goo blog サービス終了のお知らせ 

銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

奥島孝康・元早大総長、川名昭宣、後藤健二、東大卒元AFP勤務の後藤夫人、川名夫人、伊藤玄二郎、井上ひさし、安野忠彦・ひろ子夫妻・・・・・赤いお財布は、どこにあるのだろうねえ

2025-04-12 13:34:07 | 政治

 ところで、最初の総タイトル【フランスのルペン党首逮捕も、鎌倉雪ノ下の我が家のご近所主婦安野夫人+忠彦氏を助けるためであろう】だと、また、「つまんねーことを書きやがって」と、誤解をして、ばかにする連中がいるでしょうから、大きなことも含まれているのですよと、言う総タイトルに変更します。

 奥島孝康・元早大総長、川名昭宣(ICUで、私と同じ年入学、フランス留学済み。河出書房新社社員にして、伊藤玄二郎と、仲良し)、後藤健二(イスラム国=今は、滅亡した?で、殺されたとされる日本人。一緒にいた湯川君という軍事おたくは、確実に殺されたのだが、後藤健二さんは、生きているはず)、東大卒元AFP勤務の後藤夫人、川名夫人(ICU卒、元AFP勤務)伊藤玄二郎、井上ひさし、安野忠彦・ひろ子夫妻・・・・・赤いお財布は、どこにあるのだろうねえ

と、変更します。今は、14日の午前三時ですが、全文の誤変換直しと、加筆、推敲が終わりました。

副題1、「誰が日本人やら、フランス人、韓国人を苦しめているのか?」

 私は前報を整える必要を感じています。しかし、本日は、すみませんが、先へは、進みません。補遺をあれこれ書かせてくださいませ。

 また、急転直下、ユン大統領、罷免が、韓国の警察か検察を通過と、言うニュース、及び、フランスの右派、ルペン党首逮捕という事件が生成し、報道をされました。これも、この安野家に保存されているはずの私の赤いお財布に関連して起きているニュースであり、

 中日本高速道路のシステム異常も、同じであり、

 12日(土)起きた京都駅での、異物騒動で、新幹線が、東京駅で、二時間遅れで、出発したというのも全部同じでしょう。安野夫人(または、夫忠彦氏)の、実像を世間にさらされることは、CIAエージェントたちが、それほどに恐れていて、したがって、国民総体に、大迷惑行為を及ぼしているのです。心優しい私が、いやだなあ・国民に迷惑だから、書くのやめようかしらと、なって、書き方を抑えていくのを狙っています。

 日本国民に対しても迷惑だし、フランス一般人に対しても迷惑だし、韓国一般人に対しても迷惑だからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,「フランスを使うのは二度目ですね。シャルリーエブド事件、と、今回のルペン党首逮捕・・・・・でね。安野夫妻を助けるために、それを、フランス政府=フランス警察にやらせる人は、川名昭宣君でしょう』

 ただ、ルペン党首の逮捕劇は、久しぶりに、陰のCIA(大物)川名昭宣君が動きましたね。・・・・・ということを私に明らかにしました。

 私が今書いていることは、鎌倉市雪ノ下二丁目三番地と四番地にわたる、小さな問題を書いているみたいに見えますが、さにあらずで、CIA全体の、真実を表しているのです。世界中のCIAが協力しています。何に対してというと、安野夫人を救済するためにです。苦笑のみぎりですが、そういうことです。

 安野夫人というのは、ただ、ただ、私をいじめることで、国家から、給料をもらっている人間です。たぶん夫婦ともに高卒でしょうが(だから、道徳観とか政治に対する知識が皆無です)「、泥棒行為、特にひねって、行うところに関しては、天才的な、ところがある夫婦です。

 ただ、ちょっと、一般の日本語読み者(日本在住者以外にも世界中で、わたくしのブログを読んでいる人間はいて、後藤健二さん夫妻などアメリカで、このブログを読んでいるでしょう)には、理解できないかもしれないけれど、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ、本当は生きていますよ)には、ぴったりと、理解できているはずです。

 フランスは、実は北野武監督を持ち上げるという意味でも、大変大きく動いています。ルーブル宮殿で、彼が個展をしたそうだし、レジオンドヌール勲章だかも、もらっていますよね。

 そのあたりで、フランス政府に働きかけたのは、奥島孝康・元・早大総長でしょう。

 この人は、わたくしが、1998年パリで、親しくなった、女性アーチスト(たまたま、今、名前を失念している・・・・青森県出身であることが確実なのだが?・・・・それと、ギャラリーなつかの常連作家でもあり、2000年代は、一年半に一回程度、なつかで、個展をしていたので、ギャラリーなつかに問い合わせれば名前が、確実にわかるが、今は、土曜日の深夜で、それが、できません)に、お婿さんを紹介し、結婚をさせました。

 お婿さんの方は、二度目の結婚です。前の奥様が、病死なさっていて、二人が結婚した時に、ご主人の方は、50代後半で、彼女に対して適齢の人だったのです。女性アーチストのほうは、一生結婚しない予定だったでしょう。ところが、私と親しくなった。

 私の周辺に現れた、友人知人は、すべて、私とライバル関係にして、そちらのほうを上にすると、言うのが、CIA連中の大方針です。で、画家の中では、山川栄子さんが、急速に大物化し、もう一人クリスチャンを標榜している眼鏡をかけた横浜市在住の女流画家も、オランダで個展をしたとか、大物扱いを受けています。(こちらも古い神奈川女流展の、プログラムを調べれば、名前がわかります。が、今は、時間が惜しくてやりたくない) 

 で、パリ在住の青森県出身の女流画家に戻ります。青森県の魚屋さんのお嬢さんだそうです。これは、別ルートから入った話ですが、ただ、お兄さんも早稲田卒で、優秀な一家なのでしょう。こういう噂が、私に入るのは、彼女の特権ぶりを、へんねと考えている人がいるからです。

 同じ様にパリと東京を舞台に、両方で、活躍しているアーチストに、桐村茜さんがいます。桐村さんはちゃんと働いている。たくさん作品を作って、何十回も個展をしています。たぶん作品を売ることと若い時に、先生をしていた年金が入るので、今では、余裕を持った生活ができるでしょう。

 ただ、行動において、損得勘定をする度合いが激しいです。それは、わたくし以外の人にもわかるでしょう。で、桐村茜の悪口を言う人もあります。これは、作品に関して、「誰それ作家(海外の人)の真似だよね」というものだから、ちょっと厳しいよね。ただ、油絵ではないのです。立体性を持った抽象作品です。で、桐村茜さんに言わせると、・・・・・使っている素材が似ているから、アイデアを盗んだといわれているけれど、違うわよ・・・・・と、言う話だと思う。きっと、その通りでしょう。

 ただ、そういう噂話を流した男性作家は、過去に桐村さんから、傷つけられたことがあるのでしょう。

 私だって、桐村さんの早とちりには、あぜんとしたことがあります。彼女が小町通りにあった竹屋・画廊で、個展をしたことがあるのです。で、プロフィールを見ると、パリで暮らしているとあったから「私今度文化庁の在外研修制度で、パリへ行くことになった。何か、パリについて、教えてもらえると嬉しいから、今夜ごちそうしたい」と、言うと、乗ってくれて、山下飯店というところで、一緒に飲み食いしたのです。

 それの返礼として、パリで「私の版画工房を見せてあげる」と言われたので、日本で、使っていたOM(当時は、新横浜にあった)との、比較も見たいので、「ありがとう」と言って、約束の日にサンポールの駅から、シテデザールへ歩いて行ったのです。距離としては、250mぐらい。近い、近い。

 Cité Internationale des Arts というのは、海外から、留学してくる、美術系の人800人を、別々アトリエ付き、台所付きの部屋に滞在させることのできる大マンションです。で、別棟として、五階建ての画廊棟があり、そこにも別の人からお招きを受けました。が、庭に、かまぼこ兵舎スタイルながら、壁および天井が全部、ガラス、もしくはアクリルでできている版画工房があるのです。しかも、300坪ぐらいの広さで、同時刻で、200人ぐらいの版画家が、作業をできます。天井も高くて、明るいこと、明るいこと。さすが、美術の国フランス。

 この一帯の、環境を真似して、同じものを作ろうとしたのが、石原都知事です。だけど、実際にはできなかったはずです。

 でね、茜さんは、そこに所属していることが得意なのです。そのマンションに住んでいる海外の作家も使うのでしょうが、在パリのアーチストも使う可能性があり、そこのメンバーとなるのは、大変な競争率でしょう。それを勝ってきて自由にかつ安価な使用料で使えることが大得意なのです。で、いろいろな説明を聞いた後で、「茜さんって、版画展示していたっけ? 鎌倉の小町通の竹屋画廊であった?」と、不思議に思いました。

 ここですが、ごく、ごく、専門的なことを言うと、インクをつけないで、腐食してある銅板の凸凹だけを紙に移すエンボスという方式があるのです。茜さんは、小さな白い紙に、凸凹をつけ、それをさらに小さく(3cmX4cmぐらいに、切って、自分の四角い箱状の、抽象的立体作品のどこかに、貼り付ける、そういう作業のためだけに、シテデザールの工房を使っていたのかもしれません。しかし、それは、2025年になっていて、非常に多くの作品を見てきていて、ニューヨークに美大の大学院にも入り、ニューヨーク一古い版画工房にも入って、帰国後も日本の画廊外で、すさまじい数の抽象作品を見続けてきているので、わかってきたことであり、1998年シテデザールで、桐村茜さんから、素晴らしい環境を見せてもらったころには、

 版画というのは、浜口陽三・南桂子の作品をはじめ、紙に、印刷されているものだと、言う印象があるのです。特に私はへいたー方式という、特別にカラフルな作品を作っていたから、「ええーっ、あんなすごい工房」を使っている桐村茜の、版画作品をまだ見たことがないなあ。竹屋画廊の作品は、版画じゃあなかったし」と、思ったのです。でね。本当に単純に、彼女の版画を見たくて、「桐村さん、あなたが個展をする画廊を教えて」といったのです。

 すると、桐村さんが激高して、「私は、あなたに専属画廊を教えるほど、幼稚じゃあないわよ。私の長年の苦労を横取りされてたまるものですか」と、言って、アッと、言う間にサンポール駅の地下へ消えて行ってしまったのです。ものすごく驚きました。

 このブログの世界を長年お読みいただいている方には、わたくしが金銭的には恵まれて育った人間だと、ご承知でしょう。大学入学の時に、「あなたは、入試成績が優秀だから、本当は奨学金が出るはずですが、お父様が、日本の納税者の、上位6%以内に入っているから奨学金は出せません」と、言われたひとなのです。だから、桐村さんが誤解をしたような意図で、彼女が個展をする画廊の名前を知りたかったわけではない。

 だけど、パリの画廊は貸し画廊ではない。専属作家の作品を売って、生活を成り立たせている形式だから、専属作家は、30人以下で章。ある人が、新しく入ってきて画廊の主に気にいられれば、誰かが、捨てられるわけです。

 この話には後日談があります。半年後か、一年後、桐村さんが、例の竹屋画廊で、個展をしたのです。そのオープニングの日に、竹屋そばのおばちゃんから、胸ぐらをつかんで、小町通に押し戻されたのですよ。もう、具体的な暴力を振るわれたのです。あぜん・ぼうぜん、です。

 シテデザールからサンポールまでの、たった250mで、すれ違ってしまった思いを、修正していませんでした。私は神様を信仰しているから、神様が、本当のことをご存じであると、思うと、桐村さんに、「あなた誤解をしているわよ」と、言う必要はないのでした。それにその誤解を解こうとすると、桐村茜さんが、お金に困っているのだと、言うことを私が知ってしまったということになるではないですか?

 だから、何も修正しなかったのです。このおばちゃんは、150㎝ぐらいの小柄な人で、やせているのにもかかわらず、力持ちでした。そば打ちをやっているから? 今生きているとしたら、90歳近いでしょう。どうなったでしょうか? 竹屋画廊は閉鎖されており、竹屋そばも、我が家に近いほうは、消えていると思います。

 さて元へ戻ります。【待ちぼうけ】という歌がありますが、この桐村茜さんと、ギャラリーなつかで、個展をする、アーチストと、比較をすると、・・・・・まあ、これから先は、語らないでおきましょう。

 後者であり、今、わたくしが下の名前(多分ゆり子さんだった)しか覚えていないアーチストは、結婚した当時、お婿さんは、夏の甲子園の、朝日新聞側トップで、開会式とか閉会式で、何か、言葉を述べる人でした。ただ、この男性は、再婚後、割と早くなくなっています。

 ただ、このアーチスト二人と付き合ったのは、2005年ごろまでで、その頃は年金のことなど、一切関心がなかったのです。でも、82歳になった2025ねんという今は、あの、朝日新聞の偉い人と結婚した、ゆり子さんの方は、高い年金をもらっているだろうなあと、言うことを思うのです。棚から牡丹餅というのは、このことで、高い高い遺族年金をもらっていることでしょう。桐村茜さんと比較すると、お歌、待ちぼうけが当てはまるのは、なつかで、個展をする人の方ですかね。

 というわけで、この女流アーチストが、唯一、私に負けている点は、未婚だというポイントだったのですが、非常に上等なお婿さんをあてがったのです。しかし、甲子園の、高校野球のニュースを新聞で見ても、その人の名前など、浮かびません。

 ただ、大相撲壊滅作戦の時に、最初に、現れたのが伊藤滋氏で、メディア対応がヒステリックで、めちゃくちゃだったので、「伊藤玄二郎の異母兄でしょう。彼に引っ張り出されましたね」と、ブログで書いていたら、急に、辞任することになって、

 奥島孝康・元・早大総長が「大相撲ガバナンス何とか委員会の委員長に就任し、委員として、ワタミの社長やら、NHK解説委員山本某氏(サッカーの中継専門アナウンサーだった人)を委員として選任し、あれこれをやったのです。

 私は、これもわたくし狙いの謀略だと思っているので、それ以前は、何も知らなかった、奥島氏について、グーグル検索をかけてみました。すると、何とか諮問委員会というのを、30以上引き受けているのです。つまり、ものすごく威張りたい人で、かつ、お金大好き人間の模様です。奥島氏が早稲田実業・付属小学校の入学生徒の父兄に対して、寄付金を150万円程度募ったことが、ニュースになっていました。

 最近どういう活動をなさっておられるか? グーグル検索をかけると、早稲田大学のホーム頁に行き当たり、以下の記事を見つけました。

7月31日(水)、早稲田大学第14代総長・奥島孝康先生(2024年5月1日逝去、享年85歳)のお別れの会が、大隈記念講堂にてしめやかに執り行われました。

 でね。ルペン党首逮捕は、むろん伊藤玄二郎たちが、フランス政府にお願いをした案件でしょうから、奥島氏が、伝達者ではなかったわけです。2024年の、5月1日逝去とありますからね。

 となると、伊藤玄二郎らの発案をフランス政府に伝えて、ルペン党首逮捕にもっていったのは、川名君でもあろうが、もう一人、急浮上をしたのが、関本夫人の夫君です。フランス人です。それから、寺島しのぶの夫君なども、連絡係をしているのかもしれません。

 私は関本夫人と明るく声を出してあいさつを交わしますよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、「私は関本夫人と明るく声を出してあいさつを交わします。その場所は、安野夫人だけに聞こえる場所です。でね。例のごとく、井の中の蛙である、安野夫人が、その人間離れした小さな脳みそを駆使して、

 関本夫人と川崎千恵子は、仲良しであると、判断をして、警察(鎌倉警察署のしかるべき担当者か、

 この山の住民・山田氏に、告げたのだろうと、思います。山田氏って、もしかすると将来は、警察庁長官にもなるかもしれない、(東大卒かもしれない・・・・・)警察のホワイトカラー族です。

 だから、2025-4-6の、夜10時ごろ、雪ノ下郵便局前のポストに投函した、郵便を、高性能合いかぎを使って開けた、警察の人間は、その手紙と同じ内容のものを、関本夫人に、わたくしが出すだろうと推察して、関本夫人に、夜の2時過ぎに台所に立たせて、料理をさせたのです。

 関本家の郵便受けは、台所の調理台から、3mほどの位置にあるので、わたくしが、真っ暗ではないのにビビッて、手紙を投函しないだろうと、考えた連中がいるのです。

メモとして書く、安野家と警察・・ちゃま・・のリンク状態。特に25-4-4から10日までの私のお財布をめぐる戦いについて     2025-04-10 23:12:27 | 政治

 むろん誤解です。その経緯は、上の章に詳しく書いていますが、ばかばかしくて、ただ、ただ、笑うのみです。が、この現象で、警察は高性能合いかぎをもって、郵便ポストを開けるのだということがわかりました。それって、憲法違反ですよね。すごい。それをやらせるのが安野夫妻です。

 図書館の返還ボックスは、2016年4月にも盗まれて、2024年のほうは、盗まれていないのでしょうね。きっと、ただただ脅かしてやろうとして、「返還されていない」と図書館側がいったのでしょう。

 郵便ポストのほうは、鶴岡八幡宮の三の鳥居前の、T字路を渡るときから、不審な小型車が、段葛側に停車しているのには、気が付いていて、警察の車両だろうと、判断をしていました。

 どうしてそういう判断をするかというと我が家って、主人がずっとテレビを見ているので、まじめで、頭を使う仕事ができないのです。

 しかも主人って、子供で、共依存気味だから、わたくしがそばにいないと、機嫌が悪くなるタイプで、したがって、夜の11時ごろからしか頭を使う仕事ができないのです。

 しかし夜の11時から手紙を書き始めるわけにはいかないのです。だって、我が家って、山ノ下へ、ごみを捨てに行くだけでも、泥棒が入るのです。

 だから、主人が起きている間に、雪ノ下郵便局に行かないとだめなのです。中からチェーンをかけてもらわないといけないからです。

 でね。6日の夜は、後で、文句を言われてもいいからと、思って、一階で、夜の九時から仕事を始めました。主人は私がお風呂へ入っていると誤解をしたらしくて、一回も確認に来なかったのです。でね。この時点では最初の一通を書くわけです。それが、鶴岡八幡宮様への一通です。

 鶴岡八幡宮様は、安野夫人と、平木夫人合同のお願いとして、神域内の一本のケヤキと、電線が接触しそうだから、一本切ってください」と、言いに来たことを受けて、山一つ丸裸になさったのです。

 その真相は、2020年4月に詳しく書いています。実際は、我が家の崖を崩してやろうとする、悪意満々のたくらみ事でした。

 下の写真をご覧ください。何本もの大木が伐採されています。真ん中に、奥が暗いところがあります。そこの上が我が家です。したがって、この樹木類伐採は、高圧線とかとは、ほぼ、無関係であり、

 本当の狙いは、我が家の地盤を弱くすることでした。非常に悪辣な欺罔です。欺罔とは法律用語で、言っていることとやっていることが違うということを指します。

 この写真の場所は、高圧線はなくて、、ただただ、我が家を苦しめてやろうとするのが、本当のことなのです。しかも、それを、2020年4月いっぱい、丁寧に丁寧に書いています。リンク先は今は、示しません。

 もし、鶴岡八幡宮の神官、龍村さんが、そこを、「お読みになっていないとすれば、今回は、プリントアウトして持っていくつもりでした。しかし、最初から、「道義的な意味での、責任を問います」とぶち上げると、八幡宮側の実務処理担当・上級神官、龍村さんだって、気分悪いでしょう。だから、それを伏せて、しかも、彼が、非常に安野夫人を好きだというポイントは使わないといけないのです。

 「あなた様は、安野夫人と、非常に親しくていらっしゃいます。また、安野夫人を高く評価なさっておられますよね。だから、今、2025年1月28日以来、安野夫妻が、キープしている私のお財布を、返していただける様、お宅様の権威を使って、依頼してくださいませ」という趣旨の手紙を一筆箋二枚にまとめるわけです。

 しかも、前・中・後の構文が、おかしくない様にまとめないといけない。

短くまとめるほうが難しいのです。40分近くかかって、やっと完成し、外出用に服を着かえます。で、郵便を出しに行くことは音声では言いたくないです。我が家の電話も室内も盗聴をされていて、郵便を出しに行くと言ったら、警察がすぐ、ポスト前で、待機していて、郵便を盗むはずだと、考えていました。そして、関本夫人が、午前二時にお台所に立つという現象で、わかったのですが、その通りになりましたね。

 合計六軒にお手紙を出して、特に最近、強烈に反抗心を示している大原光孝さんと、渡辺夫妻からは、返事がありませんでしたが、ほかの三軒からは、返事が来ています。「私は、あなたの依頼通りには、動けません」という返事ですが、それで、わたくしががっかりしたり悲しんだりするわけではないですよ。

 だって、わたくしが手紙の相手として選んだのは、最も安野家と近い人たちです。返事が悪いのは、想定内です。「お財布を返すことに協力をしてください」と頼んでも、決して言うことを聞いてくれないだろうということは、最初から想定内です。でも、リアルな戦いを始めるにあたって、こういう風に安野家に近いところから、始めるのが、楽なんです。中間に立っているなあ。いい人だなあと、思っている人から、拒否されたらいやじゃあないですか? だから、絶対に拒否してくるだろうという相手だけ選んでいるのです。でも、処理スピード、返事の字の書き方、そういうもので、いろいろ、わかるポイントもあり、それは、望外の余得というものです。

 でもね、その六軒以外にも、安野夫人は、絶対に質問をするでしょう。「あなたの家に手紙来た?」って。だから、その六軒以外にも手紙を書いてだしています。お財布に関しては、何も触れていない手紙です。

 それを全部完成したのが、7日の午前二時なのです。で、山の住民に配り始めるのですが、」しかし、ここで、6日の夜、9時40分へ戻ります。

 ともかく、黙って外出したい。敵に郵便を出すつもりだとは悟られたくない。でも、チェーンをかけてもらわないといけない。で、紙のメモに書いて主人に渡しました。ところが、全く通じていないのです。

 この原因は、育った家庭のカラーの違いと、育った街のカラーの違いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、「私は日吉で育った。この街は、駅から、300mいないだと、夜の12時過ぎまで、ロータリーから延びる5本の道全部が明るくて町中が煌々と、電気で明るい。主人のほうは、戦艦大和を作ったことで、有名な呉の街で育った。呉のほうが人口密度は高いと思う。主人も、海から山の上まで、一戸建て、住宅がびっしり立っている、宮原三丁目というところで育った。そこは、呉の中心街(商店街)からは、距離があり、町の道に人が往来するということもない。呉造船所からは、歩いて、40分ぐらいだから、6時以降は誰も街を歩いていない。そして、主人の父は、造船所から、まっすぐ帰宅をして、ビールを飲んでテレビを見て、後は寝るだけだ。で、呉の家の一階は、夜九時には真っ暗で、しーんとしてしまう。二階は、子供たちが、勉強をしていて、電気がついているとしても一階は、真っ暗だ。

一方わが実家のほうは、ご近所の大人たちは、呉の様に、石播(IHI)、一社に勤務しているという形ではない。で、別々の会社からの帰宅なのだけれど、東京なので、ご近所の誰もが帰りが遅い。6時前に帰ってくる人などいない。

 私の父もたいてい、10時過ぎの帰宅である。お隣もそうだ。お隣は、お酒だそうだ。居酒屋の、おっちゃん連中と飲むのが、気が晴れるそうだ。ヒルマの難しい仕事で、神経を張り詰めるからだそうだ。

 うちの父はお酒は飲まない。カフェ文化だ。だが、いろいろな、グループに参加をしていた。洋画の公募団体展が二つ、そのほか、仏教の会とか。社交ダンスの集いとか。これが、サラリーマンとは違って、小さくても社長だから、出費を気にすることがない。だから、毎晩社交生活で、横浜か、東京の中心で、九時まで過ごして、10時に帰宅をして、母の作った夕食を食べる。

その後、11時から、一時間程度油絵を描く。だから、二階と、一階で、電気が消えるのは、ほぼ、同時刻となる。母は、親戚のホテル代わりになることを、嫌がらなかったので、お客が来ると、大人同士が、社会のことについて、ものすごい活発なおしゃべりの会となる。で、小さいころから、それを聞いて育った。だから、勉強しなさいと言われたりしたことはないが、小学校一年生の時からお成績は良かった。

 結婚前は、夫と私の、実家の家風の違いなど、全く分からなかった。私にとって、夜12時に帰宅するなどというのは、全く普通で、異常でも何でもない。手紙を出しに行く必要があるのだったら、夜の、9時45分に家を出るのもごく普通のことだ。

 だが、主人にとっては、普通ではない。

 ここで、主人とけんかになり、どうしても外出しにくいので、つい、「郵便を出しに行くのよ」と声で言ってしまった。それが、盗聴をされて、雪の下郵便局前で、待ち伏せをされたのだった。ただ、以前より警察も頭がよくなったらしくて、雪ノ下郵便局から、から北へ、30mぐらい離れたところで、トイプードルを抱えた婦人警官の車に待機させていた。

 むろん、彼女が、合いかぎを使った人ではない。

 だろう。彼女の車は、合計20分以上停まっていた。夜桜を撮影する目的で、とまっていると、言うことになっていたらしい。だが、私が車の中を覗き込んで、にっこり笑ったり、その後、車の後ろ10mのところでずっと、車を見つめていたりしたので、やむを得ず、発車して、警察署に向かった。と、推察している。それが、夜10時、20分ごろだ。

 そして、誰かと交換して、数人でやってきて、ポストを他者の目から隠して、合いかぎを使ったと、推察している。ここで、突然にシステム異常が起きたので、女性一人が、ことを実行したのではなくて、待機した女性とは、別の警官が、数人で、訪れて、ことを行ったと、考えている。

で、そこから関本夫人が,午前二時にお台所で、本格的な調理をしているのを見ることとなるのだが、

 これが、6日の夜のことだが、10日(木)の夕方、その婦人警官と同じ女性が、、「見破られたことに責任をとれ」、と叱られたのか、それとも、わたくしの頭脳程度を試すためか、

 いつもよる、カフェ・デリフランスで、店員をしていたのだった。ああ、ばかばかしい。警察ちゃんって、そんなに「頭が悪いのですかねえ?」こそこそ、こそこそ、小さな謀略を積み重ねていて。それで、ことが終わると思っているのかしら?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メモとして書く、安野家と警... | トップ | 歌舞伎座休演 本当の理由は... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

政治」カテゴリの最新記事