銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

平木夫人の謀略とは「この文中で、真実を書くな」という指図だった。表では上品な顔をしていて裏では他人に命令する恐ろしい女だ。初めてではないから免疫はできているけれど

2024-06-05 22:17:10 | 政治

 今は、7日の午前11時半ですが、誤変換を直し、文章を整えていきます。 

私は、鎌倉の問題の続きを書かないといけません。今朝=2024-6-5 5:00ごろまでは、その文案で、頭が占められていたのに、その18時間後の今は、違う文案で、頭が占領されています。

 で、まず、今、頭を占めている問題を先に吐き出します。お許しくださいませ。そういう風に頭を動かさないと鎌倉の問題へ、至ることができないからです。

 それから、これは、6日の午前四時にはじめて気が付いたのですが、24-6-5というタイトルの下書き(音声入力によるもの)が、公開されていたらしいです。それはベッドの中で、入力したので、間違いがあったのでしょう。文章は、誤変換だらけなので、一旦、引っ込めます。ところで、ここから先は、うちわ中の内輪の話になりますが、この誤変換だらけの文章を公開した日に意外と訪問者数が多かったのです。

 なぜだ?と私は真剣に思いましたでね。考えたところ、皆様ははんじもの(=クイズの一種)として、あの文章を楽しみになったのではないか? と、気がついたのです。

 例えば、今、シリーズの重要な主人公である。平木夫人は開夫人となっています。これは一体誰のことだろうか?と、過去の文章と照らし合わせて、埋め合わせて行くと、いち、いち、謎にぶつかり、それの回答を得る・・・・そういう楽しみを味わう文章になっていたのでした。

 なるほど、それを楽しんだ方が多いために、あれは読者数が多かったのでしょうかね。なお、あの文章の主人公はマウンテンバイクの男です。顔をじっと見ると、前に出会った時とは違う男で、やはりあの家は警察官の根城であり、人がいろいろ変わって出入りしているということがわかります。あの家と言うのは旧石井羊一邸の話です。

そこに桜田門の警察庁内に、ある、特別な部屋と直結するルーターが置いてあり、そこで、対・私の肉体へ、攻撃を加えたものが、送られてきており、そこから、我が家に入ってきている

と、推察しています。桜田門では、サーモスタットシステムで、把握され、大画面に、浮かばせた私の巨大全身像があり、そこの主要部分に、レーザー光線などの、攻撃用ポインターを合わせると、わたくの身体に、異変と損傷が起きるというわけです。

 さて、この家ですが、ひょっこりひょうたん島のお人形担当だったアーチスト=美術系作家・加藤昌氏が一時期借りて、済んでいたほど、由緒ある家で、持ち主は、むろん手放していません。だけど、引っ越しを迫られてしまったのです。なぜかというと、東側にあるかまくら春秋窯の主催者、石川和子さんとその現在の夫、柳沢昇のとんでもない、わがままを、出し切った日、2005年7月26日に、外へ出て来て仲裁の労をとったので、この山随一のまともな人間なのです。でも、この山は、今は、平木夫人を私の方が大問題としているわけですが、彼女をはじめとして、みんなCIAの言うことを聞く人間で、抑えられています。金銭的なメリットを与えられるので、逆らえなくなるのです。平木家は、長男が東大へ、推薦で入れてもらったというメリットを与えられているので、逆らえません。だから、勇逸残っていた、石井羊一さん一家が、よそへ出されたのです。これは、北久里浜でも、目立たない形だが、私を大変信頼してくれて、夜電話で、相談を仕掛けられていた佐藤家が、引っ越しを迫られたのと、同根でCIAがよくとる手段なのです。そのもんですが、マウンテンバイクを運ぶ、警察の人間は、まったく手入れをしていないので、

 でね。石川和子さんは、猫が大好きです。で、お弟子が、週に二日来ます。ほかの日は、伊藤玄二郎の力で、鎌倉市の公民館の、趣味サークル、三つぐらい、掛け持ちをしていて、そこに集う生徒さんで、陶芸を好きな人を自宅に招いて、長期、期限なしで、教えているのです。

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 さてね。この家ですが、最近、ちょっときれいにしてありますが、門の写真を見てください。まったく手入れがしてありません。植木とか、花の栽培には無関心な人間なのです。

 それなのに、「我が家=川崎宅から盗まれた大量の植木鉢を捨てたのは、ここの男であろう」と、白井達雄氏の奥様が、私に言ったのです。それが【植木鉢の怪】というシリーズです。それを書いている途中です。しかし、これは、絶対に書かないといけない大問題なのです。

 そして、平木夫人が、2024年5月28日(木)に行った謀略というのも、そこに関係があります。ですから、マウンテンバイクをもって、2024年6月4日(火)わざと私を追い抜いて行ったのは、平木夫人の謀略の続きを書いていないので、謀略は成功し、私が、植木鉢の怪を、書かないで、いるだろうと、言う趣旨を、敵さん連中が、勝手にですよ。忖度して、その日は、こちら側が買ったから、こういう時はさらなる、攻撃を加えてやるのだと、言う感じで、安野忠彦氏も対抗方向から、現れ、白井夫人も現れ、最高レベルの嫌がらせが続いたのですが、私が、平木夫人の、放った謀略について、書きやめる筈はなくて、かつ、白井夫人が主役として浮上をしている植木鉢の怪についても、書きやめるつもりなど、毛頭ないのです。

 しかし、それに困った連中は、5月28日(木)の夜、平木夫人を使って、謀略を行いました。それを、におわせた後で、詳細を述べておりません。

 でね。肉体へ、攻撃をかけて、「書くな。書くと、こういう痛い目に合うのだぞ」と、やってきたのが、6月4日(火)の、午前10時半でした。前夜、5時まで起きているので、午前10時半が、目覚めという時点です。その時ベッドの中で、耳のところあたりで、感じ取られる、心臓の動悸が激しいなあと、思ったのですが、この日は、メヌエル氏病状態+、心臓への攻撃をなされて、メロメロで、ふつうの状態ではなかったです。しかも、安野忠彦氏には、「そういう攻撃をしてあるから、彼女は、弱っているはずだから、姿を現して、さらに弱らせろ」と、命令を受けているらしくて、パソコン教室へ向かう日なので、家を出発する時間が敵さん連中にわかっているから、時間を合わせて登ってくるわけですが、私の顔を見つめて、にやりと、笑うのです。二日後は安野智紗夫人も同じことをしました。

 しかし、もっと、問題なのは、脳の、もっと、奥深く、海馬への攻撃がなされた可能性である事す。大、大、問題は、半年ぐらい前に海馬に、攻撃を加えられたらしくて、急速に記憶が衰えたのです。それを、論じているのが前報(後註1)で、火曜日の朝、発見した、目縫えるし病状態+、心臓の損傷を、知覚をして、とうとう、海馬問題にも触れたのでした。

しかし、それは、二日目に、推敲中に入れることで、初稿の段階では、横須賀へ飛んでいます。なぜかというと、平木夫人が、利用をされたのは、28日の二日前、26日の夕方、富沢夫人に、「平木夫人って、一段と、格が上がったわよ」と、言っているからでした。で、女性にとっては、美醜の問題が、重要であり、横須賀で、私が、引っ越していってしまった後で、起きた、娘に、よる、自宅への放火事件が、大いに論じるべき対象となったのです。

 で、以下は、6月6日の夜に書いた女性の顔の美醜が原因で、起きた事件の話です。

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副題1、『横須賀を離れて、40年になるが、ほぼ、10年前に、急に訪ねた新大津駅近辺在住の、ママ友から、その後の、30年間に起きた出来事を聞いて、びっくり仰天をした。それをシリーズで、書いている。それを後註1として、リンク先を置きたいのだが、探している時間が惜しいので、ともかく、すでに相当量を書いていると、申し上げさせて頂きたい。

 問題がどこにあるかというと、渡辺先生という女性が、非常に複雑な性格を持ち、自分自身矛盾の塊であり、かつ、それを自覚し、防衛しようとしていたところから、派生をしていた』

 渡辺先生とは、1930年代生まれなので、今現在生存中だったら、85歳以上でしょう。多分、自分の子供はいない女性で、私が子供を受け持ってもらった当時、先生の、夫は、横浜国立大学の助教授だと聞いています。

 神奈川県の小学校の先生は、ほとんどが、横浜国立大学の出身ですから、渡辺先生の夫が、そこの助教授であるという事は、先生として、他の先生より、一ランク上とみなされていて、敬愛を集めて当然でしょう。それなのに、実は、正反対で、嫌われていることおびただしい女性でした。

 なぜ、そうなるかですが、まず、子供を好きではないのです。愛情がありません。冷静で、意地悪で、嫉妬深いです。それと、教育という仕事にも愛情がないのです。結婚に至る過程での、恋愛は、お上手だったのでしょう。そして、結婚生活は大切にしていると思いますが、それは、自己愛のひとつあり、先生としては、絶対に必要な、他者への愛というものが全くなかったのです。愛情とまでいかなくても、共感とか、思いやりがあればいいのですが、それもないのでした。だから、先生としては、適任ではなくて、人気が全くない人でした。そして、自分でも、それを自覚していて、母親たちから、反発を食らい、教育委員会等に、訴えられることを避けるために、種々の工夫をしている人だったのです。母親たちの間に、情報提供者としてのスパイまで、おいている人だったのです。その直接の被害にあった女性たちのことを、すでに書いているのですが、今日問題にしたい、ママに問題が表れたのは、渡辺先生の担任時代から10年以上、のちのことでした。しかし、そのママの行動様式自体、渡辺先生の、強い影響を受けていると思うので、それを語らせていただきたいのです。

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副題2、『その問題のママですが、入学式の前に、先生は、役員を引き受けることを依頼していて、かつ、引き受けた女性だった。しかし、彼女の子供は、娘一人なので、彼女が学校に関係し始めたのは、1976年4月が、初めてだったので、どうして、入学式以前に、渡辺先生が、彼女と接触を持ったかが不思議ではある』

 まあ、たぶんですが、子供たちが、幼稚園時代の、母親のPTA活動に関する情報を、渡辺先生は、スパイ役のママたちから、得ていて、それに基づいて、選んでいたと思います。で、PTA役員というのは、学級委員みたいなもので、クラスの母親たちの間では、一頭地を抜けたというわけで、1970年代だと、内心ではやりたいと、願う人は多かったのです。今は、働いている母親が多いので、PTA役員は、嫌われる役割みたいですが、当時は、なれるものならなりたいと、思っている母親は、多かったと思います。

 彼女は、そういうタイプらしいのですが、見かけが、特殊で、私は、なかなか、結婚ができなかった人であろうなあと、思いました。図体が、ひどく大きくて、かつ、ガシガシした、タイプなのです。ジャイアント馬場というプロレスラーがいました。知性高く性格もよい人でした。が、頭が四角くて、ごつい感じだったでしょう。そういう外見の女性だったのです。しかし、お嬢さんは、かわいいタイプなのだろうと思います。地域社会がまるで、違うので、付き合ったことがなく、お嬢さんの顔も知りませんが、溺愛をしていたと、考えられます。そのがっしりタイプママから、1977年の二月に、「二年時の役員を引き受けて、欲しい」という打診が、私に対して、ありました。「渡辺先生がそう願っておられる」との事でした。私は、むろん、断りました。それで、子供が不利になったとは、思いますが、仕方がないです。あの先生のそばで、共同作業をしていたら、私の人格が、変化してしまうでしょう・・・・・と、思っていたら、その十年後、一年時も、二年時もあの先生の役員をしてきたママの家で、お嬢さんが、自宅へ、放火をすると、言う事件が起きたのだそうです。

 それを聞いて、やっぱりね。

 あのママって、渡辺先生のそばにいるだけで、 悪い影響を受けたのでしょうね・・・・・・と分かるのでした。

 つまり、人間にとって、基本である・・・・・愛情をもって、子供を見ていない。ただ、ただ、成果主義・・・・・・というか、社会階層の中で、上昇すべきだと、言うポイントで、子供を育てたから、そうなったと思います。

 つまり、高三までは母子の亀裂は、表面だっては、見えないでしょう。しかし、このお嬢さんが、大学受験時に、母親の望みにかなう大学に不合格だったら、そこから亀裂が表面化したのです。渡辺先生が「夫は、横浜国立大学の助教授です」と言って、社会階層の、上部にいた・・・・・そのうえで、津田塾卒のママを苛め抜いていたのを、つぶさに傍で見ていて、先生の側に立っているわけですから、そういう観念を抱いていたと推察されます。

 津田塾卒のママは、胸が豊かで、腰もふっくらしていて、目はぱっちりと大きく、お顔も、頬が柔らかく膨らんでいて120%のレベルで、フェミニンでした。上等な女でした。職業上(予備校の講師)も、高給をとっていました。タンジュンに比較すると、圧倒的に渡辺先生より上でした。だから、先生は、嫉妬の対象として、彼女を見ていたでしょう。しかし、彼女には渡辺先生が、そこを突っ込みたくなる、弱点がありました。離婚をしていたのです。

 今でこそ、離婚をして子供を育てている人は、珍しくないでしょう。それに非婚で、50代に達したという女性も多いから、多様性が、認められている社会となっています。当時だって、あの小学校が、港区や、中央区、新宿区などにある学校だったら、津田塾卒ママが、いじめられると、言うことは無かったと思います。だけど、夫が、「横浜国大の助教授です」という渡辺先生は、一種の治外法権の、位置にいたのでしょう。だから、あれほどの、ひどいいじめが、堂々と、お教室内で、行われていたのでした。

 私は、父兄かいの、真っただ中で、挙手をして、「先生、もう、やめてください」などと、言うことは、致しませんでした。しかし、学校以外では、津田塾ママに電話を掛けたり、自宅に招いたり、いろいろ、行動を共にして、連帯を示していました。それほど、ひどかった、渡辺先生を批判しないで、役員を二年も引き受けて、共同作業をした、あの、ジャイアント馬場・風・容姿のママは、渡辺先生の強い影響を受け、お嬢さんに、「社会階層の、上部に行け、勝ち組になれ」と、おしりをたたき続けていたのでしょう。お嬢様が、持って生まれた、才能が、あって、東大にでも、早慶にでも、自由に入学できる能力があったらいいのですが、それほど、成績が、よくなかったとしたら、それは、お嬢さんに対する無理な、欲求であり、今でいう毒親になっていたのだと思います。

 毒親に対して、子供がどうするかですが、ふつうだと、家出をして、不良化するという形が多いでしょう。そこまでの、行動力がない場合、男の子だと、引きこもってしまうし、女の子だと、拒食症になったり、リストカットをしたりします。

 でも、自宅に放火するとは、聞いたことがないです。どうしても、新聞記事を読みたいです。もしかすると、朝日新聞神奈川版(当時から、湘南版というのがあって、横須賀の記事は、無かったのでしょうか?)は、異様な事件を取り上げないという措置をとるので、載せていませんでしたか?。または、お父さんが、自衛隊勤務だったので、載せませんでしたか?

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副題3,『子育て上の心理学的問題を考えるのが大好きな、私は、この事件の裏にあったものを知りたいのだ。お嬢さんが、自殺をしたいと願って、そのために自宅に放火をしたのか? それとも母親を殺したくて、自宅に放火をしたのか? どちらであったかを知りたい。だけど、母親は、専業主婦で、ふつうの人なのだ。

 一ノ瀬智恵乎さんみたいに、自分が、有名画家になることに一途に向かっていて、警察に、ストーカー事案で、相談をした後で、その日の午後に、家を留守にするなどというほどに、子供に、無関心であるはずはない。一ノ瀬智恵乎さんは、どうして、その日の午後、自宅にいて、お嬢さんの帰宅を迎えなかったかのだろうか。そこが不思議だ。

 新聞を見ればわかるけれど、ストーカー事件は、警察に相談した後では、必ず、殺されている。新宿のタワマン美女も同じだ。その日のうちではなくて、二年後だったらしいが、殺されている。ただ、この事件の方は、加害者が、2000万円を貢いだそうで、お金が絡んでいるし、被害者は、大勢の男性と接触のあるクラブ経営者なので、高校生が殺された、三鷹ストーカー事件とは、少し、様相が違うが』

 この自宅放火事件は、周辺の人を大いに驚かせたと思う。三菱地所が、開発した、四季の何とか、というマンションの、下なのだけれど、この家がある京急・新大津駅・周辺とは、大規模開発地域ではないので、道路が狭いので、消火は大変だったと思われる。

 いずれにしろ、渡辺先生が良しとしている社会規範・・・・・大卒の男性で、人から、一目を置かれている、人物と、結婚をさせたい。そのためには、家が、立派というわけでもないし(大規模開発地域ではなくて、がけを無理に利用した様な、変形の敷地だった)父親が、立派というわけでもないし(これは、想像だけだ。もしかすると、立派な社会的地位にある人かもしれない。ただし、日産自動車程度に勤務している人だったら、もう少し立派な家に住むと思う)、母親の自分が、立派というわけでもないし(これも、想像なのだけど、あのころ、あの地域には大卒女性が少なくて、100軒に一戸程度だったので、「どこそこの家は、大卒ママですよ」という噂は、飛び交っていて、そのサークルに入っていない、がっしりママは、高卒だと思われる。しかし、役員についたら、ひどく堂々とふるまう人なので、元自衛隊勤務ではないかと、想像をしている。・・・・・に、寄り添っていくためには、本人を、有名大学卒にしたいと、ごつい体形ママは、考えたのだと思う。しかし、有名大学合格のためには、高校段階で、成績が良くないといけない。

 その手の好成績というのは、努力と忍耐を必要とする。しかし、あの、ごつい体形のママは、自分が、持っていなかったもの、イコール美しい容貌を持って生まれた娘を、一方で、甘やかし放題で、育てた可能性が高い。甘やかした生活を送らせながら、成績の良い娘に育てるのは、両立をしない。都心に住んでいて、祖父母の段階から、大卒です」などというと、白百合の小学校に入学しましたという結果になるので、自然に、有名大学卒となる。または、お茶大付属幼稚園入学となって、それも、自然に有名大学入学という運びになる。が、横須賀の公立中学、高校から、有名大学に入学するのは本当に難しいことだと思う。

 この事件を考えているうちに、いやな言葉だけど、運命という言葉を思い起こした。この事件において、お母さんが、容貌のまずい娘として、なかなか、結婚ができなかったであろう(というのは、PTA役員として、目の前に現れた彼女は、ひときわ、年齢が上だと、見えたからだ)というファクターは、無視できない要素である。だけど、それは、彼女の罪ではない。それは、彼女の罪ではないが、背負っていた事実で、それが、後年のこの事件を引き起こした。なんとも嫌な言葉だが、運命というものを感じる。救いは、死者が出なかったこと。その後、無事にお嬢さんが、結婚をして、孫でもできていたら、運命などという言葉は、外へ、うっちゃり捨てることができるが、横須賀のあの地域に引き続き住んでいて、そういう挽回は難しいと思う。都心に引っ越したら、別だけど。

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副題5, 『私は、三月ごろ、キャサリン妃について、あれこれ書いている。その後のNHKが、展開する番組を見ていても、自分がそのころ書いたものが、正しかったのだと、判断をしている。

 キャサリン妃の問題点は、やはり、女性の顔の美醜と関係があります。で、ここで、書き加えたのですが、日本から、天皇・皇后夫妻が、イギリスをご訪問になると、言うニュースが、急に勃発したので、少し、書き方を変えないといけなくなりました。で、それについては、お待ちくださいませ。

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