銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

嘉田新党ー5 、・・・・・・官房機密費は、鎌倉で使われているかな?

2012-12-03 03:48:16 | Weblog

 今は5日(水)の午後五時半です。やっと完成しました。誤変換が数か所残っているかもしれませんが、主意は一応まとまりました。昨日の三倍になっているし、新しいものをどんどん入れてあります。

副題1、『嘉田由紀子さんによりそう参謀は山口県人らしいが?』

副題2、『日本史の教科書で、閥について習うが、ここで復習しておこう』

副題3、『広島県、移民と、帰米二世の戦後の大出世』

副題4、『中目黒の大原さん、夫妻殺傷事件は、ここに起因がある』

副題5、『戦時中は、男性が不足をしていたのです』

副題6、『2012年12月5日、藤森官房長官は、官房機密費について記者会見をしたが、その裏に何があるか?』

副題7、『敗戦後20年間の日本はとても暮らしやすかった』

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副題1、『嘉田由紀子さんによりそう参謀は、山口県人らしいが?』

 さて、昨日ですが、結構大きなメモを残しております。それでも、無事に続きを書けるかな?という疑問も残しながら。さて、起きてみると案の定、うまく文章が書けないというバグが入っていました。今、突破して、書き始めているところです。

 昨日上げたメモ群は、とても大きな話題ばかりなのですが、本日は、より大きな、しかも書きにくい話題へ入ります。それは、明治天皇とは、山口県田布施町出身の下級士族、(むしろ町民といってよいか?)、大室寅之祐説です。これは、非常に大きい疑問ですね。通説なのか?、うわさなのか?、でも、グーグルで田布施町と引くと田布施町のwikipediaにも出てきますし、

 『田布施町 明治天皇』と、列記して検索するとたくさんの項目が出てきます。

 でも、皆様に衝撃を与えることが目的で、それを書くのではないのです。こんなことを言い出したのは、嘉田新党の設立に関して、嘉田由紀子さんに寄り添う、人物がいて、前回の山口県知事選に出たと言われたからです。

 父が萩の出身である、私は、どちらかと言えば、山口県びいきというか、山口県には関心がありますが、既にどっぷりと関東人となっていて山口県知事選には、詳しくありません。で、この人物、飯田哲也氏については、一切知らず、今、あわてて、グーグル検索をしました。というのも、彼が山口県人であるとすると、その田布施町の閥が、現在にも生きている証拠となるかもしれないからです。

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副題2、『日本史の教科書で、閥について習うが、ここで復習しておこう』

 今現在流布している日本史の教科書では、どういう記述になっているかは知りませんが、私が1950年代に習ったところによれば、明治維新は、薩長連合の下級士族で運営をされ、そこに、土佐藩と肥後藩出身の下級士族が加わって、運営をされたと言われています。

 閥とは現代では死語ですが、いわゆるコネのことです。戦後コネが、忌避されて、タブー視をされ、学歴が重視されるようになりました。それで、いい大学を出ることが、すなわち、出世・・・・(これも死語の一つですが、年金の額や福利厚生施設の充実を考えると、寄らば<または拠らば>大樹の陰は現代にも生きているようになりました)・・・・のための、重要なファクターになり、東京圏では、中学時の私学受験が重要なこととなり、それで、子供が大きくゆがんでいる面もあると思います。というのも中学受験に成功するか否かは親のサポートが大きいからです。車で送り迎え、お弁当を夜分も作るなどのサポートがあるかないかが、重要になってきます。で、それは子供を弱くしますので、会社に入ってからやめたり結婚してから離婚をしたりします。

 で、私は山口県にルーツを持ちながら、広島県出身の男と結婚をしました。で、広島県にも親戚が多くできたのですが、広島県人と山口県人では、明治以降の生活の設計が大きく違っているのです。山口県人は、官憲を中心のとして政府の要職に就こうとする意識が強く、広島県人は、軍人という方向に延びていくのか、または、移民という方向へ伸びて行っています。

 それは、山口県民が、利益を得ているこの日本社会に、絶望をしたということもあるでしょう。悔しいなあとか嫌だなあという思いを強く抱いたので、海外に新天地を求めたのです。

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 これから、先、副題3~6までの章全体が加筆です。だから、読みにくくなるので、アンダーラインを入れません。

副題3、『広島県、移民と、帰米二世の戦後の大出世』

 ですから、広島県から、カリフォルニアなどに戦前にわたった人は別に貧乏だったわけでもなくて、能力も非常に高かったと思われます。ただ、ただ、長州藩の閥の威力を嫌ったのだと思われます。

 このご近所に20年前から住んでいて、町内会長をしていて、たぶん瀬島龍三からそう頼まれたので、我が家の山を無許可でだだだっと崩してしまった中谷共二氏(故人)は、その帰米二世です。大学教育を日本で受けたか、アメリカで受けたかは知りませんが、戦後羽田空港の油の供給を一手に引き受ける一種のガソリンスタンド(だけど大変規模の大きいもので、現在は羽田空港会社の一部となっているのではないかしら)を経営していました。

 成田空港ができていない時代の羽田空港です。これは、特権的な立場であり、中谷氏がどれほどの、大物扱いを受けていたかを語る話です。広島県の出身でしょう。で、移民がレベルが高かったという証明です。そして、帰米二世が、一種のエージェント化していった過程もわかってきますね。

 車社会が始まる前のこの山は、結構人気のある住宅地だったらしくて、このご一家とか、そのほか結構な格の高いインテリも、住んでいたらしいですよ。まあ、今も、インテリと芸術家だらけの住む、住宅地ではありますが。

 中谷さんは無許可で、我が家の山を崩したことに関しては、平身低頭したくせに最後まで、悪さ(=アジサイ畑欺罔事件)を遂行した、のです。私の見るところ、お顔はきれいで、紳士ですが、まるで、統治能力がない人で、そのころのこの山のうるささと、主婦同士の陰湿ないじめ合いはすさまじかったのです。

 私が最初に家を買おうかとおもっていたうち(現在は、違う家を買って引っ越してきたのだが)のご主人は大学教授だということですが、奥様がノイローゼになったから引っ越すとのことでした。引っ越してきてからわかったのですが、『それも無理もないね』というほど、めちゃくちゃだったのです。ここに来る前に住んでいた横須賀・北久里浜より民度が低い、感じでした。また、実家のある日吉よりは、さらに民度が低いという感じでした。一戸建ての住宅地・固有のルールがまるでない一帯だったのです。

 今は、活動している主婦が、10人しかいないし、私が、こういう風に文章を書いているから、わがままなことや非常識なことをすると彼女に書かれるよ』ということになっているらしくて、やっと、静かになっていますが、そのころは蜂の巣をつついたようなうるさい地域だったのです。

 それは安野夫人の意向で、そうなってしまうのですが、今は、無住の家も増え、働いている若い奥さんもいるので、主婦が昼間でも家にいて、回覧板を受け取ったりする家が、10軒だけになってしまったので、やっと、こういう地域でグループを作ったり閥を作ったりするととんでもないことになり、自分が暮らしにくくなるのだということがみなさんに分かったみたいですが、最初はそうではありませんでした。それで矛盾が重なりきっていて、どうしようもないところに来ていて、我が家のお向かいの藤本悌子夫人が、道路を通せんぼしたいと思い、それを絶妙な形=『自分の家、固有の新しいフェンスを作ります』という形で、主張したのです。それは、前田祝一・清子夫妻の家が、道路の使用形態で、拠出分が少ないので、そこを突いた復讐でした。前田夫人が、それほど、はた迷惑な人だったことを証明する話です。その違法占拠は彼らではなく前の住民がやったことなのですが、それを、糺すという形でした。敵は本能寺にありで、迷惑行為が続く前田夫人を困らせてやろうというのが本音でしょう。

 そういう状況で引っ越してきた、私が人が良いし主人が松阪に単身赴任をしていたので、さらに弱い立場でした。この主人の転勤も、今思うと、瀬島龍三の差し金だったでしょうね。だから私が書いているご近所トラブルはすこぶる大きな問題を含んでいます。政治問題なのですよ。好き嫌いという感情の範疇をはるかに飛び越えた大きな政治問題なのです。

 ともかく瀬島龍三からの差し金があったとみなせますが、驚くべき大損を我が家に押し付けて、事(すべての矛盾)を解決しようとしたのが中谷共二氏です。なんと弱いのだろうとあきれ返りました。この人に比べれば、まだ、前田祝一氏の方が、人間として立派です。統治能力もあります。奥さんは大変に困った人ですが、ご主人は立派な人です。

 ただ、中谷共二氏の方に戻れば、もしかしたらですが、帰米二世として、この国際的軍産共同体の仕組みには、すでに、明瞭に組み込まれていて、上品に見えながら、意図して、瀬島龍三の言うなりになったとも推察されます。エサ(=見返り)は何かと言えば、坊ちゃんたち二人の出世です。瀬島龍三の悪については、ルネ北久里浜(このブログの、2012年3月16日の記事)他をご参照ください。

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これも加筆部分です。アンダーラインを引きません。

副題4、『中目黒の大原さん、夫妻殺傷事件は、ここに起因がある』

 その当時は、私が、40代前半です。だから、中谷さんの坊ちゃん方は二人とも30代だったでしょう。上が東大出身で、下が慶応大学出身です。三時間も中谷家の応接間で、あれこれを話し合ったのですから、すべて中谷氏本人から聞いている情報です。

 上の坊ちゃんですが、とてもいい人です。紳士です。そして、すれ違えば挨拶をしてくださるし、重いもの、(たとえばプリンターなど)を持っていたら代わりに持ってくださいます。これは、このアジサイ畑欺罔事件の詳細を聞いていないか、それとも、お母さんと仲良しなので、お母さんから、いろいろ、聞いておられる可能性があるからです。『こちらにも悪いところがあるのよ』と、あの奥様だったらおっしゃった可能性はあります。

 でね、順当にお勤めなさっていても出世をされた可能性のある方ですが、ここにご近所の大原光孝氏が絡んできて、大変面倒な問題が起きてきます。

 この大原さんも外見は上品な紳士で、私はずっと仲良く暮らしてきました。それで、15年は過ごしてきたのです。ところがある時点から、急に彼が変わったのです。それはね。日経新聞の石塚雅彦さんと、酒井忠康などが、連動して、裏工作をしたからだと推察をしています。彼を自分たちの味方というか、一種のスパイ役に、リルートしたのだと思います。

 突然に対応が変わってきました。それは、裏で、彼が木口版画の習得のために、柄沢斉氏の弟子になったころからの大変化です。柄沢斉と、大原さんは、創形美術学校の同窓だから弟子入りするのには縁があります。だけど、作品を売ることだけで、食べて行かれるほどの大作家である柄沢斉が、弟子をとるなどということは、普通はあり得ないのです。当時、大原家の令嬢がお嫁入りの一つの良き道具となる、神奈川県立近代美術館に、勤務(ただし、番人だが)し始めたころなので、すべては連動しているでしょう。

 このころは、私はブログなどもやっておらず、(メルマガで、一部の人にエッセイを送っていただけの段階でしたが、)力が弱かったので、大原光孝さんは、私を見くびる捨て台詞を数々放つようになるのです。

 『ワインが割れて惜しかったねえ』もその一つですが、中谷家のご長男に関して、『川崎さん、中谷さんのご長男は、東大宇宙研究所の所長ですよ』と嫌味たっぷりに言ったのです。この二つのセリフには激怒しました。アジサイ畑欺罔事件が起きた時に、それが、中谷さんの一存だったのにもかかわらず、・・・・・山が崩された当夜に、全戸を訪問した確認してありますが、誰も事の詳細を知りませんでした。町内会総会で決まったことでもなんでもないのです。だが、いつの間にか町内会で議決をされた町内会の主導のこととなっています。そして、当時、中谷さんの助手的な立場にあった大原光孝氏は大きな責任を負わないといけない立場となっていますね。私が、被害を申し立てはじめるとそうなります。

 だから、いじめて来るのです。引越しをさせれば、自分が助かるからです。私は最初は匿名で、ワインが割れての問題は書きました。2004年か2005年のころです。何台もパソコンが壊されたし、AOLのメールは、パソコン内のハードディスクにはのころない形なので、初稿は失われていますが、最近も怒ることがたくさんあるので、書き直してあります。

 ワインが割れてを書く前に、一応、問い合わせたのです。あなたが昨日、石段でおっしゃったことは、それを文章に直すと、非常に汚い現象となりますよ』と言ったのです。そこで彼ができた人というか、人間として修行を積んだ存在なら「あ、すみませんでした。昨晩は飲んでいたので、気が大きくなっちゃいましてね』というぐらいのあいさつ(一種の間接的な謝罪)をしてくるはずです。ワシオトシヒコという詩人を相手にそっくりなことが起きたのですが、そちらは練れているから、すぐ、明るい謝罪をしてきましたから、いまだにその詳細を書いていのですが、酒井忠康氏について書いていることで、銀座で不利になれば、ワシオトシヒコ氏との一件も書かないとならないでしょう。

 ただ大原光孝氏に関して言えば、彼が前田祝一氏程度に、成熟した人間であって、全体像が見えていて、謝罪をしてくれば、書かなかったと思います。が、彼は非常に甘い人間です。それは、後で、養子だということを別の人から偶然に、聞いて(別に質問をしたわけではないですが)、なるほど、そうだったのかとわかってきますが、スポイルドチャイルドの典型で、その時も、こちらが手を差し伸べているのにもかかわらず、「いいですよ。書いてください」と言い放ったのです。

 で、書きました。彼の予想外の文章となったはずです。よく男性が、『ケツの穴の毛まで抜かれる』と、表現しますが、ご近所に暮らしていれば、顔の表情や生活ぶりで、すべてがわかるものです。どうして、彼が捨て台詞を浴びせて来るかの、文章を書く際には、そういう日頃の観察が反映します。その内容の深さには、彼本人も、びっくりしたと思いま。が、繰り返しとなりますが、ご近所とはそういうものだから、できるだけ礼儀の範囲で、暮らすべきであり、自分が上だと勘違いして、いじめるのなど、最悪の現象です。だが、彼にはそれがわかっていなかった。

 それほどの、悶着がすでに、起きているのに、その後、オープンハウスに来てくれたのは不思議なことでしたね。だけど、その日以来、美しいティー・スプーンが家の中を散歩することになって(笑)、挙句の果ては、半分に数が減ってしまいました。また、家じゅうに飾りつけてある額の類が、私の留守中に全部、または、ある個所だけ、左側が、3センチほど、下がっていることになりました。そして、NHKが、クロームメッキは禁止になったと報道しました。だから、彼は国際的軍産共同体のスパイ役を果たしていると、上に言っているのは言い過ぎではないのです。

 彼が上奏した進言によって、実際に、我が家に留守中に侵入して、悪さをする泥棒だけは、ブルーカラーとしてのエージェントだろうと言っておきます。お医者さんの息子が他人の家に泥棒に入るとは思いたくないです。だから、彼の、進言によって別の人間が侵入していると、みなしています。

 ところで、こういうことを今はサクサク書いていますが、2010年の最初はまだまだ、大変でした。その3月10日に八幡宮様の大銀杏が倒れて、私はその当時は何も書いていませんが、伊藤玄二郎を中心とする鎌倉エージェントたちも、内心では、震撼したと思います。

 『天は、すべてをみそなわす』というのは本当なのです。だけど、それ以前はやりたい放題でした。勝てばいい。勝てばいいの大合唱だったと思います。

 そんな中で、美術界に生きている私は、ご近所様だけではなくて、美術界からも相当ないじめを受けています。その震源地ですが、わからないようにふるまっているものの、酒井忠康氏で、あることは明瞭でした。で、それに売れ始めて、キーパーソンとして、この大原光孝氏を使おうと思ったら、敵がひどいことをやってきました。

 同じ苗字の大原さんという東大出身で、元製紙会社勤務であり、中目黒に住んでいる紳士夫妻が殺傷をされました。それを、酒井忠康氏が命令したとは言いませんよ。だけど、誰かが、『お前書くな。大原光孝氏については書くな』という警告の一種として、この犯罪を起こしたと考えられます。つまり、酒井忠康氏とはそれほど、彼らが守りたい存在なのです。だが、それだからこそ、酒井氏が、美術界において、私をいじめる策を数々弄したというのは、真実でしょう。それも、丁寧にまた、書いていきます。

 今、これが、サクサクと書けるのは、渡辺幸子さんという別のキーパーソンを中心として一路線だけは、酒井忠康氏のおやりになったことをすでに書き表しているから、大原光孝氏についてもサクサクと書けるようになったというわけです。ところで、中目黒の事件については裁判も含めて続報が一切ないので、殺傷とは嘘で、ご夫妻は都心にマンションでもあてがわれて、優雅に暮らし続け、犯人も、フィリピ島に逃してもらって、華族を引き寄せ、優雅に暮らしている可能性もあります。そう考えないと、つらいですし。私がよく、五億円の被害がありますというのは、こういう側面も含みます。

 いま、COP18というのが開かれています。カタールが大金をお使いになるのは構いませんがこれも、このブログへの間接的な弾圧です。すべてが終わってから丁寧にそれについては語りましょう。

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 これ以下も加筆部分です。

副題5、『戦時中は、男性が不足をしていたのです』

 アジサイ畑欺罔事件という悪を遂行してしまった中谷さんは、私に三時間にわたった謝罪をつづけましたが、・・・・・先ほども言ったように、実際には悪いことを遂行してしまったわけですよ。しかも、気弱そうに、「川崎さん、この件でご近所をいじめないでくださいね」ですって。何を言っているのですか?と、私は決定的に怒っていますが、彼も移民でカリフォルニア生まれで、帰米二世らしいです。顔はきれいな人なので、奥様は優秀です。日本育ちで、優秀でお品の良い方が、お嫁さんとなっています。戦時中は男性の数が払底していたので、そういう縁組ができたのです。

 その奥様も、『あなた、おやめなさい。それは、川崎さんの言うとおりですよ』と言っているのに、強行をしたのは、裏に絶対に瀬島龍三の影があったでしょう。

 旧江戸幕府の、家臣たちも零落したと思いますよ。だけど、それは、政治的に負けたからであって、気概を生みませんでした。だけど、広島県民の不利は、政治的に負けたわけではないので、気概はあるわけです。

 で、カリフォルニアやハワイを中心として移民をしていきました。最初は、低劣な境遇から出発しながら、努力で、進歩して行って、1940年代には、既に自営業として、発展をしている日本出身者が多くいたでしょう。それなのに、突然、砂漠の中の強制収容所に入れられました。それ以前に持っていた財産や、土地をすべて奪われたうえでです。映画『ミリキタニの猫』にその様子がくっきりと描かれていますが、今回芸大美術館で開催をされている、『尊厳の美術』展はその当時、砂漠の中で、希少なごみ(地中に埋まっている枯れ木や貝殻)を利用して作り上げた美術作品が展示をされています。気の毒な人生でした。で、広島県人はアメリカで、1945年前後の三年間新参をなめたわけですが、山口県人、岸信介等が、権力を誇っていた満州に出向していた人間たちも辛残をなめたことはなめたのですよ。

 我が家もその一つですが。

 ただ、中谷さんのあの鵺のような振る舞いと、思考様式は、その日米間のはざまで、作り上げられたことかもしれないのです。まあ、不思議なことですが、中谷家は奥様が立派で、前田家はご主人が立派という、正反対の組み合わせで、第二代と、第三代の町内会長をやっています。

 ここで、中谷家の関する記述を終わりますが、実はご次男の方が、大問題なのです。三井物産勤務ですが、そちらの方が、大問題なのです。ただし、今日は字数が増えすぎるので、何も書きません。だけど、いつかは、書きます。

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  これも加筆部分です。本日の目玉の部分です。

副題6、『2012年12月5日、藤森官房長官は、官房機密費について記者会見をしたが、その裏に何があるか?』

 実は選挙の公示がなされました。で、永田長は動いていないのです。ところが、本日のお昼のニュースで、藤森官房長官が、官房機密費について述べました。このタイミングについて、どうして、本日だったのかを、解説させていただきましょう。

 それは、官房機密費が、私を弾圧するため、特に鎌倉・小町通りの共同溝工事のある部分に使われている可能性が高いから、本日発表をされたのです。

 どうして本日かというと、この3日の〇時半から、私は12冊目の自著のデータを作っていたからです。一応オンデマンド方式で試し刷りを、3冊作り上げました。

 国際的軍産共同体は、私の本作りを異常に恐れています。よく考えると、2002年の、ニューヨーク滞在中にすでに、私のパソコンは動かなかったのでした。でニューヨークでも貸しパソコンを使いました。

 で、私の本作りを恐れるから、あきらめさせるために、電子本のニュースを大量に流しています。私もね。電子本と、このブログ等は似ていますから、電子本が、それなりにツールとして機能することは認めます。だが、歴史の証人の資料という意味では紙の本の方が圧倒的に、強いのです。まだまだそうです。

 そして、印刷機にかけて工業的に生産をした本が、既に、6冊あって、いまだ、パソコンで打ち出した簡易本の形で、作っているのが、5冊あります。2010年度に一冊あって、この2012年は、8月から始めて、既に四冊完成しました。すごいスピードです。一方で激しい弾圧は今も続いていて、作りにくいことはこの上なく作りにくいのですが、ディックフランシスものに出てくる、探偵以上、または、ロビンソンクルーソー漂流記に出てくるロンビンソン以上の知恵を使って、バグを消し去り、どんな弾圧も潜り抜けて、本のデータを準備し続けています。

 これが国際的軍産共同体、特に日本人エージェントたちにとっては、脅威の的です。もし英語で書いたらさらに弾圧を受けるでしょう。フェイスブックをやっていたころ、人間(特に友達となった人)を使った弾圧を受けていたので、そろそろ、英語で書くかなと思ったりしたものです。その打開策を実行する前に追い出されてしまいましたけれどね。(笑)

 2002年、ニューヨークでパソコンがだめになったのは、英語で、ニューヨーク在住の人たちにお手紙を書いていたからです。個展に来てくださいねと。英語が自由に使えることも、私がひどい弾圧を受けていることの理由の一つでしょう。

 でも、12冊目まで、ともかく作っちゃいました。それを弾圧るために、一つの手として、『あんたが言っている通り、鎌倉小町通りの共同溝工事は、あんたを脅かすために行っているのさ。むろん、本当の工事もやっているが、電柱を取り去らないのは、この工事を、延々と続けるためさ。お前が、外出して夜遅く帰ってくるたびに、この工事で脅かしてやるのさ。お前は、ガードマンが大っ嫌いだからね。たくさんのガードマンが小町通りにたむろしているようにしてやるのさ』と、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、この下書きの液晶画面を面前にしつつ言っていると思いますよ。本日は高笑いはしないかもしれませんがね。

 どうしてこれが脅かしに役立つかというと、上に上げたアジサイ畑欺罔事件の証拠つぶしが、五段階ぐらいに分けて行われたのですが、その最初の工事が、2008年に始める直前に、私がどう出てくるかを手探りするために、2008年の2月8日、夫婦で、静岡県立美術館を訪ねた日に、小町通りでも、始まったのです。

 つまり、アジサイ畑欺罔事件は、単なる泥棒でしかないのですよ。土地は移動できませんが、花畑をコンクリート打ちにしてしまったのは、ほかの人が花を栽培している・・・・・特に安野家など、南と、北の指導部分を両方悔恨をしています。北側はどうせ、前田家が、違反をしているのだから、自分が、開墾をして、畑としても大同小異だと居直っていると見えて、30坪程度、塀の外に、花や野菜を栽培できる土地を持っています。ところが、我が家はほぼ、30年間にわたって、盗まれっぱなしです。『おや、おや』とため息が出るほどの恐ろしい現象です。

 みなさんが、遊びにいらして、現地をご覧になったら、すぐわかります。明晰にわかります。で、小町通りの工事を長引かせるためには、お金が要ります。主要な部分は、議会(県議会、加、市議会か、それとも永田町?)での、監査にかけられるので、主要な部分は、市、または、県、または、国が出すでしょう。だけど、4年と10か月も延々と工事をするためには、無駄な工事をやる日もいっぱいあったのです。最近はさすがに、それをやらないで、電気工事だとか言って、マンホールを開けて点検するだけにしていますが、敷石をはがし、そのあとで、埋め戻されたアスファルトも何回もはがして、

 無駄な工事をやっています。ある時に現場責任者に、本日は何をやっているの?と、質問をすると、「残渣探索です」というので、それは、「易しい言葉でいうと、何か?」というと、なかなか、答えが出てこないので、「土の中に石があるかどうかを確認しているの?」と、聞くと「そうだ」と答えます。たったそれだけのために、道路幅いっぱいに掘り起こして、また、新しい何度目かのアスファルトを塗るのです。

 そして、瓜南直子さんという画家は、『全日本あすはが連』というのを作って、伊藤玄二郎や、そのアスファルトが何度もはがされて塗りなおされるのを大笑いの種にして、酒井忠康氏や、その裏にいる、伊藤玄二郎におもねっていました。ただ、彼女はお気の毒に、つかいっぱしりにされたまま、その後、一年以内に、逝去されたそうです。若くしてね。もったいないことですが、悪魔側につくと、大変です。本人が善人でも、悪の要素に染まって、攻撃者としてたちまわると、神様の庇護が受けられません。お気の毒に。

 さて、藤森官房長官はオスプレイ配備の件でも、数か月、民主党の評判が悪くなる方向で、記者会見をつづけた人ですが、今回の官房機密費に関する発表だって、虎の尾を踏むというか、あぶはち取らずというか、国民の心が民主党から離反するような発表です。発表しない方がよかったですね。ただ、彼は、私のブログは読んでいない模様だし、上から言われたとおりに発表をしているだけでしょう。で、この際の上というのは、誰か。その人物から仙石氏でも、通じて『こう発表をしなさい』と言われたとおりに発表をしているわけで、その原因は、上で言った通りに、私が12冊目の本を、3日に、一気に作り上げたことが原因としてあげられます。

 ところで、私は、それを聞いた後で、上の方で、アジサイ畑欺罔事件について詳細に語り始めました。それが、鬼門であるから、それと連動して始まった、小町通りの共同溝工事は得年として、続けられるわけで、それを、脅かしとして、さらに強化するために今日の発表がおこなわられたというわけです。

 参ったねえ。私は以前に、「野田さんは、総理にするにふさわしい」と言っています。それに、民主党の閣僚も、自民党の世襲議員よりましかもしれません。それなりに、国政に夢を持って選挙に出たはずですから。ところが、小沢氏が離党をしていても、この体たらくでは、だめだ』となります。『なんだ、これほど、国際的軍産共同体の言うことを聞く集団もないではないですか?』となります。

 「どこに入れたらいいのだ。今度の選挙って?」、となります。

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副題7、『自分で自分の足を食うたこみたいな、共産党』

 ところで、共産党って、必ず、時の政府に攻撃を仕掛けます。この官房機密費の件でも、いずれ、政府をたたくでしょう。だけど、私に言わせれば、官房機密費のうちの幾何かは、必要もないのに、掘り返し何度もアスファルトを塗りたくった、鎌倉市の小町通りの、共同溝工事に使われているのです。そして、それは、我が家の土地を盗んだ、アジサイ畑欺罔事件の犯罪としての証拠を、五段階に分けてつぶして行った過程で、瓢箪から駒として出てきた工事ですから、アジサイ畑欺罔事件が、最重要になってきます。

 すると、その現認になった、当時毎日井戸端会議を開いていた、安野夫人が大問題になってきます。彼女がそういう行動をとったのは略奪婚の勝利感によっていて、その後でも、ここの地域社会でも、一番になりたいから、その手段の一つとして、それを行っていたのですが、安野夫人のその手の欲望をサポートしていたのが、石川和子女史と、前田清子さんです。

 ほかの二人には、実子がいません。安野夫人はあたかも、三人の子供を育てたかのようにふるまっていますが、それが実子ではないことは、引っ越してきてから二か月以内に分かりました。態度とか、ご家庭の様子で、すぐわかります。

 でも、前田夫人には実子が二人もいるのです。子育てって、結構大変だからそれを経験すると誰もが謙虚になります。そして、いばらないようになります。ところが彼女は威張りかえっています。不思議です。かつ、本来ならノブレスおびりっじを守らないといけない立場です。都立大学(現在の名前を首都大学)の大学院を出ていて、八幡宮様の推薦らしいが、国学院大学の講師をしています。絵にかいたような成功例。だけど、がさつで、大声で話をします。それが、くだらない内容ですが、我が家にまで、ビンビン聞こえてきてしまいます。井戸端会議の場所は、10メートルも離れていない場所だからです。

 ご主人の方は立派な人です。囲碁が好きで、いわゆる旧制高校の寮のムードも好きらしくて、下駄をはいて、鎌倉市内に飲みに出かけて、帰りに、からん、ころんと、ほう歯の音をならせて帰ってこられるのですよ。それ以外にさして問題がなかったのに警察を使ったりして、ブログを辞めろ」と言ってきたり、・・・・・・そのタイミングが、これまた、見事に酒井氏党について触れた時であり、前田夫妻について書いた時ではないからこそ、裏で伊藤玄二郎たちに動かされていることが見え見えないのですが・・・・・アジサイ畑の一種の証拠つぶしの一環としてペンキ塗りお当番を提唱したりして、だんだん、私も怒って来てしまい、wikipedia を引くと、集団訴訟の原告になっていたのです。『あ、そうでしたか。予測通りでしたね』となったわけです。これから、もし、志位委員長ほかが、政府にこの官房機密費のことで、かみつく現場を見たりしたら、私はその滑稽さに笑い転げてしまいます。『あなた方の、もしかしたら党員であり、もしかしたらシンパである、ご夫婦が、原因となっている一種の盗み(ただし土地だから、そちらの庭へ移動したわけではないが)、をかばうために、民主党は、官房機密費を使って、この道路工事をやっています。それをけなして、どうするのですか』?と思ってね。

 これから先に、長州閥ということと絡めて、

 嘉田新党の、副委員長だとかいう飯田哲也氏という人物に踏み込んでいくつもりでした。だが

 長州閥、広島県人の反発、帰米二世の話、中谷共二という羽田で航空機の油を一手に打っていた大金持ちの話、中目黒の殺人事件の話、アジサイ畑欺罔事件、鎌倉小町通り、共同溝工事、官房機密費の使い道について、今日記者会見で、発表をした理由は何か?とうとう、

 昨日、書いたことから、わきへ外れたことを、いっぱい挿入してしまいました。全部で、1満五千字に達してしまい、これから、長州閥に戻るのが、大儀になりました。

 飯田哲也氏と、現代の長州閥、について、は、別の項目を建てて語らせてくださいませ。

  2012年12月4日に一部を書き、5日にそのあとを書く。

             雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

 

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