銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

嘉田さんって超が付くエリートですが、それが、ポイントとなって、裏がわかる△△

2012-12-02 10:10:49 | Weblog

 本日(月)は午前三時に起きました。それで、いったんは、<<<外国の支配が、敗戦後からだけではなくて明治維新のころから及んでいたのではないか>>>というより大きな話題に、取り組みましたが、それが大きすぎるので、こちらへ再び、戻ってきて、このメモの続きを書きます。それに午前8時に加筆をいったん終えたのですが、今午後零時にふたたび加筆をしていきます。

月曜日に加筆した部分を前に置きます。

副題13、『11月27日は心から落ち着いた、私・・・・それで、銀座へ出たが』

 26日の月曜日に、嘉田新党が発表をされたわけですが、私はそれを聞いて、ほっとして、『これは一種の勝利ですね』と思ったわけです。小澤一郎氏の真実ということを書き続けてきていて、それが、大規模には拡散をしていないことには、残念に思う気持ちはありましたよ。  だけど、とうとう、目くらまし作戦をとらないとダメだと小沢氏側が気が付いたということはそれなりに、一歩進んでいるのです。嘉田由紀子という衣をかぶって、それで、再生してい行こうとするアイデアが生まれた基盤は、 私のブログ等を、勘案した結果であって、それは、意義があったと思われました。で、非常にリラックスして、数か月ぶりに銀座の画廊巡りです。で、行きは、有楽町で降りました。

 そこで、既に、夕刊フジと、日刊ゲンダイが、大文字の活字で、嘉田新党に触れていることに気が付きます。帰りは八重洲ブックセンターで、副島隆彦氏の現在の様子を点検して・・・・・意外と静まっていますねと、思いながら・・・・・そのあとで八重洲口から、横須賀線まで向かいます。その間にキオスクがいっぱいあって、筒のように、二紙が立ち上がっているので、様子や狙いがよくわかります。

 ただし、私は買いませんでした。というのも八重洲ブックセンターで副島本を中心に、4冊買い、週刊誌も買い、自分の本の編集のためのコピー用紙も多量にあってパソコンも二台です。重い重い大荷物ですからたとえ、新聞を家でも買いません。だけど、夕刊フジが、嘉田新党は、目くらましだという軽蔑の路線であり、日刊ゲンダイが小沢100と大喜びの路線です。

 で、私は、買わなかったのに、横須賀線車中で、40代の男性が熱心に読んでいます。それは、珍しい現象です。夕刊フジか日刊ゲンダイを買うのは、50歳以上の人が多いのです。若い人はたいてい、携帯をいじっています。フェイスブックかゲームか、何かをやっているのでしょう。とても熱心に覗き込んでいるのが毎晩です。そういう、しくみにはまだ参加していない年齢層の男性が買う新聞です。

 それなのにその晩だけは、若い人が買っている。それは、嘉田新党が、衝撃だったのか、それとも、タブロイド判の、見出しが衝撃的だったのか? 私は目が悪いので、小さな部分は読めず、それが、どちらの新聞なのかはわかりません。だけど、ダルビッシュの顔写真が載っていました。そちら側が、彼の買った新聞です。

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副題14、『笹子トンネルで、天井が崩落しましたが、JR東日本は大丈夫だろうか?』

 私は車を運転しません。だから、高速道路は他人の運転とバスで、数回通っただけです。笹子トンネルも無論通っています。だが、頻度が低いので、道路公団(旧名、で、今の名前を知りませんが)の内部とか、誤謬には気が付きません。ただ、通行料金が海外に比べると、高いそうですね。それだけは知っていますが。

 でも、電車は多用していますので、JR東日本の経営姿勢には大いに、疑問を持っているわけです。それが、この2012年11月26日に、日刊ゲンダイと、夕刊フジの、二紙を買おうとして再び確認をされました。

 というのも、駅の中に売店が二つあります。それから外に二つのファミリーマートがあります。改札口東側を表駅と言い、西側を裏駅と言いますが、その二つともに、ファミリーマートがあります。表駅のファミリーマートは、早見ビルという隠れた場所にあって、観光客はほとんど気が付かない場所にあります。でも、夜遅くの鎌倉駅周辺には何のお店も開いていないので、そこに気が付いて利用する人間は多かったと思われます。私も家は反対側にあるのにそこに寄ることは多いのです。

 そこで買おうとすると売り切れていて、『困ったなあ。タブロイド紙だけは図書館でも置いてないしね』と思って念のために、駅ビル内に最近できたNewdayによるとそこにはありました。

 この時に、『おー、人々は、より駅に近いニューデーより、ファミリーマートをまだよりひいきにしているのだ』と思いました。まあ、鎌倉駅の売店だけは、加藤商店というところが経営しているそうです。これは、駅を紹介するムックに出ていたのですが、その加藤商店がホーム内の、喫茶店も経営していたとしたら、それを無理やり閉鎖させたので、その代り、こちらを開いてあげたのかもしれませんが、

 ここで、挿入を入れます。もし、あなたが初めて、この頁に入られた方なら、どうしてその喫茶店が無理矢理に閉鎖されたというのですかとお考えでしょう。それは、副題16で、より敷衍をいたします。

 で、楽しみにしながら、家へ帰りつきました。さあ、読んでみましょう。ダルビッシュの記事が出ているのは、日刊ゲンダイか、夕刊フジか?

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副題15、『さあ、嘉田新党の行方はどうなるか?』

 横須賀線の車中で、40代のサラリーマンが読んでいたのは、夕刊フジの方でした。つまり、嘉田新党? 別に大したことはないでしょう。それって、小沢の目くらましでしかないでしょうと、言う方向のものを買っていたのです。

 私はね。そのサラリーマンからわかれて、一時間以上たっていましたが、『ああ、日本のサラリーマンは大丈夫だ。結構騙されてはいませんね。大丈夫。きちんと考えていますよ』と一安心したのです。さあ、これからどうなるか?

 ただし、このアイデアを考えたのが誰かと言えば、思いがけずも、これも、鎌倉エージェントかもしれないのです。というのもこれは、26日や、27日からだいぶ後になって、嘉田由紀子さんの経歴をグーグルで調べてみたのですね。すると、女性としては輝かしいものです。

副題16、『嘉田さんが、女性として超が付くエリートだからこそ、鎌倉エージェントが裏にいる可能性を感じてしまう』

 まず京都大学の出身で、大学院博士課程後期まで学んでおられて、(それは、親に学費を出してもらうとすると、9年間のはずです。そのうえ、途中でアメリカと、タンザニアに留学やら研修済み・・・・・となると、合計、12年間にわたって、親から研究用の費用も出ていた可能性はあります。大変なお嬢様です。しかも、『お勉強だけをしていたわけでもありませんよ』と言うわけでしょう。そりゃあ、美人ですからね。それもお見合いではなくて、恋愛結婚らしいれないで、しかも、大学内で相手を見つけるのも一つの勝利です。で、ご結婚もサッサとなさっていて、お子様も二人ある。そして、そういう家族全部を引っ提げて滋賀県に在住、琵琶湖畔で子育てとのこと。しかも国立大学卒のエリートとして、専業主婦になったわけではなくて、子供がいても、県庁職員となられました。

 (ただね。最初は研究職みたいなもので、一種のパートタイムだったかもしれませんよ。でも、それも年金に加算をされる歳月ではあります) そして、今は孫もいるという形ですって。

 どこをどう叩いても徹底的なエリートです。私はね。きっと独身なのだろうなあと思っていたから、ひどく驚かされました。そして、現在ではその京都大学時代の、先輩とは離婚済みとのこと。これも、高齢のしかも、仕事があり、収入も確保されている女性にとっては、うれしい選択です。そういう種類の女性たちは未亡人になったら、祝賀パーティを開くそうです。

 つまり、私の様に結婚を勧めるのは、何も手に職がない女性向けの方針であって、国家、および地方公務員のように、肩たたきのない場所で管理職などをやっている女性にとって、お金はあるので、外食でも、全く構わないし、家事をしないで、済むのは大助かりという発想です。

 嘉田さんが急にピックアップをされたのは、ここに焦点があったのではないかしら?と、突然に気が付きました。

 私ね自分の方は、自分の立ち位置がよくわかっていますので、有名人に対して、競争心もライバル心も、微塵も持っていないのですよ。ところが、例の鎌倉エージェントもしくは、東京エージェントたちは、彼女より偉い女性・・・・(もしくは男性でもいいが)・・・・・をぶつけて、彼女の鼻をへし折ってやろうと、言う趣らしいのですが、常に、目の前に、そういう意図のもとに、自慢をする女性が表れるのです。ただし、お互いに面と向かうと、私が全然、その種のタイプ(つまり、競争心満々の人間)ではないことが、スッとわかって、ご自分の任務に対して、そちらさまの方が、拍子抜けをするというか、なんというかなのですがね。ただし、面と向かわないで、テレビの画面越しのケースもあります。

 馬越陽子、オノヨーコ、山本容子、多田陽子・・・・・おや、おや、不思議なことにすべてヨーコさんでしたね。(笑)

 このうち、山本容子さんだけは、そのいきさつが明瞭であって、しかも、私の個展が、わざと期日が、遅らせられたのに、ぶつけて、山本容子さんの個展が、ガレリアグラフィカで開かれ、それと同時に裏から何かが回ったらしくて、いつも来ている銀座の画廊のオーナーが軒並み見えなかったということがあって、

 しかも、その会期中に、伊藤玄二郎の会社に、『ぜひ、見に来てください・・・・・ということは伊藤げんじろうと井上ひさし様、あなた方二人が、裏で画策をしたことはすべてわかっているのですよ』・・・・・と2010年の4月8日に、言いに行ったら、次の日の9日に突然に、死亡が発表されたのですよ。それも入院先の病院の発表も主治医の談話も発表をされていず、おかしい。おかしいと。・・・・・と私が書いたら、娘の麻矢さんが、急に「最終段階でも、歩いて病院に通いました」ですって。嘘の嘘ばっかりです。

 彼が住んでいた佐助という高い丘の上から、行きはともかくとして、帰りを歩いて登ることができる、それほど、距離で、近い大病院なんて、どこにもないですよ。彼ほどの、有名人が末期がんだったら、佐藤病院(旧名)も、清川病院も引き受けるはずがないです。わらちゃうほどの単純な嘘です。

 それに偲ぶ会も、花一本も捧げさせない形式だったでしょう。さすがに、気持ちが悪かったのか、または、本当に死んだことになるみたいでいやだったのでしょうね。墓も発表をされていません。まあ、墓ぐらいどこにでも、嘘でも作れるでしょうが、骨のDNA鑑定をしたらすぐさま嘘だとわかるでしょう。

 その井上ひさしと、私が出会ったのが、その鎌倉駅ホーム上の喫茶店なのです。その喫茶店は平山郁夫夫妻がよく利用をされていたところです。

 平山さんは住まいが二階堂であり、たとえバスを利用されるとしても、駅までついたら、「よっこらしょ。疲れたねえ。ちょっと休もうか」という感じだったと思いますよ。それで、お金に不安がない立場だから頻繁に利用されていたのです。私はね。それがあった当時はまだ若かったです。それに、うちから、駅まで15分以内で到着しますから、たとえ、400円でも都心でコーフィーを飲んだ方がいいので、この喫茶店を利用したことはありません。

  井上ひさし氏の方は、もし肺がんだったら、駅まで、下り坂が15分でも十分に、疲れたと思うし、お金は湯水のごとく使っても大丈夫な立場だから多用していたと思います。

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副題17、『井上ひさしが、昔から私を知っていることが、その日に分かった』

 私が駅ホームで彼を見かけた時に、ちょっとしたいたずら心を抱いたのです。それは、私の二冊目の本に彼に関する記述があります。だけど、背が低いということを三行ぐらい書いているだけなので、贈呈するべき本でもないのですよ。だから、それを上げたいのですが、ということ自体が、いたずらの一種なのです。お茶目・心満載なのです。だけど、どうして、私が井上ひさしをからかいたかったかというと、その離婚が、とてもいけない形であると、見ているからです。ひどい策略を用いて、好子夫人を追い出しています。良子夫人の不倫を騒ぎ立てていますが、その裏で彼は彼の方で、すでに、ゆり夫人とは知り合っていたと思いますよ。そして、乗り換えようとしていたとも思います。

 で、一種のからかい心で、喫茶店に追いかけて入り、右隣にいる彼に、「差し上げたいのですが」、と言いました。その時に、内心で考えていたことは、『どうせ受け取るはずはないわ。どこで、うまく切り上げるかそのタイミングが大切ね』ということでした。

 でも、不思議なことに、井上ひさしは、しばし沈黙をするのです。その時に、私は、『ああ、この人、私のことを前から知っているのだわ』と思いました。これは当たっているでしょう。その後、ホームで対抗方向、7メートルぐらいで、顔があっても、すぐ踵を返して逃げ去りますから。

 当時の私は、こう考えていました。その鎌倉について書いたエッセイ本(たいとるが)、『れすとらん・ろしなんて』というものがすでに、鎌倉の人士に、評判をとっているのだと。だが、今は違うと思っています。彼は、顔写真ももらっているか、それ以外の側面で、私を非常によく知っていたのだと思います。それが、後日、私のパソコンを常にハッキングしている手合いがいると気が付き始め、かつ、鎌倉市の防災無線の文言を研究しているうちに、彼も、私の文章を、詳細に研究していて、そこから弾圧策を考案している、人間のひとりだと、気が付いてきます。

 ただし、その喫茶店に私の方が、後から入った日には、有名人である彼は、無名の人の著作など、絶対に受け取らないだろうという見込みがあって、ついて入ったのです。そして、スタンド形式の椅子・左隣に座ったのでした。

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  ここで、いったんトイレに行って10分後に再開しようとしたら、クロッシー(外付けUSBネット連絡器具)が使えなくなりました。その場所は横浜駅北東口のベイクォーター内。今はその一時間後です。よこはまえき西口のネット不カフェで、借りたパソコンで、そのことだけを書こうと、しているところです。で、そこから先を今は書きませんが、どうして、書けなくなったかを皆様もご想像をくださいませ。いろいろなことがわかってくると思います。そして、私がどうして小沢一郎氏と彼ら一党(これは、生活が第一に入っている人間だけではなくて、小沢一郎氏を間接的に、または、直接的に支援している鎌倉エージェントの、井上ひさし、伊藤玄二郎、酒井忠康氏を含みます)を嫌っているかをご想像をくださいませ。

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 で、これから、下は昨日に上げたメモです。そのうちの大切な部分というか、メディアの寵児として生きている評論家たちについては将来じっくりと書きます。今日は、上の加筆で、お許しくださいませ。

副題1、『夕刊フジと、日刊ゲンダイが、真っ向反対の論陣を張っているが、東京圏のサラリーマンはどちらを買っているのか?』

副題2、『板垣英憲氏の・・・・・<ロックフェラー家の跡目争いが永田町に敷衍している>・・・・・という説をどうみるか?・・・・・私と似ているようだが、非常に違うところがある』

副題3、『副島隆彦氏は、小沢一郎は日本の王であるというが?』

副題4、『植草一秀氏が、小沢一郎氏を褒めているが、それはどういうこと?』

副題5、『上杉隆氏の、剽窃問題はどうなったのか?』

副題6、『ラテ欄で、フジテレビが、最も、右隅に追いやられたが、それと視聴率との関係は? 以前はテレビ朝日は、10チャンネルで、テレビ東京は12チャンネルだったのですよ』

副題7、『中庸の人、福岡正行氏は、どこへ行ったの? 干されている?』

副題8、『今週どこかの週刊誌が、・・・・仰天、共産党と結ぶ小沢一郎・・・・・と出ていたが、私は全く驚かない。・・・・・共産党こそ、現代の言論弾圧に、したたかに役立っている組織だから。・・・・・それは、私は、骨身にしみている。しかも、24時間×30年間の長きにわたって』

副題9、『映画<靖国>を上映させるべきではないと、言った、匿名の国会議員とは、誰だったのか?・・・・・靖国は、大・反日映画ですが、思いがけない逆効果を生んでいます。・・・・・・笑っちゃうほどの、近代・日本・史教育をしてくれて、しかも、靖国をいじめることが、忌まわしいことだ・・・・・と、ちゃんと腑に落ちるように、なっています。

 だから、その上映を嫌がったのは、小沢一郎ではないかな?』

副題10、『クリントン国務長官が初来日した時に、小沢一郎が何を言ったか?

 その時の状況と裏側を語ろう』

副題11、『小沢一郎が、反原発ですって。ということは、国際的軍産共同体は、いよいよ、原発を捨てましたかな。でなければ、単なる選挙対策です』

副題12、『松木謙コウ氏は偉いです。いまだに、国民が第一党に参加していません。男を貫きましたね』

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 こういう風に手の内を先にさらしてしまって、それでも、無事に文章が書けるか書けないかのトライアルをしていきます。

 ただし、いったん寝たり、家事をしたりしますので、日曜日の遅くに微細な部分を、書くことへ挑戦をいたします。

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 最近、急に弁解を入れて、中断することが多くて、申し訳ございません。それは、二年間ほど休んでいた、本のデータ作りを再開して、どんどん取り組んでいるからです。

 それは、結構な消耗を伴います。それで、3.11直後ほど、この場に集中して時間を割くわけにはいきません。ただ、我がままな、言葉を多発しているように見えるでしょうが、ブログのた目にも、それが、役立つようなのです。本の制作を始めると、いろいろな、現象がさらに統一感を持って見えてきて、奥深く表現ができるようになります。つまり、自分が人間として書くが上がるのです。誰が褒めてくれなくても、自分の過去を振り返ると、ものすごい進歩が未来へ向かって、開けてきます。

 それで、『ああ、こういう形態で、行動をしばらく続けよう』と思っております;

  それは、個人にも言えるが、国というものも同じで、近代史を学ぶことが、私たち一人一人を賢くします。それをさえさせるような仕組みが多くて困りますが・・・・・・

 ただ、二年間休んでいた内に、すさまじく早いレベルで、『ああ、疲れたなあ』と思う様に体が変化していて、『ああ、もう下り坂なんだね。60過ぎには、進歩はないのかな?』と、やや悲観的です。ただ、遅くなった作業効率を補うのが、経験による知恵とか、要領の良さの獲得です。

 それで、バランスを取っています。では、明日にでも、もう一度、ここを覗いてやってくださいませ。その項は、完成している思います。どうか、よろしく。

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グーグルが、このブログへの訪問者数を嘘の数字をあげています。二年目の終わりに気が付き始めて、毎日記録をしていますが、この日までの訪問者数を、月曜日にカウントしたところ、訪問回数は、2009年秋から今までで、

      総、延ですが、訪問回数、1041034 です。どうか、知人、ご友人にもご紹介をいただきたくお願いを申し上げます。グーグルさんが、ひどく古い記事だけを紹介していますので、よろしくお願いをいたします。特に、『上から抜いた部分』というような体鳥だけを紹介していますので、初めてご訪問をくださった人にはちんぷんかんぷんとなるでしょう。それも、一種の弾圧だとみていますが、・・・・・・すでに、気にしてはおりません(笑)

コメント
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