銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

プロパガンダに躍らせられ易い青少年期・・・・・私と中国―2

2009-02-06 21:16:31 | Weblog
 さて、引き上げと敗戦に関しては、もっと、さまざまな思い出が、押し寄せてきますが、ここで、一気に、高校時代、16,7まで成長した、1950年代に入らせてくださいませ。この時代の後期に、安保反対運動と言うのが起こります。国会を囲む大デモ隊と警官隊の衝突で、樺美智子さんが、亡くなって、学者のお嬢様であるし、おきれいだし、東大生だし、ということで、英雄的な扱いを受けました。しかし、私はそれには、ほとんど関係がなく、医者へなれという父との間とか、そのほか、思春期の問題で、悩んでおりましたが、一方で、海外、特に中国とアメリカへ対する関心は深いほうでした。

 高校時代の文化祭で、独り研究として、日中関係を発表して、先生に叱られました。大好きな先生だったけれど、今は、先生のご忠告がよく理解できます。

 学校の雰囲気がまず、女子高で、学内に、閣僚のお嬢様やら、自衛隊幹部のお嬢様が入学している、そういうところで、南京大虐殺など、資料を集めて、展示するなど、校風にあわないですね。それに、今では、『南京大虐殺、そのものが、本当にあったことだろうかなあ』とまで思います。731部隊はあったのです。しかし、日本軍の兵力が南京まで、侵略したかしら?出来なかったんじゃあないかしら? 

 こう思うのは、その後の、日本へ対する中国の政策を見ていて、あれは、プロパガンダで、捏造されたニュースだったのかもしれないとさえ、思うようになったからです。中国はやりすぎました。最近10年間の日本バッシングは大逆効果を生んだのです。

 ただ、中国人が基本的に、長らく、日本および日本人を嫌っているのは、確かでした。でも、中国内部もめちゃくちゃな、事になっている時代でしたからね。国内を治めるためにも、国民の目を外敵に向けさせて、危機感をあおる必要があった時期でしょう。

 ただ、私がこういう過去を明かしたのは、その頃までに、私がどれほど、罪悪感を中国に対して抱いていたかと言うことを述べたいからです。ちょっとまともに物を考える日本人だったら、その傾向を、私と同じように、持っていたはずです。それで、政府は、相当な賠償金を、何らかの形式で支払ったはずです。ODN?

~~~~~~~~~~~

 こういうことも、近・現代史の一つとして、現代の日本の子どもたちに、きちんと、その金額を教えなければなりません。そういう教育をしないといけません。日本はお金の形ですが、謝罪を表明しているのです。

 それから、今、70歳以上の日本人は、戦前の教育を受け、相当、きちんとした道徳観を持っています。そして、勉強好きです。また、戦後の教育を受けたとしても、今、現在60歳以上の人には、兄弟やら、親からの伝聞、そして、戦後の民主主義教育のもっともよい時代を経験した人間として、そうとうな、道徳的なレベルの高さを持っていると思います。

 そういう人たちが、幸いにして年金が入り、日本の中産階級を形成していて、結構勉強好きです。彼らが学んでいるのは、趣味の領域です。女性なら、ビーズ刺繍、男性なら登山とか、が最近の流行です。そして、アンチ・アウトドアー派に根強い人気を誇るのが、古文の学習です。源氏物語を古文で読む学習会など、どこの市町村の公民館でも、開かれているはずのお教室です。

 しかし、私は、近・現代史を学ぶサークルなどが、できても良いのではないかと思います。特に近・現代史は学校では、教えてもらえません。授業がそこまでいかれないという理由もあり、先生方も、ビビッていますね。自分が批判をされることを怖れていますので。

 そういう勉強会が、すぐいっていの、政党に支配をされたりすると、また、別の方向からの弾圧も受けるでしょうから、純粋に、趣味の領域として、学びあうグループができると良いですね。

 ただ、現代日本では、どんなサークルでも、その後のお茶呑み会と言うものがあり、その中で、親しい人々は、忌憚無い会話を交わす習慣があり、そういう中で、こういう真面目な問題が、取り上げられるような社会の風潮が出てくるとよいと思います。

 現代のテレビ番組は、ずっと、日本人の頭脳を白痴化する方向へ歩んできました。大宅壮一の予言ではないが、日本人ほど、政治に無関心な国民はありません。自分を守る大切な道具なのに、それに対して無関心です。

~~~~~~~~~~

 さて、この私の、動かされ易い傾向ですが、それは、世界共通に見られ、中国でも、紅衛兵と言うのが毛沢東によって組織され、それが、政敵を倒す私兵みたいにして使われ、かつまた、良識ある中産階級と言うのを、壊滅させる役目を果たしました。

 まあ、自浄作用と言うのかなあ。やっと、最近開かれた情報の国となったみたいですが、それでも、つい四、五年前まで、それらの若者が日本公使館を、襲撃するほどの、行動に出るほど、動かされていたのです。

~~~~~~~~~~

 一方で、温和なのが、日本人です。しかし、日本人にも、怒りは燃えるときがある。そういう怒りの発露を、ものすごく、上手に利用されたのが、安保反対運動、そして、その後の学生運動、その後の、赤軍派などの、活動、そして、三里塚闘争などだったような気がします。これらの大闘争の結果、真面目で有為な若者が大量に、表に出られない存在として、社会を形成する中核となれないこととなりました。

 それが、今の日本で、真面目さを忌避させる傾向を長らく、育てた原因のひとつでもあると思っております。現代の日本、特に目立つ場所である、メディア等は、当時、ノンポリと呼ばれた人々によって、支配をされております。

 あの当時に真正面から巻き込まれた普通の感覚の青年や女子は、今では、中年や老人として生きているはずですが、政治からは、離れるように務めて、ひっそりと暮らしているでしょう。市会議員のレベルでさえ、代議士などには、なっていないはずです。

 さて、私と学生運動との関係ですが、心情的にはノンポリではありません。しかし、私はものすごく、観察眼が、鋭くて、ああいう運動の内部にある矛盾には、スグ、気がつくほうで、それゆえに、巻き込まれたくないと思いました。

 巻き込まれやすい方ですが、『巻き込まれたくない』と決意していました。その土台が何かといえば、満州の引き上げも、その一つとして、関係があるでしょう。人生の途中で一回、敗戦と言う大挫折があって、命からがら逃げてきたわけですね。両親の苦労を思えば、『身体髪膚これ、親にうく』という感じで、軽々しい、行動は取れませんでした。就職はしなくてはいけないと思っておりました。就職に対して不利になる、学生運動には、巻き込まれたくないと思っておりました。

    2009年2月6日      川崎 千恵子 (筆名 雨宮 舜)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 敗戦のショックと、紙の資産... | トップ | 大学でもう一度中国へ謝罪を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事