この投石が起きたのは、この日で、4、5回目でした。だから、七度目でもないし、お隣には、この件での質問を、過去には一回もしたことがないのです。でも、オープンハウスつぶしは、去年も行われていて、同時期に、三人展を開いた家があって、数が多いからそちらのほうがにぎやかだったのです。その関係者だと思われる人物が、我が家の門扉の前に、竹ぼうきを立てかけてありました。特に前夜に。気が付いたので、脇にどけましたけれど。
お客が、『あれ、歓迎されていないのだ』と誤解をして、門扉を開けないで、帰る可能性もあったのです。『とても小さなお話だ。聞くのもいやな話だ』と、読者であるあなたは、お考えでしょう。だけど、こういう例証を通じて、私はかえって自分に自信を持ちました。『私が発言をしている内容は、とても、正しいのだ。だから、迫害をされる』と、感じ始めたからです。
特に、『日本は、歴史上初めて現れた、高度にかつ巧妙に管理された、一種の植民地である』などという発言が、正しかったと感じています。その結果、国民のお金はさまざまな金融商品とか、為替差損を通じて、国際的、大資本家に掬い取られるし、生活費は高い(ニューヨークより1.5倍はかかります)し、・・・・・と、さまざまな損失と、不安感が国民内にはびこる・・・・・と、私は考えているわけです。
次の回から、それらの例証として、さらにいろいろなケースを上げて行きたいのですが、『そういう私の姿勢と思考が弾圧を受けるのだ』と、考えはじめました。それが、巧妙を極めていて、一応ですが、個人的な話となってしまうわけです。一見すると政治とは無関係な個人の嫉妬とか、競争心の問題へと堕してしまうわけです。が、本質はもっと違うところにあると、考えはじめました。
その原因ですが、
私は別に、1960年ごろの学生運動の指導者並みに「現内閣は、アメリカの傀儡政権である」などと、政治的に過激な発言を、今までしたつもりはありません。でも、私程度の元気さでも、『そのエネルギーが高い程度が、問題である』と感じる勢力が、この日本に現在でも、存在するのです。あの1960年当時よりも厳しいレベルで、言論統制が行われていると感じます。
===========
さて、お隣ではないと確信をしつつも、まず、お隣から『違う』という意味で、つぶしていかないといけないので、それをどうするかを考え抜きました。角度のことは科学的に判断をしたいと考えましたので、実験を続けていきました。
すると、私自身が壁に当てても、音もしないし、凹みも起こらないのです。つまり、女性の、か弱い力では、相当の遠くから当てないと、音も出ないし、凹みも起こりません。だけど、お隣との間には、はば一メートル弱のスペースしかないので、お隣に入らないと、石が投げられません。しかし、こんな問題で、お隣が、その庭に入るのを許可してくれるわけがないのは、明白です。
でね、仕方がなく、我が家の敷地内から、音が出るまでの力強さを、石に与えるための実験をこなしているうちに、『そのためには、斜めでもいいから、六、七メートル以上は、離れることが必要だ』とわかりました。
この『斜めでも、可能だ』ということが、加害者が誰であるかについて、大いなるヒントを与えてくれました。
つまり、我が家または、お隣の庭の一部に入って、投石をすれば、音も出るし、凹みもできます。別に直角に投げ込む必要はないのでした。
ただ、そのとき以前は、へこみの真下、直角のところに二つに割れた石が落ちていたので、入力角も直角であると推定していたのです。しかし、石の加速加重は、トタン壁に当たった途端、凹みを作り、そこで、失われて、ただ、へこみと直角に、真下に落ちるだけだったのです。
我が家はセキュリティに関しては、今のところ、何もやっていません。盗聴調査などもやっていないし、セコム等にも頼んでいません。だから、そっと我が家の敷地内に入り込むのは、北側および、南側からは可能です。で、壁に直角の位置までは入りこまないで、遠く斜めから投げつけていたと推定できました。
お隣も、西側、および南側にはフェンスが無いし、特に西側は平地で段差がないので、そちらから進入するのは簡単なのです。石は一晩に一回だけ投げ込まれます。一回だけ、大きな石を斜めから壁にぶつけて逃げ去るのは、簡単なことでしょう。誰にでもできることだったのです。高度なスパイ用訓練を受けた人が、やっているわけでもなかったのです。
この石は、どこにでも転がっているタイプなので、我が家の南側にもたくさん落ちているので、私は何回も実験を繰り返すことができました。強度、角度について確かめながら、何度も、壁に石をぶつけてみたのです。すると音が出ます。微妙でいやな音です。ガツンとぶつかるが、何のために、そんな音を出しているのかが、お隣には、不思議でしょう。真夜中ではなくて、昼日中にそれが発生しても、やはり、いやな音のひとつなのです。
隣の家にぶつかっているのを聞くだけでいやなものだから、まして、真夜中に、たとえ、一回とはいえ、自分の家にぶつけられる、私のいやな気持ちを、皆様も推しはかってくださいませ。
その嫌な音を立て続けているうちに、奥さんが二階の窓からこちらを見ているのに、一回ほど、私が気が付きました。『ラッキー』と私は内心で思いました。あの姿を見ただけでも、お隣がやっていないことは確かです。99%お隣ではないと感じました。
もし、お隣に寸毫でも後ろめたいところがあったら、この私の実験の本当の意味がわかるから、実験している姿を無視するはずなのです。『やったー。やっぱりお隣はよい人だったのだ』と感じるのは、なんと、素敵なことだったでしょう。
だけど、私は間隔をあけて都合四回ほど、同じ実験を続けました。一回に、七、八個の石を投げて壁は凹みだらけになりましたが、因果関係が明らかになるほうがうれしかったからです。
予測どおりお隣が、その不思議な音にたまらなくなって、質問をしに出ていらっしゃいました。これは、本当に偶然の結果なのですが、幸運のきわみで、『やはり、神は存在する』と感じました。
単に、科学的な予想をつけるための実験でしたが、心理的な意味での解決にもつながったからです。
==========
お隣から上品極まりないご主人が出てきて、「何をなさっているのですか?」と問われたので、かくかくしかじかと事情を説明すると、「もちろん、うちはそんなことはやっていません」とおっしゃいます。私もすぐ肯定します。「もちろん、今の実験の結果、斜めからでも音が出るのがわかりましたから、お宅か我が家の庭に入って、投げているのだと思います。今までは直角にぶつけられたと考えていましたから、そうなると、お宅以外に無いので、迷っていたのです。
そして、そのように迷っていたからこそ、投げられた後、すぐその瞬間に外へ出て、誰がそれをやっているのかを、確かめることができませんでした。つまりお宅とごたごたしたくはないので、遠慮をするというか、何もできなかったのです。でも、これからは、すぐ外へ出て確かめましょう」と答えました。それで、解決です。
これからは、この石のぶつかる音がすれば、直ちに外へ出てみましょう。さすれば、誰かが走って逃げる足音が、山なら、草ずれでわかるし、道路なら、靴音でわかるはずです。じっと耳を澄ませば、ドアを開ける音なども、聞こえてくるでしょう。それで、この山の人なら、誰がやっているかがわかるし、遠くからの侵入者がやっているのなら、明け方まで我慢しながら待っていれば、道はひとつしかないのですから、山を降りていく気配などもわかるはずです。街灯でその姿を確認することもできるはずです。
=========
でもね、音による攻撃はこれだけではありません、すさまじいレベルで繰り返されます。それゆえに、発言者を、つぶす手段として、音〔楽器のハノン練習が、窓を開けて行われること、また、深夜12時過ぎにお風呂へ入ると、そのとたんに外で鈴の音がするなどの、生活騒音を含む)が、使われているのは確信しています。
一種の言論弾圧ですが、昔の特高みたいな単純な方法では、今はないのです。
いしいひさいち氏にも、何らかの方法で、音による攻撃が行われた可能性を感じます。で、彼は、それに参ってしまったのでしょう。
つまり、心理的な破滅を狙うということです。めいってしまいます。普通のやり方では、解決不可能な音ですからね。今回の解決方法は偶然が加味していて、とてもラッキーな形で終わりました。が、うまくコミュニケーションが取れなかったら、大変な損失を、私がこうむるところだったのです。つまり、お隣はやっていないのに、お互いにすっきりしない疑惑の中で、終わるだけで、以降の付き合いがギクシャクしたものになるかもしれなかったのです。
こういうことを企画した人間は、頭はよいのでしょうが、非常に悪意に満ちた、性格・破綻者でもあります。私には誰が企画をしたか(それはもちろんですが、ご近所さまではありません。遠くに住んでいる人です)、また、実際に石を投げたのは、誰なのかも、だいたい見当が付いていますが・・・・・
では、2009年11月21日 雨宮 舜(川崎 千恵子)
お客が、『あれ、歓迎されていないのだ』と誤解をして、門扉を開けないで、帰る可能性もあったのです。『とても小さなお話だ。聞くのもいやな話だ』と、読者であるあなたは、お考えでしょう。だけど、こういう例証を通じて、私はかえって自分に自信を持ちました。『私が発言をしている内容は、とても、正しいのだ。だから、迫害をされる』と、感じ始めたからです。
特に、『日本は、歴史上初めて現れた、高度にかつ巧妙に管理された、一種の植民地である』などという発言が、正しかったと感じています。その結果、国民のお金はさまざまな金融商品とか、為替差損を通じて、国際的、大資本家に掬い取られるし、生活費は高い(ニューヨークより1.5倍はかかります)し、・・・・・と、さまざまな損失と、不安感が国民内にはびこる・・・・・と、私は考えているわけです。
次の回から、それらの例証として、さらにいろいろなケースを上げて行きたいのですが、『そういう私の姿勢と思考が弾圧を受けるのだ』と、考えはじめました。それが、巧妙を極めていて、一応ですが、個人的な話となってしまうわけです。一見すると政治とは無関係な個人の嫉妬とか、競争心の問題へと堕してしまうわけです。が、本質はもっと違うところにあると、考えはじめました。
その原因ですが、
私は別に、1960年ごろの学生運動の指導者並みに「現内閣は、アメリカの傀儡政権である」などと、政治的に過激な発言を、今までしたつもりはありません。でも、私程度の元気さでも、『そのエネルギーが高い程度が、問題である』と感じる勢力が、この日本に現在でも、存在するのです。あの1960年当時よりも厳しいレベルで、言論統制が行われていると感じます。
===========
さて、お隣ではないと確信をしつつも、まず、お隣から『違う』という意味で、つぶしていかないといけないので、それをどうするかを考え抜きました。角度のことは科学的に判断をしたいと考えましたので、実験を続けていきました。
すると、私自身が壁に当てても、音もしないし、凹みも起こらないのです。つまり、女性の、か弱い力では、相当の遠くから当てないと、音も出ないし、凹みも起こりません。だけど、お隣との間には、はば一メートル弱のスペースしかないので、お隣に入らないと、石が投げられません。しかし、こんな問題で、お隣が、その庭に入るのを許可してくれるわけがないのは、明白です。
でね、仕方がなく、我が家の敷地内から、音が出るまでの力強さを、石に与えるための実験をこなしているうちに、『そのためには、斜めでもいいから、六、七メートル以上は、離れることが必要だ』とわかりました。
この『斜めでも、可能だ』ということが、加害者が誰であるかについて、大いなるヒントを与えてくれました。
つまり、我が家または、お隣の庭の一部に入って、投石をすれば、音も出るし、凹みもできます。別に直角に投げ込む必要はないのでした。
ただ、そのとき以前は、へこみの真下、直角のところに二つに割れた石が落ちていたので、入力角も直角であると推定していたのです。しかし、石の加速加重は、トタン壁に当たった途端、凹みを作り、そこで、失われて、ただ、へこみと直角に、真下に落ちるだけだったのです。
我が家はセキュリティに関しては、今のところ、何もやっていません。盗聴調査などもやっていないし、セコム等にも頼んでいません。だから、そっと我が家の敷地内に入り込むのは、北側および、南側からは可能です。で、壁に直角の位置までは入りこまないで、遠く斜めから投げつけていたと推定できました。
お隣も、西側、および南側にはフェンスが無いし、特に西側は平地で段差がないので、そちらから進入するのは簡単なのです。石は一晩に一回だけ投げ込まれます。一回だけ、大きな石を斜めから壁にぶつけて逃げ去るのは、簡単なことでしょう。誰にでもできることだったのです。高度なスパイ用訓練を受けた人が、やっているわけでもなかったのです。
この石は、どこにでも転がっているタイプなので、我が家の南側にもたくさん落ちているので、私は何回も実験を繰り返すことができました。強度、角度について確かめながら、何度も、壁に石をぶつけてみたのです。すると音が出ます。微妙でいやな音です。ガツンとぶつかるが、何のために、そんな音を出しているのかが、お隣には、不思議でしょう。真夜中ではなくて、昼日中にそれが発生しても、やはり、いやな音のひとつなのです。
隣の家にぶつかっているのを聞くだけでいやなものだから、まして、真夜中に、たとえ、一回とはいえ、自分の家にぶつけられる、私のいやな気持ちを、皆様も推しはかってくださいませ。
その嫌な音を立て続けているうちに、奥さんが二階の窓からこちらを見ているのに、一回ほど、私が気が付きました。『ラッキー』と私は内心で思いました。あの姿を見ただけでも、お隣がやっていないことは確かです。99%お隣ではないと感じました。
もし、お隣に寸毫でも後ろめたいところがあったら、この私の実験の本当の意味がわかるから、実験している姿を無視するはずなのです。『やったー。やっぱりお隣はよい人だったのだ』と感じるのは、なんと、素敵なことだったでしょう。
だけど、私は間隔をあけて都合四回ほど、同じ実験を続けました。一回に、七、八個の石を投げて壁は凹みだらけになりましたが、因果関係が明らかになるほうがうれしかったからです。
予測どおりお隣が、その不思議な音にたまらなくなって、質問をしに出ていらっしゃいました。これは、本当に偶然の結果なのですが、幸運のきわみで、『やはり、神は存在する』と感じました。
単に、科学的な予想をつけるための実験でしたが、心理的な意味での解決にもつながったからです。
==========
お隣から上品極まりないご主人が出てきて、「何をなさっているのですか?」と問われたので、かくかくしかじかと事情を説明すると、「もちろん、うちはそんなことはやっていません」とおっしゃいます。私もすぐ肯定します。「もちろん、今の実験の結果、斜めからでも音が出るのがわかりましたから、お宅か我が家の庭に入って、投げているのだと思います。今までは直角にぶつけられたと考えていましたから、そうなると、お宅以外に無いので、迷っていたのです。
そして、そのように迷っていたからこそ、投げられた後、すぐその瞬間に外へ出て、誰がそれをやっているのかを、確かめることができませんでした。つまりお宅とごたごたしたくはないので、遠慮をするというか、何もできなかったのです。でも、これからは、すぐ外へ出て確かめましょう」と答えました。それで、解決です。
これからは、この石のぶつかる音がすれば、直ちに外へ出てみましょう。さすれば、誰かが走って逃げる足音が、山なら、草ずれでわかるし、道路なら、靴音でわかるはずです。じっと耳を澄ませば、ドアを開ける音なども、聞こえてくるでしょう。それで、この山の人なら、誰がやっているかがわかるし、遠くからの侵入者がやっているのなら、明け方まで我慢しながら待っていれば、道はひとつしかないのですから、山を降りていく気配などもわかるはずです。街灯でその姿を確認することもできるはずです。
=========
でもね、音による攻撃はこれだけではありません、すさまじいレベルで繰り返されます。それゆえに、発言者を、つぶす手段として、音〔楽器のハノン練習が、窓を開けて行われること、また、深夜12時過ぎにお風呂へ入ると、そのとたんに外で鈴の音がするなどの、生活騒音を含む)が、使われているのは確信しています。
一種の言論弾圧ですが、昔の特高みたいな単純な方法では、今はないのです。
いしいひさいち氏にも、何らかの方法で、音による攻撃が行われた可能性を感じます。で、彼は、それに参ってしまったのでしょう。
つまり、心理的な破滅を狙うということです。めいってしまいます。普通のやり方では、解決不可能な音ですからね。今回の解決方法は偶然が加味していて、とてもラッキーな形で終わりました。が、うまくコミュニケーションが取れなかったら、大変な損失を、私がこうむるところだったのです。つまり、お隣はやっていないのに、お互いにすっきりしない疑惑の中で、終わるだけで、以降の付き合いがギクシャクしたものになるかもしれなかったのです。
こういうことを企画した人間は、頭はよいのでしょうが、非常に悪意に満ちた、性格・破綻者でもあります。私には誰が企画をしたか(それはもちろんですが、ご近所さまではありません。遠くに住んでいる人です)、また、実際に石を投げたのは、誰なのかも、だいたい見当が付いていますが・・・・・
では、2009年11月21日 雨宮 舜(川崎 千恵子)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます