銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

今日は、鎌倉は花火だったのだけれど・・・・主人の肺炎は、思いがけず重症だったのです

2024-07-17 23:00:36 | 政治

 私は本日秋葉原に行ってきました。主人が、昨日「明日は、見舞いに来なくてよいよ」といったので、買ったばかりで、画面を見てもいないパソコンを盗まれたので、ほぼ、同じもの(ただ多分ですが、OSが、corei7 ではなくて、corei5で、発売日が、一年ぐらい古いもの)をです。

 でもね。主人の病気は思いがけず、悪くて、最悪の場合は、一週間後に死ぬかもしれないと、言うお話が昨日あり、「急に心肺停止になった場合、延命措置をしますか?」と、主治医から、質問を受けました。さいわい主人が、今は、まだ頭脳明晰で、にこにこしながら、「延命措置は、しません」といったので、私もほっとして、「延命措置をしないで、ねえ、81歳まで生きたことを幸いとしましょう」と言いました。お医者様との懇談が終わったのち、病室で、二人だけになったときに、そういう話をしたのです。続いて、見舞いに来るときに持ってくるべきものとして、「紙とペン類が、必要ですか?」と、質問をしました。実は、父があっちこっち切り刻んで、40年前には、とても高度だったと思われる延命措置を、取ってもらったのですが、一週間しか延命できなかったのです。チューブだらけなので、シーツは取り替えられず、二、三日で、血が、茶色になるものですから、白いところがもうない状態でした。機械の、力に頼って、長生きしても、決して、普通の状態にまで、回復するわけではないのです。

 主人は、20年ぐらい前までは、パソコンでマイクロソフトワードで、文章を書いていて、書物も一冊出しています。工学的な分野ではなくて、東洋医として、健康に関する思いを集めたもので、実際に読んでくださった方からは、面白いと言われています。

 でも、今は、パソコンをいじっていないし、スマホでも入力をしていないので、紙とペンが必要ではないかと思ったのです。

 しかし、「不要」だといいます。

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 最悪の場合、余命一週間です。どういうことかというと、まず、抗生物質で、手当てをしました。それが、土曜日から、今日(水曜日)まで、五日間ですが、ほとんど、変化がないそうで、次に穿刺手術に入ります。それが、明日18日から始まり、5日~1週間で、治るかどうかを見ます。

 そこで、治らなかったら、穿刺手術より、大きな外科的手術に入ります。肉を切ったり、骨を切ったりする可能性のある手術です。・・・・・その時に心肺停止をしてしまう可能性があるのだそうです。ショックに耐えられなくて、そうなる可能性があるのです。大昔(60年以上前に)、白内障手術中に叔父が急死したそうで、それもショックで、心肺停止が起きたのだと思います。

 「老人であられるし、すでに、心筋梗塞を手術していらっしゃるし、とても、弱い体力でいらっしゃるので・・・・・心肺停止が、起きる可能性があるのです。軽い糖尿病の気もありますし、血液をサラサラにする薬を飲んでいらっしゃるので、出血が止まらない可能性もありますし、手術は、難しいし、危険なのです。心肺停止になった、その時に機械を使えば、延命措置の始まりです・・・・・というすごいお話を、

 ニコニコしながら、聞いている主人のそばで、私は別にニコニコはできませんが、でも、顔色を変えたり、「別の方法はないのでしょうか?」と、先生に取りすがったりすることもせず、とても、平静に聞いているのです。

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 余命二週間というのは、私の方が、2021年の12月にすでに経験をしています。いや、余命二週間というよりも、二週間後に新コロナウィルスを発症するかもしれないという話です。というのも驚いたことに、武蔵小杉の関東労災病院内のドトールで、ぬるいお水を提供されて、(普通は、お水そのものが、出てこない形式だったのに、その日だけは、向こうから、お水が、提供されて)、その中に、コロナウィルスが入っていたと、考えました。

 当時は感染を恐れて、外では、ミネストローネスープしか食べなかった頃です。そのスープが、90度以上だろうと思う熱さだったので、思わず、その日だけ提供されたお水を一口飲んでしまいました。しかし、すぐ、『これは、変だ、諮られたな』と思いました。だってぬるいんですもの、カフェで、提供されるお水って、たいてい氷入りで、冷たいですよ。それが冷たくないので、すぐ、はかりごとに気が付きました。が、当時は、今よりも読者数が多かったので、急にブログを書きやめたら、変だと、心配して(というのも主人も、子供たちも、私が急死した後で、このブログの手当てをしてくれるはずがないので)、新コロナウィルスを、発症する可能性があると、ブログで書いたら・・・・・実際には、発症しなかったのですが・・・・・

 鎌倉の知り合いが、みんな恐怖を持って、忌避するし、

 川合良一さんが、急に勝手口から出てきて、私をにらんだので、私の西隣の遠藤家(奥様が、毎日庭ごみをはいては、1m低い東隣の我が家に落とし込む家)のお嬢様を、妙本寺へお輿入れさせるお仲人をなさったのは、真実だと、わかりました。

 大丈夫でしょうか? 妙本寺の将来は? あのお嬢さんは、自分が下っ端の時代には、いい子でしょう。上には、逆らわないタイプでしょう。計算高い一家に育っているから。だが、自分がトップになったら地金が出ると思いますよ。人を見下し、弱いとみると襲ってくる。そういう地金が出ると思いますよ。

 だって、お母さんは、非常に骨惜しみをする女性で、小錦みたいに太っているのですが、その女性と、そっくりに将来h、なるのではないですか? 骨惜しみをして、太るという形に。そういうお嬢さんを妙本寺へ入れ込んでいいのかなあ?

 その日、私はスマホを持って出ていたので、そのGPS機能を警察から知らされた伊藤玄二郎が、川合良一さんに、「今から、お宅の前を通るから、にらみつけなさい。いい機会です。弱り目にたたり目を味合わせてやりましょう」と、提案したのでしょう。それにのったのでしょう。芸大卒で、理科大オーケストラの指導をしているそうですが、性格は軽いなあ。特に、北久里浜の、実質的大詐欺事件については、一切知らないくせに、私を悪者扱いするのですよ。軽い。軽い。かるすぎる。

 まあね。そういう軽い人ですが、鎌倉市から、毎年100万円の補助が出ていると思います。大正時代に、祖父にあたる人によって、建てられた洋館は、鎌倉市の歴史的建造物のひとつになっていて、一年に二回、植木屋が入ります。鎌倉市は、年間100万円ぐらいは川合邸に出費していると思います。鎌倉市って、お金持ち優遇政策をとっているのです、

 でも、本当に神様はいらっしゃいます。同時に、飲んだ、120ccぐらいの熱々の、ミネストローネスープの殺菌力のおかげで、わたくしは発症をしなかったのですよ。発症をしたのに隠したわけではないです。

 安野夫妻が、ご近所住民・武蔵野美大卒の女性のお嬢さんのスマホを、スパイとして使って、20リットルの水をぶっかけようとした時も彼らのたくらみは不成功に終わったのですよ。わたくしは、非常に勘が鋭いので、一瞬穂を止めたのです。で、、水は一滴もかかっていません。で、冷静な目と、耳で、山中を観察し、住民の本音とか、地金を、知ることとなりました。これと全く同じことが、規模を大きくして、鎌倉銃を相手として、起きたのが、コロナウィルスに罹ったかもしれませんと、ブログで、書いた後です。人々の本当の姿を知ることができました。損をしたといえば、損をしたのですが、常に市井の哲学者足らんとしている私にとって、川合良一さんをはじめ、人々の本当の姿を知ることができてよかったと思います。取り繕った姿ではない。相手が死ぬと思って、油断して見せた原初の姿です。お勉強になりました。

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 さて、私はなんと、もう一度余命二週間という恐怖にさらされたのです。今度は空気感染の恐れで、一回目より強烈です。反町の私のアパートの一階の住民と話をする必要があったのです。この人たちのおうちの中に招き入れらるのは二度目です。前は奥さんの方が、病臥していたのです。20歳だという超高齢な、白い猫を縦に抱いて、上半身が斜めになるベッドに奥さんは病臥していたのです。白地の浴衣姿で。

 ところが二度目の訪問の時には旦那さんが、病臥していたのです。奥さんは、顔色も赤みがさしていて、以前の幽霊のような様子は、すっかり消えていました。しかし、五分ぐらい奥さんとお話をしているうちに、またまた、狷介な性格の旦那さんが出しゃばって来て、彼と、衝突が起きたのです。

 それで、彼はいつも通り私を脅かすために、怒鳴ったのですが、その脅かし策の一つとして、「僕はね。コロナに感染しているんだぜ。しかも最近、で回っている重い菌の方だ」と叫んだのです。

 私は、その怒鳴り声を聞いて以来、2週間(潜伏期間という)恐怖にさらされながら、『主人に絶対に遷してはダメよ』と思って、二階と一階に厳密に生活を分ける工夫をしました。二度目は、ブログにも書きませんでした。一度目に人々の本音を知って、・・・・・自分の弱点を言ってはいけないのだと、思いました。ブログを読むぐらいなら、「ああ、他人事ですね」で済むけれど、コロナウィルスを、り患していて、ばらまく可能性のある人は徹底的にきらわれます。

 建前では、優生保護法・裁判の判決や、ハンセン氏病の、人権侵害訴訟勝利を、喜ぶ人も、ご近所にそう言う人間が、引っ越して来たら、絶対に忌避するでしょう。で、何も外部には、知らせず、ただ、ただ、二週間が、過ぎるのを待ったのです。非常に幸いなことに、二度目も、り患していなかったのです。発症しませんでした。

 しかし、二度も、極限の恐怖にさらされたものですから、コロナウィルスには、すっかり、大胆になってしまって、エスカレーターの手すりを素手で、つかんだりしている昨今です。これじゃあ、意外と、コロナにり患をしてしまったりして・・・・・

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 さて、二度も恐怖にさらされたわが身としては、今回、あっけないほどに平静で、お医者さんの説明に、動揺していない主人に驚くのです。どっちなのだろう。死が迫っていることを、わかっていて、しかも、動揺しないでいるのかなあ。それとも、ただ、痛みに耐えて、ほかの事を考えられないのかしら?と、思ったりしますが、

 しかし、きっと、ちゃんとした宗教的境地に立って、一週間後の、外科的手術(肉を切る場合)を待っているのでしょう。もしかしたら、心肺停止もあり得る。それを待っている。辞世の句や、短歌も作らないで、ただ、無明の時を静かに過ごしている。慌てず、騒がず。

 主人は、この入院前まで、自分一人で、ものを食べ、自分一人でお風呂に入り、自分一人で、関内まで、よく遊びに行っていました。桜木町周辺は、最も好むお出かけ先でした。電車、バス、徒歩で、横浜以南のあらゆるところに一人で出かけていました。一緒に出掛けたかったのですが、泥棒が入るので、どちらか一人が家にいたのです。

 一週間で穿刺手術は成功し、10日後に退院できると、私は、楽観視しているのですが、もし、ここで、急変が起きても、非常にきれいな、だれにも迷惑をかけなかった人生だと思います。ぴんぴんころりの典型です。でも、私と彼の平静さは、穿刺手術が成功すると、信じているところにもあるのですよ。ぴんぴんころりとはならないで、

 さて、そばにいる私はどうするか?です。主人の兄弟に、「見舞いに来てください」というべきか? それを質問すると、来てもらわなくてもいいと、言います。

 で、私もできるだけ普通にすることにしました。小説や、芝居に出てくるみたいに、不安に駆られ夫のことを心配し抜く、奥さんではなくて、平気で秋葉原に行く奥さんです。悪妻の典型ですね。くさんちっぺか? 雨宮舜か? どちらの方がより悪妻か?

 だって、この25年間に、すでに、60台は外部攻撃で、ノートパソコンを壊されている私です。ショップの名前を出すとそのショップがいじめられるといけないので(蛇足1へ)出しませんが、本当にいいパソコンをリーズナブルなお値段で、売っているお店をみつけたのです。こんないいお店は、なかなか、無いので、盗まれたものより、二万円ほど安い、一回目は、選ばなかった、劣っている方を買ってきました。

 しかしこれから、ほぼ、5日間は、ブログを書かないと思います。お許しくださいね。

 ここが大変まずかった模様です。赤いフォントで、昨日書いた部分ですが、これは、自分としては、哲学的に言うと、上位の、思考なのです。しかし、敵さんが、そういう風に上位の施行を持っていない模様で、結果として、敵さんに、塩を送ってしまった形になりました。で、何をやっても今は書けない模様だ。だから、やっちゃれ、やっちゃれで、残酷無残な攻撃を四種類も受けてしまいました。今日はそれを書きませんが、全部わかっています。裏側も、彼らの目的も、わかっています。誰がどういう意図でやっているかもわかっています。いずれ将来丁寧に書くでしょう。今、書かないのは、2011年とか2012年に比較すると、敵さんの悪や弱点も相当の数値で把握しているし、相当数の字数で、すでに書いているので、心に余裕があるからです。

 なお、主人の病気は、肺膿症という診断で、誤嚥が原因か、風邪をこじらせたのかは、わかりませんが、相当に悪くなっているそうです。超音波画像を見せてもらいましたが、確かに悪いです。誤嚥は、二年間に、間歇的に6回は、起こしていたし、風邪は、3週間ぐらい前にひいています。

 なお、冒頭に「今日は、かまくらは、花火だったのだけれど」と、書いています。どうしてか電車に乗らないで、若宮大路の歩道を、大挙して歩く人たちがいます。若い人たちです。海岸から、帰って来て、かつ、若宮大路で、30分程度バスを待っている。30代や、40代で、健康に不安のない人たちを大量に見ました。別に羨ましがっているわけではありません。ただ、年齢によって、人は、要望することも、現在考えていることも、変わってくるということをしみじみと、感じましたね。希望も課題も、年齢によって変わってくる。

(蛇足1)有楽町に交通会館というのがあり、その一階に、【町から、村から館】という食料品店がありました。地方の名産品を集めているショップです。銀座の画廊巡りの帰りに、よくよりました。主人が、「今、一人で、何を食べている?」と、聞くので「一日一回、料理をして、それを三食食べている。でも、外で、買って帰るのもありよ。わたくしはね。もう握り寿司は、飽きた。おいしい太巻きが食べたいのだけど、無いのよね。まったくないの」と答えながら、そういえば、町から、村から館の太巻きは、おいしかったなあと、思い出しているのです。

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