今は、土曜日の午前4時です。文章は19833文字で、初稿を完結させました。どうか、よろしく。
副題1、『本日の文章へのまえがき』
副題2、『ベイ・クォーターで、<きよしこの夜>を歌う。結構大きな声で』
副題3、『これが、私の信仰の形である。大きな力を与えてくれる、神との交流の瞬間である』
副題4、『その麻布の演奏会にも、もしかすると、高度な罠が、仕組まれていたかな?』
副題5、『ここで、すこし、柄谷行人について語ろう』
副題6、『宗教とは、高度で、上品なあきらめのシステムである。だが、あきらめるからこそ、別の力が湧いてくるのだ』
副題7、『契約社会でない日本は、また、和解というシステムも作動しないようだ』
副題8、『和解への提案に、伊藤玄二郎が応じなかったから酒井忠康氏について書く』
副題9、『酒井氏には、私をいじめる直接の動機はないのに、いじめる、そこが軽いという所以なのだ。ここで、空家(NHK,日曜日の放映)特集という最悪の例を語ろう』
副題10、『葉山に移転したことによって、神奈川県立近代美術館の使命は終わった』
副題11、『あなたには、酒井氏を批判する資格がないという意見に関して、語る私の思い』
副題12、『映画・ジーザスクライスト・スーパースターへ対する驚き』
副題13、『弓町、本郷、教会での、美しかった葬儀以外は、教会でのミサや集会には感動できない私なのだ。音楽会や俳句会は別だったけれど』
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副題1、『本日の文章へのまえがき』
昨日は割と短く、そして、本質的なことを書きました。読者数が多くなります。だが、私が、ココアで大口をたたける(笑)のは、とても長い文章を書き続けてきたからです。それですが、文体はとても易しいもので、中学生が書く作文というレベルですが、文脈の流れに関しては、相当に高度になっているでしょう。微妙にして、複雑な書き方をしていて、あっちこっちに話題が飛びます。そして、さりげなく、さりげなく、重要なことを、挿入してあります。
そういう書き方ゆえに、ここまでの、内容、
例えば、
*1)警察、井上ひさし、伊藤玄二郎の三人は悪のトライアングルを組んでいて、言論弾圧に奔走している。とか、
*2)日本を真に支配をしている、組織とか、人物は、政府でも天皇でもなくて、メディアであり、そのメディアを支配している国際的軍産共同体こそ、日本の実質的な主権者である。とか
*3)その実質的な主権者が、最もかわいがっている存在が、小沢一郎であり、その理由は彼が在日の出自を持っているかららしい。とか。
*4)しかしその小沢一郎が、永田町や、国民の相当部分からすでに、疑惑の目で見られていて、人気がないから、今回、嘉田新党という新しい衣を着た。とか、ぐんぐんしゃべることができるわけです。
しかし、それが可能だったのは、とろとろ、とろとろした、無駄な(・・・・・と、読者様には見えたでしょう・・・・・)長い文章を書き続けているからでした。で、本日はまた、そのとろとろしている文章へ戻らせていただきます。あれ、これ何を言っているのだろうとお思いになるかたはあると思いますが、それなりに、語るに当たり、自信のあることをお話をさせていただきます。
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副題2、『ベイ・クォーターで、<きよしこの夜>を歌う。結構大きな声で
・・・・・・これが、大きな力を与えてくれる、神との交流の瞬間である』
横浜駅東北の位置に、ベイクォーターという商業施設があります。渋谷のヒカリエよりだいぶ前に、計画をされたビルだと思いますので、建材などに、やや、いいものが使ってあります。
渋谷ヒカリエには、一度しか行ったことがありませんが、商業施設としては、豪華さが足りませんね。中年女性向きだと言っていますが、渋谷を利用する中年女性は、まだ、東急本店の方が好きで、そちらの方が満足度が高いのではないかしら。
でもね、驚いたことに、その東急本店のトイレで、ドアのべニアが、はがれているのが補修をしていなかったのを発見しました。で、おお、日本の不況もこういうところに影響があるのかと思いました。
今の私は体力が衰えたのと、母の見まいが亡くなったので、もっぱら、横須賀線と、京浜東北の周辺を、鎌倉から秋葉原まで、往復することが多くて、秋葉原、銀座、横浜、みなとみらいの商業施設を利用して、パソコンの仕事をすることが多いのです。
で、それが無駄だとは知っていても、妨害を受けないようにするために、あっちこっち、レストランやカフェを、変えながら利用していくのですが、米クォーターは好みの商業施設です。横浜には、こういう風にコアを形成している商業施設が、7つぐらいあって、ベイクォーターは人手が少ない方ですね。
それも、ここを好きな理由の一つですが、もう一つ、海に近いのと、設計の上で、解放部分が多いので、空気がきれいなのです。昔、昔、となりのトトロみたいな環境に住んでいた時に、母がよく東京に出ると、空気が悪いので、ここに帰ってくるとホッとするわと言っていました。
この前、テレビ東京の『あど街っく天国・野毛篇』で、野毛のバーのオーナーが、多摩川を越すとト、頭が痛くなると言っていたので、笑ってしまいましたが、文化の中心地東京は、どうも、非常にありがたい都会でもあるが、やはり、疲れますよね。誰にとっても。特に、私は普段は、大木に囲まれていて、森の中に住んでいるみたいなものなので、都心は空気という面では、疲れるのです。で、横浜ベイクォーターは、好きな場所の一つとなっています。
さて、夕方6時半ごろ五階のエレベーターに乗ろうとして、背後に、『きよしこの夜』が流れているのに気が付きました。それも大音響で。それで、唱和してみたのです。『きよしこの夜』は英語の歌詞も全部覚えております。如何も、非常にいい声が出るみたいなので、自分の声のボリュームを上げてみました。後ろをトイレに向かう人が通るのですが、だれも、こちらを見ないのです。そこで、ずっと、結構なボリュームで、途中で歌い止めたり、引き続き歌い始めたりしながら、東海道線のホームまで移動をしたのです。
その途中で、大勢の人に、対抗方向からも出会いましたし、私と同じ方向に向かう人もいましたが、誰も、こちらを見つめません。注目をしないのです。これは、非常にいい声が出ているという証拠です。最後の東海道線で、目の前、3メートルぐらいのところで、電車を待っていて若いサラリーマン二人が思わず、振り返って、私を見ましたが、でも、その二人同士で、『変なおばあちゃんだね』と、目配せを交わしたりする気配もありませんでした。
これは、非常に良い声が出ている証拠です。例えばウィーン少年合唱団のソリスト級の声が出ている瞬間だったと思います。総計五分間ぐらいですが、・・・・・
ええと、この前、いつこれほど、いい声が出たっけなあと過去の思い出を探ります。この2012年6月に大阪で、ビデオカメラが盗まれて以来、外で、歌ったことがないと思います。あのカメラを、普段携帯していた時期には、何度か、銀座や、東京駅、構内、横浜駅構内で、歌っている姿を自分自身で撮っています。どうしてか、電車に乗っているうちとか、歩いているうちに歌が口の端に上ってくるのです。で、やや人通りの少ない場所に移動をして、思う存分歌って、それをビデオカメラにとってありますが、パソコンに移動しないうちに、盗まれてしまったのでした。
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副題3、『これが、私の信仰の形である。大きな力を与えてくれる、神との交流の瞬間である』
でも、それ以来、自宅でさえ、歌を歌ったかなあというほど、歌とは縁遠かったのです。それは、無論、激しいプレッシャーやストレスを毎日浴び続けている生活だから、心の余裕もないわけで当然のことです。でも、こういう風に突然に歌を歌うことができて、しかも、最上級の声が出ているということは、誰も知人が聞いていなくても惜しくはなく、『うれしいなあ。ありがたいなあ。本当にありがたいことだ。私は今、天に祝福をされている』と感じるのですよ。
私はよく、信仰の力というものを語ります。だけど、どこの団体にも所属をしておりません。どこにも外出して行って、みんなと一緒に歌を歌ってお話を聞き、最後に、献金するということはないのです。
実は同じ六月の12日に、国際基督教大学のチャペルで、私の声を聴いた先輩が、「麻布の鳥居坂教会で、高田三郎(後注1)作曲の聖歌の発表会がありますよ。あなたは、そんなにいい声をしているのだからぜひ、聞きに行ってください」と言われたのに、どうしてか、その7月2日にはすっかりそれを忘れていて、行っていません。
多分、前夜このブログを書いていて、それで、徹夜でもして、次の日の朝は、遅くまで寝ていたのでしょう。聖歌を麻布に聞きに行くためには、遅くとも朝の八時には鎌倉を出発しないといけないのに。
あのとき、聞きに行って、申し込んだら、それは、一種のご紹介を受けた(後注2)に等しいので、鳥居坂教会の聖歌隊にでも入れたのかもしれません。が、チャンスを逃したというわけです。
その時、「天与の声ですね。天のお恵みをいただいていますよ」とその先輩に言われた、この声の良さを生かすためには、コーラス団に入るべきだと思うのですが、2011年の、9月に突然に、『ブログをやめなさい。でないと、あなたは、2日後に、横浜もみじ坂で行われる、演奏会に出演することは叶いません』と、
お互い同士で、よくはその人物像を、知らない横浜在住の男性である・加藤さんから、メールでねじ込まれて、このブログの方を存続させるために、
当時その演奏会を予定していた、鎌倉の合唱団、『コール』を辞めないといけなくなったのでした。この現象も絶対に裏があって、伊藤玄二郎が画策をしたと思います。彼に対する怒りは本当に深いし、損害が五億に上りますというのも大げさではありません。彼はNHKも動かせるみたいなので、ニュースの選び方や、ニュースに出てくる現象すら生起させる力もあるみたいです。
しかも、我が家近辺のご近所様も、元愛人の石川和子女史(故人)と、その生前に友達たちになった人たちをも、いまだに利用して、敵意ある存在に仕立て上げているらしいのです。ご近所様から、攻撃を加えれらる現象が続いておりますから、怒りは本当に深いのです。
でも、一方では、その怒りを創作への情熱というものに、メタモルフォーズをさせて、どんどん、どんどん、文章が書けるという現象も起きているので、世の中に無駄なことはないと、思います。本がラフな形であり、売り物には、とてもなりませんが、それでも、たった一日で、編集と制作ともに、出来上がり、印刷気に掛ける直前にまで、到達し得るのも、この深い怒りが原動力となっています。
ともかく、私は教会にも、合唱団にも、どこにも属してはいないのですが、このように、ふと口の端に歌が浮かび、それが誰も振り返らないほど、いい声が出ている時には、『ああ、天にいます、神様が、私に寄り添っていてくださるのだ。私が今やっていることは、天に認められている。神様に肯定をされている』と、感じるのです。
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副題4、『その麻布の演奏会にも、もしかすると、高度な罠が、仕組まれていたかな?』
(後注1)、58年前の、1955年ごろ、当時私が学んでいた、新制中学、横浜国立大学付属中学が、校歌を作ることになって、作曲者が高田三郎でした。講堂に来て、指導をしてくださったのを覚えております。歌詞に、立野の丘という部分があるので、弘明寺に移転をした今は、それが使われているかどうか、わかりませんが。
その高田三郎が、キリスト教の聖歌をつくっっていると聞けば、聞きに行くべきでしたね。
(後注2)、鳥居坂教会の聖歌隊には、国際基督教大学の7歳年上の先輩で、私もその顔を知っている人が所属しています。で、もし、その人の援助で、そこに入ることができたら、いわゆるセレブの世界に、再び縁ができて、そちらに、舞い戻ることとなり、そうなれば、コロンビア大学の出身で、元日経新聞論説委員でもあり、現在早稲田大学教授でもあり、元、外人記者クラブの理事長でもあり、・・・・・どうも、ロックフェラー四世と親しい間柄でもあるらしい、石塚雅彦さんについては語る自由はなくなります。となると、どうも、石塚さんと酒井忠康氏の間には、連絡がついているらしいということも、語ることができなくなり、酒井忠康氏の実像について語ることもできなくなります。
そういうことも暗喩的な誘い水として、裏にあったと思われます。
『どちらを選ぶかなあ』と、6月12日から、7月2日まで考え込んでいたのです。聖歌隊に入団して、書く内容に対して、自由を失っても、まあ、お歌を歌って、絵を描いてという、優雅にして美しい日々に戻れるのなら、それも、又吉とするかという思いもありました。だからずっと迷っていたのです。それもあって、当日に行くことをすっかり忘れていたのでした。で、そちら側への選択の道はなくなったので、どんどん、『この世界の真実を語ろう』という方向へ進んでいるわけです。
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副題5、『ここで、すこし、柄谷行人について語ろう』
上に上げた例のように、重要な岐路があって、そこで、選択を誤ったかもしれないと悩むことは無論あります。しかし、どんどん、その悩む時間が短くなっています。ひどい現象やラ、罠に引っかかって、どうしたらいいだろう。これから』と悩むのが一番深い悩みですが、それでも、最近では、半日程度で、復活いたします。
その根底にあるのは、『損して得とれ』という昔からある、ことわざどおりです。
私の悩みは、時々書いているから、そこを狙われますが、まず著者として不遇だということ。もし、弾圧がなかったら、婦人公論や、アエラなどの、雑誌の巻頭エッセイぐらい書いている存在にまで上り詰めていたと思います。それをほのめかすから、嘉田由紀子さんが突然に選ばれたのです。ほかにも種々のケースがあって、ライバルが設定されてきました。相手は何も知らないと思いますが、私の方は、『お前、自分をみじめだと感じろよ』と、上に上げた、魔の三角デルタさんから言われているのは感じています。特に井上ひさしと、伊藤玄二郎を中心にして、柄谷行人とか、種々様々な有名人が、使われてきています。
柄谷さんは、私が『原発デモには参加しないように、人生がめちゃくちゃにされる可能性がありますよ』と言っている小さな部分に着目をした、魔界の人間たちにリクルートをされたのです。で、2011年の9月11日に、『原発デモに参加しましょう』と宣言して、それがニュースになりました。が、柄谷さんみたいな新左翼でしかも、セレブの人が、本当の原発反対の力を持っているわけではないのです。それは、確かですよ。そして、ただ、私のブログから、インテリを引きはがすために、掘り出されて利用されたのです。インテリの中で、とくにすのびずむのつよひとは、ここから離れていくでしょう。
ただ、その裏側を見破って、私側から見た真実を書き始めたら、柄谷さんは、とんと、雲隠れされていますね。それが、私が真実を語っているという証拠になります。
でも、もし、再度、あらわれたら、私は、傲然と書き始めるでしょう。特に、戦後政治における新左翼の役割について。共産党と両輪の輪として、事実上元老ん封殺の道具として機能しています。その真実の像を、展開するはずです。心の準備はいつでもできていますよ。
ところで、今、この章を書き始めると、また、パソコンの動きが異常になりました。で、書きにくくなったので、それを私は、まだ、井上ひさしが生きている証拠といたします。柄谷さんを引っ張り出す案を提出したのは、井上ひさしだったでしょう。そして、私のパソコンの液晶画面は、同時進行的に、私以外の10人ぐらいは見ることができるように手配をされているという推察も正しいと思います。
その10人には、特別なアプリの使い方も指示されていて、あるアイコンを押すと、テキストの入力ができないとか、突然に画面が激しく上下して、そこからもテキストの入力ができないという動きを私のパソコン画面に与えられるようになっているのでしょう。
これは、先日、鎌倉駅ホーム内に昔存在した喫茶店で、井上ひさしと邂逅した場面を、心理学的に分析している最中にブログが、全く機能をしなくなったので、当たっている推察だと思います。で、今日もレベルはその時の30%程度ですが、異常が起きたので、井上ひさしが、柄谷行人を引っ張り出す案を生み出した可能性が強いです。
または、今まで、エージェントとして名前を挙げた10人ぐらいのうちの誰かが、その案を出したのでしょう。
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副題6、『宗教とは、高度で、上品なあきらめのシステムである。だが、あきらめるからこそ、別の力が湧いてくるのだ』
どこで、読んだのかを、今では、すっかり忘れていますが、誰か、哲学者が、『宗教は麻薬にしか過ぎない』と言ったと思います。マルクスかエンゲルスかそれとも、それよりも前の世代の哲学者だったか?
で、現代の、日本共産党も、それを言っていると思います。で、公明党とは犬猿の仲のはず。それからスターリンは、ロシア正教会を弾圧したはずですし、毛沢東も、無論のこと、仏教界・他を弾圧したはずです。
また、現代のヨーロッパの知識人で、宗教性を語るのはタブーに等しいと推察しています。ココシャネルの実家みたいな、無責任は父親がいる家庭以外は、たいてい、小さいころに洗礼を受けさせるのだと推察していますが、そんなことはすっかり忘れて、行動をしていると思います。
アメリカがどうなっているのかはわかりませんが、中流階級は、意外にまじめです。二回ほど、3か月滞在して、版画家を中心として、大勢の人と付き合いましたが、しみじみと、彼らの根底に、『神様が、それが悪いと言っていることなら、しない』という縛りがあるのを感じました。
日本にいて、その真面目さがわかるのは、インディーズ映画を作っている監督のドキュメンタリー等を見ることで可能です。
今芸大美術館で、尊厳の芸術という、アメリカで、戦時中に強制収容所に入れられた、人々が作った、作品の展示が行われていますが、そういう存在の一人、三力谷氏を、取材した「ミリキタニの猫」のレンタルDVD内にあるメーキング部分を見ると、それがよくわかります。
9.11の直後、道路で寝ていた白人ではないホームレスを引き取って、その男性を一人で、きちんと生きていくまで支援する若い白人女性が、どれほど、暖かい心を持っていて、また、どれほど、まっすぐな心を持っているかがわかります。彼女とそのぱーとなーである日本人男性は、その時期のドキュメンタリーを撮っていて、それが、世界中から大、リスペクトを受ける映画となりました。よかったですね。
また、マイケルムーア監督の日本滞在時の、ニュース映像を見ても、あの騒々しい映画の裏にどれほど、まじめな心が隠されているかがわかります。・・・・・ああ、そういえば、どうしてマイケルムーアは、創作を止めてしまったのだろう。そのニュース内でも弾圧を語っていました。飛行機内で、彼の荷物だけ、よその空港に行ってしまったと語っていました。単純な過ちであはなくて、無論のこと意図されたものでしょう。彼は、肥満体であり、しかもアメリカ人だから、日本には合う洋服がないだろうとみなされて意地悪をされたのです。
ただ、たまたま日本には相撲取り用の洋服店があって、幸いをしました。でも、それらの、抜群の弾圧に疲れたのか、世の中から姿を消してしまいました。才能も志ももったいないです。だが、その根底に、上に上げた、宗教心があるだろうと私は推察しています。
自分は、ここまで、必死にやったのだ。十分にやった。きっと神様は休息を取るのを許してくださるだろうと、思っていると思います。アメリカって契約社会です。で、司法取引というシステムもあるらしいです。で、『ここで、創作を止める限り、弾圧やいじめはもう、これ以上受けない』という取り決めでも交わしたのかな?
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副題7、『契約社会でない日本は、また、和解というシステムも作動しないようだ』
でないと、不思議です。これが、日本ではかないません。私はすでに、2007年の12月に和解を提案しています。十分に自由に活動をすることを許されるのなら・・・・・それは、本の出版等の際、パソコンが異常な動きをしないこと。および、ご近所から、音に拠る、日常生活への妨害を受けないこと、など、契約を交わしたい条項はいくらでもあって、相当に有名な弁護士が間に立つのなら、和解に応じてもよいと、メルマガの世界では書いています。
それから、既に、伊藤玄二郎の悪については書いていましたが、酒井忠康氏についてはまだ、実名では物事を書いていない段階で、私が鎌倉を舞台にして書いたエッセイ集、『れすとらん・ろしなんて』を、大部数で、宣伝つきで出版してほしいという暗喩を裏に含んで、「自分で、既に、出版したので、私費出版の形ではなくて、企画出版として出していいただけませんか?」と言いに行っています。
彼の会社、鎌倉春秋社に私費出版として原稿を持ち込むと、出来上がるまでに、300万円はかかると思います。それに、私費出版って、会社側に、宣伝費をかけて、売ってもらえるものでもないのです。だから、自分で出版したものを、もう一回鎌倉春秋社で出すメリットは何もないのです。でも、宣伝費をかけて、それをヒット作(ベストセラー)にして、私をステップアップさせてくれるのなら、今まで行われてきた悪について、目をつぶってもいいですよと、言う暗喩を含んだ和解案の提示でした。だが、彼は応じませんでした。
普通はそういう時に、放っておくというのが出版界の流儀です。だが、わざわざ・・・・・今は、その会社のトップ編集者である・・・・・田中愛子さんが、電話をかけてきて、その提案を、断って来て、本の見本も郵便で、返送されたので、最終的な、和解案を、彼の方から、蹴ったということになります。
そうなると、今度は、私が、とても強くなります。だって、これは、そもそも喧嘩ではないのです。一方的に、私が、被害者なので、許す方は私側なのです。許して終わらせるのは、私側の先取(または、専守)の権利なのですよ。首相が持つ解散権と同じです。彼の方には投げるサイはないのです。
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副題8、『和解への提案に、伊藤玄二郎が応じなかったから酒井忠康氏について書く』
で、酒井忠康氏の悪についても、今40%程度書いたところです。すべてがわかっていますから、将来、書くことのできる種は、酒井忠康氏以外についても、たくさんあって、さらに、1000万字以上残っているでしょう。このブログでも、2000本以上のエッセイを書いていますが、酒井氏については名前が挙がっているのだけでも、6本程度で、12万字ぐらいかな? でも、さらに、尽きせぬほど、書くことがあります。
また、酒井氏以外のテーマで、日本人全体が、伊藤玄二郎、およびその盟友井上ひさしの原案による諜略行為で、どれほど、困惑させられていて、不幸になっているかを語ることができます。
でも、それらを語って行くためには、私の頭脳が明晰でないとなりません。今のところ、相当明晰に働いてくれております。そして、偶然の不幸でも、それを自分に都合の、いい方向で、最大限に利用します。
例えばフェイスブックから追い出されたこと、それをからかうために、nomoto akemi 御殿谷教子、開発ちえと、三人が利用されました。が、そこから、発達して、文章を書くことができ、そして、そこからさらに、現代日本政治を語ることができます。
また、酒井忠康氏の現在の奥様が、鎌倉のパソコン教室に、待っていたことがありました。予約制だから、それができるのですが、その時の観察をもとに、さらに酒井忠康氏の本質がわかってきたのです。彼らは、それこそ、お前より上の女性がいるんだよ。大きな顔をするな」と言いたいがために、彼女に、自宅で仕事をさせないで、パソコン教室で、仕事をさせたわけですが、そういうチャンスを利用して、酒井氏の、性格やら人格を推察することができるのです。
本当のアイ(神のアガペーに近い愛)があったら、こういう謀略に、自分の妻を提供しませんよ。特に子供のことを考えたらいたしません。多分、お子さんは、この二番目の奥さんとの間のお子さんでしょう。
酒井忠康氏とは、基本的なところで、心の中の、何かが壊れている人間だと、私は見ています。ノイローゼであるとか、そういうことを言っているのではなくて、人間としての好ましい道徳観を持っているかいないかというポイントで言っています。多分、それがこわれたのは、最初の妻との離婚時だろうと思っています。一番目の妻より、よりレベルの高い女性を二番目の妻にする男性固有の、計算高さというか怜悧さというか、何かがある。そこに、人間として壊れてしまう原因があるだろうとみています。
で、私は、フェイスブックを追い出された恥ずかしさをものともせず、そこに入っていないからこそ、生み出された大量の時間を使って、さらに集中して物事を書いているわけです。そして、書くことの種ですが、向こうからとびこんでくることも多いのですよ。鎌倉のパソコン教室で、酒井忠康氏夫人が待っているなんて、絶好の種なのです。自分が企画したことではありませんが、絶好の種を拾ったというわけです。すべてはすぐには書きません。その話題に、ふさわしい機会が訪れた時に、書きます。
それにフェイスブックに入っていないからこそできる書き方というのがあるのです。フェイスブックに入っている時も同じことがわかっていたのですよ。だけど、書き方をぐっと押さえておりました。さらに言えば、月刊ギャラリーの連載が普通のケースみたいに長く続いていたら、酒井氏はおろか、美術界のこと自体を書かなかったと思います。いえ、それは、美術界の雑誌なのだから、美術界については、書きますよ。だが、お褒めの言葉とか、美しいお話しか書かなかったと思います。
すべてはあきらめることから、始まります。あきらめることによって、頭の中が整理されて、それ成りに、物事がまとまって行くのです。一つ一つが、完成していきます。それが、信仰を持つことの強さです。
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副題9、『酒井氏には、私をいじめる直接の動機はないのに、いじめる、そこが軽いという所以なのだ。ここで、空家(NHK,日曜日の放映)特集という最悪の例を語ろう』
私は鎌倉に引っ越してきてから、30年たちますが、その間、酒井忠康氏と表向き喧嘩をしたことはありません。まったく、接触がないと言っていいほどです。
一回ほど、鶴岡八幡宮様のパーティで円卓が同じだったということがありますが、会話は成立していません。で、無明の間柄と言っていいでしょう。しかし、恐るべき策略を用いて、美術界において、私が、不利になったり悲しんだりすることが展開をされています。
そのもっとも恐ろしい例は、空家特集という、番組があって、一般論に見せて、私がアーチストとして高く評価している存在を貶め、その息子さんまで取材をしたことです。映像はモザイクがかかっていましたが、美術界のしっかりした活動をしている人間なら、そのぼっちゃんの、お母さんが、その実母の遺体を放りだしたままにしておいて、一種の事件化したこと、それから、そのあとで、どうも、精神病院に入ったらしいということをすべて、知っていますから、
ひどい個人的な抽象番組でありました。テレビは恐ろしいという典型でした。しかし、そこに登場した、北側順一郎(元画廊モテキのオーナー)さんの普段の振る舞いや、別の女性学芸員の行動からは、これが、私が書いている文章を否定するために作られた番組であることは、私には、すべてわかりました。、
私の文章を読んで、ここを突けば、彼女は嫌がるだろうというアイデアは、井上ひさしあたりから出たと思いますが、実際に番組を組み立てるためには、北側順一郎さんを選び出したり、その女性学芸員を選び出したりする人間が必要であり、それは、酒井氏のやくめだったと思います。
この番組の狙いは、その女性について、思わず私が本名を出して交誼をしたら、それをきっかけにして、このブログを閉鎖してやろうという狙いでしょう。同じことは、美貌のライターいちばゆみさんの横浜市大に通っている息子さんが、(実の名前は阿南という)が家出をしたという大騒ぎが起こされ、(その後、一週間で帰宅をしたそうですから、それが、諜略行為であったことが見え見えなので、実名をここに書きます)、フェイスブックでのみ、情報を拡散してほしいと、私にも依頼が来ました。これも、もし、実名を書いたら、それをきっかけにこのブログを閉鎖してやろうとする井上ひさしたち、エージェントのアイデアです。すぐわかります。で、上の加賀については、別の場所で、この番組が放映される前に、書いています。ですから、結局は探り出した人もあって、それが、コメントとして、このブログへ寄せられたこともあります。
『あ、そうですか。あなたも敵側の人間で、同じ趣旨で動いていますね』とは思いますが、文章を書いた日付が残っていますので、番組より以前に書いたことが明らかであって、しかも、別の目的、・・・・・美術作品を審査し、画家に等級をつけることの忌まわしさについて語ること・・・・・という目的を、インテリできちんとした人ならわかるはずなのです。
鎌倉エージェント、特に井上ひさしの方がどれほど、ずさんな頭脳の持ち主ががわかります。また、これを本当に企画したのが、井上ひさしを装った警察庁内部の人間だとしたら、その人間の頭脳も、非常にずさんです。
それは、CIAの人間だったとしても同じです。ただし、警察庁の人間にも、CIAの人間にも、この番組を構成するのにあたって、北側純一郎氏を使いたいというアイデアは浮かばないと思いますし、その日に出てきた学芸員を使いたいというアイデアも浮かばないと思いますから、鎌倉エージェントと、私が、総称している、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏の合作であろうと思われます。
この番組ほど、酒井忠康氏の道徳観の欠如を示すものはありません。恐ろしい人ですが、たぶん、心が失われているのだと思えば、彼が、平気な顔をして、世田谷美術館の館長をし続けていて、銀座の画廊、ガレリアグラフィカの応接間で、私とわざと同じ時間帯に、鉢合せをして、そちらが、オーナーの栗田さんに、ちやほやの限りを尽くされるのに、私には、座りなさいませ』という言葉さえ、与えられないという、さべつをあじわわせて、悲しませてやろうというような小さな策略にも、すぐさま応じる、軽さと、不道徳さがあっても、それも不思議ではないと思われます。
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副題10、『葉山に移転したことによって、神奈川県立近代美術館の使命は終わった』
その情報提供さhが、酒井さんだとしたら、それだけでも神様がお叱りになるに十分です。だけど、ほかにもいっぱいあります。酒井さんが館長の時代に、鎌倉近代美術館は、葉山に移転をすることが決まったと思いますが、今の別館に、地下室とか、裏山開発ルームを設ければ、そこに、旧本館の機能は映せたと思います。または、我が家の東側真下に、鶴岡八幡宮の、駐車場が二つあり、さらに鶯吟亭がありますが、そのすべてを合わせたら、山を入れて、3千坪程度になります。駐車場を別の場所に確保して、美術館の新館をこちらに設置すべきでした。
八幡宮様が敗戦後の、厳しい時代に、県の税金で、新設された近代美術館に対して、貸し地として、収入を得られたであろうことは推察をされ、平和がよみがえって、人々が、又鎌倉を訪れるようになって、そこの時代が不要になり、むしろ、返却をしてもらいたいとおっしゃったり、その後、立地を葉山に移したりしたのも、言ってみれば、画家としての私お発展を抑え得る瀬島龍三あたりから出た案であり、それを、唯々諾々として聞いた、酒井氏は、
結果として、神奈川県立近代美術館の使命を終わらせてしまったのです。
どういうことかと裏側を言いますと、旧本館が我が家のすこぶる近い場所であり、しかも水沢勉、現館長が、私と、実家が近いという縁があって、行き来きがあったからです。少しでも、私がステップアップをするチャンスがあったら、それは摘んでおこう、というのが、彼らの考えですから、近代美術館を移転する必要があったというわけです。
でも、これによって、前の館長たちが営々と積み上げてきた、神奈川県立近代美術館の使命は終わったも同然です。葉山はいかんせん遠いです。ですからそこは、定年退職後の、優雅な高額年金所得者たちの観光スポットになっています。車で行って、観音崎の京急ホテルに宿泊してもいいし、ついでに、「横須賀市立美術館にもよりましょうね」というようなお客さんが主体の場所となってしまっています。
一方で、鎌倉に本館があった時代は、日本の、現代アートの旗手だったのです。内外の現代アートを紹介する場所として、非常に価値が高かったのですよ。で、学生やら、現役の画家が多く訪れたと思います。学生なら、将来結婚したい相手との、デートを兼ねてきてもいいし、熟年の画家なら、鎌倉在住の画家たちとお茶のみの機会を兼ねて、来てもよかったのです。
それらのお客が、ほとんど失われたと思いますよ。専門家で訪れるのは、初日のパーティで、自分たちのセレブぶりを確かめたい、既に、特別に有名になっている俗物画家さんたちだけでしょう。その人は無料で、正体をされ、時にはおいしいカナッペなどが提供されて、買えば、3000円ぐらいする目録もいただけます。だけど、それが、本来、ここが持っていたはずの現代アートの啓もうという目的にかなっているだろうか?
どうしてかというと、半分程度以上に、税金で運営されているので、儲けを主体としない企画でも行うことができたので、それが、都美館とか、国立博物館や、近代美術館や、西洋美術館と違って、新聞社主催の、展覧会とは違った企画を立てることができた場所なのです。
そちらでは、有名人しか、展覧会が開かれません。ゴッホにしろ、草間弥生にしろ、既に、誰でも手に入れることが可能な、画集があるような人ばかりです。
ところが、葉山に移転する前までの、神奈川県立近代美術館、旧本館で、展示されていたものは、ほとんど、一般の出版社からは、画集が出ていないような作家ばかりだったのです。来訪をして、実物を見たうえで、感動したら、美術館政策の目録を記念に買って帰る。それが、日本語で読める唯一の資料となる。そういう作家ばかりを展示していたのですよ。とても、貴重な立場だったのです。
酒井忠康氏は神奈川県の税金で、最もおいしいところだけを食い逃げして、この美術館の本来の使命を終わらせてしまい、自分だけは、世田谷美術館の館長になって、さらに、文章やら、講演による高収入を得ていると考えられます。傍で、じっと観察をしているだけでも、恥ずかしいなと思われる人生ですが、そのうえ、コチョコチョと、私への、いじめを画策しているのですから、最大級に、批判をすることとなります。そして、酒井氏を見ていると、日本政治の裏側も見事にわかってきますので、それは、余得というものでした。
‘副題11、『あなたには、酒井氏を批判する資格がないという意見に対して私側の思いを語ろう』
美術界における酒井さんの立場は、私より、10万倍ぐらい偉いでしょう。ただし、私の文章は正当防衛として書いています。ひどいことをおやりになっているのですし、それに対して謝罪もないし、賠償も保障や補てんもないのですし、ご近所とも連動していますから、普通の生活が安心してできないのですから、それは戦いを始めるのは当たり前の話です。ただし、これでも、非常に穏和に書いているつもりですよ。たたみかけるように彼らの悪を書いてはいません。
酒井さんはコンクールの審査員を数々やって、審査するという立場で、強者になっていますので、それなりに、尊敬を受けていると思います。酒井忠康氏の名前は相当のレベルで、人口に膾炙しているでしょう。
それなら身を守ってくださいませ。なぜ、あの美しい・・・・・水も滴るようにいい女である、・・・・・奥様を、一種の間諜として、お使いになるのですか? そして、あの恐ろしくて、かつ不道徳の極みであるNHKの空家特集に、どうして御協力をなさるのですか? 瀬島龍三に頼まれているとしても、彼は、北久里浜にある、水道山をただで取得した、人間の一人なのですよ。そういう盗人の仕掛けの仕組みを目撃しているから、私は弾圧されるのですが、それがわかっていて、さらにこういうことをお続けになるのですか? そして最近では、伊藤玄二郎と、大原光孝さんとのコネを優先して、こういうことをなさっていますね。この二人のやっていることのばかばかしさと汚さは、もう書くのに、飽きました。そして、読者の方もそれを読むのは嫌でしょう。後で、あなた方の攻撃がさらに始まれば、ここで過去に書いたそれらの文章を、タイトルと日付だけはここにも、入れておきます。が、今はそれをパスしておきます。でも、そういう連中のためにご自分の盛名を汚しておられるのですよ。その悪しき行いが、ばれないとお思いになるのは、あさはかというものです。浅慮の極みです。しっかりと、心の中に芯を確立してください。
井上ひさしとは、違って、いいご家庭で、きちんとお育ちになっているのでしょう。愛情豊かなご両親のもとに育っておられるのでしょう。だったら、ちゃんとご自分を立て直してください。お母さんみたいと、よく他人に言われる私が、ほぼ、同年齢のあなたに、ここで、今日、そう、申しあげます。
そして、あなたは、この世の富と名誉を得たのでしょうが、私の方は、その手のものを一切得ておりません。ただ、ただ、天に見守られているという感覚だけです。が、なぜか、私は、自分の方が、あなたを手のひらの上にのせて、じっと、眺めているような心地がいたします。つまり対等以上の感覚を持っています。
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副題12、『映画・ジーザスクライスト・スーパースターへ対する驚き』
さて、そうはいっても、やはり、惑いもありますよ。それは、言い過ぎではないかしらという思いです。で、そういう惑いの際に思い出すのは、映画、ジーザスクライスト・スーパースターです。劇場ではなくて、テレビで見ましたが、予想外に素晴らしかったので驚きました。
見る前は、『どうせ、子供だましというか、若者向けの教え諭す感じの啓もう用映画(=エンタメの要素を含んだ、教養映画)でしょう。きっとつまらないわ』と思っていたのに、終わりまで見たら、大満足をしていたという感じです。そして、結構なレベルで、イエスという存在の本質も表し得ていると感じました。この時代を表した映画は、ベンハーをはじめいろいろありますが、これは、出色の出来と言っていいと思います。フェイスブックで、ちらっとそれを言ったら、賛成してくださる方が、数人いました。
それと、色彩が非常に美しくできています。もともとの舞台風を生かした、象徴的な装置の中で、歌い踊る、人物たち。それが、結構違和感がないのですよ。イエス役は、非常なる美形ですし。
この映画の中のイエスは、慈悲深い、医術の施し手というよりも、社会の悪を糺す、怒れる若者という側面が強調をされています。最も衝撃的な場面は、ソドムの市の場面です。
どうして、この映画のことをここに入れるかというと、本日の私はこの文章の後半部分で、怒りまくっていますね。それで、ふと、この映画に描かれているイエス像を思い出してしまったのです。しゃーっとテーブルクロスを引っ張って、豚肉や果物などの商品を、床にたたき落とす、怒りまくっているイエス像を、思い出してしまったわけです。
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副題13、『弓町、本郷、教会での、美しかった<林君>の葬儀以外には、教会でのミサや集会には感動できない私なのだ。音楽会や俳句会は別だったけれど』
私はそれなりに、会議というものに参加してきました。だが、たいていは満足できません。参加型の会で、自分の体や頭を使うもの・・・・・たとえば、俳句会とかコーラスというのなら、満足ができますが、そのほかの種類の会議は、進行のテンポが遅すぎると感じるのです。自分が、手早く決断ができる方で、処理も早くできる方ですから、どうして、こんなに、とろとろしているのかしらと、感想が生まれてしまって、そのあとは、ひたすら我慢するという感覚になってしまいます。
前に、共産党と、公明党の集会について述べました。私は大体が会議が嫌いなうえに、その二つでは、上からの押し付けと、教導があるので、よけいに嫌いました。キリスト教関連の信者集会には、上からの押し付けはありません。それはいいのですが、人間は誰でも、欠点を持っていますね。キリスト教関係では、そういう人を主に、パリサイびと(一種の偽善者)と呼びます。
今、NHKの朝ドラで、男の子の主人公の方、いとし(=愛と書く)君は、他人の本性が見えてしまうので、悪い人は見つめられないという設定になっています。
私にもああいう傾向はありますね。ただし、もう少し世慣れているので、相手の顔はきちんと見ることはできます。でも、わかっていることをわからないふりをするのに、非常に疲れます。
それと、本当に所属する信者になったら、義務もあるからバザー等のご奉仕もしないといけないので、それは、それ専一の生活になりますね。ブログを書く生活とは、両立しないと思います。アーチスト生活とも両立しないと思います。
それから、教会の作法の中には、信者集会とは別に牧師様のお話を聞く、ミサというか、礼拝というのがあります。それが、また、満足ができない方なのです。つまり、あまりにも美しいもの乎たくさん見聞きして来てしまっていますので、『あれー、御御堂という空間の中にいるのに、満足ができないなあという失望感を味わうことが多いのです。それほど、自然な接触の中で、美しい心の人に出会うケースが多いのです。
しかし、50年前に本郷の、弓町教会で、経験したお葬儀だけは、心は、洗われて、しかも、大きな感動を与えられました。20歳で亡くなった故人を悼む牧師さんの言葉が、身に迫る切なさと、悲しさに満ちていて、私も泣きました。あれほど、美しさに満ちた空間と、時間はなかったと思うほどです。その時の牧師さんをはじめ、関係者は、すべて、亡くなっていると思います。が、参加することができて、本当にありがたいと思った経験でした。
副題14、『そして、この文章は最初に戻って完結をする』
私が歌う姿を同窓会で見たり、美術界のパーティで接した方もあるでしょう。だけど、荒れは、『これから、歌うんだぞ』という自意識が、加味していますので、最上の声では兄のです。最上の声は、上に言ったように、誰にも聞かせる目的がない場所で、突然に湧き起ってくる場合に出てきます。
そして、そういう時には、私は、こう考えます。『ああ、欠点の多い私も神様に許されているのだ。そして、その恩愛の中にあるのだ。うれしい』と。
そして、この文章は先頭に戻ります。横浜ベイクォーターで、『きよしこの夜』をうたった夕方に戻ります。では本日はここで、お別れをいたします。後で、誤変換を直したら、署名を入れます。