少し、映画『鬼子来了』から離れて、私と中国の関係に入って行きましょう。よく老人がこどもに、昔語りを聞かせるのが遠野とか、広島で、行われているとテレビなどで伝えられますが、私もそういう孤老のひとりとして、ぜひ、自分の体験を、お話をしておきたいです。小説でもなく、論文でもないが、心にしみる話として聞いていただきたいのです。
あ、また、横揺れが始まりますが、今、市町村合併で、古い地名が消えていますが、あれも、大問題ですね。歴史の伝承がしにくくなります。京都がほとんど、地名変更をしないのは、正解です。西東京市なんて、何がなにやらわかりません。保谷とか、田無ですか? 風情のある名前があったのに。そして、省庁の名前も変更が行われております。これも、歴史上の事跡とか、人物像を、把握するのに、邪魔と言うか、妨害を与えています。『こういう施策をする文部省の、本当の意図はどこにあるのか?』 と疑いを持ちますね。
と言うのも、人間の基本的な尊厳を守り、財産を守るためには、国家と言うのがどれほど、基本になり大切であるかと言うことを、あの敗戦時の満州で、残された日本人は、・・・・・満鉄社員であろうと、開拓農民であろうと、一兵卒であろうと、・・・・・すべてが、感じたはずなのです。シベリア抑留に出遭った人々は、特に、そのことを銘記しているはずです。
今の政治に不満を持つ人は多いでしょうし、言論の自由があるわけですが、福田元首相が、辞任の際、無礼な記者団に対して、一種の切れた現象を起こして、「私はあなた方とは違うのです」と仰ったこと・・・・・などを、あげつらい・からかうのは、国家としては大損失なので、そういう方向へ持っていこうとするメディアのニュースを、私はこのごろ信じていないのです。福田元首相が、ああいう風に仰るのは、当たり前のことです。
首相と言うのは激務なのですから、尊敬をしなければ、国家が成り立ちません。国家がぶらぶらになり、ずたずたになり、弱体化します。新聞記者が、無礼に過ぎるのは、そのほかにも数々、見聞きしており、一般的な大衆と言うか、普通の日本人は、『嫌な現象だ』と思っているはずです。知らぬは、<ある意図を持って、そういう風に記者を教育している>メディアの、トップばかり・・・・・でしょう。
だから、新聞が読まれなくなっているし、・・・・・そのうち、テレビを見る人も減ってくるかもしれません。ともかく、地上波のお笑い系番組が衰退し始めたことは知っています。
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さて、敗戦を迎え私の両親は無一物の人間となりました。本当なら、母の持参金があるはずでした。父はプライドの高い士族の家、ただし、家禄(給料)を失った貧乏な家の次男です。実の父も早く亡くなったので、城内(堀の内)にある家を捨て、だいだい山を買い、夏みかんの栽培と、長兄が先生をする給料で、父の学資も生み出されました。一方で母は地主階級の娘なので、戦前には身分は父に比べて低いが、蓄えのある、裕福な家の娘でした。それで、規模はとても小さいながら、一種の政略結婚と言うわけだったのです。
母の資産を管理していたおじが、「申し訳ないが、預かっていた持参金四千円を、今、ここであなたに渡すが、反故になってしまって・・・・・」といったそうです。1945年の敗戦で、新円切り替えと言う事が起こり、日本の中産階級は一気に資産を失ったのです。まあ、それは、上流階級だって同じことだったのかもしれませんが、・・・・・
つまり、両親が結婚したころから、敗戦前までの、四千円と言うのは、東京で一軒の家を買えるぐらいの金額でした。が、新円切り替えにより、一か月分の給料程度の、金銭と化してしまったのです。その時に母は、父が自分を離縁するのではないかとおびえたそうですが、別に父はそのこと(つまり、結婚の主要な条件が崩れたこと)を問題ともせず、離縁ともならず、それを、感謝したそうで、一緒にいろいろ、これからの苦労をしていく覚悟が、母の方に、出来た模様です。
そのほかお金になりそうなもの、自分の絵はともかくとして、有名な日本画家の絵なども、すべて、満州においてきたのかなあ。ほんの少しだけ、表装をはがして母が着ている帯の芯として持って帰ったそうですが・・・・・
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そして、その後、父は、資産は必ず不動産の形で蓄えようと考えるようになりました。よく資産形成は、三分主義でとも言われています。不動産、株券など、普通貯金や金など換金が容易なもの。それも、知っていました。だから、母が株の投資をするのを、容認していましたが、自分はそういう紙切れによる資産には、ほとんど、興味がなく、貯金は不動産を買うと言う形で、積み重ねていました。それも、値上がりを待つと言う意味ではなくて、ごく、健全な貯金の一種としてです。それで、大手不動産が開発した山の上の、住宅地などは買わず、自分で、開発予定図などを手に入れて、これから、発展しそうな町の駅の近くで、住居にしてもよし、店舗にしてもよいというような土地を、駅前不動産屋でひとつ、ひとつ、見つけては買っていったのです。だから、戦前はともかく、戦後は、絶対に、遊ばない人でした。バーとか、クラブにも行かないし、ゴルフも遣らないし、車にも興味はありません。
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そして、「生命保険に入るのも止めなさい」と常々言っていました。それは、財産管理をほかの人に任せるわけですから、自己責任が果たせず、しかも敗戦と言うような大ショックの際は、生命保険も紙切れになる事を知っていたからです。土地なら、最悪の場合は菜園を開けば、食料だけは確保できます。お米は出来なくても、芋かとうもろこしは栽培できるでしょう。
今から、70年前から、60年前の日本とは、食料すら確保できない、すさまじい状態の国だったのです。そういうときに、庭があり、ほうれん草でも栽培できたら助かりますね。だから、土地は大切だと思っていた模様です。
父がもし、元気で生きていたら、サブプライムローンなど、馬鹿らしいみぎりだと、笑ったでしょうし、投資信託と言う形で、それに、組み込まれるのは、その本人が悪いといったと思います。
「今回の金融クラッシュで、「500万円を失っちゃったわ。私が馬鹿だったとは認めるわよ。だけど、未亡人の私には大変なお金だったの。あなたみたいな、生活とは、無縁な最近よ」と仰った友人が、あります。私は投資に回すお金がないこともありますが、もし、あったとしても、その最近の形式の投資には、回さなかったと思います。
紙切れで保証をされている資産は危ないのです。アメリカ系の銀行は、その通帳まで、ないようで心配ですが、これからは、日本でも、株式も電子化されて、紙がなくなるそうです。ますます、怪しくなりましたね。個人が頼るべきは、レアーメタルか、土地でしょう。
だけど、私自身は、不思議なことに、こと、お金に関しては、一種の恵まれた人であり、いつも、『これで、駄目か』と思うときに、どこからか、入ってきて、救われる人です。その代わり、日々遊んでいるつもりはないのですよ。給料をもらえる仕事ではないが、日々、絶対に、時間を無駄にしないと言う覚悟で生きております。だから、労働は重ねているつもりです。それが、不思議な恵みとなって、天から降ってきます。
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3日前に、主人が母を見舞ってくれました。一時間程度、話したそうです。「満州での思い出はどうオ?」とか「最近、日本でも経済が大ショックでね」と話しかけると、94歳の母は、「まあ、日本が貧乏になったとしても、中国の農村ほど、貧乏になることはありえないでしょう」と言っていたそうです。
この言葉をここに置くのは、中国を馬鹿にしたいためではありません。ただ、日本の特質を、言っていて、その国家としての規模やら、歴史の積み重ねによって、いわゆる、蓄積がある国だということに、皆様に気がついていただきたいからなのです。中国は規模が大きすぎます。だから、運営がうまく行きません。日本は、今持っている蓄積を、大切に、守らなければなりません。
私は、右翼でもなんでもないが、ちょっと、国家としての塊を忘れるような風潮が、社会の中に、特に最近、多く見られるので、「それは、危険ですよ」といいたいだけなのです。それは、敗戦と言う大ショックを、深く理解しているからです。小さかったけれど、その後、語られた、両親自身の言葉や両親とお客様との会話を傍で、聞いていて、耳学問として、骨身にしみて感じているからです。
2009年2月4日 雨宮 舜(川崎 千恵子)
あ、また、横揺れが始まりますが、今、市町村合併で、古い地名が消えていますが、あれも、大問題ですね。歴史の伝承がしにくくなります。京都がほとんど、地名変更をしないのは、正解です。西東京市なんて、何がなにやらわかりません。保谷とか、田無ですか? 風情のある名前があったのに。そして、省庁の名前も変更が行われております。これも、歴史上の事跡とか、人物像を、把握するのに、邪魔と言うか、妨害を与えています。『こういう施策をする文部省の、本当の意図はどこにあるのか?』 と疑いを持ちますね。
と言うのも、人間の基本的な尊厳を守り、財産を守るためには、国家と言うのがどれほど、基本になり大切であるかと言うことを、あの敗戦時の満州で、残された日本人は、・・・・・満鉄社員であろうと、開拓農民であろうと、一兵卒であろうと、・・・・・すべてが、感じたはずなのです。シベリア抑留に出遭った人々は、特に、そのことを銘記しているはずです。
今の政治に不満を持つ人は多いでしょうし、言論の自由があるわけですが、福田元首相が、辞任の際、無礼な記者団に対して、一種の切れた現象を起こして、「私はあなた方とは違うのです」と仰ったこと・・・・・などを、あげつらい・からかうのは、国家としては大損失なので、そういう方向へ持っていこうとするメディアのニュースを、私はこのごろ信じていないのです。福田元首相が、ああいう風に仰るのは、当たり前のことです。
首相と言うのは激務なのですから、尊敬をしなければ、国家が成り立ちません。国家がぶらぶらになり、ずたずたになり、弱体化します。新聞記者が、無礼に過ぎるのは、そのほかにも数々、見聞きしており、一般的な大衆と言うか、普通の日本人は、『嫌な現象だ』と思っているはずです。知らぬは、<ある意図を持って、そういう風に記者を教育している>メディアの、トップばかり・・・・・でしょう。
だから、新聞が読まれなくなっているし、・・・・・そのうち、テレビを見る人も減ってくるかもしれません。ともかく、地上波のお笑い系番組が衰退し始めたことは知っています。
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さて、敗戦を迎え私の両親は無一物の人間となりました。本当なら、母の持参金があるはずでした。父はプライドの高い士族の家、ただし、家禄(給料)を失った貧乏な家の次男です。実の父も早く亡くなったので、城内(堀の内)にある家を捨て、だいだい山を買い、夏みかんの栽培と、長兄が先生をする給料で、父の学資も生み出されました。一方で母は地主階級の娘なので、戦前には身分は父に比べて低いが、蓄えのある、裕福な家の娘でした。それで、規模はとても小さいながら、一種の政略結婚と言うわけだったのです。
母の資産を管理していたおじが、「申し訳ないが、預かっていた持参金四千円を、今、ここであなたに渡すが、反故になってしまって・・・・・」といったそうです。1945年の敗戦で、新円切り替えと言う事が起こり、日本の中産階級は一気に資産を失ったのです。まあ、それは、上流階級だって同じことだったのかもしれませんが、・・・・・
つまり、両親が結婚したころから、敗戦前までの、四千円と言うのは、東京で一軒の家を買えるぐらいの金額でした。が、新円切り替えにより、一か月分の給料程度の、金銭と化してしまったのです。その時に母は、父が自分を離縁するのではないかとおびえたそうですが、別に父はそのこと(つまり、結婚の主要な条件が崩れたこと)を問題ともせず、離縁ともならず、それを、感謝したそうで、一緒にいろいろ、これからの苦労をしていく覚悟が、母の方に、出来た模様です。
そのほかお金になりそうなもの、自分の絵はともかくとして、有名な日本画家の絵なども、すべて、満州においてきたのかなあ。ほんの少しだけ、表装をはがして母が着ている帯の芯として持って帰ったそうですが・・・・・
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そして、その後、父は、資産は必ず不動産の形で蓄えようと考えるようになりました。よく資産形成は、三分主義でとも言われています。不動産、株券など、普通貯金や金など換金が容易なもの。それも、知っていました。だから、母が株の投資をするのを、容認していましたが、自分はそういう紙切れによる資産には、ほとんど、興味がなく、貯金は不動産を買うと言う形で、積み重ねていました。それも、値上がりを待つと言う意味ではなくて、ごく、健全な貯金の一種としてです。それで、大手不動産が開発した山の上の、住宅地などは買わず、自分で、開発予定図などを手に入れて、これから、発展しそうな町の駅の近くで、住居にしてもよし、店舗にしてもよいというような土地を、駅前不動産屋でひとつ、ひとつ、見つけては買っていったのです。だから、戦前はともかく、戦後は、絶対に、遊ばない人でした。バーとか、クラブにも行かないし、ゴルフも遣らないし、車にも興味はありません。
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そして、「生命保険に入るのも止めなさい」と常々言っていました。それは、財産管理をほかの人に任せるわけですから、自己責任が果たせず、しかも敗戦と言うような大ショックの際は、生命保険も紙切れになる事を知っていたからです。土地なら、最悪の場合は菜園を開けば、食料だけは確保できます。お米は出来なくても、芋かとうもろこしは栽培できるでしょう。
今から、70年前から、60年前の日本とは、食料すら確保できない、すさまじい状態の国だったのです。そういうときに、庭があり、ほうれん草でも栽培できたら助かりますね。だから、土地は大切だと思っていた模様です。
父がもし、元気で生きていたら、サブプライムローンなど、馬鹿らしいみぎりだと、笑ったでしょうし、投資信託と言う形で、それに、組み込まれるのは、その本人が悪いといったと思います。
「今回の金融クラッシュで、「500万円を失っちゃったわ。私が馬鹿だったとは認めるわよ。だけど、未亡人の私には大変なお金だったの。あなたみたいな、生活とは、無縁な最近よ」と仰った友人が、あります。私は投資に回すお金がないこともありますが、もし、あったとしても、その最近の形式の投資には、回さなかったと思います。
紙切れで保証をされている資産は危ないのです。アメリカ系の銀行は、その通帳まで、ないようで心配ですが、これからは、日本でも、株式も電子化されて、紙がなくなるそうです。ますます、怪しくなりましたね。個人が頼るべきは、レアーメタルか、土地でしょう。
だけど、私自身は、不思議なことに、こと、お金に関しては、一種の恵まれた人であり、いつも、『これで、駄目か』と思うときに、どこからか、入ってきて、救われる人です。その代わり、日々遊んでいるつもりはないのですよ。給料をもらえる仕事ではないが、日々、絶対に、時間を無駄にしないと言う覚悟で生きております。だから、労働は重ねているつもりです。それが、不思議な恵みとなって、天から降ってきます。
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3日前に、主人が母を見舞ってくれました。一時間程度、話したそうです。「満州での思い出はどうオ?」とか「最近、日本でも経済が大ショックでね」と話しかけると、94歳の母は、「まあ、日本が貧乏になったとしても、中国の農村ほど、貧乏になることはありえないでしょう」と言っていたそうです。
この言葉をここに置くのは、中国を馬鹿にしたいためではありません。ただ、日本の特質を、言っていて、その国家としての規模やら、歴史の積み重ねによって、いわゆる、蓄積がある国だということに、皆様に気がついていただきたいからなのです。中国は規模が大きすぎます。だから、運営がうまく行きません。日本は、今持っている蓄積を、大切に、守らなければなりません。
私は、右翼でもなんでもないが、ちょっと、国家としての塊を忘れるような風潮が、社会の中に、特に最近、多く見られるので、「それは、危険ですよ」といいたいだけなのです。それは、敗戦と言う大ショックを、深く理解しているからです。小さかったけれど、その後、語られた、両親自身の言葉や両親とお客様との会話を傍で、聞いていて、耳学問として、骨身にしみて感じているからです。
2009年2月4日 雨宮 舜(川崎 千恵子)
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