銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「足長おじさん・育英基金・の恋」

2012-01-07 21:51:53 | Weblog
   以下の文章は、2004年に書いたものを採録しています。実は、お約束をしていた都築を完成しないといけないこともありますが、頭の中に、今その詳細が降りてきていません。計画的に書くというよりもごく自然に、取り組んでいます。それを書き始めた、2日には頭の中に、詳細が満ちていたのですが、それを、完璧にパソコンに落とす前に、次の日が始まってしまい、間にいろいろなことが入り、集中力が落ちてしまい、お約束をしていた文章を完成に向かわせるために必要な頭が今の、ところ、私の中に、準備されていないのです。恐れ入ります。

   ところで、以下の文章は前の日の、批判を強くしている恋愛に比べると、純愛そのものの姿です。しかし、電車の中で、見つけたにhttp://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=5770b9a8fa28e16d3a6f9b140ac7a515#しては、単純でもない。とても、複雑な恋愛だと感じます。

   なお、読者の皆様に、お断りをしておかないといけないポイントがあります。それは、最初の部分で、少女の服装が貧しいと言うことを強調していることです。3.11以降、日本全体が、静かになって、消費の傾向が収まっています。が、この2004年ごろまでは、日本中けたたましいまでの大量生産、大量消費の時代でした。そういう時代に、今日の主人公は、あまりにも貧しげだったのです。
   しかし、それも、この恋愛を際立たせていたのでした。では、お話が始まります。どうかよろしく。

「足長おじさん・育英基金・の恋」

 こんどの主役である、夕方の東上線の車内で出会った女性の体の小さい事は、驚くほどでした。真剣すぎる恋愛をしているのは、目の前の座席での二人の様子で、こちらの知るところですが、女性の方が華奢で華奢で「電車内でキスしあうほどの恋に落ちても大丈夫なの? あなた、本当はまだ中学生ではないの?」と言ってしまいたいほど、小柄な体格なのです。
 それから、もうひとつ違和感がありました。お金の問題です。今時の若い女性で、電車内で人目もはばからずいちゃいちゃするにしては、あまりにも地味な風体でした。紺のスニーカーは、飾りが何もついていなくて・・・・・もしかしたら、小学生向けのものかも知れない。でもどこにも汚れがついていなくて真新しいものである。それは確かで、彼女の、このデートを大切なものと考える意気込みと、心遣いは感じられますけれど。はっきり言えば安物過ぎる。スーパーで、一四八〇円ぐらいで売っているもの。 
そして、ジーンズも、まっさらで色は真っ紺なのですが、どこにもウォッシュアウトの糸のほつれなどが入っていないもので、定番の安いものでしょう。人の恋路の邪魔をするためにけなしているのではないのですが、どうしても気に掛かる違和感があります。その上着もまたこんなに恋する気持ちが盛り上がっているデートをするにしては、あまりにも地味。中は白いワイシャツですが、それは、デザイナーのカットしたブラウスではなく、中学生時代の制服だと思われ? その上に、薄いブルーの長いワイシャツをパーカー代わりに着ている。

ごめんなさい。決して軽蔑をするわけではないと繰り返すのですが、本当に全身に安物をまとっていて、それが現代少女というか、既におとなめいた女性にしては、ことさらに不思議に思いました。それが、親から出ているお金かそれとも、自分でバイトで稼いだお金かはわかりませんが、少女向けのブランド(キティちゃんでしょうか、GAPDでしょうか?)には、バッグや携帯の紐として、プラスティックの飾りがジャラジャついています。ですから、全身にいろいろな色が散らばっているものです。決して、それがきれいだとは言えません。むしろ、今目の前にいる女性の方が、ブルー系統で頭から足のつま先まで統一しているから、よりきれいなぐらいです。質素だがきれいです。 
でも、時代の雰囲気からかけ離れたベーシックさは 「あなたの服ってダサすぎるのではないの? あなたは、よく、こんな格好の良い男の子を捕まえられたわね?」と、自分がまるで、意地悪な同級生になったみたいに、ひとこと、言ってしまいたくなるほど、安いものであるのを、示しています。

 一方、男の子の方は、ナイキのスニーカーをはじめ、総ての装着品が、定番のブランドと高い品質のもので「ああきっと、親が大会社の、課長か部長でしょうね」と言うような服装であり、それなりの満たされた甘い雰囲気を身につけているのですが、彼女は違う。雰囲気がまったく違う。
 二人は、東武東上線の先にある、東武・動物公園か何かに行って、今、帰ってきたところでしょう。夕方六時ぐらいに池袋に着く、真面目な恋愛、・・・・・だけど、体を寄せあいすぎ、目を見つめあいすぎ、肌を触れあいすぎで、周りの人々の心臓をどきどきさせるのです。

 私は、この少女が、眼鏡を掛けているし、この同じ日の午前中に鎌倉駅で出会ってその人生を心配してしまった若い女性(第七章で登場する)と同じく、全く、化粧っ気がないので、最初は、ものすごい学問を専攻している、天才的な頭脳の持ち主かとも思いました。二人は東大で、最先端の遺伝子研究等をしている同級生だったりして。それも、ありうる話です。東大に入れるぐらいだから、上のはみだしとして頭脳優先で、そこに自信があるから、服装なんか「流行を追いませんよ」と言う姿勢。そしてエリートだからこそ、人目もはばからず、いちゃいちゃくっついている。

しかし、時々、男の子の方が眠る場合があるのです。遊びすぎて疲れているのでしょう。安心しきっているのか、彼女の肩と首に、自分の首を総て預けて。すると、その途端、彼女のあどけないはしゃぎっぷりが消え去り、口をへの字に結んで、そのはじは下に下がって、寂しそうな、悲しそうな表情になるのです。彼が目を開けている時には決して見せないような、暗い表情。
判りますよ。一応はその悲しみが・・・・・恋愛なんて最高潮の時でさえ、明日を考えればその終わりを予期して、寂しくて悲しいものかも知れない。だけど、ふっと、それでも、『この悲しげな感じは、尋常ではない』と、私は、感じました。

 彼女の、今時の恋愛中の少女にしては、考えられない貧しい服装は、彼女の育ちが貧しかった事を、もしかして、反映していて、その貧しさの原因は、親に経済力がなかった事だったりして・・・・・・と思った途端、不思議な想像の世界に、私は、入って行きました。

 『ああ、この子は、もしかしたら、お父さんが自殺した子供たちのサークルである、足長育英基金のサークルに所属している少女だったりして』と。そして、『相手の男の子も、その、サークルの子だったりして』とも。彼の方は、両親が健在なのだけど、やさしい性格で、昔の時代のセッツルメント感覚、今の言葉で言うボランティア感覚で、そこへ、援助指導に行っているうちに、この少女(多分、高校生ではないだろうか?)と恋に落ちた。
 少女は、この出会いに本当に感謝して、この恋に一途である。そして、下半身の方は、総てをこの日の為に新調したのだ。ジーンズもスニーカーも、もしかしたら下穿きも、出来るだけのお小遣いで。そして、彼に感謝を深くしているから、電車内で他人から好奇の目で見られるという、恥の感覚さえも捨てて、彼のすべてを受け入れ尽くしている。

一途で、一途で、それ以外何もない恋。計算も何もない恋。将来の結婚なども、視野にも入れていない恋。
 以上の事は、私の全くの想像です。でも、私はその日の午前中に、鎌倉駅で出会った「離婚をするつもりです」と断言した若い女性(第七章に登場)と同じく、この少女の、事も、いとしくて、いとしくて、たまりませんでした。同じ日に二人も切ないほどいとしい人に出会うなんて、不思議な事でしたけれども。
 人の恋なんて、順調に育つ、場合だけではありません。ましてや、結婚にまで到った純愛でさえ、さきほど述べた女性のように、壊れる日が来る。でも、今、そんな未来の事は何も考えず、ただ、男の子を、その頭を、全身で抱こうとしている。その姿は恋愛ドラマの定番の、ロミオとジュリエットとか、その他の最上の芸術品を思わせました。
そう言えば、その夜、NHKの教育チャンネルで、ローザンヌの、バレーのコンクールで入賞したソリスト(今は、プリンシパルと言うらしいのですが)たちの情感溢れる、見事なパ・ド・ドゥ(二人で踊る愛の情景)
が放映をされていて、それを見て、私は、その日の昼間、鎌倉と東京でであった、二人の若い、そして、いとしい女性たちのかなしさと切なさを、しみじみとあらためて思い出していたのです。なんと深く、それらの踊りは、心に訴えたでしょうか。
     二〇〇四十月十日、台風の次の日に、

  2010年1月7日、雨宮舜( 本名  川崎千恵子 )
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