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大分県宇佐市の宇佐神宮です
全国四万余社の八幡様の総本宮として有名です
この宇佐の地に 初めて八幡宮が御示顕になられたのは欽明天皇の御世です(571年)
奈良時代ですね 宇佐神宮の始まりとされています
やがて朝廷は国の重要な事柄について 八幡様にうかがいをたてるようになりました
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宇佐神宮の存在を知ったのは「逆説の日本史・古代言霊編」(井沢元彦著)でした
戦前の教育を受けたものなら誰でも知っているといわれる”宇佐八幡神託事件”
第四十八代称徳天皇に仕えていた道鏡が 宇佐八幡の神託と称して次代の天皇の座を”我が物にしよう”と企みます
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称徳天皇は 和気清麻呂を宇佐に派遣 神のお告げを確認させました
宇佐から帰った清麻呂は 道鏡の前でも臆することなく「君臣の分をわきまえぬ無道のものは すぐにも除くよう・・これが宇佐の神のおつげです」
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激怒した道鏡により 清麻呂は”穢麻呂”と改名されますが やがて名誉を回復
道鏡は下野の国(栃木県)へ流されました
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これが宇佐八幡神託事件の概要ですが ときは古の奈良時代です
江戸時代には 盛んに揶揄された事件も 明治時代になって様相が変わってきました
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寒風のなかを歩き回った宇佐八幡近辺・・
奈良から瀬戸内を舟で渡り 九州上陸してから馬と徒歩であったであろう和気清麻呂
気分はすっかり清麻呂でした
一度は訪ねたかった宇佐神宮です 想いが叶いました
そしてこの地では 思いもかけなかった”ふたつの事柄?発祥の地”であったことを発見
そして69という数字の重みを刻んだ街だったのです
これらは 次回に譲りましょう
私もその本読みましたよ。
母が読んでてそのお下がりでしたが
おもしかったです。
和気清麻呂 縁の神社が岡山と兵庫の境にあります。
藤で有名な神社です。
名前を見て、思い出しました。
でも六十九という昔の表記では、
意味はないかも(笑)
この時の和気清麻呂の働きがなければ・・・
宇佐市とは大分県のどのあたりかしらと地図帳を開いてみました。国東半島の根っこ。東京から空港までも遠く感じるのに、あの時代に奈良からですからね~。
願いが叶ってよかったですね~。
発祥の地とは何でしょうね~。
気になります。
大分別府マラソン?食べ物?
「行ってみたい事」が叶えられて本当によかったですね。
私は、反対に是非行ってみたい宇佐神宮だったのが、とうとう行く機会をなくしたお宮さんなのです。
しかしこんな歴史が……少し恥ずかしく感じています
でもチョットだけ物知りになったかな?
次は何でしょう??
女帝の寵を受け権勢をほこっていたんですね
岡山と兵庫の間に“和気”という駅があり、和気清麻呂ゆかりの地です
宇佐神宮にはまだ行ったことがありません
次回の話が興味津々です
知りませんでした。
奈良時代ね。。。寝てたのかも(笑)
これから検索してお勉強しまーす。
次はなんでしょうか・・楽しみです。
宇佐市には和気姓が多いですね。和気清麻呂の顕彰碑も建立されていました。
この事件は戦前の小学校の教科書に載っていて、こどもたちなら誰でも知っている事柄だそうです。
私は、終戦の翌年が一年生なので、おそらく黒い墨で塗りつぶした教科書だったのでしょうね。井沢元彦の著作で知りました。
岡山、兵庫。全国的な神社なのですね。
意味深ですね(笑)
果たしてこの数字の実態は?
明日アップしますね。
我々にはお馴染みの記録です。