銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私の方が、同時刻に音楽会の切符を持っていたから、伊藤玄二郎は講演会を13日午後二時からに設定しましたね

2024-07-13 18:21:52 | 政治

副題1、『伊藤玄二郎の、最大の、武器は、タウン誌【かまくら春秋】でしょう。ほかにも、いろいろ武器を持っていて、最近、この世界で話題になっている歌舞伎座も、彼の武器だし、ご近所人間、中谷家の遺児も、彼の武器だし、安野智紗夫人や、前田清子さん、白井ひろ子さんも彼の武器だし、銀座の画廊のオーナーだった栗田玲子さんも、彼の武器だし、川喜多記念館【鎌倉】も、彼の武器だし、何よりも、松尾崇鎌倉市長を言うなりにできるということも彼の武器です。

 なお、栗田玲子さんは、ヤマザキマリを、自由自在に動かすことができます。栗田玲子さんは、教育大学(現筑波大学)出身です。そして、イタリアに抜群に強いです。1965年ごろの教育大学って、女性が進学する大学としては、お茶大よりも上だったかもしれない。

 ところで、私は、その彼の原点中の原点であるこの雑誌・【かまくら春秋】を、この2024-7-8日に、初めて、熱心に最初から最後まで読みました。何回か、買ったことはあっても、全然読んでいなかったのです』

 かまくら春秋というタウン誌が、私にとって、問題になったことが、鎌倉に引っ越してきてからの40年間で、4度ほどあります。そのたびに買いました。しかし、ほとんど読んでいなかったのです。

 過去に問題になったことが、四度ほどあるというのは、タイミングは、別として(だから、順不同ですが)、記憶の中では、以下の四度です。まず、ご近所に武蔵野美大卒の専業主婦で母でもある女性が引っ越して、伊藤玄二郎の愛人であると、自ら名乗る、石川和子さんにこびて、その結果、私が、非常に危ない目にったのです。それを膨大な量のブログに書いています。が、もしブログで、詳細に、書かなかったら、次は、石を利用されて、本当に殺されたと思いますよ。、その人のお嬢さんのスマホを、スパイ道具として、安野家の二階のベランダから、水、20リットルを危うく、浴びるところでした。それがもし成功したら、次には本当に石を使われたと思います。

 それは、武蔵野美大卒のお母さんの、子供二人に対する偏愛の問題としてシリーズ化し、非常に有意義なブログ文となっています。しかし、この一家が、引っ越していったから、リンク先を示しません。というのも原文は、実名で書いています。殺されそうになるのだから、当たり前です。しかし、引っ越していきました。この山で、子供を育てることが如何に難しいかを、私が書いていますが、それを、見事に、理解した一家だから、引っ越していったのです。で、原文は残っていますが、リンク先として使うことはありません。特に問題の画家女史が、クモ膜下出血を患ったそうです。これも典型ですよね。

 安野夫人や、前田夫人に命令されたにしろ、実行者として、私をいじめる(ただし、水は、一滴もかかっていませんよ。わたくしは何でもわかる人だから、直前で、歩みを止めたからです。お嬢さんの問題点とは、水を浴びせるというあくどい業が、失敗したのにも関わらず、武蔵野美大出身女史が、60mも、向こうから「成功したー」と、問い合わせをしてきた時に、失敗をしたわけですね。でも、一歩前に私がいるわけだから、失敗したと、60mも、向こうにいる母親には告げられません。でもね、家に帰ったら、正しい答えを言うだろうと、推察していたら、言えないのです。水を20リットル私にかける作業が、成功したとしか言えないのでした。どれほど、親を恐れているかがわかります。20過ぎて、スパイ役を子供に命令してやらせる親が、いますか? 本当にこの雪ノ下二丁目の、人間は頭がおかしいです。しかし、自宅に帰って、ほかの人(特に当該の私)がいなければ、真実を言うだろうと、思っていたら、言えないのです。成功したと、親が思い込んでいるので、それを訂正できないのです。それほど、おやを恐れているのでした。なぜ? 全然かわいがられていないからです。親を、全く信じていないからです。武蔵野美大卒夫人も長男は、ちゃんと育てたらしいのです。一人目出し、女親にとって、異性の子供は、好ましい存在だからです。で、長男は、すでに結婚をしていて、お子様もいるのに、長女さんの方は、画家になるために、邪魔ぐらいな、存在で、何も、心も手もかけていないのでした。

 このお嬢さんが本当のことを言えなかったのは、五分後ぐらいに前田清子さんが、まるで、発情期の、猿山のサルみたいに、伽、伽、キャーッと、喜びの声を上げて、二分後ぐらいに、ご主人祝一氏に叱られて、しーんとなったことで、わかりました。夫は駒澤大学の教授、自分は、國學院大學の講師、そして娘は、すでに、リヨン大学への留学を終えて、明治大学の助教授でしょう。それで、このサル化現象です。まあ、驚いたこと。驚いたこと。私ね、水なんか、一滴も浴びていませんから、じっと、自宅の門内で、山を観察していたのです。夏の夜で、涼しいので、前田家ではクーラーを点けず、海風か、山風を浴びるために窓を全開していると、見え、ありと、あらゆることが、丸聞こえでした。前田清子さんが、ご主人からその態度を注意されるのを聞くのは二回目の事でした。

 という訳で、自分がひどい事をされたと言う論点では無くて、武蔵野美大卒のお母さんが、早く有名な画家になりたくて 二番目のお子さんをほうったらかしで育てたと言う論点でブログを書いたのです。私自身が画家志望なので、こう言うところは非常によくわかるところです。わたしこそ、その種の問題で、いろいろ諦めて来た経過があり諦めなかった母親のケースとしてこの武蔵野美大卒のママを考えていたのですね。つまり怒りとか、恨みで、文章を書いている訳ではないのです。私は私なりのプライドを持っています。市井の哲学者足らんとするのが基本姿勢です。人間ほど不可思議なものはない。二十歳を過ぎたお嬢さんが、北久里浜の大、大、実質的詐欺事件の事も知らないのに 馬鹿げた形で、スパイ役を引き受ける。その陰に、何が有るのだ?  疑問がいっぱい湧きます。

 ママは 田園調布育ちだそうです。夫はお見合い結婚で、旧制帝大系国立大学卒でしょう。だけど、娘にこんな馬鹿げた事を命令し、失敗をしたのに娘はそれを親に言えない。

 理由はやがて明らかになりました。彼女はかまくら春秋で、挿絵、もしくはイラストを描かせて貰っていたのです。隣に住む石川和子さんが伊藤玄二郎の愛人  今は 精神的なものと変化しているでしょうが、協力関係はあるから、その雑誌に描かせてもらう事でがかとしてのブレイクにつながると、考えて、先ず石川和子さんに忠誠を誓い、石川和子 安野智沙らいんんから娘にスパイをさせたのでした。したがって私はこの頃かまくら春秋を買いました。しかし彼女の挿し絵を見ても、別に と言う感じでした。私は色と言うものが大変大切だと考えている画家です。ただ、彼女も指導を受けたであろう保田春彦先生から線がいいねえとも言われていますが。

 という訳で、これが意味のある形で、タウン誌 かまくら春秋を買った二回目の機会です。一回目は村松友視が連載をしている頃。

 これは最近理由を書いたと思いますが、村松友視の  幸田文のマッチ箱と言う 竹久夢二の千代紙を装丁に使った書物の感想をメルマガで書いたので、村松友視は俺たちの陣営内の人間なんだぜ、と言いたくて、かまくら春秋に連載をさせたと見ています。

  三回目は 国際基督教大学同期卒の、川名昭宣氏に電話でね 貴方って イトウゲンジロウと親しいのでしょう? と言ったら 親しくないよ。だって彼ってタウン誌を発行しているんでしょう?( 僕の会社 河出書房新社 とはひかくにならない  )  と言いました。が嘘でしょう。伊藤玄二郎が擦り寄っていて、非常に親しいとおもいますよ。ただこの件は、今は深追いはしません。

 この時も そういう風に馬鹿にして置いて良いのかなあと思って買ったのですが、またまた全く読まず、積みかさねているうちに°っかへいyてしまいました。

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副題2、「しかし、おいしゃ様で、待ち時間が有る時、この雑誌を丁寧に丁寧に読んだのだった。そのお医者様には良質な書物がいっぱい有る。ところが私は今べセルナクリームと言う 顔の皮膚を一皮剥く治療をしていて、それが五月二日から始まっているのだが、真っ赤っかに膨らんで、しかも一部黒くなっているので、心配して予定日以外にも診察に行った。目的は紫外線によって角質化した皮膚を取り除くとの事、それをしないでいると後日皮膚癌になる恐れがあるそうだ。

 私は骨粗鬆症があり 若い時のトルエン 類を大量に使った化学実験のせいで、四十代で、既に九十代の骨ですよと言われているので、日光浴は大切だとの判断があった。その上、化学屋でしかも化粧品会社のために外国の特許をほんやくをしていた。英語だけど成分は化学屋だから分かる。たまたま、55年ぐらい前で光る化粧品が出回り始めた頃でその構成成分をしって、うわ、これは、これは。と、驚きいってしまってそれ以来化粧品は使わない主義の人間だった。でもその結果絵皮膚癌の前兆となる可能性のあるほどのザラザラの皮膚になっているとは、チイとも知らなかった。81才にもなって、突然の大課題を負った。こう言う人間は日本女性の中ではきっと珍しい存在だと思う。電車の中でも他に見たい事が無いし、いやあ、あちらを立てれば、こちらが立たず と言う事が私の顔の皮膚で起きているなどと言うことは本当に滑稽な事だが、想定外で、これからどうなるかの見通しも立たないので、何度も相談に行った。予定外の日に行くので待つ。上等な書棚があり家庭画報などの高価な雑誌も置いてあるのに、自分としては読み尽くしてしまったと言う感じだった。

 だって旅行はもうしないつもりだしグルメにも興味はないし、で読むものが無くなったので、かまくら春秋を手に取ったのだった。今月号での有名人は星野智子だったあと私の知らない有名人とのイトウゲンジロウの対談。あゝ、そうなんだ。と納得をしたのは支援者のページがある事だった。寄付をする人という事だろう。そういう顧客には、毎月、三十冊から百冊の単位で差し上げていると考えた。例えば豊島屋さん、八幡宮にお菓子を納めるときにこれを十冊ぐらい持って行く。円覚寺は十五冊とか。

 この寄付の総額だけで毎月の印刷代と製本代は賄う事ができて書店や駅構内売店などでうれたぶんば

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