは見ていますが、それに関しては、「そうですか」と言うだけでした。

 五嶋節さんに関しては、『雨の歌』ワニブックス、1987年 だけです。しかし、両方とも、どうしてか、我が家からはすでに、失われています。

 瀬戸内寂聴特集号で、印象に残ったのは、【駒込】という場所に瀬戸内寂聴さんが、一時期住んでいたという事です。駒込という場所は、私にとっては、区立図書館を利用するために、二、三度、降りて、そこまで歩いて行っただけの場所ですが、家出をして来た、すでに、若くない女性が、自分一人で、または、愛人と一緒に住む場所としては、見事な選択だと、思いました。都心と言ってもよい古い町で、ご近所づきあいをしないで、済み、かつ、派手ではない場所です。しかも、山手線の駅ですから、TV局や、出版社など、どこへ行くのにも、一時間以内で、行かれます。しかも交通費が安いです。表参道とか、原宿とか、六本木とか、新宿近辺とかを選ばなかったのが、適切で、賢いと思いました。

 その次に、これは、その自伝的小説の中に在った場面だったのか、それとも、別の頁に在ったのかは、忘れましたが、お嬢さんとの再会と、永遠の別れの場面です。母として、お嬢さんが、4歳の時に家出をしています。だから、お嬢さんの方から会いたいと、言ってきたのか、瀬戸内寂聴さんの方が、会いたかったのかが、今、その雑誌が失われているから、判然としませんが、親の方が娘に会いたかったのだと、思います。そして、それは、瀬戸内寂聴さんがすでに、有名人になっていて、テレビ司会などを行っていた時期ではないでしょうか?

 東京女子大、国文科卒と言うのは、幅広いコネを形成できるソサイエティだったみたいで、瀬戸内寂聴さんの方は、そのソースを秘匿していますが、誰かが、情報をつかんで、お嬢さんが、学者である夫と共にアメリカにわたるというのを、教えてくれたのだと、思います。それを、聞きつけて、横浜に駆けつけます。関西に在住している実父(元の夫)と、その現在の妻は、横浜までは来ないと、寂聴さんは考えたのでしょう。その推察は当たって居て、お嬢さんと、あうことができました。立派に育っていたので、後妻への感謝を述べています。そして、二度と遭わないと決意したのではないかしら。真実は、お嬢さんから、二度と会いたくないと、言われたのかもしれませんが、

 瀬戸内寂聴と、子供と言う意味では、彼女のその後は、賢いなあと、思いますよ。ともかくお嬢さんの父とは、別の男性との間に、は、子供は作らなかったのです。

 しかし、それ以外の部分では、『ずいぶん、わがままな、やりたい放題を尽くしてきたのですね。是では、どこか、別の場所で、ひずみを生むのではないかしら』と思ったのですが、実はその通りで、ひずみは生まれていたのです。二人の男性が、自殺をしたのでした。しかし、その詳細は、ここでは語りません。彼女が書いているものをお読みくださいませ。

 と、いって初稿では、終わったのですが、三日目に入って、時間をかけて探しました。平凡社からは、4冊ほど、出版をされていますが、三冊は京都案内なので、可能性としては、【終わりの旅(平凡社) 1974】という名前の小説である可能性が高いです。しかし、文庫化は、されていないので、買いにくいですね。でもね、たった、一篇だけ読んだにしては、瀬戸内寂聴を知るにして、最適な小説でした。人生のほとんどが網羅されているし、内省的な、筆致なので、とても、読みやすいのです。ギラギラした、セックス描写など、無い小説です。

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副題3、『五嶋節さんの本の中で、感銘を受けたのは、NHKの歌謡番組の伴奏をしていた際の経験が、表現力の向上に役立ったという部分だ。当時は、クラシックと、歌謡曲の分野は、厳密に区別をされていたので、それを乗り越える、音楽に対する柔軟な理解力は、グッドだと、思うし、そういう人物だから、アメリカに行くことが向いていたと、言うのが、よく、判る』

 彼女がアパートを半地下に借りたというフォレストヒルズのある、クイーンズで、三か月ずつだが、二回ほど、女一人で、似た様なアパートを借りて、版画修行を続けた私は、【雨の歌】を読むのは、非常に楽しかったのです。双六を、見ているみたいで、終点に向かって、出世して行く話です。前向きな、シンデレラストーリーです。自分も、女一人で安全に住む場所として、クィーンズを選択するなどと、或る部分で、似ているので、とても、楽しい書物でした。

 ところで、念のためにお断りをして置きますが。雨の歌を読んだのは、クイーンズに居を定めた後なので、私がクイーンズを選んだのは、五嶋節さんの影響を受けたから、ではありません。2週間ぐらい、マンハッタン島にすんだうえで、不動産屋で、捜し歩いて、そこを、見つけました。二回の滞在で、10軒ぐらいの不動産屋を訪問しましたよ。五嶋節さんの方は、お子さん連れなので、緊急性が高いので、その最初の住まいの家主と、すでに、知り合いだったので、そこを借りたみたいです。でも、知人と言っても、日本人ではなくて、シゲティ教授などのアメリカ人からの紹介だったのかもしれません。

 私は、自分がやっているヘイター方式の版画制作が、7~10時間は、連続して仕事をしないと完成しない方式なので、日本の町田(美術館付属の工房)とか、新横浜の貸し工房(OMと言う大規模な工房がある)では、一人が使える時間について、制約があるので、無理だから、海外へ修業に行ったのだけれど、やがて、逗子のアトリエに、プレスと言う機械を据え付けて、ニューヨーク修行も止めるつもりがありました。その上、それを開始した時期が、すでに、子供が25歳と、27歳になっていた57歳以降だから、世界的に通用する画家になりたいという希望はあったものの、生活の枠として、まったく新しい生活形態を開拓する時間は、なかったのです。また、ニューヨークに、死ぬまで、腰を据えて、生きていくと言うつもりも、無いのでした。しかし、観察の能力が高いので、いきずりの出会いでも、相手が、日本人独身女性であった場合には、「何を専門にしていて、どういう希望を持っているか?」などを、質問をして、いろいろ後学の為の、勉強をする人間ではありました。

 このブログを読んでいる人は、それを信じないかもしれませんが、私は、実は、とても優しい人間で、ありとあらゆる人が、打ち解けて、真実を語ってくれるタイプなのです。一期一会の関係でもそうなのですよ。

 そして、わざわざ、カフェで、お茶飲みをするまでもなくても、周辺には、単身で、ニューヨークへ渡ってきていて、アメリカでの成功を夢見ている若い日本人女性がたくさんいました。住まい周辺でも、であったし、料理屋や、バス停でも、駅のベンチでも出会いました。1999年に仕事をしたブルックリンの美大の大学院にも、喧嘩を吹っ掛けて来る日本人独身女性が居ましたし、2000年に修業をしたニューヨーク一古い工房でも、喧嘩を吹っ掛けて来る若い日本人女性アーチストが居ました。喧嘩を吹っ掛けてくるのは、私があまりにも、お金持ちで、グングン、材料を買うので、嫉妬されたのでした。特に滞在期間が短いので、あとくされがないと、思われて、いじめられたのです。で、仕事が進まないので、相手にその失礼さとか、嫌がらせの内容を、注意をしたら、その言葉だけで、圧倒的に勝ってしまったので、・・・・・過去には、喧嘩をした事がない人間が、今の私だが、いざ、喧嘩をすれば、勝てる人間なのだ・・・・・・という事を、ニューヨークで、57歳にして、初めて知ったのでした。二回で、400万円を掛けましたが、大変いい勉強ができました。(苦笑)

 彼女たちは、25歳になる前に、日本在住の、日本人男性に失望をしていたのでした。そして、ニューヨークで芸能界か、芸術の分野で、成功をする事を夢見ていました。オノヨーコとか、草間彌生に成る事を夢見てニューヨークへ渡航して来ていたのでした。

 詳しい状況を語れば、オノヨーコも、草間彌生も、経済的に言えば、中流階級の出身ではないのです。おおやけではない(たとえば、母親からこっそりと、送金してもらうなどの形で、あったかな?)にしても、実家からの支援があるか、貯金がある、というタイプの人間でした。だから、長期滞在ができたのです。しかも、二人は、日本人が少ない時期の渡航者でした。しかし、私が滞在していた1999年とか2000年ごろの、渡航は、猫も杓子もという時代で、中流階級の出身者が多く、彼女たちは、実家から、30歳を過ぎても支援を受けるほどの、裕福な家の出身ではないのです。で、実際の生活は、金銭的に大変なので、結婚することを、希望し始めます。

 日本在住の普通の日本人女性よりも、はるかに、熱心に、かつ切実に、結婚を希望し始めます。しかし、ニューヨーク在住の独身の、日本人男性の数は少ないのです。第一、親は、芸能界とか、芸術の分野への進出を危ない事として、反対しますよね。ましてや、本人でさえ、芸能界や、芸術界での、成功が、苦しいものだとは、又吉直樹の小説の成功だけででも、わかって居ますので、ニューヨークにまで、乗り込んでくる人間の数が少ないのです。

 女性の方は、親も本人も、将来像が、はっきりとは確定して居ないし、親側の期待度も低いので、ニューヨークへ逃げてくる確率が高いのでした。で、自由業を目指して、渡航をしてくる男性の数は、少ないし、駐在員として赴任をしてくる大手企業勤務の男性は、ほとんどがすでに、結婚をしていて妻子同伴ですから、日本人男性で、適切な結婚相手は、少ないのです。

で、日本人男性が相手か、アメリカ人男性が相手か? 望みは別れるし、しかも希望通りの高収入な男性に出会えるチャンスは、非常に限られて来ます。そんな中で、龍君の父親は、大手企業から派遣をされている、独身(?)のサラリーマンです。まあ、ソニーだから、「みどりさんのアルバムを作りましょう」とか、言う形で、仕事上のお付き合いから始まったとは思いますけれど、この結婚は、ニューヨーク在住の独身の女性にとっては、大成功の、部類に当たると、思いました。で、祝福したい気持ちにあふれました。ただ、龍君のパパ側が、節さんよりも相当に若い男性だったみたいなので、節さんが、『ある意味で、相当に頑張ったのだろうなあ』とは、思いましたけれどね。相思相愛の恋愛として、パパ側からのアタックだけではないでしょう。

 しかし、それは、15年以上は前の話です。10年ぐらい前から、私の節さんに対する考えは、まったく変わりました。

良好だったのは、大人になった龍君のポスターなどの、画像、および【題名のない音楽会】などの、映像、および前報に書いている様な、特別な番組に、龍君が現れる前の感想であって、

 最近の様に、日本での、龍君の露出が、多くなると、私の、五嶋節・感が、一変してきたのでした。

 ::::::::::ここから先は、初稿を書いてから、24時間後に加筆をする部分です。次の::::罫線まで、加筆です。

 龍君の過剰なほどの露出を受けて、節さんに対する考え方が、180度逆転をしてしまいました。敬愛の対象からは、脱落してしまいましたた。つまり、好きな人という範疇から、嫌悪感の対象へと変化してしまったのです。

 どうしてかと言うと、節さんは、母として、みどりさんに対して、愛情を持っていないと、思われてならないからです。みどりさんを生んだ時に、節さんは、母としては、若かった模様です。私は、28歳で、出産をしました。が、節さんは、23歳で、出産をしています。しかも、どこかの会社とか、学校での、勤務体験が無しで、です。アルバイトは、ありました。だが、NHKの歌謡番組のバックでの、バイオリンの演奏と言うのは、誇り高い仕事なので、他人に頭を下げる仕事ではないです。是では、子どものままの行動と性格を持って、大人になり、結果として、こどもが、子どもを育てるという状態であり、母としての成熟度が足りないと思うのです。

 その上、女親と言うのは、娘に対して、真実の愛情を抱きにくいものです。フロイトが、それを言っていますが、私も自分自身とか、世間一般の、母親を見て居て、つくづく、それは当たっていると、考えています。

 で、幼いころから、みどりさんは、節さんにとっては、単純にして純粋な愛の対象と言うよりは、自分の達成感の指標となる、一種の道具と言うか、アクセサリーとなっていた可能性があります。ところで、そういう傾向は、どういう母親にも、おおかれ、少なかれ、あるものです。しかし、子供とは、その成長を見守っているうちに、今、何がこの子にとって、いいことなのかが、自然に、母親の方に、判って来るものです。つまり、母親とは、尽くすことによって、更に母性が、増えてくる存在なのです。でも、自分が突っ走ってしまって、自分主導で、子供を支配すると、子供側が発してくるメッセージを読み取れなくなります。

 一方で、愛情を成長させるタイプの親は、子供自身の、希望やら、成長の方を大切にしてやりたいと、思う様になって行くので、一方向での、訓練に没頭させることを好まなくなるのです。これから先は、考え方や、価値観の違いですが、私は訓練を課すという事が、軍隊めいていると、思っていて、嫌いなタイプなので、無論のこと、楽器の修行などを、特に、男の子にやらせようとは、思っておりませんでした。これは、失敗だったかもしれません。ピアノぐらいは習わせて置いた方がよかったかも。

 私にとって、最初の子供は男の子でしたが、1歳半で、あるける様になったころから、ご近所のお子さんと遊ばせることを最大の必要事項と考えていました。それをサポートしたいとは、思っていましたが、環境を整えるだけで、口も出さないし、手も出さない主義です。でも、常時、耳は澄ませています。ケンカとか危険なことをやって居ないかについて、耳は澄ませています。2,3歳のころは最も活発に動き回り、耳を澄ませていないと、事故などが起こりやすいと思います。自分の子供がどこにいるかは、常に耳でとらえていないと、いけないと、思いますよ。

私は、子供が成長して行った後では、猫に対しても同じことをしていました。家の中に居ないとなったら、すぐ探しに行ったものです。特にご近所住まいの石川和子さん(伊藤玄二郎の元愛人であり、わがまま一杯の女性であり、私の猫が大好きだった)から返してもらえない様になってからは、猫が家の中に居ないとなったら、すぐ、気が付くほどに、耳は澄ませておりましたよ。トップに置いた写真へ入る。

最近、川下で、遺体となって発見をされた男の子がいましたが、そばにいたのがお父さんだったそうで、それは、子育てに於いて、次の位置に在る人と考えられているので、母親よりは、不注意だったと思うので、しかたがなかったのでしょうか?。母親は、そんな小さな年齢で、お父さん側に預けてはいけません。母親とは、手は出さないけれど、常に子供を見まもっている必要がありますし。そうすると、こどもにとって、次の段階で、何が必要なのかがだいたい、判って来るものです。いっぱいやる事がある事が見えて来るので、そうなると、何かの訓練に、イット(一途)に向かわせるなどと言う事は、かわいそうで、できないのです。節さんには、それが、できたので、ある意味では、天才を生んだのですが、ある意味では、みどりさんの、別の道を奪ったともいえるのです。友達と遊ぶ日々とか、時間を奪ったと、考えられるので、ある意味で、残酷な母親だったと、思っています。

三日目に、到頭、その事実を、ここに、入れますが、みどりさんが、一時期悩んでいたのを、皆様は、知っていますか? 拒食症だと、言われていました。『当然だろうねえ』と、私は思っていたのです。みどりさんは、一種の変形の虐待を、母親から受けていた、気の毒は少女でした。それは、普通の、女性なら、自然に分かる状況でした。

ここで、本を出版することとか、文章を書く事のプラス・マイナスを語りたいと、思います。私は、自分でもそれは、よくわかって居るのですが、物事には、常に、プラスとマイナスの両面があります。

 【雨の歌】の出版元は、読者層を、若い女性に想定して居て、『この本が、彼女たちを励ます』と、考えて出版をしたと、思います。しかし、57歳を過ぎて、(たぶん、ニューヨークの紀伊國屋書店か、旭屋書店で、見つけて)これを買った私は、読後、直後から、節さんへの批判を内包していたのでした。一種の虐待だと、思って居たし、その後、みどりさんが、拒食症を患ったと聞いて、さもありなんと、思っていたのです。だから、みどりさんについて、書いている文章は、15年以上にわたって、内心で、抱えているテーマなのです。モーツァルトの場合は、死後長期間が経ているので、父親の鍛錬が、ほぼ、虐待に近いものだったというのは、周知の事実となっています。節さんは、現在生きて居る人なので、批判をされていません。

 だけど、節さんの、一種の偏愛の対象であり、慈愛を受けて育ったと思われる龍君が、鎌倉エージェントたちに、政治的に利用をされたので、今般は、節さんに的を絞って、文章を書いています。事実を、よりくっきりとさせるために、お見合いで結婚をした相手を嫌いぬくという点では、相似形にある、瀬戸内寂聴さんを対照例として挙げています。

 でも、もし、私が節さんとカフェで、会話を交わす日が訪れたと仮定をしたら、節さんは、「あら、違うわよ。みどりは、自発的に、自分から進んで練習をしたのです。新しい曲をマスターするのが好きだったのです。音楽は一番好きな事であり、決して強制はしていません」と、言うでしょう。それを聞いた私がどうするかですが、内心では、反論を抱くが、表向きには、節さんには、口答えはしない筈です。しかし、『おや、おや、この人は、成功者ではあるが、最上のレベルで、物事を考えられる人間ではないなあ。龍さんを育てている過程では、絶対に、違う方法だった筈よ。少し緩やかに育てたでしょう。そして、自分の側、特に内面に、沸き起こるものが、みどりさんの時とは、全く違っていた筈ですよ。豊かな愛情と言うのが、沸き起こっていたでしょう。

 で、龍さんが大人になって、手が離れた後では、みどりさんに対して、一種の謝罪の気持ちを抱かないといけないと、思うけれど、まあ、ご本人次第ですから、私があれこれ、言う事ではないけれどね』と、思う筈です。

 そして、・・・・・自分(雨宮舜)は、天才も、優等生も育てられなかったけれど、それで、いいのだ・・・・・と、思っているのですが、そういう以前からの、判断は、節さんから、直接な説明を受けても、変わらないでしょう。特別な子供を育てた親と言うのは、その子が、上のはみ出しにしろ、下のはみ出しにしろ、何らかのポイントで、親の方に、欠落がある人なのか、または、性格的に、きついひとなのだ。・・・・・と、失礼ながら、思っています。節さんは、夫との融和の時間を犠牲にして、みどりさんの、訓練に没頭をしていただけの、女性です。それが、嫌っている夫からの、逃避手段として、役立ったのです。

 ただし、子供自身が、自分を育て続ける人間となる様に、育てるのは、素敵な事であり、それができた母親は、尊敬に値いします。みどりさんには、そういう傾向はあります。ただし、お父さん側からの遺伝かもしれませんので、確かなことは判りません。::::::::まあ、ここらあたりは徹底的な、価値感の、違いであり、世間では、節さんは、もてはやされてるらしいですし、私には攻撃の矢が降り注いでいる段階ですがね(苦笑)。::::::という挿入を入れて元へ戻りますが、 

 ともかくにして、龍君を見るたびに、私は、みどりさんに対する痛々しさを、深く感じて、しまいます。どういう風な理由で痛々しさを感じるかは、前報にもそのリンク先を置いていた、五嶋みどりへの小論と言うので、すでに書いていますので、それをここにも置いておきたい(後注2)と思います。特に、もくじ付きで置いておきたいです。

 ところで、普通だと、親が子どもに奉仕をして、子供は、親を踏み台にして育つと言われます。でも、節さんがニューヨークへ来ることができて、嫌いだった前のご主人と別れることができたのは、みどりさんが居たからですね。だから、節+みどり母子の関係には、矛盾が一杯だと、見るのが私です。

 特に前報で、言っている通り、龍君が、例の連中(鎌倉エージェント)に使役をされて、NHK ETVの、日曜美術館に登場した直後の現在では、その思いが非常に強いです。是では、瀬戸内寂聴さんの方が、品がよく見える程です。彼女は二人目とか、三人目の恋愛相手の男性との間に、子供を産まなかったですからね。二人目とか三人目の子供を、母親側の業(ここでは、恋愛とか、セックスへの希求を指す)の犠牲にすることは、無かったのです。

 得度する前は、常に、セックスをする機会には、恵まれていたと、思いますが、その結果として、自然に任せていては、生まれてしまう、子供、という物を、あえて、作らなかったのです。そして、4歳の時に分かれた最初の子供を、世間の目にさらしては、居ません。大衆のパンとサーカスの対象とはしていないのです。そのお嬢さんの、実父は、音楽系統の学者であり、お嬢さんも、優秀な学者と、結婚をしました。

 何の分野かはわからないし、名前も大衆は知りませんが、まだ、船で、渡航するしかなかった時代に、アメリカへ、留学する様な、優秀なお婿さんと結婚をしています。生まれた年度から考えると、すでに、そのお嬢さんの方も、70歳を超えて居て、そのご家庭には、寂聴さんの、ひ孫にあたる世代が育っていて、既に大学生ぐらいには、成っているでしょう。が、「実の曾祖母が、寂聴さんだ」とは、知らされて居ない筈です。で、寂聴さんは、50年以上、そちらとは、接触をしないで、生きて居るのです。ある意味で、潔いし、子供を守る事がどういうことかを、よく、わかって居る存在です。節さんとは、最初の夫を嫌いぬいたという共通点があるのに、事、子供に対する態度という意味で、寂聴さんの方は、相当に違うのでした。

  なお、このブログの、2010年より数え始めた、延べ、訪問回数は、4446620です。

      2018年、1月24日、これを書く、雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

後注1、

日曜美術館・ワイエス特集に五嶋龍が出演・・・・・林文子と入倉かおると言う、金も名誉もあり男もいる悪女と、薄幸な善女・五嶋みどりを、比較してしまう私だった  2018-01-23 21:47:22 | 政治

後注2、 

五嶋みどりについての小論、ファンと芸術家の間柄について、2012-10-28 08:35:34 | Weblog

副題1、『芸術家とファンとの関係、対等か、上に立つか』
副題2、『五嶋みどりの、最近の成長について』
副題3、『五嶋みどりは、お化粧をしない』
副題4、『五嶋みどりは、自分の荷物は、自分で持って歩く』
副題5、『五嶋みどりは、自分のお金を、日米の子供たちのために使っている』
副題6、『実父との交流を再開したほうがいいなあ。みどりさん』
副題7、『五嶋みどりにある、優しいところとまじめなところは、実父からの遺伝でしょう』

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