銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

野見山暁治氏と、西村富弥氏は、国際的軍産共同体と関係がある△

2011-08-16 22:46:49 | Weblog
 本日は、8月19日であり、やっとこの一文の一応のトメとします。14日ごろから、一部をメモとしてあげていますし、それをメモ段階でおよみになっているかたは、本日の分以降のものも、うっすらと内容を、ご存知ではありましょうが、今日は、文章の起承転結がまとまっていないことさえ、恐れず、一万字を超えたところで、バシッと切って、終わらせていただきました。それでも、平気なのは、書いてある事柄が、衝撃的だと思うからです。

 ここに書いてあるような事は、一切、表向きには発表をされていません。だけど、真実です。血反吐を吐くような苦しい生活を銀座で重ねてきていますので、こう言うことがわかります。ただ、野見山暁治さんについても、西村富弥さんについても、この章の中には、10%ぐらいしか、含めていません。後の90%は、後日に回します。

 ただ、アーチストとして生きるにあたって、は、むろんのころ、両刃の剣という以上のものとなりますから、最初の題を以下のごとくとしておきました。

 『四分五裂に、引き裂かれる私だが、・・・・それなら一気に、えいやっと。』と。それは、いよいよ、奥の院中の奥の院へ入っていくからです。今日の部分もほんの導入であります。
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 上は、本日19日に新たに、書き加えた前置きです。
 しかし、この章を最初に書き始めたころは、以下の前置きを置いていたのです。
 それも、どうか、お読みいただいた上で、この文章へお入りいただきたく。

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 さて、この一章も前からの続きであり、フェイスブックの世界で、とことんに追い詰められたが、それは無論、国際的軍産協同体が絡んでの話でありと、・・・・・言う論考の一部です。それを証明して行く話なのです。
 が、ここに書こうと思っていることは、一週間前の、思いつきなので、世の中も私も相当に変わってきていますが、ひたすらに、前の現象から考察したことへこだわりたいです。というのも、ショパンだってあっという間に頭の中ではできた作品を譜面に移すのに、二ヶ月ぐらい七転八倒したと、聞いていますし。

 ブログとしての、効果を挙げるためには、実名をタイトルに入れたほうがいいのですが、それでも、私の優しさから、タイトルには、抽象的な文言を使います。
 安全に書き進むために、部分的に公開をしては行きますが、最終的な完成は、18日の午前中を見込んでおります。それより前に完成すれば、タイトルに△印を入れておきますので、三角印が入っていたら、もう一回覗いてやっていただけますれば幸いです。

副題1、『山本冬彦さん、大活躍をする』
副題2、『山田啓貴さんも、残酷でしたね』
副題3、『野見山暁治と、西村富弥・・・・・そして、山口みつ子』
副題4、『屋上、屋(おく)を重ねるの類』

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副題1、『山本冬彦さん、大活躍をする』

 前々報に、『山本冬彦さん、登場す』という項目を挙げました。しかし、こちらではさらに、氏が活躍をしているということを報告しなければなりません。1、大学で教える。2、さまざまな企画展を提案なさる。3、ご自分のコレクションルームを持つ(それは、ある意味での画廊である)、4、新しいコレクションを増やすために画廊めぐりをする。5、銀座とは離れた、場所で、暮らしている人たちに対して、書物の紹介などの啓蒙活動もする。エトセトラ。

 で、私が、『山田啓貴さんとのチャット内容を、外からハッキングをされているのではないか』と、気にした、次の日に、山本さんが、ご自分の企画展の情報を公開して、そこに山田さんの名前が出ていたので、ドキッとしました。それは、7月の17日ごろのことで、実際の展覧会の始まる前、かつ、下流の宴の、最終回の前のことです。その展覧会の場所は枝香庵。

 で、ここからは、表、と、裏と、二重構造として、書き進めます。

 表は、一般の人が、「こうなんじゃあない」と提言してくれるだろう真実。
 裏は、私が信じる、真実で、言論弾圧のために、作りこめられている現象を含んでの真実です。

 で、私としては、無論のこと、裏を重視して書き進めます。ただ、それを後で、表の世界の人たちが『違うわよ。それ』と、否定する事があるのは、察知し、覚悟をしながら書き進めます。

 表・・・・・山本さんが、以前から企画をしていた、枝香庵の展覧会では、フェイスブックの会員の出品が山田啓貴さんだけだったので、山田さんの名前だけがそこに登場した。

 裏・・・・・『チャットに気がついたと言うことを、知らせた方がいい』と、謀議を凝らした、例の弾圧集団が、考えた。で、しかるべき人を通して、山本さんに、山田さんの名前を、入れて、改めて情報を流すように、頼んだ。

 皆様は『それが、どうした』とおっしゃるでしょうが、神経を消耗させると言う意味では、これほど、効果の挙がる方法は無いというほどのタイミングだったのです。

 で、私はその情報に接した途端に、『山田さんとは、切れましたね。彼には一切を期待しないこと。道であっても、挨拶さえされないことになっても、うらまないこと。だけど、チャットをハッキングして、こうなるのだから、本当に人権侵害だな』と、思ったことです。
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副題2、『山田啓貴さんも、残酷でしたね』

 さて、私がフェイスブックの世界へ入って、もっとも、マイナスだと感じたのは、友達が増える事が、自らの行動をあいまいにさせて行ってしまうことです。純粋無比で突っ走りたいのに、いろいろな、知遇関係ができて、相手から信頼されることで、急に現代アートの世界との接触が復活してしまって、それなりに、不純になると言うか、なんという、か、ライターとして、独立不羈で、突っ走る事がやりにくくなるのです。

 私は三月いっぱいまでは画廊めぐりを継続していましたが、四月からは、家に引きこもり、このブログを充実させることにひたすら努めておりました。そこへ、どっと押し寄せてきたフェイスブック関連の情報が、ほとんど、「個展に来てください」とか、「東京アートフェアーに参加します」という情報だったから、見に行かなくてはいけないものができてしまい、それで、すっかり、ペースが狂ったのです。
 その上、ちくちくと、神経を痛める、友達未承認が起きましたでしょう。宇留野さんとか、中沢たい子さんとか。それも神経を使いますしね。
 しかし、決定的な引き金を引いたのは、枝香庵のマダムでもあるが、山田啓貴さんでもあったのです。意外と彼は残酷な事をやりました。

 熱血、予備校・講師として、生徒を、叱咤激励をしていたそうだし、写真では、俳優の遠藤憲一に似ているから、男性的であり、『きつい態度を取るのが好きだ』ともいえるし、『裏からいろいろ聞いて、そういう風に動くべきだ』と彼が思ったのかもしれませんね。

 表、・・・・・紳士である山本冬彦さんから、お誘いが出ているのだから枝香庵に行くべきだ・
 裏、・・・・・これは、違う。すでに、山田さんは敵側に取り込まれているのだから、接触はしない方がいい。

 の二つの判断のうち、もちろん私は後者を選んで、7月20日のNHKドラマ『下流の宴』の放映が30分ほど、遅れた、あとも、「それに気がつきましたか」とも、また、「どう、思われましたか。あなたと、遠藤憲一が似ていると言う話も」などとは、山田さんには問い合わせませんでした。チャットができることもわかっていましたし、チャットでなくても連絡がつくのですが、一切の連絡を、こちらからは、入れませんでした。

 この点ですが、「せっかくできた新しい友達を、たった、一日で奪われた」と、泣き言を言ったって、敵はあざ笑うだけですが、

 ただ、これが、人間世界のこととしては、絶対に、普通ではないということ、それと、こう言う諜報と謀略にのっとって、小沢一郎という政治家は大きな顔をしているということは、ここで、はっきりといっておかないといけません。
 私が、時分が損になるだけの、上のような文章、また、これから、下に書くような文章を書くのは、すべて、この国の将来を心配しているからです。

 私は、本日登場する名前の人たち、全部を、『ふん、弱い人たちですね』と、考えていて、やはり、深い自信を抱き続けているのです。自分の使命についてはね。人間として、上下関係があるとして、こちらが上だといっているわけではありません。ただ、持っている使命に関しては、こちらが上だと、感じているということです。

 で、下流の宴、が、終わった次の日のことです。山田さんがフェイスブック上で、新しい情報をあげました。

 山本冬彦さんの企画展(枝香庵)に、引き続いて、グループ展が、ニッチギャラリーであるとの事。今度は山本さんからではなく、山田さんが発信者として、情報が流されました。
 後で、詳述しますが、ニッチギャラリーのオーナーは、私がもっとも苦手とするタイプで、氏かも、単なる感情の問題ではなくて、国際的軍産共同体の代弁者としていじめてくるところがあるから、どこで、グループ展を山田さんが、するといったって、ここほど、ダメージが大きいと言うところは無いというほどの、画廊なのです。

 表、・・・・・ニッチギャラリーのスタッフ、川瀬さんが言うところによると、この展覧会は、山田さんたちが、企画をして、持ち込んだもので、ニッチギャラリーのオーナー、西村さんは、主役ではないそうです。

 裏、・・・・・『嘘ばっかりいって、あほらしい』と私は、思っています。ものすごく深い内容のチャットを私と、交換したからこそ、山田さんに、こう言う果報がきたのです。二人の当事者のうち、私ではなくて、相手の方だけを持ち上げることで、私の方の気分を暗くしていくのは、彼らが、数百回繰り返してきた(常套)手段の一つです。

 で、私の方のパソコンを覗き込んでいたのは別人でしょうが、それから先の行動を提案しh他の派、今回だけは、西村さんでは無いかと思います。
 ハッキングをした主体者から、情報が入れば、西村さんは、すぐ動いたでしょう。で、そこの画廊はしょっちゅう、休んでいて、普通の意味での、貸し画廊の体をなしていないから、急に山田さんの展覧会を入れ込めるのも簡単だったのでしょうね・・・・と言うことです。

 ここらあたりまでで、すでに、山田さんは相当に、残酷な事を私に対して、やっているのですが、それでも、それは、山田さん自身の企図でも罪でも、ないのです。

 ところが、その宣伝を見ても、一切個人的な連絡を彼に入れない、私に『めいらせたかどうかの効果』の程を確かめるためでしょうか? 山田さんから、だいぶ遅れた形で、『下流の宴』に関するメッセージが届いたのです。チャットだったか、違う形だったかは覚えていませんけれど。

 その時に『残酷だなあ』と思いましたよ。試すような、誘い掛けでしょう。何を試すかと言うと、私が、どのくらいダメージを受けているかを試すためにです。

『ひどいな』とは思いました。だって、最初のチャットが、たった20分程度のうちで、6300文字です。別にコピペをしてもありませんでしたが、今、退会をいったんしてまたそれをキャンセルして確かめたのです。そして、念のためにコピペをしました。ものすごく高度な内容です。しかもすさまじいスピードです。印象が濃いものです。それだけの事ができる人ですから、ドラマに関する連絡など、充分に当日にできるはずです。でも、付き合わないように教唆された結果、普通の意味での、また、普通の形でお、素直な連絡は彼もまた、できなくなったのです。が、それでも、それならそれなりに、それで、放っておくのが親切というものです。三日目に、連絡をくれるのは、
 古傷をえぐると言う大変残酷な措置です。
 軽く、さりげなく応答はしておきました。
が、その時、私は、西村さんへの、深い疑念が沸き起こったのです。ここ、一年間は頭にその存在が浮かんでこなかった西村富弥さんに対する深い嫌悪感と、疑念が沸き起こったのです。つまり、この山田さんを使ったいじめ工作には、西村さんは確実に関係がある。それが、どの程度の深さなのか。そっちを追求する方が、が大切だと判断をしました。

 で、私は、山田さんは、心の中から、放り投げて、忘れることにして、心は、100%、ニッチギャラリーに向かいました。

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副題3、『野見山暁治と、西村富弥・・・・・そして、山口みつ子』

 私は本当に長く、銀座の画廊めぐりを続けてきているわけですが、ニッチギャラリーの、西村富弥さんほど、肌合いの会わないタイプもありません。

 ただ、今では、その裏に政治が絡んでいる事がはっきりわかってきています。西村さんが九州産業大学で、学んでいた時代に、野見山暁治さんと、関係ができていたとすれば、それは、感情の問題ではないのです。

 野見山さんが、これまた、最大級のレベルで、国際的軍産共同体に取り込まれている存在です。酒井忠康氏と、どっちこっちを言わないほどの、エージェント化しているとも思っています。

 野見山さんは、ギャラリー山口のオーナーみつ子さんの死亡と相当に関係があるとも、私はにらんでいますが、・・・・・・
 フランスで、お勉強をなさったみたいですが、ついに、キリスト教精神は身に付かなかった方なのでしょう。原罪の精神は微塵も無いし、ヨブ記で書いてあるような謙虚さも無い人です。

 この人もまた、お顔が美形で無いことで、カモフラージュをしてしまっていますが、一種の悪人です。お顔が美形では無いから誠実に見えるというパターンは、井上ひさしと同じですね。庶民はころっとだまされてしまいます。

 いま、WIKIPEDIAを見たら、野見山さんの出自が、そこには、書いていない。「国際的軍産共同体が、かばって隠したな」と思いますが、炭鉱を経営していた父君の事も書いていないし、その上の代のことも書いてありません。先祖が、どういう人で、どういう暮らしをしておられたかはわからないが、炭鉱労働者の膏血を絞ったお金で、芸大で、学び、フランスへ留学をしたのが、ご本人です。

 そこに対するまず、良心の発露が見られません。変ですね。芸術家って、繊細なはずなのに、そこがすっぽりと抜けている。文章まで書く人なのに、そこがすっぽりと抜けている。対照例として、見事なのは、宮沢賢治です。それから、太宰治も、ちょっと、変化が付いてはいるが、大地主の出自であることを恥じる、精神があった。つまり農民を搾取しているからです。それに対する良心の根源からのやましさを自覚していました。

 それらの、過去の天才たちに比較すると、野見山さんの方は、生存中から、大変な大物扱いを受けているものの、ご自分に対しての追及が甘い。はしょっていると言うか、何と言うか、不誠実であるというか、何というか。だけど、そういう人だから、カリスマ性を持って祭り上げられることが平気なのです。炭鉱夫と言う奴隷階級に近い種族から比べれば、数段上の階級だとして、威張りかえる事がまったく平気の平左であり、カリスマとして奉られている音に対する恥じらいとか、何とか言うものが一切そとには、見えない人です。

 そこが、萩の士族階級の出である私なんか、信じられないところなのです。どうしてかと言うと、江戸時代であっても、士族階級のサラリー(ろく)と言うのは実は税金であって、威張っているようでいて、威張ってはいけないと言うのが身にしみてあるのです。

 上士だったと聞いています。つまり、毛利藩内では、内閣を形成する立場だったとも。だけど、他人に対して威張るなどと言うことはありえないのです。
 お蚕様を着る事ができるのも、お米を毎日食べる事ができるのも、働いてくれる人がいるからだと、言う観点を失ったことはありません。上流階級といわれる人ほど、他人に食わせてもらっているのです。それゆえの感謝を天に対してもち、絶対にいばったりは、しないこと。

 だから、自分で、カリスマと呼ばれることを受容して、威張っている野見山さんを見ると、恥ずかしいのです。見ていて、たまらないほど、恥ずかしい。
 そんなことはとても恥ずかしいこととして、家庭内で、忌み嫌われて来たことです。
だから、ギャラリー山口で、5,6度であった野見山さんに対しても、ほかの人が
神を敬うような態度をとっているのを、恥ずかしいことだなあと思ってみていただけですよ。
 ここで、挿入ですが、「美術界のおんたいを、これほど、けなして、あなた、大丈夫」と読者のあなたは、おっしゃるかしら。ええ、平気なのです。ここに書いてあることは、ほんの30%ぐらいですから、野見山さんが、やったきたないことの、70%は、まだ書いていませんから。それを、全部書いたら、彼は、グーの音も出ないはずですよ。このご近所の石川和子、柳沢昇夫婦、並みに汚い事がいっぱい出てくる身でしょう。アノ人は。

 で、そういう悪いことを、・・・・・『これは、誰も知らないことだ』とか、『ばれるものか』と見くびって、平気で推進していると、突然に、とんでもない遠方で、八幡宮様の大銀杏が倒れることとなるのです。野見山さんがやっていることは、この核燃料売りつけ側のエージェントの言うなりになっていると言うことと同じだから、天がお許しになるはずが無いのです。

 山口みつ子さんが亡くなったことも、その手の天のお叱りのサインのひとつなのに、その後、ちっともこたえた風情を見せないで、テレビに出たり、新聞紙上にでたり、平気ですよね。その際、顔に何のイタミもカナシミも、現れていない。驚くべき鉄面皮だ。

 そんな人と仲良しであり、薫陶を受けているとしたら、西村富弥さんも、中身はスケスケの可能性は有ります。

 でも、二人は、表面的には師弟関係が無いと、見せています。交流が無いと見せています。でも、西村さんが、芸大の大学院へ、入学したのは、絶対に野見山さんあたりと関係があるでしょう。
 なぜ、二人が、内々の慎密度を、秘密にするのか?

 もし、二人とも、フリーメイソンだったら、それは、大いにありうることです。

 西村さん、ご自身の収入は、画家と画廊を合わせても、決して多くは無いはずです。でも、お金持ちみたいなので、祖先の遺産があるのだと推察します。まとまってもらってもすぐなくなるものだから、家作(賃貸マンションを数棟、持っているとか)があるとか、祖先が開いた学園の理事として、顧問料がでるとか、祖先が開いた会社の、大株主として、それ相応の収入があるか、どれがあたっているかはわからないものの、何か別途収入がある人でしょう。そういう裏があって、あなたが大金持ちだとしたら、あなたがフリーメーソンへとすでに、リクルートをされている可能性は、深いですね。

 大金持ちであることは、フリーメーソンへと勧誘されるための、まずは第一条件です。で、野見山さんも、西村さんも、フリーメーソンだとしたら、お互いに疎遠な振りをすることは大いにあり得る話です。だって、日本のフリーメーソンとは、今現在は、核燃料の輸入を引き続き継続させることに奔走しているはずで、それは、国民に対する裏切りの一種でもあるから、後ろめたさもあるわけで、隠密裏に行動をしているはずです。

 で、二人の間で、この一件が相談をされ、この機会を利用して、『川崎千恵子の、気をめいらせる案が練られた』と言う可能性は大いに有るのです。
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副題4、『屋上、屋(おく)を重ねるのこと』

 お若い方はご存知かしら。屋上、屋(おく)を、重ねると言うことわざを。屋根の上にさらに建物を作ることです。不思議なことですが、枝香庵のインテリアって、まさにそれです。ビルの屋上のエレベーター塔を、あたかもカタツムリが、エレベーターを巻き込むがごとくにメゾネット形式の四つの部屋とヴェランダで、囲んである形式です。

 しかし、ここで、使う意味は抽象的な概念のために使います。つまり、過剰だということ。何が過剰かというと西村さんが回りに、自分を先生と呼ばせていることです。もちろん理由が推察できないわけでもない。それは、彼の学歴が高いところにある。
 銀座の画廊のオーナーのうち、大学院まで出ている人は少ないと思いますし、ましてや芸大の大学院まで出ている人は少ないから、西村さんは、突出して高学歴だと言うことになります。

 だけど、一方で、『先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし』と言う言葉があるように、ふんぞり返っている、田舎ものである子とをも、自らあらわしかねない、とても、危険な言葉でもあります。仕事の場は、田舎ではない。銀座です。かえるの王様じゃああるまいし、銀座の画廊のオーナーですよ。その仕事自体に、ある種の名誉と、品格がすでにある立場です。黙って座っていても人が尊敬してくれる立場です。

 それを、どうして、先生と呼ばれることで、確認しなければならないのだろう。私は、そこに、徹底的な違和感を抱きます。まあね。奥様方に向けたカルチュアーサークルの先生をなさっているのは想像ができます。
 だけど、そういうこととは無関係な男の人も先生と呼ぶ。変だぞ。それって。

 で、この件から、『彼が、信念やら、思想やら、哲学を、本当に学んだかしら?』という点を、疑うこととなるのです。日本の大学に通っていて、当時のフラワーチルドレン(大学紛争他)を経験した人間で、こう言う態度をとる人間がいる事が信じられないのです。それとも、芸大って、ただ、技術だけを教える大学だったのかしら?

 一方で、私は大変にアメリカナイズをしているところがあるから、アメリカの大学の教授が、自分をファーストネームで呼ばせることにも慣れているわけです。マイクとかチャッドとか、短縮形で呼ばせます。アメリカでも学者になるのは、実家が裕福で無いとなれないらしくて、苗字を見ると、大財閥系の名前です。しかも、背が非常に高くて、やせている。これは、アメリカの上流階級の特徴です。かれらは、内心の誇りはともかくの事として、フランス革命や、アメリカ独立戦争の精神を具現化するべきだと考えています。民主・平等、博愛の精神を具現化しようとつとめています。

 ニッチギャラリーに初めていった日に、紹介してくれた人が、『待っていてね。終わるまで』といったから、普段は二分で画廊を辞する私が珍しく、30分以上そこにいたのです。それで、以上のようなことを、観察してしまって、強烈な違和感を抱きました。つまり、『屋上、屋(おく)を重ねるの典型だわ。銀座の画廊のオーナーって、十分に尊敬される立場なのに、それ以上の物を求めるなんて、・・・・この人は年齢にはまるで、似合わない程の、子供っぽさを残しているのだわ。その原因は何なのだろう』と、考え込むのでした。
 待たされている間、片隅の大つぼに生けてある、50本ほどのカサブランカをスケッチさせてもらいながらも、常に、思考することをやめない私は、上の疑問にまで達したのです。
 その後は、紹介者の人柄の良さと、スタッフの川瀬さんの人間として(または、キャリアーウーマンとして)のできのよさに惹かれて、時々行っています。
 あ、ここで、ちょっとした、スピンオフとなりますが、画廊のオーナーがわがままだったり、こどもっぽかったりするケースでは、見事に人柄の良いスタッフがサポートしているものです。村松画廊しかり。

 それと、後にそれと、広尾のユダヤ協会でグループ展をなさったの。その時の広尾から青山までのお散歩を、ニカイほど、エッセイに書いた事があるのです。お散歩は一回だけだったのですが、青山墓地周辺に印象が濃い事があってね。で、二回目にそれを、書いた途端に、篠山紀信氏へのアトリエ家宅捜索というのが起きるのです。青山霊園で、ヌード撮影をしたと言う件で。この件は一回詳しく書いてありますので、今回は詳述しませんが、ともかく、それも、私を脅かす目的で作られたニュースです。その直後のアサヒカメラで、篠山紀信氏特集があり、彼には一切のマイナスが無い事件でしたから。

 その事件は、井上ひさしが、ほぼ、100%のレベルで、企図したものだと感じています。が、きっかけが、ユダヤ協会へ行ったことなのですし、そこへ導入されたことは、ニッチギャラリーの展覧会ですから、そのころより、西村さんを、フリーメーソンとか、エージェントの役目を果たしている人であろうなあと、規定をしていました。もちろんのこと、外部へはこれは、公言しませんでしたが。と言うのも画廊内では、2004年ごろは
まだ、普通だったものの、2009年ごろから明瞭にいじめられるようになっていて、いやな感じだなあとは思っていましたが、でも、それは、西村さんの個人的な資質が、問題になる段階ですからね。

 内心では、・・・・・ああ、国際的軍産共同体に、絡んでいる、人間は、みんな威張りまくるのよね。だから、彼が、その一派である事がこちらにはわかるのに、無用心にも、連続して、かつ、調子に乗って、威張りまくること。でも、これって、鎌倉・ご近所の、石川和子+柳澤昇に代表される連中と、そっくりだけど、こんなに威張りまくっていて、人を単純にもいじめていると、いずれ破綻が来ますよ。あなたが、何らかの大失敗をすると、消されちゃうことさえあるのですよ。癌検診を利用して、ガンだと宣告をされた後で、病院で・・・・・などと思っていたことでした。

 だからこそ、フェイスブックでのチャットの関連で、山田啓貴さんと、私が内容として非常に深いレベルまで達して、盛り上がったことを、ハッキングにより知らされて、アイデアを、あなたが、練りましたか? または、井上ひさしが、練りましたか? ともかく、私を、心理的に苦しめる作戦にあなたも噛んで行きましたね。

 時には、無線ラン機能を使って行われている、私のパソコンの内容が、西村富弥さんにまで、生の形で、届いているのかしらと思ったりしますが、そこまでのことはなくて、多摩美の縁で、今回は西村さんが、表舞台に、立つこととなったのでしょう。西村さん自身は、多摩美と縁が無くても、ご親戚の縁で、関係がありますので・・・・

 それが、7月の21日から22日にかけて、山田さんから、公開されたフェイスブック紙上内での、ニッチギャラリーの彼のグループ展の案内です。

 さて、上は長々と書きましたが、一種の裏側と言うものです。今回の諸現象はすべて、裏と表があります。巧妙にも、ご自分に、罪とか、責任がかかってこないように、正当に見える理由が用意されています。

 で、上の山田さんのグループ展は、山田さんの方から、持ち込まれたということとなるようです。このことは、あとで、とても、重要になってきますので、ここで、きちんとさらして置きましょう。
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 この後、西村富弥氏、山本冬彦氏、枝香庵などのなぞを解いていきます。途中、寄り道をいっぱいするでしょう。

 美術界で、いじめられきってきた、すさまじい被害も、ここまで達すると、映やっと、居直っちゃいます。損得抜きで居直っちゃいます。それで、どうなるかと言うと、どうして、最悪の物質である、核燃料の輸入を拒否できないかの、なぞが解けるからです。

 今の日本と、日本人にとっては、それが、とても大切なことだからです。
また、これはとても小さなお断りですが、先ほど来、一時間ほど、山本冬彦氏を体tごるに入れた、文章(メモ)が公開されてしまっていましたが、あの中の山本夏彦氏は、これら、一連の国際的軍産協同体とは無関係な人物です。
 山本姓の、違う人物と混濁していました。

 では、2011年8月19日          雨宮舜(本名 川崎千恵子)
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