銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

成人式前後に、若ものが、原発作業をすることに、思いをはせる。

2012-01-09 22:28:28 | Weblog


この文章ですが、初日=月曜日と、二日目では、ほぼ五倍に量が増えております。また、いちまんじになっておりますが・・・・・
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第一部 『成人式をきっかけとして、現代日本の若者を見直す』
第二部、『原発事故、終息にむけての現場に若い人を、作業員として、投入することを、大人はどう思うべきか?』
第三部、『私の意見を再び、繰り返そう。・・・・あそこは捨てなさいです・・・・』
第四部、『フェイスブックは、私にとっては、助けにもくびきにもなった、両面の作用を持つ、特別なツールである』
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第一部 『成人式をきっかけとして、現代日本の若者を見直す』

ほんの一時間ほど前です。FBの世界で、
N氏が、、
「今の20歳の方がしっかりしてるなと思いつつ、発言がやや右な子もいるなあと。
でも、少しばかり、右左にずれてもええやん。
芯がぶれなきゃええのよ」

        ・・・・・・・と発言をしているのを発見しました。その時に、私のアンテナがキーンと言いました。これは、地味目な情報だけど、非常に大切だぞと、感じて。
  そして、そういう反応を示した人は、私のほかにもいました。何も言葉は出さなくても、「いいね」という評価を与えた人はほかにもいたのです。

 で、私はすぐ反応します。で、二人の会話が始まります。

川崎 「 数年前のふざけ切り、暴れたりする様子が見えなくなりましたね」

N氏 「 そうですね。なんといえばいいのでしょうか。
八戸市の企画にボランティア参加したのですが、来ていた高校生や大学生は、みんなしっかりしてました。
参加したのはこの企画なんですが。
http://hacchi.jp/ha/op-art-project/hachinohe-review.html
美術出版社だったかなあ、本にもなっています。
ちょうど震災前にこの企画は実行されました」

川崎 「この国にとって、非常に苦しいことが、2011年にはあったわけですが、ゆるみきった気配を、ある程度、ひきしめ、自分たちの生活を考え直す機運を自然に、そして、だれの心の中にも生んだというい意味で、あの大震災は、意義があったでしょう。ただ、それは、地震と津波には言えても、原発にそれが当てはまるとは言えません」
                    
N氏 「原発の問題は次世代に残す問題ではありません。
今の世代が解決するべきことです。
それこそ無責任なことになってしまいます。
いま、終息に向かって頑張っている人間がほとんどです。
それについては、私の友人や弟子が実際に従事していることですから、彼らを信じるのみです」

ここで、FBメンバーのほかの人からの意見が入る。

N女史 「この世代一代で解決しきることはできないかもしれないけど、大きな道筋を敷設していかないといけないですよね」

上の意見を、見る前に、私は一本おいて前の、N氏の意見に対して、返事を

川崎 「そうですか。ご決意をありがとうございます。が、なかなか、できないのではないかとか、やや、以上に、私は、悲観的です。でも、Nさんは、私よりずっとお若いので、私とは、気分はずいぶん異なることでしょう。信じています。皆さんを」
    と出す。すると、別のFB会員から

U女史 「私は最後の最後まで諦めない…諦めの悪い(?…笑)タイプなので、信じ続けたいし、意識して見守り続けたいし、応援しつづけたいです。「天命を信じて人事を尽くす」です☆   ・・・・と、意見が入る。

 そして、全体の方向を締めるべく

N氏 「私も元はといえば反対派の人間で、今回の事故は、東電ではなく、旧科学技術庁の問題だと考えています。
でも、六ヶ所村で、核燃料サイクルに従事する友人たちが、村に住んでいたときにできました。
そして、釣りの弟子は、23歳で、汚染水処理の現場へ3ヶ月行って来ました。
こいつらが、逃げないかぎり、私は信頼します。
上は、アホでも、現場はがっちりやっています。
吉田所長もあそこまでやってるんです。
責任問題以前に、彼らは闘っているということです。」

で、以上で、会話は終わります。で、一人になって私が考えるのですが、
  苦難は、人間を鍛えます。それは、ある個人にとっても、そうですが、個人が集合している国にとっても、同じです。
  苦難は、この国をまともな人間の集まる国へと変えました。

  特に若い人、成人式前後の、そして、結婚前の、10代20代30代の若い人が、そうであることは、やや、・・・・・いえ、本当に・・・・・喜ばしいことです。2012年1月10日現在の日本は、国としては、けっして、100%明るい国とは言えませんけれど。

 するとだいぶ時間をおいてですが、N女史から
『少し打ち解けると「しっかりしたい」、「自分らの手で」とボソボソと話してくれる若い子たち、私のまわりに結構います』とのご報告もありました。

 と、いうことで、ここで、この一文を、終わらせたいのですが、さらにいろいろ、ご意見が来るかもしれません。それは、随時編集ができますので、入れていきましょう。
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第二部、『原発事故、終息にむけての現場に若い人を、作業員として、投入することを、大人はどう思うべきか?』

ここで、新たにペンネーム『頑張るベクトル』さんが登場します。こちらも大変頭のよい方で、飛躍が多いので、私は投稿をなかなか、理解ができません。しかも、月曜日の夜中には、この方が投稿した三本が、私のパソコン内には、表示されないという現象が起こりました。こういうことは原発に関して、最も鋭い、かつ、最先端の意見が交換をされているときには、よくおこります。で、コメントのやり取りがちぐはぐになっています。

が、その臨場感も利用して、あえて、コメント群をそのままに利用しつつ、語りましょう。

川 今年の成人式がまじめだったと、長崎泰一さんがこのFBの世界で、発言をしました。それに対して、私がぱっと反応をして、一文を書いているのです。長崎さんもノートを制作なさっている模様ですが、ダブって(一種の変形のシェアとして)、投稿をさせていただきます。社会現象としては、事件でもないので、地味なものですが、意味しているものは大きいと感じます。
2012年の成人式に思うこと。 - 銀座のうぐいすから

『I氏』
がんばるベクトルが違うのでは?

復興への『絆』もそう

経済系のベクトルしか見えないのだろうか
緑や命、生態系のベクトルは無視されていないだろうか

『 川崎』うーん、Iさん、非常に難しいことをおっしゃっていますね。だけど、編集できるので、Iさんのご意見も I氏発としていれていいですか? お問い合わせをいたします。

『I氏』 これ、難しいですか?
田中優さんの『地宝論』を読めば、書いてあります
つながりを断絶した都市一辺倒の原発的広域行政のカネをばらまいて、カネだけ儲ければよいとするこれまでの悪癖から脱して

自然生態系に沿った自然の恵みの健康なエネルギー的な目の見える、顔の見える、ローカルな生き方、そんな田舎にこそ宝物があるんだとする、持続可能な命を育て、共に生きる循環型のふるさとづくりに未来の発芽があるという提案なのですが

『川崎』二本目のコメントで、だいぶわかりました。ただ、成人式で、若者が、元気で、まじめになったのを喜ぶという本日の、ブログの、趣旨とどう絡むかというポイントで、このご意見は、なかなか、咀嚼しにくいのです。あのブログの中には入れない方が、統一がとれていいかもしれませんね。

『川崎』かといって、Iさん、ご意見に反対するわけでは無論ありません。いいご意見だと思っています。

『川崎』千恵子 Iさん、さっきから、ここにコメントをいただいているというしるしをFBから受けているのに、実際には表示されません。よかったら、チャット機能というか、めっせーじでも、同じことをご連絡下さいませんか?。それから、AOLのメルアド、AtelierCK@aol.com でも結構です。ただ、そちらもすぐには反映しないことがありますが・・・・・お許しくださいね。

『I氏』まだ2回しかコメントしてないですよ~(笑)

成人式ですね

「がんばるベクトル」ではどうでしょうか?

『川崎』ああ、そうですか。(笑)なんども、コメントが出たとお知らせがあるので、ずいぶん探してしまいました。「頑張るベクトル」とはペンネームのことですか。そして、文章をぜんぶつかっていいということですか? Iさんは頭がよくて、飛躍のある方なので、念のために、お問い合わせいたします。ご返事は明日でも結構です。
8時間前 • いいね!

『川崎』時々、私は頭をひねることがあるのですが、でも、それもいい個性だと感じています。

 @@@@@ここで、一晩寝て次の日が始まる。

『I氏=頑張るベクトル』
川崎さん
おはようございます。

ごめんなさい。
なんだか自信がなくなってきました。(笑) スルーしてください。最初の二つのコメント以上の深い意味はないですから

『川崎』 あ、そうですか。了解しました。全然自信を無くされることはないのですが、昨日あげたブログは、線が一本とおっていますね。それは、わかものが元気になって来ているという点で。ですから、Iさんのご意見はそれに対しては問題が大きすぎてきます。で、別の機会に、Iさんのご意見よりのテーマで書くことがあって、そして、本日のやり取りを私が思い出したら、その時にはまた、改めてお問い合わせをいたします。それがベストだと考えます。・・・・・

『川崎』 繰り返しますが、Iさんのご意見が、悪いとかいう意味ではないのです。それは、全く確かです。原発のことは多方向から考えるべきで、議論は尽きないということです。一回の文章ではとても、全部を包括できないですね。

  @@@@と、私は書いています。そして、上のN氏へ対するのと同じように、その表示されなかったご意見を、ご自分で、再び整理して、ノートに立ち上げられることを勧めました。そして、二時間がたつと、Iさんから、新しく書き直された三本分のコメントが、整理されて、送信されてきていました。
 それが、大変丁寧に書いてある文章であり、前半のやり取りにも十分に配慮を込めたものであることを知り、ここに急きょ、『Iさん、=頑張るベクトルさ』んのご意見も並行して、採用をさせていただくことにしました。

『頑張るベクトルさん』

若者が荒れることなく、まじめになった
それは本当に良かったなと思います。

自分は何に引っかかっているんだろう?
って今、考えてみたんです

まじめになった

しっかり現場をやっている若者

けれども
原発の現場でがんばっていくということ

それについてどう大人達が捉えるのか?

『若者が震災で気を引き締めた?

これからも原発を気を引き締めて運転していってほしい』

と受け取れたのです
震災復興への見せかけの絆のベクトルが今、演出されていないでしょうか?

食べて応援

除染して避難解除

放射能瓦礫の広域焼却処理

『そういう話じゃないだろう』という思いが
「がんばるベクトル」というテーマを提案した真意でした

ただ、もしかしたら
その方の真意、主題からずれてしまった見当ちがいな意見だったかもしれないですね

なんだか自信がなくなってきたのでした

言いたかったことはそういうことです。

 ここで、第二部を終わります。私としては、第二部、『頑張るベクトルさん』の
最後から、三行目は確かに、痛いところです。特に第一部に寄せていただいたコメント群を使うに当たって、お互いの信頼関係の上で、許可を取っています。そちらでは、『よかった。よかった。この国の若者がしっかりしてきて』と終っています。

 が、本当のことを言うと、第二部のご意見は、そういう善意あふれる、優しさに対して、冷水を浴びせかけるほど、厳しいものです。両者を併記する私は、四分五裂しかねない苦衷を感じます。

 が、ここは、一種の行司役として、こういう風にまとめさせてくださいませ。

 第一部のご意見群も絶対に正しいです。統一が取れています。そして、そこには、この日本という国を代表する大人の意見が提示されています。

 しかし、第二部も正しいのです。『この国の大人として、若者にそういう作業をさせておいていいかな?』です。

 が、仲裁者として言えば、第一部の方々が、全部、原発推進派だとは言えないということです。それが全体としてまとまっているのは、事故現場を早く安定させましょうという方向でまとまっているということです。

 ビジネスとして、いまだに、原発を推進している人は、この日本の中にもいまだに、いるかもしれません。が、
第一部で、登場された方々が、そうだとは、まるで言えないのです。それは、第一部と第二部の方々がリアルな友達ではないゆえに、ちょっと先鋭化してしまったところであり、

 このFBの世界で、私の友達として、意見を交換し合っている存在たちは、みなさん、とても品がよくて善意に満ちているというわけです。それは、ここで、強調をさせておいてくださいませ。
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第三部、『私の意見を再び、繰り返そう。・・・・あそこは捨てなさいです・・・・』

 私は、3月から5月まで、激しく原発事故について論じてきました。単行本に換算して、7冊分です。

 それを簡単にまとめます。

*1、福島第一には、チェルノブイリの、爆発炎上した4号機の、ほぼ、6倍の核燃料棒が、保存してある場所である。チェルノブイリには、地震も津波も来ていない。が、こちらはそれらの災害があるので、全、6基に異常が起きている。となると、次の大爆発(これは、メルトダウンの易しい表現です)は、起きる可能性があるので、「逃げなさい」、『速やかに逃げなさい』です。

*2、『福島第一原発は、すでに捨て去るべき場所であり、人間を入れてはいけない』

 で、今、勧められているよりも、もっと広範囲の福島県、地元民が移住をすべきである。
 その移住先はシェアの発想で、今、移住先の住民が占めている財産とか、不動産、および資金や、運営費等をシェアの発想で分かち与えること。福島県地元民側も、どこでも、いいから、また、絆ということを無視してもいいから、どこかへ移住をすること。・・・・・

*3、『福島第一の敷地内は、原発汚泥等の処分地とすること』

 さて、ここでも、私は『主張を重んじて優先すれば、他者との親密性を失う』という矛盾に直面します。実は三月から五月までは、私は徹底的に孤独でした。が、あたるを幸いなぎ倒すという形で、事故の本質と取るべき未来像について述べ続けてきています。そして、名前を明かさないある読者から、

 『あらゆるサイトの中で、川崎さんのものだけが信頼できる。だけど、福島県在住の友達に送っても、聞く耳を持たないのよ。彼らは、東電とか、政府という権威ある存在から出る言葉しか信じないのよ』と、言われました。確かに最初期はデマ扱いをされたと感じます。自分が、6台ぐらいパソコンを持っていて、(携帯は使っていないが)、時々、パソコンを変えると、自分のブログなのに、自分で開けないという現象に出くわしました。で、『おやおや、まるで、デマ扱いですね』と、苦笑したものです。

 ところが、今では、実名を知っている福島県在住のフェイスブック友達何人かいます。さすがにその文章は真剣で心を打ちます。で、その文章に感動して、励ましやら、おほめのコメントを入れたりしています。

 そういうフェイスブック紙上の友だちが、『みんな、そこを捨てて逃げるべきなんだ』と、私が従来から、主張をしていると知ったら、隠々滅々たる気分に陥るでしょう。『それが、できないんじゃあ、ないか。それをしたら、この家屋も失い、財産もなくなって、一からの出発だ。僕はもう、50を過ぎているのだから、そんなことは言わないでくれ。あんたは、鎌倉という遠い場所に住んでいて、極楽気分で、ああだ、こうだと言っているだけじゃあないか。
 こういうのって、一番の偽善者なんだ。だから、大っ嫌いさ』と、そのうちの、誰かが、投稿したらどうなるでしょうか?

 そうしたら、私は、『人の好意というもの』を抜群のレベルで失います。フェイスブック紙上で丸裸になるでしょう。そして、敵たちは、『ほら、ほら、裸の王様が通るよ』と言ってあざ笑うでしょう。
  さあ、どうするか。それを避ける第一の道は、これを、ひっこめてしまうこと?

  だけど、「そういたしますか? 川崎千恵子よ」と、内心に問い合わせれば、「それは、やらない」と、内なる声が答えるでしょう。
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第四部、『フェイスブックは、私にとっては、助けにもくびきにもなった、両面の作用を持つ、特別なツールである』

 皆様。ここは今、26時間連続して起きているので、億劫で、書けません。後で書いて加えます。
 待っていてくださいませ。と言いながらできるところまで書いてしまいましょう。

 私は五月にフェイスブックに入ったわけですが、実のことを言うと、そこも敵に利用をされていて、水面下では、薪炭をなめるような苦しみを、味わわされています。グーブログでもあったが、それに限らず、フェイスブックでも、味わわされています。が、表面上は、お友達が750人を超えていて、このグーブログと、メルマガ、それに、フェイス・ブックを合わせると、数千回ほど、私の言葉が、毎日、他人に読んでいただいているということになります。とても華やかに前進をし続けています。
 よく、人は石垣、人は城といいます。それが、孫子の兵法の時代から、たしかな自己強化策だとしたら、相当に恵まれていて、光が当たっている存在となってきています。

 もともと、大勢の人を相手にするつもりがなくて、勝手気ままに書いていくつもりであって、数は頼まない姿勢ですが、それでも、ある程度は・・・・人間ですから、・・・・これはうれしい現象です。
 
 が、所有しているものは、失われる可能性はあります。そして、敵はそこを狙ってきています。語るも涙の現象はすでに、5月ごろから現れ始め、私は精神的にはすでにもみくちゃになっています。一回やめますといったほどです。その時にその裏側の真実を察して、友達関係を切ってきた人がいます。それ以降から、なんとか、伸一と言って、私の紹介で、100人以上の友達を増やしたうえで、向こうから友達関係を切ってきた人がいじめの材料として登場してきました。その人物と同じように、理由も告げず、しかも私が政治的に過激な文章をアップした被ではない日に、私を切ってきた人もいます。が、問題は、それらのすでに、友達ではない人が、『あなたの紹介で、〇〇さんと、友達になりました』とのおしらせが頻繁に来ることなのです。

 これは、どういうことかというと、○森伸一氏は、別の人を仲介者として私固有の友人とリクエストの交換をして承認してもらっているのでしょう。だけど、私にだけは、『あなたの紹介で』と告げるのです。
 特に東大卒などの格の高い(?笑)しかも、私固有の友人と、すでに私とは、友だちでもなくなっている、○森伸一氏が友達になれば、そりゃあ、いやな気がします。で、『お前、頭に来るだろう。だから、早くノイローゼになって、病院にでも入院しちまいな』という悪意あるセリフが常に、そういう現象の裏で聞こえてきます。

 そして、こういう悪さをやっているのが誰であるかがわかっているので、余計に厄介ですね。非常に身近な人物がやっているでしょう。私の750人を超えるFB友達の中の一人がやっています。それは、すでに、去年の五月からわかっていました。何でも見えています。ただ、じたばたしないだけなのです。騒がないのです。ひどいことが起きているけれど、じっと黙って観察しているだけなのです。(苦笑)

 今、この部分を追加して書いていたら、「サーヴァーが見つかりませんでしたので、パソコンが、送信できません」といいました。こういう障碍は2007年から頻発しています。ので、フェイスブックで妨害行為をしているその人物が、グーブログに対しても、妨害行為をやってきた可能性はあります。
 で、『同じ人物が、一切の、IT的な悪さを、やっている』となります。でも、グーブログの世界では誰であるかが特定をできなかったのに、こちら、フェイスブックで特定できるのは、それこそ、友達関係を考察すると見事に、あぶりだされてくるのです。

 その当該、妨害者の友達の中に見事に、○森伸一氏が入っています。これは、2012年1月5日までは確かであった。だけど、二人は仕事、居住地、投稿内容に関して一切の共通点がありません。ですから、その恫喝用効果のためだけに、二人が友達になっているわけです。そのほかに、友達関係がいつの間にか解消されていたりする裏側とかがあり、不思議な形で、過去の投稿が、特定の人の場合にだけ、コメント付きで復活するとか、(その内容に、こちらを傷つけるものが含まれて居ます)、種々さまざまなIT的いたずらをされています。

 こちらは孤立無援ですが、絶対に落ち着いているのは、天が、『お前の方が正しいよ。お前の方がきっと最後には救われる方だよ」と、指し示してくださるポイントがあるからです。鎌倉八幡宮の大銀杏が倒れたのも、天が私を気の毒がってくださったからです。

 彼らが、私が大切にしている美術館玄関前にある、アメリカキササゲを伐採するように八幡宮様を教唆しました。それは、その木を何回もエッセイの中で取り上げているからです。彼らは、私のエッセイが効果を失うように、その物的証拠を次から次へとつぶして行きます。

 鎌倉小町通に、敷石が敷かれたプロムナードがあったのですが、それが、共同溝工事を口実にはがされたまま、すでに、満三年近く、工事は終わらないで、敷石も復活していません。それも、その敷石についてエッセイを私が書いているからです。哲学の本質はナンだというテーマで。

 まあ、こういういかにも公共のことみたいに装っていじめられるケースもありますが、それとは、別に『リアルな友達間の、個人的な友情を壊す』という生々しくも心理学的なものもあるのです。そちらでは、だいたい、40人以上が加担をしていて、銀座にも影響が大きく出ているのです。そういう障碍が、繰り返されていますから、そりゃあ、神様だって、私を気の毒に思ってくださるわけですよ。

 でね。とても用心していて、他人の力は頼まないと決心していたのに、『成人式を喜ぶ言葉など、絶対に安全だ』と思って第一部の三人に、コメントを使わせていただくことを許可してもらっています。

 そこに第二部のコメントが入りました。一対三だから、第二部の方を無視したっていいです。が、そこを無視して通ると、自分自身が、内部から崩れます。私が堂々と、原発反対を唱えるのは、「だいたいの選択において、ずるいことはしてこなかった」という自信があるからです。ですから、この第二部をこの一文の中に、書き加えないといけませんが、当然のこと、第一部にコメントを寄せていただいた方々は、『こんな成り行きになっていくのなら、使用を許可しない方がよかった』と思われるでしょう。するとどうなるか?

 そこへ、常に弱点に、乗じてくる敵が、絡むとどうなるか?
 もちろん得がたいほどのよい友達を失うでしょう。

 私はここで、正負、両方向を想定して、覚悟を決めないといけません。負の方へ転がり、さらに、底流にある苦痛が増すのなら、以前から申し上げてきている、「たった一人で、神(=天)のみを恃んでいきます」の継続と、さらなる覚悟の強化となるし、正の方向へ流れて、何事もなく無事にここを乗り切れるのなら、@@@@@やはり長年の継続(書くこと)が生きてきた。私のブログを舞台として展開された、この二つの流れは、非常にぎりぎりの、ものであり、しかも尊いモノである。私は恵まれている。やはり。@@@@@となるでしょう。では、非常に簡略でしたが、フェイスブックの世界での、〇〇伸一という名前が、必ず攻撃の道具とされているという以外は、諸相は抑えて、その被害といじめの実態を、ここでは、まとめておきます。

 まあ、ひとつだけ、皆様にも心がほっとしていただけることを入れましょう。それは、私が何かの欲望をもって、この世界に入ったわけではないということです。自分のブログの下の方に引っ付いている、フェイスブック用のシェアボタンを、『これはなんだろう』と思って、クリックしているうちに自然に入ったということです。ですから、『入ったのに、目的を達せられないで、損をして終わっただけだ』という思いはないのです。最初から何も知らなかった世界ですから。得たものもあるが、なかったと思うこともできますね。ただ、猫が好きだから猫用のファンブックを作ってもいいですし、自分の出版社のファンブックを作ってもいいです。そういう形で生き延びることはできるでしょう。それは、意識的な世界となります。
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このあとは、2012年1月15日アップの、「あのころ青森は、嵐だった・・・・・続・若い人を、原発現場で働かせること]に続きます。その内容は簡単に言うと、以下のごとくまとまります。
 
副題五、『その後の、展開・・・・再び若い人を気遣う』
副題六、『あのころ(*1)の青森は、嵐だった』
副題七、『原子力船、むつと、大湊港』
副題八、『六ヶ所村の、今と昔』
副題九、『運動がなし崩しになる、この国、
          そしてシニカルで冷徹な言葉の影で祈る私』

   では、2012年1月10日第一部を書き、11日に第二部~第四部を書く。そして、15日に、第五部以下を書く。   雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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