銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

尊厳の芸術。また、外人を助けたよ。北朝鮮ミサイル。

2012-12-10 00:38:57 | Weblog

副題1、『尊厳の芸術、を上野芸大美術館で見て。その運営方法に感心する』

副題2、『不覚にも涙する・我・慢・の芸術を、わが生活と比較して』

副題3、『酒井忠康氏の悪行を書いてから、やっと泥棒も下火になった』

副題4、『振り込め詐欺キャンペーンとはなんだったのか?』

副題5、『伊藤玄二郎は、平沼高校の同窓会の路線を最大限に利用する。なぜ、彼は平沼高校に進学したのか?』

副題6、『石川和子さんは、パーティコンパニオンとして、伊藤げんじろうと知り合ったというが?』

副題7、『国立国会図書館のマイクロフィルムが劣化しているというニュースは何を意味するのか?』

副題8、『私が国会図書館に行くたびに、機動隊のバスが、二台待っているのはなぜなのか?』

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副題1、『尊厳の芸術、を上野芸大美術館で見て。その運営方法に感心する』

 9日(日)に第二次大戦中に、アメリカで、移民として生活をしていた日本人が、強制収容所内に入れられた後で、不自由で、ものが何もない中で、作った用途のある生活用具、および、少し余裕を見せたアクセサリーや、強い精神性がこもった、装飾品(小さいが、ほとんど彫刻と言っていいもの)を見てきました。

 まず、最初にとても、珍しい運営方法がとられていたということを言上げしたいです。それは、まず入場料が無料でした。そのうえ、写真撮影が自由です。皆さん、まず、入場料が要らないのにびっくりしていました。それから、写真ですが、私はカメラを持っているのに、一切取ることができませんでした。オリジナリティ(+著作権)の問題から、美術館では撮影をしてはいけないことになっているのが、骨身にしみてしまっていて、みなさんが、ばしばしとっていらっしても、私はできませんでした。

 惜しむらくは若い人が少ないです。上野は、森美術館等に比べれば、どの美術館を見ても、全体的に若い人向けではありませんが、それでも、皇室秘宝展などというと、美術の専門家らしい、若い人が紛れ込んでいますが、今回は若い人が少ないのです。

  誰が諸費用を出したのだろうと不思議です。残念ながらプログラムをもらってくるのを忘れました。もし、アメリカ側の寄付金だとしたら、ある種の、それはお詫びの表明なので、ありがたい、気遣いだと思います。または、スミソニアン博物館での最初の展覧会時の、寄付金等、(もし、入場料を取る形だったら、入場料?)で賄われているのか?

 私がプログラムをもらわなかったのには理由があります。美術館で、よく解説の音声を、耳に入れている人がいるでしょう。あれが、大っ嫌いなのです。『ああ、だめだなあ。よくあんなことを許可しているなあ。ここの館長さんは誰だろう?』と、思ったりしますが、大きい展覧会は、半分は、新聞社と、NHKほかの民放テレビ局がお金を出しているので、美術館の館長さんだけの、支配下にはないのでしょう。

 でもね。本物を見ているからこそそこから受ける、ご自分の感想が大切なのですよ。あんなものを耳から入れながら、美術作品を見てどうするのですか? せっかく実物を見に来ているのに、あれがあっては、まるで、名画全集か、カラー写真入りの目録を見ていることと同じです。

 それで、『ああ、こんなところにも、日本人がだめになっている証拠がある。どうして、本当に厳しい教育がないのだろう。厳しくも高いものを求めないから、日本人が全体に、ひどく品性が下がっているのだ。・・・・・見つからなければ何をしてもいいのだ。勝ち組にさえなってしまえば・・・・・という風潮があるのも、こんなところからも来ているだろう』と残念極まりないです。ただ、当たっている展覧会ですと、一日に、2000人の入場者数があって、50日ぐらい会期があるとすると、10万人の入場者が見込めます。そのうちの三割が、一回500円のあれを借りるといたしましょう。すると1500万円の収入になります。それは美術評論家の収入になるし、主催者側にも美術館にも落ちるでしょうから、やめられないのでしょうね。

 今回の展覧会には、最後の部屋に10分程度のビデオの上映があって、それを皆さん見ていました。実物を見た後で、こういう作品ができた背景を、お子さんやお孫さんが語る映像を見る・・・・・この形式が一番いいですね。

 大手美術館でまん延している、音声ガイドというのは本当にやめてほしいものです。物足りない人は、映画のメーキングをレンタルビデオで、裏側を見たりするでしょう。そういう意味で、作品が生まれた背景の解説を含むビデオを、最後の部屋で、流せばいいです。

 竹橋の、近代美術館では、ところどころに、液晶画面があって、その中に、解説が入っているらしいです。私は、実物を見るだけで疲れちゃうので、あれを見たことはないのですが、音声ガイドよりは、こちらの方がましです。 

 液晶画面ですと、無料ですし、見るも見ないも自由です。特にわからない部分だけを見るという自由もあります。が、音声ガイドは、全作品を順次解説していくのでしょう。それこそ、鑑賞者を、奴隷化状態にさせる、傲慢さの表れですよ。そして、あの音声ガイドを安易に借りる人も恥ずかしいです。ご自分の精神が奴隷していることを、他の人に見せつけているわけですから。本当に、恥ずかしい。

 そんなものに頼らなくても大丈夫ですよ。よく、作品の間に、字で、解説が書いてあるでしょう。あれで十分ではないかなあ。そして、自分の眼力や、自分の心を信じてください。あなた方誰にでもいいものをいいと思う、力は備わっているのです。ただ、美術に強い人と音楽に強い人が分離していて、片方だけが、よくわかるという人はいますけれどね。

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副題2、『不覚にも涙する。自分の過去の五年間が、強制収容所に入れられたも同然だったことを思い出して』

 今日、第一室の二つの壁を見ただけで、涙が出てきて止まりませんでした。アメリカにいて、強制収容所に入れられた、それらの方々が気の毒だということもあります。だけど、自分もどれほど、気の毒だったかを思い出してしまい涙したのです。

 あなたは自由じゃあないのと皆さんは、お考えでしょう。だから、ちょっと、言い方が変ですが、私こそ、この五年間、強制収容所に入れられたも同然の状況だったのです。我慢我慢の五年間でした。母の見まいと、銀座の画廊巡り(これは、遊びではない)しかできない五年間だったのです。

 それは、頻繁に泥棒が入るから、外出ができないからです。主人が、月曜日と木曜日に休みます。でも、ほかの日に勤めがあるから、その日も外出したいと言います。だから、主人が帰宅してすれ違いに出るので、鎌倉の自宅を出るのが、午後四時でした。それから本の正朔に入ると、主人と入れ替わりに家を出て、真夜中、外の貸しパソコンを借りて、その編集やら、デザインの仕事をしていたのです。体を駆使し続けていました。徹夜、徹夜の連続でしたから。

 その徹夜明けの、疲労困憊した日を狙って、渡辺幸子さんが、留守中に、電話で、絵を返してと言ってきたのです。それは、警察が、尾行をしていた模様で、外の貸しパソコンを使っていて、徹夜をしていると伊藤げんじろうに知らせ、それを伊藤げんじろうが、栗田玲子さんに知らせ、栗田玲子さんが、渡辺幸子さんに知らせて、彼女が、私を極限まで追い詰めるために、その日を狙って、返してと言ってきたのでした。それが、どうして、酒井忠康氏と関係があるかというと、渡辺幸子さんは、青木繁大賞を、酒井氏の審査で取っているし、ガレリアグラフィカでの、諸々の、変事に酒井氏が顔を見せていることなどから、氏の関与を推察しています。その絵は酒井にプレゼントをされたのではないかしら。この詳細は、別の日にすでに書いていますが・・・・・

 私以外にも、大勢の知人が、泥棒に悩まされているのを知っています。特に嫌がらせの泥棒です。自分が大切にしているものを壊されるとか、盗まれるという形です。金銭を目的とする、中国人の泥棒というようなものとは違うのです。この件は後で、詳細に語りますが、・・・・・

 自分のことだけを言うと、書かせないということを目的に、資料として大切なものが盗まれていました。それから、ノイローゼにさせることを目的に、パンツを移動させたり、ストーヴの着火用、電源コードの被膜を、剥いたうえで、ストーヴを留守中につけておくとか。

 ストーヴは初夏だったので、気が付きませんでした。が、真夜中に液晶画面が、天井に反映して明るいので、天井が緑色に明るいので、『なんだろうなあ』と思って、下を見たら、ストーブが付いていたのです。あわてて、プラグを抜こうとすると、被膜が剥かれていたので、プラグを持つだけで、感電しました。恐ろしいでしょう。漏電で火事になることを狙われています.それをやったのは、酒井氏ではありません。ブルーカラーとしてのCIA(=泥棒で)あり、国際的軍産共同体の意をくんで、その通り動くという意味では、警察もその中に含まれているのでした。

 その同じころ、西隣から、投げ込んでいるかの如くを装って、真夜中、石を外壁にぶつけられることも頻発しました。

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副題3、『酒井忠康氏の悪行を書いてから、やっと泥棒も下火になった』

 最近、夫婦で石巻へ旅行しています。それは、『泥棒に、入いられてもいい』と、覚悟を決めていることもありますが、酒井忠康氏まで、到達して、伊藤玄二郎の悪辣ぶりを書いているので、それも、大きな原因となって、やっと静まったのでしょう。

 伊藤玄二郎とか、井上ひさし程度まで、その悪行を書いても、泥棒は、収まりませんでした。酒井忠康氏の悪行にまで達して、やっと下火になって来ているのです。でも、もし、再発したら、ぐんぐんと、酒井氏や、その協力者の悪行ぶりにについて、さらに書き続けるだけです。

 芦屋在住の、奥様にして、ご主人が外人であり、かつ東大を二学部出ている、高校時代の友達から、変なタイミングで、私が献呈した本の感想を言う電話がかかって来て、その中で、『この本の中に、お父様の写真があるわね。それだけでもこの本は貴重ですわ』と言われて、あわてて、その写真が額に入れて飾ってあるところを点検してみると、案の定盗まれていました。

 彼女が変なタイミングで、電話をかけてきたのは、彼女がそれが盗まれていることを知っているか、知っていないかは別問題として、盗まれていることを気が付かせることが目的だったのです。嫌がらせでした。そして、彼女は、『あなたの本は素晴らしい』と散々言葉を尽くしたうえで、でも、次の本はいらないというのでした。だから、単なる、策略に利用されただけなのです。ただ、これも書くのが非常に難しいことでした。だって、彼女は気合を込めて、「あなたのことをいろいろ、友達に言っておくわ』と言いました。そういえば、同窓会で、おかしなことが頻発していて、あれは、その筋もあるのだなあと、思い至った次第です。

 もう一つ、別の路線もあって、それは、酒井忠康氏発、黒田悠子(昔銀座にあって、今は自由が丘に移転をしている21+葉のオーナー)さん経由、芸大卒の私の友達、というラインがあって、そちらからもいじめや悪口が入っているでしょうから、私の損失は果てしがないのです。

  上はたまたまスキャンしてあったので残りました。私が生まれる前で、明治生まれとしては、陸上もやっていて、筋肉質であり、背も高いし、顔は、萩の上級武士の子孫らしくきりっとしています。伊勢佐木町のスタジオで、撮ったもので、若気の至りで、気取りすぎていますので、本人の実像が表れているとは言い難いのです。もっと後の方が、上品で知的なものがいっぱいありました。いえ、いっぱいと言っても満州からは、手荷物があまり持ち帰れなかったので、少数です。

 父は満鉄の調査部、中央試験所というところでエンジニアをしていたのですが、研究課題はオイルシェールでした。頁油岩と言って、今話題になっているものです。当時の日本は石油不足でしたから、生活は恵まれていて、日曜日は、たいていスケッチ旅行に行っていたみたいです。特に撫順炭鉱のそばにある雲崗の石窟寺院は訪れており、他に北京の天壇、熱河のラマ教寺院の絵などを戦後記憶に頼って再現していました。

 だけど、この芦屋からの長電話が、大船の住人にして、北鎌倉の匠の会所属の画家、田口勝久さんからの電話とタイミングも似ていれば、隠された目的もそっくりなのです。

 田口さんの電話は、陰に酒井氏がいます。どういうことかというと、神奈川県展は、酒井氏の神奈川県立美術館と密接に結びついています。田口さんは、「神奈川県展で、受賞できますよ。きっと、近々に」とでも誘い水を掛けられて、私に対する、いろいろなことをおやりになったと、みなすことができますから。

 酒井氏は、人の弱みに付け込んで、大きく、いじめやら、弾圧を行っている人です。審査権がイコール政治力だということは、直木賞の審査員を長年、井上ひさしが勤めていたというのとそっくりです。

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副題4、『振り込め詐欺キャンペーンとはなんだったのか?』

 ところで、それらの泥棒の中の一部は、普通の人間である可能性もあります。何度も言っているように表向きにも、いじめて来る人は、この泥棒をやっている可能性はあります。別の家の未婚の御嬢さんの携帯を利用して、私の頭の上から水をぶっかけようとした、安野忠彦氏の家には、「警察官立ち寄り所」という青い看板が麗々しくかかっています。なお、その上に紙のポスター二枚を、麗々しく日に焼けて色あせるまで、張っていました。

 それって、現在70歳畳の人にとっては、驚天動地の発想です。同じ看板が、私が共産党だとみなしている前田夫妻の家にもありました。さすがに前田夫妻は二人とも大学院出身だし、安保世代ですから、これが、どんなに恥ずかしいことだかわかっているらしくて、そっとしたの方へそれを移動させていますし、たわしでごしごしこすったのか、字がすでに見えないようになっています。

 この青い看板ですが、実際に動いている主婦が、10人しかいない谷戸に、二軒もかけさせているとは、本当に異常です。、この看板が、純粋な住宅地、しかも、風致地区にかけてあるのなど、他の町では見たことがありません。・・・・・と書くと、今度は、10円か、20円ぐらいでできる短冊形の黄色い、ものを全戸に配りました。我が家にも貼ってあります。(笑)

 この谷戸は、警察に隅から隅まで監視されているらしいのですが、泥棒が頻繁に入ります。しかも、表向きにも夜中にお風呂を入っても、夜警が鈴を鳴らして通ります。ある夜に風呂場の電気をつけて、カモフラージュをしてから、鈴が鳴った時に外へ出てみたら、鈴を鳴らしていたのは、安野氏でした。その同じころに、母が死んだばかりの老人ホームの近辺で、私が歩いている最中を狙って、東新町二丁目の町内会が夜警を始めていました。こちらは、伝統的な拍子木を使っていましたが、質問をしてみると、おとといから始めたそうです。しかもそうするように命令したのは、防犯協会だそうです。防犯協会って、警察の別動隊ですよね。

 安野氏が、鈴を使って夜景をしているのは、私を脅かすだけが目的だから、他の家の人を起こさないためでしょう。拍子木を使ったら、みんな起こされてしまいます。夜中の一時ですから、勤務のある人は大迷惑ですよね。サラリーマンも何人かはいますから。

 だから、あれほどの攻撃を表向きでもやっている安野氏ですから、私の外出を狙って、禁煙監視員というのが小町通りを、対抗方向から歩いてくるのは、安野氏からの情報を利用しているのかもしれません。

 ともかく、大きな駅の周辺で、古くからお店を開いている堅気の人が、やくざに付け込まれないようにするために、この看板を設置しているような場面は見ますが、それ以外は見たことがありません。

 ともかく、現在、70歳以上の人が、この看板を自宅に掲げるとは、安保時代を含む、現代史が全く分かっていないということです。安野夫人はシナを作るのが上手で、いかにも、『私は、鎌倉マダムざあますわよ』という感じでふるまっていますが、『見かけ倒しで、内面には、教養が、全くないなあ』と思ってしまいます。ご主人の方も、上に書いた以外に、種々恐ろしいことをやります。

 こちらも頭が低くていかにも紳士的にふるまっていますが、『もしかすると、高卒かなあ?』と思ってしまいます。それは、引っ越してきてからすぐにわかったことですよ。この青い看板がなくてもわかることはあるのです。銀行などに勤めると、高給が得られます。だから家、二軒ぐらいは、買えますね。前の奥様には家一軒を与えて、慰謝料としたのではないかなと、思いますよ。

 だって、略奪婚であるのは、私が引っ越してきてから、三か月以内に分かりました。というのも三人も子供がいて、それが、中学やラ、高校に通っているのに、主婦として、未熟すぎるからすぐわかるのです。まず、謙虚さがまるでないです。それに、普通の主婦だったら、子供が幼稚園とか、小学校の時にすでに、主婦同士の付き合い方を学んでいるはずで、彼女みたいに、ご近所主婦の中に階級を作って自分が一番になろうとするのはタブーなんです。それが、絶対に分かっているはずなのに、わかっていないから、なぜなんだと思います。

 すると、わかってくるのです。小さいころを端折って、突然に、産んでもいない、三人の子の母となって、そのことを勲章として、石川和子女史に対して、対等か、自分の方が、上に立つ、しくみを得たということが。

 石川和子女史は、子供がいません。子供のいない人は気を付けてくださいませ。ほかの普通の主婦がわかっていることが、わかっていないケースがあります。ものすごく未熟なまま、40になり、50を、過ぎてきている可能性があります。相手が引いているように見えても、実際は、自分より力が上かもしれませんよ。子供がいいる人は、みんな謙虚ですから、見かけ上は弱く見えますが、それに悪乗りして、もし、自分の方が上に立って、いばったりしたら、後日、今度は、恥をかくか、陥穽にはまります。

 でもね。大切なことは、ここでも、人的コネが優先だということです。伊藤玄二郎は、石川和子女史が大失敗をする以前から、鎌倉警察署長とは仲良くしていたはずです。また、安野氏も、鎌倉防犯協会会員のはずですから、警察署に出入りしているはずです。

 で、警察は総力を挙げて石川和子+柳沢昇の失敗をかばってあげようとしています。彼らは絶対に、自分たちが大物であるというために伊藤玄二郎の名前を使ったはずですから、伊藤玄二郎も乗り出してきているわけです。というのも大磯に奥さんがいます。そちらに対して、下でも、愛人がいて、その愛人に、鎌倉春秋という、自分の会社と同じ名前を与えているのは、何ともみっともないことです。

 また、伊藤げんじろうは関東学院大学の教授です。関東学院って、どちらかと言えば、女の子に人気のある大学です。ラグビーが強いので、男性にも人気が出たとは思いますが、高校の段階までは、女の子の方が優秀な子が集まるでしょう。で、女の子たちの親が大問題です。『教授に、そんな愛人がいた。そんな人が教授では困る』と考えるでしょうね。それが困るので、私が書く人であったら困るわけです。

 だから、総力を挙げて嫌がらせをしてきますが、警察も手下として使っています。安藤隆春警察庁長官も、テレビに自分の姿を映させて(一種の閲兵式を、APECの時に横浜でやった)、一種の脅かしを私にかけてきました。片桐長官が、成りすまし疑惑の時に、何度も顔を出したのも、より温和な形ではあるものの、同じ伝でしょう。

 そして、実は盗みにも入っています。電源アダプターが動かされていたり、盗まれたりしているのもそうだと思いますが、システム的にも壊すけれど、電源アダプターやバッテリーを盗むという形でも壊していくのです。だから、何台もパソコンをキープしておく必要があるわけです。

 それと、通帳や、現金引き落としカード、および銀行の金庫の鍵等も、盗まれた可能性はあります。そして、そういうことをやられた後で、極めて緊密なタイミングで、振り込め詐欺キャンペーンが行われます。

 ここらあたりは、後で、もう少し詳しく、別の日に書きます。

ところで、疲れたので、既に書き止めた方がいいと思います。

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副題5、『伊藤玄二郎は、平沼高校の同窓会の路線を最大限に利用する。なぜ、彼は平沼高校に進学したのか?』

副題6、『石川和子さんは、パーティコンパニオンとして、伊藤げんじろうと知り合ったというが?』

 この章だけは、少し、本文も書いておきます。

 石川和子さん、天国にいるあなたにお問い合わせをしますよ。あなたはパーティコンパニオンをしていて、伊藤玄二郎と知り合ったと言っていましたが、あなたの若いころに、パーティコンパニオンが一般的にはやっていただろうか? オリンピックのコンパニオンは有名ですが、一般のパーティで、今の様に派遣社員として、女性が侍って接待をやり始めたたのはバブル期ごろががはじめではないですか? それと、ウドの大木の様に背が高くて太ったあなたには、なよなよしたところとか女性としての、お色気はないと思いますが、どうしてパーテイコンパニオンが務まったのですか? 

 鎌倉に住んでいる女性の中でなら、酒井夫人がアルバイトでそれをやっていたというのなら、納得ができます。だって、水も滴るようないい女だもの。だけど、彼女は素直で、お育ちがいいので、そういう職業の経験はないはずです。それをできるのは、すれっからしの人だけでしょう。

 それから、当時まだ、20代だった伊藤玄二郎がどうして、お料理の費用以外に、パーティコンパニオンを雇えるほどの、パーティ予算が組めるほど、お金持ちだったのですか?

 また、彼自身の主催ではなくて、招かれて出席をした方だとした場合、河出書房を辞めて、小さな出版社を始めた彼の、20代に、それほど大きなパーティに出席するチャンスがあったでしょうか? 中央の出版界には、顔向けできないはずですよ。おかしい。おかしい。本当におかしい。変です。謎がいっぱいです。我が家にどうして泥棒が入り、その一部が警察らしいのか。その謎を解くためにはあなたの過去も、探索しないといけません。すでに死亡しておられますが、探索しましょう。特に何もしなくても不思議な形で、真実がぽろっと目の前に落ちてくるのが、私です、いずれわかることでしょう。

副題7、『国立国会図書館のマイクロフィルムが劣化しているというニュースは何を意味するのか?』

 この続きは

副題8、『私が国会図書館に行くたびに、機動隊のバスが、二台待っているのはなぜなのか?』

 などと、重要な話題が続々と続きます。それぞれに、新説が満載です。以前は、一気に書かないと、裏を掻くニュースが作られ、こっちが嘘を言っていることにされるので、無理に無理を重ねて最後まで、書きましたが、今は天を信じているので、ゆったりと構えたいと思っています。なにしろ、今の段階で、死ぬわけにはいきませんから、体力も気力も温存をしないといけません。COP18も、私の文章を否定するために開かれていると思いますが、いずれ、丁寧に書くことができると思います。

 ところで、安倍さん疲れた感じですね。御身大切に、頑張って。もう街頭演説をしないでいいです。ほかの人に任せなさい。それが、トップというものです。

 それから、野田さん、あなたの代になってから、急に国外へ大金を拠出することが続いていますよ。10兆円以上がすでに、五回も。

 あなたのがまんの力は、認めますが、その拠出金というポイントは、質問をしないといけないし。・・・・・ほかの総理大臣の時代にもこれほどの大金を、拠出していましたか? どうなのだろう。

 この続きは月曜日の夜か、火曜日の午前中に再開します。

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