今、28日の午後零時半ですが、最後に少したして、完成とさせていただきます。次へいきたいので。
なお、今日の文章の、全体像を言えば、これは、原発をどうするかの問題であり、
そのためにも、政治が、ねじれ曲がった方向へ行っているのを、困ったことだと考えており、そういう捻じ曲がりを可能にしている道具とか、武器は何だと解明しつつあるところです。
一番困ることは、この国には本当の意味での、言論に自由はないということです。
その弾圧は、もちろんのこと、隠微に行われます。日本はリビアというわけでも、中国というわけでもないので、複雑です。が、それが、顕現することは確実に有ります。それを探っているのが今の論点です。そして、フェイスブックにおける弾圧の実例を挙げています。その6となるものです。
下にある、22日発の『野見山さんと、専属画廊主の死ー2』の続きです。
今は、27日の午後、0時ですが、一応初稿だけは、完成といたしました。
誤変換は28日に直します。
副題 8、『美術の窓、編集長、一井健二さんは、何をやったのか?』
副題 9、『馬越陽子さんは、結構なレベルで、かわいい人なのだ』
副題10、『酒井忠康氏、の奥様さえ、利用されるが、此方も平気です』
副題11、『ここで、酒井忠康氏、登場す』
副題12、『田口広勝さんは、頭が良くて善人なのに、金色夜叉状態に陥ってしまい』
副題13、『どうして、酒井忠康氏が、それほど、大切なのか?』
副題14、『八幡宮様は、かくのごとくに、使役をされる』
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副題8、『美術の窓、編集長、一井健二さんは、何をやったのか?』
実は前報は、野見山さんに限定しています。が、野見山さんと私は直接のつながりがありません。で、そちらさんが、私の悪口を山口さんに言ったとしたら、それは、誰かが悪意を持って、告げ口をした内容を鵜呑みにしたということとなります。野見山さんが、『川崎千恵子とは付き合わないように』と、山口みつ子さんにいったとして、それを、私を毎週見ているみつ子さんが、『変な話だなあ』と思っていらっしゃったことは、死の直前に、彼女が用意した私宛の荷物と、メモで、私が、感じたことだと、述べました。
野見山さんにそういう情報を流したのは、一井健二さんであることは、ほとんど、確かでしょう。一井さんは、対私攻撃用に三度使われています。一回目は、馬越陽子さんと京橋に停めた車の中で待っていて、馬越さんを、私当ての、攻撃用、武器として使ったのです。その車を用意したのは、誰だったのかと、前からいぶかしく思っていましたが、野見山さんが、一井さんの雑誌『美術の窓』で、連載をしているから、そこで、ぴったりと、二つは符合します。馬越さんは、その年度(2007年)に、美術の窓で、大特集を組んでもらっていましたし、
月刊ギャラリーでも組んでもらっていたので、どちらかの編集長が、それを、補助したと考えていましたが、一井さんのほうだったと思うし、一井さんを動かしたのは、間に誰かが入っていたとしても、例の国際的軍産共同体のエージェントとして規定をしている、10人ぐらいの固有名詞群のうちの誰かなのです。
ほぼ、酒井忠康氏だったと思っていますが・・・・それをこれから証明して行こうと思います。
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副題9、『馬越陽子さんは、結構なレベルで、かわいい人なのだ』
馬越さんは、京橋のギャラリー手という画廊に、私が入った途端に、後ろからそこへ入ってきました。初めてだそうで、画廊を褒めていましたが、私は、すぐぴんと来ましたよ。なぜ、馬越さんがここへ現れたかを。それは、無論のこと、私を狙って、やっつけるためにです。
馬越さんは、早速に用意された手はず(脚本を書いたのは、誰?)にのっとって、それをやり始めました。つまり、どんなに自分が成功していてえらいのかと説明を始めたのです。これはね。敵様が、私をどれほど、大きい存在だと感じてくれているかを表しています。ともかく、馬越陽子を、当て馬にしてやっつけたいと思うほど、私は大物なのです。
それに、それでは足りないと思ったら、今度は野見山暁治を、ぱしりとして、使ってくるわけでしょう。大変な大物扱いです。感謝申し上げます。
デモ、相手がやっつけようとして、それらの、人材を使えば使う非土、使われた人間の矮小さが見えてきてしまう私なのです。ですから、使われた人々は、その原案を作った人間たちをおうらみくださいませ。あなた方は、石川和子というとんでもないほど、自己肥大したわがまま人間と、その夫の犠牲になっていらっしゃるわけですよ。お気の毒にとしか、言いようがないですが。
で、黙って馬越さんの言葉を聞いていると「私は、日本人としてはじめて、北京で、個展をしたのよ」との事です。
「あ、そうですか」と、私は感嘆します。でも、それを、聞いても、負けたとも思いません。だって、段階が違い過ぎるので、比較の対象にはならないのです。もし、私が、自分を彼女のライバルとして規定をするためには、まず、松屋か、和光ぐらいで、企画展を五回ぐらい、その会話より前にやってもらっていないとだめです。それなら、『ライバルかな。だから悔しいかな』とも思いますが、そんな経歴もない私は、ただ、「はあ、はあ」と拝聴しているだけです。
彼女は私の顔を見ながら、それを、三回ほど、繰り返しましたが、狙ったほどの、効果がないと見て、がっかりした模様でした。その顔を見た途端に、私は内心で、大きな余裕を持ったのです。だって、『大物の画家が、こんな小さなことに使われて、それじゃあ、品格丸つぶれでしょう。かわいそうに』と思って。
私がヒールのある靴をはくと馬越さんと、10センチぐらいの差がついて私の方が高いのです。私は彼女を見下ろしながら、『かわいいところがあるなあ』と考えていました。まず、声がかわいいのです。同じ役柄を志村節子さんが、になったら、ちょっと怖いかな。志村節子さんは、かわいい声ではない。落ち着いた雰囲気で、きゃぴきゃぴもしてないし、何より眼光が鋭い。
それに、馬越さんには、お子さんがない。子育ての苦労をしていない。それが、少女みたいなところを、彼女にまだ、残しているのです。結婚をした事がある人ですから、山口みつ子さんよりは世慣れていて、ふてぶてしさは、より持っているでしょう。
デモ、馬越さんを、対、私宛のいじめよう武器に使った手合いは、きっと男性で、何も人生も人間もわかっていない人たちです。だから、逆効果というか、ゼロ効果というかで終わりました。私、本当に今でも、その夜を思い出すたびに、おかしくておかしくて、腹がよじれそうになってしまいます。
ちっとも、『参った。負けました』という表情やそぶりを見せない私に、彼女の方が参ったのか、馬越さんは、次の一手を、出してきました。「三越で、凱旋個展をするのよ」と。それは以前に、見た事があるので、メルマガでも書いています。賛嘆しています。一号を十万円で値付けしていますから、1000万円以上の絵が何点もありました。
が、それは値段のことだけで、絵そのものは、尊敬していないのです。私は文章を書くたびに常に、『30%で抑えております』といっています。馬越陽子に対して、その絵も、人間も含めて、本当にはどう感じているかなど、文章に書くはずがありません。社交儀礼的な文章です。ですから、馬越さんが、三越で、個展をし、それを、私へのいじめ(威張りかえって、此方をへこませる)に使うのなら、その個展は、たちまちに色あせて、『へ、そんなもの、知ったこっちゃないね』となるわけです。
この件は後で、ギャラリー手が、閉鎖してしまったので、鎌倉駅裏の喫茶店映画館が閉鎖されたり、鎌倉駅ホーム上の喫茶店が閉鎖された筋道とそっくりですから、井上ひさしと、伊藤玄二郎の原案で、酒井忠康氏が動き、一井さんが、馬越さんに電話をかけたり、車を用意したのだと思います。喫茶店映画館は、そこで、石川和子が、現在の夫、柳沢昇と訪れ、伊藤玄二郎と恋人だったから、鎌倉で、優遇されていて、市の公共の施設を万万使えるのよと、浅はかな自慢をしたところですが、その事実そのものを否定するために、喫茶店をやめさせたのです。建物そのものも壊されています。
そして、その土地は不思議な転売(たった、一日で、所有者が三度変っている)を繰り返されて大和建物というところが所有しています。小沢一郎のダミー会社だったりして・・・・・週刊誌様、これは、いいねたですよ。ともかく、その持ち主は、国際的軍産共同体に関係があるでしょう。
また、鎌倉駅ホーム内の喫茶店も取り壊されています。いつも、平山郁夫さんご夫妻ががコーフィーを飲んでいたところです。二階堂のお宅から駅までが遠いので、駅まで着いたら一服してから東京へという習慣になさっていたのです。
そこで、私が、井上ひさしさんに、「れすとらん・ろしなんて」という自分の本を差し出し、「もらってくださいますか?」といったのに、1分ぐらい無言だったから、その肩をぽんとたたいて、「要らないわね」といったのです。それが、からかったことになっちゃったのでしょう。だって、ものすごく実態は軽い人です。そしておびえている人です。 そんなことは人間観察の鋭い私には、すぐわかります。
でも、彼はそれだからこそ、頭にきたのでしょうね。裏では、私に対して、ひどい事をやり続けているのに、そちらの方はばれていないはずだから、と、高にくくって傲慢のきわみになっているのです。で、僕の肩に、無名のやつが、ぽんと手をかけるなど、持っての他だ。怒り心頭だということになるのでしょう。でも、そんなことで、駅構内の喫茶店をつぶすなんて、独裁者もいいところです。後入りの鎌倉びとなのに、やりたい放題で、悪い事をやっています。
だから、鶴岡八幡宮の大銀杏も倒壊したのですよ。その詳細は後段で述べますが。
伊藤玄二郎が、八幡宮様を動かした数々の弊害は、どうせ、井上ひさし、原案に違いないですから。
元に戻ります。ともかく、鎌倉の二人の原案に基づいて、馬越陽子さんは、京橋に、夕方来て、じっと待っていたわけです。電話でこの件を依頼をされた後の緊張感等も、含めれば、その午後は丸々つぶれたでしょう。
彼女は不満たらたらで、本当は怒りたいところだったと思います。だけど、ぶっちゃけた話はできませんね。「これはね。あなたをやっつけるために、している仕事だから、早く、あなた、へこ込みなさいよ。つぶれなさいよ」というわけにも行かないでしょう。そして、馬越さんだって馬鹿ではない。10分ぐらい立て板に水で、自慢をしまくったけれど、それは、日本の道徳観でいえば不自然です。自分の方だけ話すのだって、不自然だし、その上に、自慢だけをたらたら、10分も言う。それも何度も繰り返して。それじゃあ、馬越さんも、疲れますよ。潜在意識の中で、自分でも、『これは、あらゆる意味で、まずいなあ。自分はとんでもなく変な事をやっている。または、やらされている』と、気が付くはずですから。
で、「ああ、疲れたわ」と彼女は言い出したのです。今でもその場面を思い出すとおかしくておかしくて、腹がよじれそうです。
馬越さんが登場した日から突然に時制を飛ばして、これを書いている現在に入ります。木曜日は長い時間外出をしたので、遊んでやれなかった猫がそばに、ぴったりと寄り添って、ごろごろ言っています。時々は片手で、なでたりちょっかいを出して遊んでやります。今は午前四時なので、夫に音で迷惑をかけるのを恐れて、自分だけの寝室に入り、自分の布団の上で、パソコンを打っています。すると、同じ布団に乗っている猫と同じ平面に居ることになるので、彼女も上機嫌です。その上機嫌な猫が、笑い転げている私を不思議そうに見ています。猫は、残念ながら笑うことはできません。が、私は笑う事を、やめられません。
あの日、馬越さんに、『ぶっちゃけたはなし、こんな変な要請を受けて、さぞお疲れになったでしょうね』と言いたいぐらいでしたが、乙女チックな彼女は、それを受けとめたり、処理したりできるほど、さばけては居ないと判断しましたので、ひたすら調子を合わせていました。「疲れた」という発言にも、最上級の礼儀をこめて、「ええ、そうですよね。北京からお帰りになってすぐ、三越で、個展では」と、お愛想を言っておきました。
馬越さんはさらに、「疲れた」を連発しました。合計10回以上。そして、経過時間として、10分も経つと、彼女の方は、何も話す事がなくなってやがて帰っていきました。私の近況を問い合わせることもありませんでした。まるでロボットみたいでした。
その時に、「この人と、一緒に暮らすのは、ずいぶんと、つまらないことなのだろうなあ」と、わかりました。人は誰だって、自分を認めてもらいたいとか、自分を理解してもらいたいと思うものです。最初の結婚で、ご主人様が、自殺をなさったのは、それが原因だったでしょう。猫だって、水曜日から、金曜日の早朝にかけて、30時間程度遊んでやらなかったら必死で「遊んで。遊んで」と、まとわりついてきます。愛情を求めているのです。
馬越さんのご主人は、人間です。それも、正式な結婚をした配偶者でしたから、「こっちを向いて。僕と向き合って」というのは、当たりまえです。デモ、ご主人が自殺した当時、馬越さんは、別のところへ出かけていたのです。正式な理由はあったでしょう。が、本当のところは、馬越さんにとって、結婚生活そのものが、つまらないものだったのです。人と24時間同部屋で生活するということは、別に勝利感を満たすものでも、達成感を満たすものでもありません。
そういうものだけを、それ以前の人生のさなかで求めてきた、馬越さんは、突然、『自分は、今、無駄な時間をすごしているのだわ』という発想にとらわれたのです。しかし、芸大の同級生、および教職員にご披露をしてしまった結婚では、そういうご自分固有の、実存的理由を持ち出して、離婚を申し出でることはできません。
誰も理解しないし、同調をしないと思います。だから、そこをあいまいにして、一種の別居状態に入っていた。だけど、ご主人の方は意味がわからないから、単に捨てられたという感情だけを抱いて、絶望をしたのです。かわいそうに。
だけど、そういう成育史をもつ、馬越さんだって、かわいそうなのです。彼女が『成功のみ』を追い求めるのは、絶対に、『両親がそれを希望していた』という裏もあるはずだからです。
ところで、ここで補足ですが、馬越さんの父君って、弁護士なのですよ。だから、社会的な規範からすれば、その親世代で、すでにエリートです。ただ、その上を行く成功のイメージが、芸術家だったのでしょう。
ところで、スピンオフですが、私のケースを語らせてください。中学校時代までは、医者になれと切望をされていました。学校の成績は抜群に優秀で、神奈川県一、頭が良いと言われていたので、医学部合格は可能だと親は見ていたのです。だけど、私自身は医者には絶対になりたくないのです。もし、私が医者になったら、おなかの中に、しょっちゅうガーゼを残したままで、縫合しちゃうような医者になってしまって、やがて、事件となり勤務先の病院に大迷惑をかける人となってしまうでしょう。私は考えるということがだいいすきなのです。それは、他人から見ると、単に白昼夢にふけっている徒食の徒です。
でも、それが、本質だから、それで、やっていかれる職に付くしかないのです。ただ、ライターとか、芸術家になるのを親が許してくれたわけでもないのですよ。親が大学を卒業するころ望んだことは、「25歳以内で、処女のうちに、さっさと結婚をしてくれ」でした。『五つで神童、十で天才、はたちすぎればただの人』の典型らしかった私は、親には平凡な人として、いっそ歩を送ってくれと願われていたのです。
どうして、そういう願いを親が持ったかというと、私はそれなりに、平凡ではないところがあるので素。それは、わかっていたからこそ、芸術の道に進む野などもってのほかで、反対されまくっていて、美大の進学は許されず、文学部だって許されませんでした。が、父の死をきっかけに、その遺産を利用して、ぐんぐん、この世界に入ってきている私です。やっぱり、本質はreveal するものなのです。
元に戻れば、
親の気分の上の縛りから脱却できていない馬越さんは、いまだに少女なのです。
だから、瞬間的な接触だけを、やった相手は、彼女を『かわいい人だ』と思うでしょう。欠点があるなどとは見破れないと思います。
喧嘩をすることまでを含めて、相手に関心を持ち、かかわるというのが結婚という場での、愛情です。そして、人間とは相手に愛情を持ち、奉仕をしない限り、相手を変えたり支配することはできません。ただ威張ったって、それは何の効果も生み出さないのです。
ですから、私は文章を書く事をやめません。
ただ、その夜でも、彼女が去ってからの私は、『どんなに、自分が恵まれているか』を感じました。
それは、一般の人が推察するような、夫が居て、子供が居て、孫が居るというようなポイントではないのです。
そうではなくて、無名であることがどれほど、豊かな毎日を送ることができるかに気が付いたからです。海外に行ってもそうです。私は三ヶ月滞在する事を三回繰り返していますが、特別な紹介者もなく、また、有名人でもないので、特権もありません。
だからこそ、相手たちは遠慮をせず、素の自分を出してきます。喧嘩を売られたり、嫉妬されたりもして、仕事の進行を邪魔されたりします。だけど、それが豊かな経験だということです。
馬越さんが、北京で個展をする。それは、日本人で初めてだとなると、協力する日本人も、中国人も一定以上の礼儀と敬愛をこめて、接遇をしてくれるでしょう。ものすごく、気持ちはいいでしょう。でも、心理的な意味で、豊かな経験をしたというには程遠いものとなると感じます。
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副題10、『酒井忠康氏、の奥様さえ、利用されるが、此方も平気です』
最初は主に、女性が利用をされていたのです。特に鎌倉近辺の。
恐れ入りますがここで、再びの、中断へ入らせてくださいませ。
9月の中旬にグループ展があるので、準備に時間がかかります。恐れ入ります。
10時間ないし、20時間後に、この部分に、取り組みます。
と、言って、仕事をしながら、ふと考えついたのですが、すでに、一万字を超えているので、この部分はそっくり、別の機会に譲らせてくださいませ。ただ、馬越さんとの連想で思い出したのは、二人は相当に似ていると言うことがあるからです。声がかわいい。また、一種のかまたととではないかと思うほどの、幼さが、残っている・・・・・という意味で、二人はとても似ています。
ただ、馬越さんが利用をされたこと、酒井忠康・夫人・が利用されたことなどから考えて、野見山さんの動きは、鎌倉が原因の、いじめであることは確かだと、私が考えているということです。
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副題11、『ここで、酒井忠康氏、登場す』
さて、これは、糸電話の仕組みです。大発生源は、伊藤玄二郎が、石川和子というおばかさんと、古くから、愛人関係にあって、かまくら春秋社の看板をさえ与えて(最近、その板自身は、おろしているみたいですが、名前は、ひきつづき、かまくら春秋釜として、与えていて、あつかましくもホーム頁まで作ってやり、石川和子オマージュのホーム頁も作っているほどです)甘やかしてきた、石川和子が、警察を巻き込んで、大失敗をしているのは、何度もお話をしていると思いますが、すべてはそこから発生をしています。
伊藤玄二郎は、瀬島隆三のバックアップを得てのし上がってきた存在で、鎌倉でひたすら大きな顔をしている存在ですが、
ペンクラブの縁で、鎌倉へ、引っ越してきた井上ひさしと、ぴったりと結びついて、さらに勢力を拡大しました。
二人は個人的にも、鎌倉ペンクラブ会長と、日本ペンクラブ会長として表に見える形で、仲良しになったわけですが、たまたま、裏側では、二人が二人とも、国際的軍産共同体のエージェントでもあって、それもあって、強固なたっぐマッチを組んだわけです。
そこへ、酒井忠康氏が、加わっています。こちらは、いつ、何が機縁で、エージェント化したかはわかりませんが、美術の世界に住んでいる私をいじめるために、起用をされていて、重用もされています。
この三人が組んで仕掛けてくる悪さは大変に数が多くて、今は、そこには踏み込みたくないと思っていたほどでしたが、
昨22日の昼間、鎌倉在住の画家、田口広勝氏から、電話が、かかってきて、酒井忠康氏と、伊藤+井上が、どれほど、この野見山暁治 VS 山口みつ子問題を書いてほしくないと思っているかがわかりました。
この三人が仕掛けてくる悪行は、すべて、『裏側は、みつけられっこないよ。絶対に僕たちは安全だ。僕たちに不名誉が、かかってくるはずがない』という、甘い甘い発想で行われます。しかし、私が、ここまではっきりと野見山暁治の悪を書くと、さすがに気がとがめるのか、書かせたくないなあと、思うらしいのです。それで、私の知人を使ってくる。
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副題12、『田口広勝さんは、頭が良くて善人なのに、金色夜叉状態に陥ってしまい』
田口さんは、今回だけではなくて、何回も使われています。確定的だったのは、2008年の12月のある午後、三回に分けてかかってきた長電話です。美術評論の話の途中で、田口さんの方から、「今度、川崎さんと喧嘩をしなくちゃなんねえな」と、すごまれて、そして、電話が切れたのです。普段は温和で誠実で、いい人が、これほど、豹変したのにびっくりしました。だけど、こと美術の論争では、私も引くことができません。相手が悪人なら深追いをしませんが、田口さんはいい人です。
ただ、作家として、気持ちが不純になっているところあります。それは、賞狙いの方向に進みつつあることなのです。で、そのことだけは言っておきたいと思って、今度は、こちらからかけてみると、彼は、自宅にいないのです。
すっかり裏が読めました。彼は、多分、神奈川県立近代美術館・旧本館のどこかに、呼び出されていて、そばに、伊藤玄二郎、酒井忠康氏などがいて、その監視下で、こちらに電話をかけてきたと、考えられます。そんな罠を仕掛けてきた目的は何かというと、田口さんと、自由自在に語らせて、その間に、私の本音とか、愚痴が出る事が期待をされていたのでした。
どうしてかというと、このころ、すさまじい勢いで弾圧をされていて、それに気が付いてきていて、それを、メルマガで、現象として少しずつ書き始めていました。ただ、本当の裏側はまだ書き表していなかった時期です。今だって、100%は書いていませんよ。どこまで、書くかは、その日の気分によるのです。といったら変ですが、事前の計画というより、神が頭の中におろしてくださる文書を書くという趣です。
それでも、グランドデザインとして、書くことのプラスとマイナスへの恐れや懸念はあって、最初から、こんなにバリバリと書いていたわけではありません。すべて仮名で書いてたのです。
私は内心では、深い怒りはもって居ます。が、復讐をするために書いているわけではないのです。たしなめたいわけですね。『あ、自分がやったことがばれているんだ。これは恥ずかしいし、大変なことになる』と思って、それらのいやな事をやめてもらいたいわけです。つまり、最も悪い大本の人間たちに反省してもらいたいわけです。だから、すべて仮名で書いてました。
ところが、反省するどころか、もっと、もっと悪い事をやってくるのです。で、だんだん、本名で書くようになりました。特に中途半端がもっとも、こちら側の、損失が大きいのです。仮名で書く事がその中途半端に当たることにも気が付いてきていますしね。
デモ、そこまで一気に達したわけではなくて、長い道のりを紆余曲折してきたのです。その間、私がどこまで知っているのかを、彼らは、探りたいと願っていたのでした。それによって、次の攻撃案を生みだすためです。その探ってくる感じ。
もちろん、私だって、それが、わかるから、用心をし始めます。それを破ってまで、本心を探りたいわけです。そういう役目をになったのが、田口さんです。
彼と私のお付き合いはまったくの偶然で始まりました。
7月なのに、信じがたいほど、寒い日に、京橋で、ふとあって、「本をもらったお礼に、お茶を」とチェーン店スタイルの喫茶店に誘われて一緒に入ったのが、最初ですが、それまで遠くから軽く接していた時期の態度とは、まったく違った素朴な感じに驚いて、文章化したのが、敵の眼にとまったのでしょう。
彼は本来は素朴な人ではありません。ケン高く威張っている人です。それが10年ぶりぐらいに出会ったら、まったく変わっていたので、びっくりしたのです。ご本人がおっしゃるには、病気をされて、一種の啓示を受けた模様です。それで、私としては、自分と同種の人として、信頼するようになったのです。また、鎌倉の人なので、主人の治療を受けに来られたり、その際、奥様が車を運転して彼を、送ってくるので、自然に、両家で、夫婦四人が知り合うようにもなって、
『自宅の北の方に、
ポッと、火がともる心のオアシスみたいなところができた』と、喜んでいたのに、それが、早速に狙われて
彼は、いつの間にか、間諜の役目を担うようになっていたのです。それを、私が見やぶっている事を彼に言うかどうかですが、絶対にいいませんよ。具体的な人間を相手に喧嘩をしたのは、ニューヨークで版画制作の邪魔をしてきた、不出来な日本人女性を相手にしたときだけです。
ご近所様だって、銀座で出会う画家だって、どんないやな事をされても喧嘩という形にはもっていきません。深い怒りをもつが、ただ、黙っているだけです。そして、文章にいきさつを分析して書くだけです。
でも、今回はとうとう、田口さんをこちらから切ったわけです。どうしてかというと、田口さんの裏側に居る人物たちに、怒り心頭だからです。
8月23日に田口さんが電話をかけてきたのは、用件は11月のグループ展に参加するかどうかの確認でした。だが、それは、カモフラージュの意味合いしかないです。田口さんは頼まれて、電話をかけるように命令されただけでしょう。彼はその事務的な意味での、当番でもないのだし、締め切りはずっと先なので、わざわざ電話で連絡をしてもらう必要はないのです。
目的は、別のところにあったのです。すなわち、「酒井忠康氏については、触れるなよ」という脅かしめいた警告なのでした。もちろん、田口さんは、何もわかっていないで利用をされただけですよ。彼は、私が、今何をブログで書いているかを知りません。あまり、パソコンをいじっていない人なのです。昔は編集者だったので、パソコンをいじった人なのですが、今は、筆やペンで絵を描くのに夢中な人ですから。
田口さんが、裏で、どういう事までを吹き込まれているかはわかりませんが、馬越さんよりは地頭がいい人だから、ものすごいレベルで、会話は、高度な内容になります。素朴な調子で、お互いに弱点をさらけ出しながら話し合うのですが、内容は100%美術のことです。しかし、その裏側に、大きく政治の雲が、かかっていて、深い二重構造を持っている会話です。
それを無難にこなしていくのだから、頭はものすごく良い人ですが、善人でもあります。2010年の四月に罠としての個展を持ちかけてきた森さんよりは、素朴な善意の人です。
表向きは北鎌倉で、開かれるグループ展へのお誘いですが、実質的な内容は、
『おまえさあ。アーチストである事を捨てないつもりだろう。それなら、鎌倉一、えらい人である、酒井忠康を、書いたらだめだぞ。画壇で生きられなくなるぞ。そのことはわかっているだろうな。忘れているんじゃあ、あんめえな』ということなのです。
これは、田口さんが、心の中で思っているせりふではありません。
伊藤玄二郎とか、井上ひさし、それから、二人のうえに立つ、小沢一郎氏は、この程度の会話をしているだろうと推察できるから、彼らの口調を再現しただけです。
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副題13、『どうして、酒井忠康氏が、それほど、大切なのか?』
まず、伊藤玄二郎にとって、良く知っている人物であるという事がつらいのでしょう。
この二人は、ほぼ、同世代の、しかも、鎌倉では突出した(?)文化人として、大学卒業以来の、40年間、相当に緊密な交流を続けてきた間柄であろうと感じます。
野見山暁治、山口千里、山口みつ子などは、伊藤玄二郎にとっては、「彼らが死のうが生きようが、へ、そんなこと、俺に取っちゃあ、究極の意味で、痛くも痒くもないぜ」という存在です。それに、野見山さんのやったことは、川崎千恵子の悪口を、山口みつ子さんへ吹き込むということです。
そんなことは世間には、ざらにある話だと、言って、けつをまくって逃げちゃえばいいと、おもっているはずです。
つまり、誰かをぱしりとして、利用しても、利用された当人がへまをするのなら、それは、その人、個人の責任に帰して、トカゲの尻尾切りをすれば言いやと、高をくくっているのが彼らです。
しかし、酒井忠康氏は、朝日新聞の顧問だ(または、だった)と思うし、
私に対する悪さも、野見山さんの、20ばいぐらいあるのですよ。だから、底に触れられたら大変で、我が家の近辺で工事をしえ来ること。それから、真夜中、スイッチを入れても居ないプリンターを動かしてくること・・・・・これは、2007年を中心に、本当に何回もやられた、脅かしです。大型無線ランの機能を通じて、簡単にできる動作なでしょう。ただ、2007年当時とは違って、2011年の今では、それでは、何も脅かされず、ただ、単に、『ふむ。ふむ。今、私が書いていることは非常に重要であり、かつ、真実なのだ』と思うだけです。
まあ、このあたりは、この2011年の4月の大原光孝氏の私への攻撃へのご返事としての文章なのですが、それは、また、後で、詳細を書きます。
ただ、中目黒の大原さんと言う紳士が、福島県在住の廃品回収業者に白昼どうどうと、殺害をされた事件は、大構造としては、山口みつこさんの死亡と、大体似ています。
だから、ここで、酒井忠康氏を登場させている訳ですが・・・・・
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副題14、『八幡宮様は、かくのごとくに、使役をされる』
このころの、私の状況ってすごかったです。パソコンは壊れるは、頼みの綱のアジサイ畑欺もう事件の証拠は、神奈川県のお金を使って、消されていくは、泥棒が入って、大事なものを次から次へと盗んでいくは、ご近所は、未婚のお嬢さんの、携帯を使って、私の頭に水はぶっ掛けるは、はたまた楽器の音階練習で、うんざりさせるは、八幡宮様からは、朝の九時から大音響で、「マイクのテスト中です」とが成り立てるわ(これだけは、さすがに私以外のご近所様から「どうか、やめてください」とお願いが入ったそうです。音楽会は、夜の七時からですから、本当に音による拷問です。
鎌倉の鶴岡八幡宮の周囲・数百軒のお宅はこの大騒音が、あなた方が名士として尊敬をしている、伊藤玄二郎と、井上ひさしのアイデアとお勧めによって、八幡宮様がおとりになっている、または、業者にやることを許していらっしゃる現象だと気がついておられますか?
この二人は骨の髄までの悪人で、万一の場合は、当夜の演目者・葉加瀬太郎に、責任を負わせれば良いと、考えているのでしょう。
ところで、このブログを初めて読む方に、お知らせをしますが、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、私が音に、大変に、敏感だと、判断しています。特に夏は、紙の本を出版するための機械へかける直前までの、データをパソコンで作っています。これは、普通は、男性が、出版社や、印刷所のなど、五箇所ぐらい別の場所で、五人ぐらいが分担して、それ専用の、環境を整えてやる仕事なのです。それを、一人で、やっているので、頭をものすごく使います。それを、パソコンへのハッキングで知っているので、音を武器に攻め立てて来て邪魔するわけなのです。しかも、自分たちは、責任を追及されないようにと用心して、八幡宮様を代理として、使役をするわけです。
しかもその葉加瀬太郎の会は、入場制限があったのです。つまり、一種の有料制です。これもちゃんと裏があります。その日、平原綾香が私の大好きな曲・カタリを、演奏したのです。 ともかく、2008年、2009年、2010年は、私は、毎日微量の毒を盛られ続けていて、自殺をするのを待たれていたと感じます。が、いきさつが飲み込めているから、絶対に自殺などいたしません。で、反対に、次から次へと、それらの悪を暴きつつあったから、彼らは怖くて怖くて仕方がないわけです。
でね、鎌倉でも悪さをして、人を苛め抜くが、東京、銀座でも、それから、友達が住んでいるところなら、関東圏、どこにでも、手を回して、私をいじめ抜いたのです。
それが、京橋における、野見山さんの暗躍と、山口みつ子さんの死を招いたのです。
それは、2010年の一月のことだったのですが、私は、その同じ、三月の、4日、6日、7日にわたって、山口さんの死をめぐるいきさつの不明朗さについて、このブログの世界で書いています。
その直後だったです。鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れました。
私はそのニュースを聞いたトタンに、天が、この世をすべているという真実に、はっきりと気がつきました。
八幡宮様は、京橋にまで、でしゃばっていらっしゃるわけではありません。だけど、酒井忠康と、伊藤玄二郎と言う人間を通じて、見事にそこまで一本に連関が通じてしまうのです。アメリカキササゲをお切りになったり、前田清子夫人を、國學院大學へご推薦なさったりしたことだけで、天がお怒りになったわけでもないのです。
ここで、前田清子夫人がどういう人であるかを知らない方には、文脈が通らないとなると感じます。前田清子夫人のあれこれについては、何度も、いろいろ書いていますが、ここでは、2010年9月18日『ペンキ塗り(命令)からわかる、現在の左翼政党』分をご紹介をさせていただきます。
あなた様(スタッフ様のことです)が、ひごろ親しくしている人材が、別の場所でひどい事をすると、神様だけに、その影響が非常に大きく現れるということです。
では、今は、27日(土)の午前11時半ですが、ここで、初稿を終わるとさせてくださいませ。誤変換は、全部をなおしていないかもしれま線が、先へ行きたいので、ここで、署名を入れて、これは、終わりとさせてくださいませ。
2011年25~28日にかけて書く 雨宮舜(本名、川崎千恵子)
なお、今日の文章の、全体像を言えば、これは、原発をどうするかの問題であり、
そのためにも、政治が、ねじれ曲がった方向へ行っているのを、困ったことだと考えており、そういう捻じ曲がりを可能にしている道具とか、武器は何だと解明しつつあるところです。
一番困ることは、この国には本当の意味での、言論に自由はないということです。
その弾圧は、もちろんのこと、隠微に行われます。日本はリビアというわけでも、中国というわけでもないので、複雑です。が、それが、顕現することは確実に有ります。それを探っているのが今の論点です。そして、フェイスブックにおける弾圧の実例を挙げています。その6となるものです。
下にある、22日発の『野見山さんと、専属画廊主の死ー2』の続きです。
今は、27日の午後、0時ですが、一応初稿だけは、完成といたしました。
誤変換は28日に直します。
副題 8、『美術の窓、編集長、一井健二さんは、何をやったのか?』
副題 9、『馬越陽子さんは、結構なレベルで、かわいい人なのだ』
副題10、『酒井忠康氏、の奥様さえ、利用されるが、此方も平気です』
副題11、『ここで、酒井忠康氏、登場す』
副題12、『田口広勝さんは、頭が良くて善人なのに、金色夜叉状態に陥ってしまい』
副題13、『どうして、酒井忠康氏が、それほど、大切なのか?』
副題14、『八幡宮様は、かくのごとくに、使役をされる』
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副題8、『美術の窓、編集長、一井健二さんは、何をやったのか?』
実は前報は、野見山さんに限定しています。が、野見山さんと私は直接のつながりがありません。で、そちらさんが、私の悪口を山口さんに言ったとしたら、それは、誰かが悪意を持って、告げ口をした内容を鵜呑みにしたということとなります。野見山さんが、『川崎千恵子とは付き合わないように』と、山口みつ子さんにいったとして、それを、私を毎週見ているみつ子さんが、『変な話だなあ』と思っていらっしゃったことは、死の直前に、彼女が用意した私宛の荷物と、メモで、私が、感じたことだと、述べました。
野見山さんにそういう情報を流したのは、一井健二さんであることは、ほとんど、確かでしょう。一井さんは、対私攻撃用に三度使われています。一回目は、馬越陽子さんと京橋に停めた車の中で待っていて、馬越さんを、私当ての、攻撃用、武器として使ったのです。その車を用意したのは、誰だったのかと、前からいぶかしく思っていましたが、野見山さんが、一井さんの雑誌『美術の窓』で、連載をしているから、そこで、ぴったりと、二つは符合します。馬越さんは、その年度(2007年)に、美術の窓で、大特集を組んでもらっていましたし、
月刊ギャラリーでも組んでもらっていたので、どちらかの編集長が、それを、補助したと考えていましたが、一井さんのほうだったと思うし、一井さんを動かしたのは、間に誰かが入っていたとしても、例の国際的軍産共同体のエージェントとして規定をしている、10人ぐらいの固有名詞群のうちの誰かなのです。
ほぼ、酒井忠康氏だったと思っていますが・・・・それをこれから証明して行こうと思います。
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副題9、『馬越陽子さんは、結構なレベルで、かわいい人なのだ』
馬越さんは、京橋のギャラリー手という画廊に、私が入った途端に、後ろからそこへ入ってきました。初めてだそうで、画廊を褒めていましたが、私は、すぐぴんと来ましたよ。なぜ、馬越さんがここへ現れたかを。それは、無論のこと、私を狙って、やっつけるためにです。
馬越さんは、早速に用意された手はず(脚本を書いたのは、誰?)にのっとって、それをやり始めました。つまり、どんなに自分が成功していてえらいのかと説明を始めたのです。これはね。敵様が、私をどれほど、大きい存在だと感じてくれているかを表しています。ともかく、馬越陽子を、当て馬にしてやっつけたいと思うほど、私は大物なのです。
それに、それでは足りないと思ったら、今度は野見山暁治を、ぱしりとして、使ってくるわけでしょう。大変な大物扱いです。感謝申し上げます。
デモ、相手がやっつけようとして、それらの、人材を使えば使う非土、使われた人間の矮小さが見えてきてしまう私なのです。ですから、使われた人々は、その原案を作った人間たちをおうらみくださいませ。あなた方は、石川和子というとんでもないほど、自己肥大したわがまま人間と、その夫の犠牲になっていらっしゃるわけですよ。お気の毒にとしか、言いようがないですが。
で、黙って馬越さんの言葉を聞いていると「私は、日本人としてはじめて、北京で、個展をしたのよ」との事です。
「あ、そうですか」と、私は感嘆します。でも、それを、聞いても、負けたとも思いません。だって、段階が違い過ぎるので、比較の対象にはならないのです。もし、私が、自分を彼女のライバルとして規定をするためには、まず、松屋か、和光ぐらいで、企画展を五回ぐらい、その会話より前にやってもらっていないとだめです。それなら、『ライバルかな。だから悔しいかな』とも思いますが、そんな経歴もない私は、ただ、「はあ、はあ」と拝聴しているだけです。
彼女は私の顔を見ながら、それを、三回ほど、繰り返しましたが、狙ったほどの、効果がないと見て、がっかりした模様でした。その顔を見た途端に、私は内心で、大きな余裕を持ったのです。だって、『大物の画家が、こんな小さなことに使われて、それじゃあ、品格丸つぶれでしょう。かわいそうに』と思って。
私がヒールのある靴をはくと馬越さんと、10センチぐらいの差がついて私の方が高いのです。私は彼女を見下ろしながら、『かわいいところがあるなあ』と考えていました。まず、声がかわいいのです。同じ役柄を志村節子さんが、になったら、ちょっと怖いかな。志村節子さんは、かわいい声ではない。落ち着いた雰囲気で、きゃぴきゃぴもしてないし、何より眼光が鋭い。
それに、馬越さんには、お子さんがない。子育ての苦労をしていない。それが、少女みたいなところを、彼女にまだ、残しているのです。結婚をした事がある人ですから、山口みつ子さんよりは世慣れていて、ふてぶてしさは、より持っているでしょう。
デモ、馬越さんを、対、私宛のいじめよう武器に使った手合いは、きっと男性で、何も人生も人間もわかっていない人たちです。だから、逆効果というか、ゼロ効果というかで終わりました。私、本当に今でも、その夜を思い出すたびに、おかしくておかしくて、腹がよじれそうになってしまいます。
ちっとも、『参った。負けました』という表情やそぶりを見せない私に、彼女の方が参ったのか、馬越さんは、次の一手を、出してきました。「三越で、凱旋個展をするのよ」と。それは以前に、見た事があるので、メルマガでも書いています。賛嘆しています。一号を十万円で値付けしていますから、1000万円以上の絵が何点もありました。
が、それは値段のことだけで、絵そのものは、尊敬していないのです。私は文章を書くたびに常に、『30%で抑えております』といっています。馬越陽子に対して、その絵も、人間も含めて、本当にはどう感じているかなど、文章に書くはずがありません。社交儀礼的な文章です。ですから、馬越さんが、三越で、個展をし、それを、私へのいじめ(威張りかえって、此方をへこませる)に使うのなら、その個展は、たちまちに色あせて、『へ、そんなもの、知ったこっちゃないね』となるわけです。
この件は後で、ギャラリー手が、閉鎖してしまったので、鎌倉駅裏の喫茶店映画館が閉鎖されたり、鎌倉駅ホーム上の喫茶店が閉鎖された筋道とそっくりですから、井上ひさしと、伊藤玄二郎の原案で、酒井忠康氏が動き、一井さんが、馬越さんに電話をかけたり、車を用意したのだと思います。喫茶店映画館は、そこで、石川和子が、現在の夫、柳沢昇と訪れ、伊藤玄二郎と恋人だったから、鎌倉で、優遇されていて、市の公共の施設を万万使えるのよと、浅はかな自慢をしたところですが、その事実そのものを否定するために、喫茶店をやめさせたのです。建物そのものも壊されています。
そして、その土地は不思議な転売(たった、一日で、所有者が三度変っている)を繰り返されて大和建物というところが所有しています。小沢一郎のダミー会社だったりして・・・・・週刊誌様、これは、いいねたですよ。ともかく、その持ち主は、国際的軍産共同体に関係があるでしょう。
また、鎌倉駅ホーム内の喫茶店も取り壊されています。いつも、平山郁夫さんご夫妻ががコーフィーを飲んでいたところです。二階堂のお宅から駅までが遠いので、駅まで着いたら一服してから東京へという習慣になさっていたのです。
そこで、私が、井上ひさしさんに、「れすとらん・ろしなんて」という自分の本を差し出し、「もらってくださいますか?」といったのに、1分ぐらい無言だったから、その肩をぽんとたたいて、「要らないわね」といったのです。それが、からかったことになっちゃったのでしょう。だって、ものすごく実態は軽い人です。そしておびえている人です。 そんなことは人間観察の鋭い私には、すぐわかります。
でも、彼はそれだからこそ、頭にきたのでしょうね。裏では、私に対して、ひどい事をやり続けているのに、そちらの方はばれていないはずだから、と、高にくくって傲慢のきわみになっているのです。で、僕の肩に、無名のやつが、ぽんと手をかけるなど、持っての他だ。怒り心頭だということになるのでしょう。でも、そんなことで、駅構内の喫茶店をつぶすなんて、独裁者もいいところです。後入りの鎌倉びとなのに、やりたい放題で、悪い事をやっています。
だから、鶴岡八幡宮の大銀杏も倒壊したのですよ。その詳細は後段で述べますが。
伊藤玄二郎が、八幡宮様を動かした数々の弊害は、どうせ、井上ひさし、原案に違いないですから。
元に戻ります。ともかく、鎌倉の二人の原案に基づいて、馬越陽子さんは、京橋に、夕方来て、じっと待っていたわけです。電話でこの件を依頼をされた後の緊張感等も、含めれば、その午後は丸々つぶれたでしょう。
彼女は不満たらたらで、本当は怒りたいところだったと思います。だけど、ぶっちゃけた話はできませんね。「これはね。あなたをやっつけるために、している仕事だから、早く、あなた、へこ込みなさいよ。つぶれなさいよ」というわけにも行かないでしょう。そして、馬越さんだって馬鹿ではない。10分ぐらい立て板に水で、自慢をしまくったけれど、それは、日本の道徳観でいえば不自然です。自分の方だけ話すのだって、不自然だし、その上に、自慢だけをたらたら、10分も言う。それも何度も繰り返して。それじゃあ、馬越さんも、疲れますよ。潜在意識の中で、自分でも、『これは、あらゆる意味で、まずいなあ。自分はとんでもなく変な事をやっている。または、やらされている』と、気が付くはずですから。
で、「ああ、疲れたわ」と彼女は言い出したのです。今でもその場面を思い出すとおかしくておかしくて、腹がよじれそうです。
馬越さんが登場した日から突然に時制を飛ばして、これを書いている現在に入ります。木曜日は長い時間外出をしたので、遊んでやれなかった猫がそばに、ぴったりと寄り添って、ごろごろ言っています。時々は片手で、なでたりちょっかいを出して遊んでやります。今は午前四時なので、夫に音で迷惑をかけるのを恐れて、自分だけの寝室に入り、自分の布団の上で、パソコンを打っています。すると、同じ布団に乗っている猫と同じ平面に居ることになるので、彼女も上機嫌です。その上機嫌な猫が、笑い転げている私を不思議そうに見ています。猫は、残念ながら笑うことはできません。が、私は笑う事を、やめられません。
あの日、馬越さんに、『ぶっちゃけたはなし、こんな変な要請を受けて、さぞお疲れになったでしょうね』と言いたいぐらいでしたが、乙女チックな彼女は、それを受けとめたり、処理したりできるほど、さばけては居ないと判断しましたので、ひたすら調子を合わせていました。「疲れた」という発言にも、最上級の礼儀をこめて、「ええ、そうですよね。北京からお帰りになってすぐ、三越で、個展では」と、お愛想を言っておきました。
馬越さんはさらに、「疲れた」を連発しました。合計10回以上。そして、経過時間として、10分も経つと、彼女の方は、何も話す事がなくなってやがて帰っていきました。私の近況を問い合わせることもありませんでした。まるでロボットみたいでした。
その時に、「この人と、一緒に暮らすのは、ずいぶんと、つまらないことなのだろうなあ」と、わかりました。人は誰だって、自分を認めてもらいたいとか、自分を理解してもらいたいと思うものです。最初の結婚で、ご主人様が、自殺をなさったのは、それが原因だったでしょう。猫だって、水曜日から、金曜日の早朝にかけて、30時間程度遊んでやらなかったら必死で「遊んで。遊んで」と、まとわりついてきます。愛情を求めているのです。
馬越さんのご主人は、人間です。それも、正式な結婚をした配偶者でしたから、「こっちを向いて。僕と向き合って」というのは、当たりまえです。デモ、ご主人が自殺した当時、馬越さんは、別のところへ出かけていたのです。正式な理由はあったでしょう。が、本当のところは、馬越さんにとって、結婚生活そのものが、つまらないものだったのです。人と24時間同部屋で生活するということは、別に勝利感を満たすものでも、達成感を満たすものでもありません。
そういうものだけを、それ以前の人生のさなかで求めてきた、馬越さんは、突然、『自分は、今、無駄な時間をすごしているのだわ』という発想にとらわれたのです。しかし、芸大の同級生、および教職員にご披露をしてしまった結婚では、そういうご自分固有の、実存的理由を持ち出して、離婚を申し出でることはできません。
誰も理解しないし、同調をしないと思います。だから、そこをあいまいにして、一種の別居状態に入っていた。だけど、ご主人の方は意味がわからないから、単に捨てられたという感情だけを抱いて、絶望をしたのです。かわいそうに。
だけど、そういう成育史をもつ、馬越さんだって、かわいそうなのです。彼女が『成功のみ』を追い求めるのは、絶対に、『両親がそれを希望していた』という裏もあるはずだからです。
ところで、ここで補足ですが、馬越さんの父君って、弁護士なのですよ。だから、社会的な規範からすれば、その親世代で、すでにエリートです。ただ、その上を行く成功のイメージが、芸術家だったのでしょう。
ところで、スピンオフですが、私のケースを語らせてください。中学校時代までは、医者になれと切望をされていました。学校の成績は抜群に優秀で、神奈川県一、頭が良いと言われていたので、医学部合格は可能だと親は見ていたのです。だけど、私自身は医者には絶対になりたくないのです。もし、私が医者になったら、おなかの中に、しょっちゅうガーゼを残したままで、縫合しちゃうような医者になってしまって、やがて、事件となり勤務先の病院に大迷惑をかける人となってしまうでしょう。私は考えるということがだいいすきなのです。それは、他人から見ると、単に白昼夢にふけっている徒食の徒です。
でも、それが、本質だから、それで、やっていかれる職に付くしかないのです。ただ、ライターとか、芸術家になるのを親が許してくれたわけでもないのですよ。親が大学を卒業するころ望んだことは、「25歳以内で、処女のうちに、さっさと結婚をしてくれ」でした。『五つで神童、十で天才、はたちすぎればただの人』の典型らしかった私は、親には平凡な人として、いっそ歩を送ってくれと願われていたのです。
どうして、そういう願いを親が持ったかというと、私はそれなりに、平凡ではないところがあるので素。それは、わかっていたからこそ、芸術の道に進む野などもってのほかで、反対されまくっていて、美大の進学は許されず、文学部だって許されませんでした。が、父の死をきっかけに、その遺産を利用して、ぐんぐん、この世界に入ってきている私です。やっぱり、本質はreveal するものなのです。
元に戻れば、
親の気分の上の縛りから脱却できていない馬越さんは、いまだに少女なのです。
だから、瞬間的な接触だけを、やった相手は、彼女を『かわいい人だ』と思うでしょう。欠点があるなどとは見破れないと思います。
喧嘩をすることまでを含めて、相手に関心を持ち、かかわるというのが結婚という場での、愛情です。そして、人間とは相手に愛情を持ち、奉仕をしない限り、相手を変えたり支配することはできません。ただ威張ったって、それは何の効果も生み出さないのです。
ですから、私は文章を書く事をやめません。
ただ、その夜でも、彼女が去ってからの私は、『どんなに、自分が恵まれているか』を感じました。
それは、一般の人が推察するような、夫が居て、子供が居て、孫が居るというようなポイントではないのです。
そうではなくて、無名であることがどれほど、豊かな毎日を送ることができるかに気が付いたからです。海外に行ってもそうです。私は三ヶ月滞在する事を三回繰り返していますが、特別な紹介者もなく、また、有名人でもないので、特権もありません。
だからこそ、相手たちは遠慮をせず、素の自分を出してきます。喧嘩を売られたり、嫉妬されたりもして、仕事の進行を邪魔されたりします。だけど、それが豊かな経験だということです。
馬越さんが、北京で個展をする。それは、日本人で初めてだとなると、協力する日本人も、中国人も一定以上の礼儀と敬愛をこめて、接遇をしてくれるでしょう。ものすごく、気持ちはいいでしょう。でも、心理的な意味で、豊かな経験をしたというには程遠いものとなると感じます。
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副題10、『酒井忠康氏、の奥様さえ、利用されるが、此方も平気です』
最初は主に、女性が利用をされていたのです。特に鎌倉近辺の。
恐れ入りますがここで、再びの、中断へ入らせてくださいませ。
9月の中旬にグループ展があるので、準備に時間がかかります。恐れ入ります。
10時間ないし、20時間後に、この部分に、取り組みます。
と、言って、仕事をしながら、ふと考えついたのですが、すでに、一万字を超えているので、この部分はそっくり、別の機会に譲らせてくださいませ。ただ、馬越さんとの連想で思い出したのは、二人は相当に似ていると言うことがあるからです。声がかわいい。また、一種のかまたととではないかと思うほどの、幼さが、残っている・・・・・という意味で、二人はとても似ています。
ただ、馬越さんが利用をされたこと、酒井忠康・夫人・が利用されたことなどから考えて、野見山さんの動きは、鎌倉が原因の、いじめであることは確かだと、私が考えているということです。
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副題11、『ここで、酒井忠康氏、登場す』
さて、これは、糸電話の仕組みです。大発生源は、伊藤玄二郎が、石川和子というおばかさんと、古くから、愛人関係にあって、かまくら春秋社の看板をさえ与えて(最近、その板自身は、おろしているみたいですが、名前は、ひきつづき、かまくら春秋釜として、与えていて、あつかましくもホーム頁まで作ってやり、石川和子オマージュのホーム頁も作っているほどです)甘やかしてきた、石川和子が、警察を巻き込んで、大失敗をしているのは、何度もお話をしていると思いますが、すべてはそこから発生をしています。
伊藤玄二郎は、瀬島隆三のバックアップを得てのし上がってきた存在で、鎌倉でひたすら大きな顔をしている存在ですが、
ペンクラブの縁で、鎌倉へ、引っ越してきた井上ひさしと、ぴったりと結びついて、さらに勢力を拡大しました。
二人は個人的にも、鎌倉ペンクラブ会長と、日本ペンクラブ会長として表に見える形で、仲良しになったわけですが、たまたま、裏側では、二人が二人とも、国際的軍産共同体のエージェントでもあって、それもあって、強固なたっぐマッチを組んだわけです。
そこへ、酒井忠康氏が、加わっています。こちらは、いつ、何が機縁で、エージェント化したかはわかりませんが、美術の世界に住んでいる私をいじめるために、起用をされていて、重用もされています。
この三人が組んで仕掛けてくる悪さは大変に数が多くて、今は、そこには踏み込みたくないと思っていたほどでしたが、
昨22日の昼間、鎌倉在住の画家、田口広勝氏から、電話が、かかってきて、酒井忠康氏と、伊藤+井上が、どれほど、この野見山暁治 VS 山口みつ子問題を書いてほしくないと思っているかがわかりました。
この三人が仕掛けてくる悪行は、すべて、『裏側は、みつけられっこないよ。絶対に僕たちは安全だ。僕たちに不名誉が、かかってくるはずがない』という、甘い甘い発想で行われます。しかし、私が、ここまではっきりと野見山暁治の悪を書くと、さすがに気がとがめるのか、書かせたくないなあと、思うらしいのです。それで、私の知人を使ってくる。
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副題12、『田口広勝さんは、頭が良くて善人なのに、金色夜叉状態に陥ってしまい』
田口さんは、今回だけではなくて、何回も使われています。確定的だったのは、2008年の12月のある午後、三回に分けてかかってきた長電話です。美術評論の話の途中で、田口さんの方から、「今度、川崎さんと喧嘩をしなくちゃなんねえな」と、すごまれて、そして、電話が切れたのです。普段は温和で誠実で、いい人が、これほど、豹変したのにびっくりしました。だけど、こと美術の論争では、私も引くことができません。相手が悪人なら深追いをしませんが、田口さんはいい人です。
ただ、作家として、気持ちが不純になっているところあります。それは、賞狙いの方向に進みつつあることなのです。で、そのことだけは言っておきたいと思って、今度は、こちらからかけてみると、彼は、自宅にいないのです。
すっかり裏が読めました。彼は、多分、神奈川県立近代美術館・旧本館のどこかに、呼び出されていて、そばに、伊藤玄二郎、酒井忠康氏などがいて、その監視下で、こちらに電話をかけてきたと、考えられます。そんな罠を仕掛けてきた目的は何かというと、田口さんと、自由自在に語らせて、その間に、私の本音とか、愚痴が出る事が期待をされていたのでした。
どうしてかというと、このころ、すさまじい勢いで弾圧をされていて、それに気が付いてきていて、それを、メルマガで、現象として少しずつ書き始めていました。ただ、本当の裏側はまだ書き表していなかった時期です。今だって、100%は書いていませんよ。どこまで、書くかは、その日の気分によるのです。といったら変ですが、事前の計画というより、神が頭の中におろしてくださる文書を書くという趣です。
それでも、グランドデザインとして、書くことのプラスとマイナスへの恐れや懸念はあって、最初から、こんなにバリバリと書いていたわけではありません。すべて仮名で書いてたのです。
私は内心では、深い怒りはもって居ます。が、復讐をするために書いているわけではないのです。たしなめたいわけですね。『あ、自分がやったことがばれているんだ。これは恥ずかしいし、大変なことになる』と思って、それらのいやな事をやめてもらいたいわけです。つまり、最も悪い大本の人間たちに反省してもらいたいわけです。だから、すべて仮名で書いてました。
ところが、反省するどころか、もっと、もっと悪い事をやってくるのです。で、だんだん、本名で書くようになりました。特に中途半端がもっとも、こちら側の、損失が大きいのです。仮名で書く事がその中途半端に当たることにも気が付いてきていますしね。
デモ、そこまで一気に達したわけではなくて、長い道のりを紆余曲折してきたのです。その間、私がどこまで知っているのかを、彼らは、探りたいと願っていたのでした。それによって、次の攻撃案を生みだすためです。その探ってくる感じ。
もちろん、私だって、それが、わかるから、用心をし始めます。それを破ってまで、本心を探りたいわけです。そういう役目をになったのが、田口さんです。
彼と私のお付き合いはまったくの偶然で始まりました。
7月なのに、信じがたいほど、寒い日に、京橋で、ふとあって、「本をもらったお礼に、お茶を」とチェーン店スタイルの喫茶店に誘われて一緒に入ったのが、最初ですが、それまで遠くから軽く接していた時期の態度とは、まったく違った素朴な感じに驚いて、文章化したのが、敵の眼にとまったのでしょう。
彼は本来は素朴な人ではありません。ケン高く威張っている人です。それが10年ぶりぐらいに出会ったら、まったく変わっていたので、びっくりしたのです。ご本人がおっしゃるには、病気をされて、一種の啓示を受けた模様です。それで、私としては、自分と同種の人として、信頼するようになったのです。また、鎌倉の人なので、主人の治療を受けに来られたり、その際、奥様が車を運転して彼を、送ってくるので、自然に、両家で、夫婦四人が知り合うようにもなって、
『自宅の北の方に、
ポッと、火がともる心のオアシスみたいなところができた』と、喜んでいたのに、それが、早速に狙われて
彼は、いつの間にか、間諜の役目を担うようになっていたのです。それを、私が見やぶっている事を彼に言うかどうかですが、絶対にいいませんよ。具体的な人間を相手に喧嘩をしたのは、ニューヨークで版画制作の邪魔をしてきた、不出来な日本人女性を相手にしたときだけです。
ご近所様だって、銀座で出会う画家だって、どんないやな事をされても喧嘩という形にはもっていきません。深い怒りをもつが、ただ、黙っているだけです。そして、文章にいきさつを分析して書くだけです。
でも、今回はとうとう、田口さんをこちらから切ったわけです。どうしてかというと、田口さんの裏側に居る人物たちに、怒り心頭だからです。
8月23日に田口さんが電話をかけてきたのは、用件は11月のグループ展に参加するかどうかの確認でした。だが、それは、カモフラージュの意味合いしかないです。田口さんは頼まれて、電話をかけるように命令されただけでしょう。彼はその事務的な意味での、当番でもないのだし、締め切りはずっと先なので、わざわざ電話で連絡をしてもらう必要はないのです。
目的は、別のところにあったのです。すなわち、「酒井忠康氏については、触れるなよ」という脅かしめいた警告なのでした。もちろん、田口さんは、何もわかっていないで利用をされただけですよ。彼は、私が、今何をブログで書いているかを知りません。あまり、パソコンをいじっていない人なのです。昔は編集者だったので、パソコンをいじった人なのですが、今は、筆やペンで絵を描くのに夢中な人ですから。
田口さんが、裏で、どういう事までを吹き込まれているかはわかりませんが、馬越さんよりは地頭がいい人だから、ものすごいレベルで、会話は、高度な内容になります。素朴な調子で、お互いに弱点をさらけ出しながら話し合うのですが、内容は100%美術のことです。しかし、その裏側に、大きく政治の雲が、かかっていて、深い二重構造を持っている会話です。
それを無難にこなしていくのだから、頭はものすごく良い人ですが、善人でもあります。2010年の四月に罠としての個展を持ちかけてきた森さんよりは、素朴な善意の人です。
表向きは北鎌倉で、開かれるグループ展へのお誘いですが、実質的な内容は、
『おまえさあ。アーチストである事を捨てないつもりだろう。それなら、鎌倉一、えらい人である、酒井忠康を、書いたらだめだぞ。画壇で生きられなくなるぞ。そのことはわかっているだろうな。忘れているんじゃあ、あんめえな』ということなのです。
これは、田口さんが、心の中で思っているせりふではありません。
伊藤玄二郎とか、井上ひさし、それから、二人のうえに立つ、小沢一郎氏は、この程度の会話をしているだろうと推察できるから、彼らの口調を再現しただけです。
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副題13、『どうして、酒井忠康氏が、それほど、大切なのか?』
まず、伊藤玄二郎にとって、良く知っている人物であるという事がつらいのでしょう。
この二人は、ほぼ、同世代の、しかも、鎌倉では突出した(?)文化人として、大学卒業以来の、40年間、相当に緊密な交流を続けてきた間柄であろうと感じます。
野見山暁治、山口千里、山口みつ子などは、伊藤玄二郎にとっては、「彼らが死のうが生きようが、へ、そんなこと、俺に取っちゃあ、究極の意味で、痛くも痒くもないぜ」という存在です。それに、野見山さんのやったことは、川崎千恵子の悪口を、山口みつ子さんへ吹き込むということです。
そんなことは世間には、ざらにある話だと、言って、けつをまくって逃げちゃえばいいと、おもっているはずです。
つまり、誰かをぱしりとして、利用しても、利用された当人がへまをするのなら、それは、その人、個人の責任に帰して、トカゲの尻尾切りをすれば言いやと、高をくくっているのが彼らです。
しかし、酒井忠康氏は、朝日新聞の顧問だ(または、だった)と思うし、
私に対する悪さも、野見山さんの、20ばいぐらいあるのですよ。だから、底に触れられたら大変で、我が家の近辺で工事をしえ来ること。それから、真夜中、スイッチを入れても居ないプリンターを動かしてくること・・・・・これは、2007年を中心に、本当に何回もやられた、脅かしです。大型無線ランの機能を通じて、簡単にできる動作なでしょう。ただ、2007年当時とは違って、2011年の今では、それでは、何も脅かされず、ただ、単に、『ふむ。ふむ。今、私が書いていることは非常に重要であり、かつ、真実なのだ』と思うだけです。
まあ、このあたりは、この2011年の4月の大原光孝氏の私への攻撃へのご返事としての文章なのですが、それは、また、後で、詳細を書きます。
ただ、中目黒の大原さんと言う紳士が、福島県在住の廃品回収業者に白昼どうどうと、殺害をされた事件は、大構造としては、山口みつこさんの死亡と、大体似ています。
だから、ここで、酒井忠康氏を登場させている訳ですが・・・・・
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副題14、『八幡宮様は、かくのごとくに、使役をされる』
このころの、私の状況ってすごかったです。パソコンは壊れるは、頼みの綱のアジサイ畑欺もう事件の証拠は、神奈川県のお金を使って、消されていくは、泥棒が入って、大事なものを次から次へと盗んでいくは、ご近所は、未婚のお嬢さんの、携帯を使って、私の頭に水はぶっ掛けるは、はたまた楽器の音階練習で、うんざりさせるは、八幡宮様からは、朝の九時から大音響で、「マイクのテスト中です」とが成り立てるわ(これだけは、さすがに私以外のご近所様から「どうか、やめてください」とお願いが入ったそうです。音楽会は、夜の七時からですから、本当に音による拷問です。
鎌倉の鶴岡八幡宮の周囲・数百軒のお宅はこの大騒音が、あなた方が名士として尊敬をしている、伊藤玄二郎と、井上ひさしのアイデアとお勧めによって、八幡宮様がおとりになっている、または、業者にやることを許していらっしゃる現象だと気がついておられますか?
この二人は骨の髄までの悪人で、万一の場合は、当夜の演目者・葉加瀬太郎に、責任を負わせれば良いと、考えているのでしょう。
ところで、このブログを初めて読む方に、お知らせをしますが、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、私が音に、大変に、敏感だと、判断しています。特に夏は、紙の本を出版するための機械へかける直前までの、データをパソコンで作っています。これは、普通は、男性が、出版社や、印刷所のなど、五箇所ぐらい別の場所で、五人ぐらいが分担して、それ専用の、環境を整えてやる仕事なのです。それを、一人で、やっているので、頭をものすごく使います。それを、パソコンへのハッキングで知っているので、音を武器に攻め立てて来て邪魔するわけなのです。しかも、自分たちは、責任を追及されないようにと用心して、八幡宮様を代理として、使役をするわけです。
しかもその葉加瀬太郎の会は、入場制限があったのです。つまり、一種の有料制です。これもちゃんと裏があります。その日、平原綾香が私の大好きな曲・カタリを、演奏したのです。 ともかく、2008年、2009年、2010年は、私は、毎日微量の毒を盛られ続けていて、自殺をするのを待たれていたと感じます。が、いきさつが飲み込めているから、絶対に自殺などいたしません。で、反対に、次から次へと、それらの悪を暴きつつあったから、彼らは怖くて怖くて仕方がないわけです。
でね、鎌倉でも悪さをして、人を苛め抜くが、東京、銀座でも、それから、友達が住んでいるところなら、関東圏、どこにでも、手を回して、私をいじめ抜いたのです。
それが、京橋における、野見山さんの暗躍と、山口みつ子さんの死を招いたのです。
それは、2010年の一月のことだったのですが、私は、その同じ、三月の、4日、6日、7日にわたって、山口さんの死をめぐるいきさつの不明朗さについて、このブログの世界で書いています。
その直後だったです。鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れました。
私はそのニュースを聞いたトタンに、天が、この世をすべているという真実に、はっきりと気がつきました。
八幡宮様は、京橋にまで、でしゃばっていらっしゃるわけではありません。だけど、酒井忠康と、伊藤玄二郎と言う人間を通じて、見事にそこまで一本に連関が通じてしまうのです。アメリカキササゲをお切りになったり、前田清子夫人を、國學院大學へご推薦なさったりしたことだけで、天がお怒りになったわけでもないのです。
ここで、前田清子夫人がどういう人であるかを知らない方には、文脈が通らないとなると感じます。前田清子夫人のあれこれについては、何度も、いろいろ書いていますが、ここでは、2010年9月18日『ペンキ塗り(命令)からわかる、現在の左翼政党』分をご紹介をさせていただきます。
あなた様(スタッフ様のことです)が、ひごろ親しくしている人材が、別の場所でひどい事をすると、神様だけに、その影響が非常に大きく現れるということです。
では、今は、27日(土)の午前11時半ですが、ここで、初稿を終わるとさせてくださいませ。誤変換は、全部をなおしていないかもしれま線が、先へ行きたいので、ここで、署名を入れて、これは、終わりとさせてくださいませ。
2011年25~28日にかけて書く 雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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