銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

司馬遼太郎のニューヨーク、残間里江子ー4

2010-04-25 15:40:55 | Weblog
 残間里江子さんについて、ある種の残念さというか、寂しさをこめて書いたのは、日本の文壇というか、評論界が、薄っぺらになってきていると感じていて、それに対してテレビの影響は大きく、そこに出る人たちが主流派であるがごとき、風潮が生まれていて、それに抗議したいのが本筋です。

 その文壇の、学者たちを残間さんが管理(?)して、売り出すわけですが、その会社が出来る前に平行して、というか、ほとんど、同じ時期にご自分で、ご自分を売り出した人々も居るわけです。

 そんな中で突出した存在であるのが、糸井重里氏と、林真理子さんです。糸井重里氏は、軽さがあるのかな? テレビへの露出も嫌がらない人のようですが、林真理子さんは、テレビは『ご自分にとっては、損だ』と考えておられるでしょう。しかし、「彼女に頼めば何でも何とかなる」と重宝がられておられるようで、抜群の露出度です。

 私が、たぶんですが、1999年(もしかしたら2000年)ニューヨークで版画をひたすら作っているときでした。時々、気分転換をしたくて、よく、53ストリートあたりを東西に歩いて横断したものですが、そこに、紀伊国屋書店があり、もっと歩くと、旭屋書店があります。時々、日本語の本を立ち読み(そして、ちゃんと買ったりもしましたよ)に寄るのですが、紀伊国屋のカフェ部分に、パネル風の広報が出ていて、『林真理子さんが講演に来る』と出ていました。後ろ盾はあのころですから、文芸春秋社(?)または、朝日新聞社です。

 で、その講演自体は聴きませんでしたが、あとで、週刊誌を読みました。すると、満足が出来ません。『そういうことか、有名人であるということは、こういう仕事をすることで、世の中の人を納得させられることなのだ。だけど、尊敬はできない。彼女を有名にしている、そのシステムそのものが相当いかがわしい』と感じました。しかし、それを、外に出したことはなくて、ごく、一般の人と同じようにずっと、褒めてきたのです。ごく最近のことです。

 そのきっかけこそ、2007年の四月に発見した、私のパソコンへのさまざまな異常現象でした。それを、分析をし始めると、タイミングから考えて、ある特定の論理を開示した途端にそれが、起きることを発見しました。それと、銀座でのいろいろやら、途中でのいろいろも含めてですが。

 それらを分析した結果、この日本とは、被・植民地国家であり、莫大な利益が国際コングロマリットを形成している大資本家に流れているのであろうが、国民がそれに気がつかないように、さまざまな装置が施されていて、そのために、大マスコミは上手に利用をされており、そこに登壇する人たちは、安全パイとみなされているが、実際には毒にも薬にもならないことを発言する人たちだ・・・・・

  と、上のようなことを思い至ってしまったわけです。
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 林真理子さんは、独自路線で、売り出した可能性があり、『残間さんにお世話になりました』とは思っていらっしゃらないにしても、仕事を依頼されたりするときに、その注文主が、新しい接触者だと、残間さんの会社あたりを通す可能性もありますね。

 また、まったく無関係であったりしても、飲む、とかお茶するという仲間としては、糸井重里、残間里江子の二人と、林真理子さんが無接点だとは、考えられないです。これらの人はいわゆるお仲間内として、つるんでいると考えられます。これも、見てきたようなうそを言いの類のひとつですが、山本容子さん(版画家)も、そのグループ内の人でしょう。
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 さて、人名がたくさん出てしまいましたが、私がこの文章で言いたいことは、林真理子さんの文章がこと、ニューヨークに関しては抜群につまらなかったということです。たった、一週間ぐらいここにやってきて、あれこれ、お膳立てが済んでいることを経験してもそこには深いものの発見はないです。
 これは、TBSがタレントを派遣して、いろいろな修行をさせる番組でも感じました。事前のお膳立てが出来ている形では真実の修行にはならないです。でも、それらの番組が悪いわけではありません。良質といえるほうです。

 それを、真似して(?)NHKが同じような番組を作っていますが、時間をかけているので、より充実していて見やすい部分があります。ただ、オリジナリティの問題が微妙ですが・・・・・
 が、タレントさんには後で、文章を書くことが求められていないので、それは、それで、終わりで結構ですが、林真理子さんは、小説家ですから、文章を求められているわけです。

 はっきり言って「これは、ごめんなさい。つまらない」でした。
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 さてね。今文庫で、司馬遼太郎の『街道をゆく』(39)ニューヨーク散歩を読んでいます。

 やはり、短い滞在です。一週間か、長くても二週間以内でしょう。専任の車を用意してもらって、週刊朝日の人が通訳として、付き、別の日(または、別の時間)に安野光雅氏がスケッチのために、出歩くという設定です。

 司馬遼太郎氏には現地でのすごいお客が待っています。そして、同じく講演会をかねるのですが、場所は、書店ではなくて、コロンビア大学のしかも、ドナルド・キーン氏の退官記念関連のもよおしです。だから、レベルが違うといえば違う。
 また、その前の滞在もあって、記憶が確かだし、学識が深いわけです。一種のコーオーディネーターとして、協力する人たちも、単にお金をいただくから協力しますという姿勢ではない。
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 だけど、それを差し引いても余りある、面白さです。たとえば最初が、ブルックリン橋の架橋のエピソードから始まっています。
 ご自分が現地でであった人々との交流ではなくて、一般の人々が、誰もが対等な人間として、文章に引き込まれるような工夫がそこに見えます。

 久しぶりに古い文章を読んで堪能しました。だけど、自分は自分である。と感じています。つまり、現場にいて、人々と交流していて『喧嘩(?)があって、人が死ぬ』 『それは、別に殴られたから死んだわけではなくて、別の人のずる(?)賢さが、死んだ人への足かせとなって、一種の孤独死へいたってしまうのです。が、そうい複雑極まりない深層でさえ、現地に三ヶ月居るだけで、(といっても毎日そこへ出かけますが)感じ取ることが出来る、私は、私で、ものを書く意義があるのだ』と、改めて感じます。

 つまり、お膳立てをしてもらっていないものの強みです。これは、沢木耕太郎さんの最初の手法でした。同じですが、彼はライターになる見込みの元の行動ですが、私の場合は違っていて、主たる目的は、版画修行で一点に滞在です。その傍ら、目に付いてしまうことがあるので、自然発生的に文章ができるという感じです。

 ここまで言ってしまうと前半の批判部分が、ひがみっぽく見えてしまいますね。それは、いけませんが、あえて削除をせずおいておきます。上の自分に対する七行は、『あの大家・司馬遼太郎さんのニューヨーク紀行が、抜群にレベルは高いが、それでも、現地で暮らした人ではないなあ』という小さな呟きであって、本論とは関係がないと言わせてくださいませ。では、2004年4月25日   雨宮舜

 なお、本日は、6時間早くアップしています。いつも夜ご覧になる方は、昨日のものが下にあります。
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