酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

古希まで 一歩!

2008年11月27日 | オヤジのつぶやき
”こき”までやって いや ここまでやってきました

自分でいています

いつのまに・・・


思えば 亡き母が こどもの私を占ってもらったそうです

「この子は 30歳まで生きられない」

戦争中でしたからね 占い師としては当然の八卦だったんでしょうね~


そういう時代から比べれば 誠に幸せなときを生きています



今年は 遊びに来ていた空手娘がファクスでなく 直接手渡ししてくれました

二年続いた「命の階段シリーズ」は影を潜めたようです

これが なによりの私にとっての「養老の滝」ですね



養老の滝といえば お酒です

これから 一日でも長くおいしく飲んでいきたいものです



奇しくも 誕生日前夜に開催された同期会です

これからも 古希世代を多いに満悦していきたいものです


お疲れさまでした  テラノ君

2008年11月25日 | 無農薬野菜作り
彼 ニッサン・テラノ君が 我が家の一員になったのが 平成12年2月のことでした

ディーゼルエンジン搭載の3000CC  その逞しいエンジン音は周囲を圧倒しました

以来 8年11ヶ月 テールランプをひとつ交換しただけのスグレもの・・・

孝行息子ぶりを発揮してくれました

無事故で 違反は「Uターン禁止違反」が一回でした (これは彼の責任ではありません)


その彼が 引退することになったのです

残念ながら 東京都の排ガス規制 軽油による運行規制です

購入当時は 全然話題にもなっていませんでしたが 都条例の制定により 次回2月の車検が通りません

20万キロは乗るつもりでしたが11万キロで断念です


思えば 畑をはじめ 我が家の旅行 移動には多大な貢献をしてくれました

テラノなくしてリタイヤ後の生活は考えられません

いまや 家族の一員とまで昇華したテラノ君です



11月23日 秋晴れの畑でした

おそらく この日が畑を背景にした最後の姿になるでしょう

しっかり背筋を伸ばして 新鮮な空気を胸いっぱい吸い込むテラノ君


「ご苦労さま 引退後も頑張ってください・・」



野菜たち 畑の土 ハウス さらには「渋い家」から 別れの声が聞こえてくるようでした 


お疲れさまでした テラノ君  第二の活躍の場を祈っています

君なら まだまだやれますよ

私もからね


人の持ち味 (佐賀編 その2)

2008年11月22日 | オヤジのつぶやき


佐賀城です

佐賀といえば 幕末維新七賢人が有名です

鍋島直正 島 義勇 副島種臣 江藤新平 佐野常民 大木喬任

そして 早稲田大学の創設者 大隈重信です


早稲田大学には関係がありませんが かねてより大隈重信には畏敬の念を抱いていました

なにか 近寄りがたい存在でしたね~



今回 時間の余裕があったので「大隈重信記念館」を訪れることができました



人間の寿命「125歳説」をご存知ですか?

私の友人にも 125まで頑張るという者がおります

その125歳説・・なんと 日本で最初に提唱したのが この大隈重信だったそうです

重信翁79歳のときでした

そして83歳で 大好きな葉巻を断念

余命42年に賭けました


ところが 皮肉なことに 翌年84歳でこの世を去っていったのです



このエピソードを知ってから仰いだ銅像です

大隈重信が 急に身近に感じられました


明治村から ( 建物編 )

2008年11月18日 | オヤジのつぶやき


明治村食堂の 弁当です  この弁当 タダモノではありません

その名も・・・



「明治文豪弁当」です 文豪が愛した食材の数々が散りばめられていました

1500円で文豪気分を満悦・・・

牛タン好きなオジさんが まず訪問したのが こちらの建物でした



幸田露伴邸です  青木玉さんの「小石川の家」は 現在も文京区に実在しています

屋内を説明されていた女性に促されて にわか露伴が誕生しました



「三重の塔」くらいは書けそうな・・まさか!

牛タン好きだけが共通点でした



南瓜の天婦羅が好物だった 夏目漱石の家です

「我輩」が鳴き声とともに迎えてくれました

東京文京区の借家で 森鴎外も住んでいたそうです





案内図の右にあった 入鹿池です

灌漑用水確保のために 寛永5年(1628)尾張藩に開発届を提出 認可されました

人工のため池としては 香川県の満濃池と一二を争う規模で 貯水量は1500万立方米!

江戸人の壮大な気運を感じました



品川灯台を見学して・・



北里研究所



芦屋から移築された「芝川又右衛門」邸です

このフロアーで かっての宝塚スター 乙羽信子 越路吹雪が踊ったそうです

ボランティアのオジさんの話が愉快でした  名調子



旧 三重県庁舎です



庁舎の中にあった よろず体験コーナーです



涙が出るほどの懐かしい「物件」でした

しかし よろず体験とはいっても 感涙にむせぶだけで 流石にここで唸って「体験」した見学者は皆無でした



明治村のご案内も 尾篭な話題で終わるわけにはいきません

最後は お口直しの「帝国ホテル」です

博物館明治村 60有余の歴史的建造物の中で 品位と風格を備えた帝国ホテル・・

最後の見学は 帝国どおり いや 定刻どおりこのホテルになりましたが 一丁目から五丁目をじっくり周るには 

二日間はほしいものです

中高年夫婦の実感でした 


翌日は 家康の誕生地の岡崎です





走行距離 1288キロ  カーナビ故障だけで 無事帰宅できました


ご覧いただき ありがとうございました


晩秋の 「・・・」

2008年11月15日 | 無農薬野菜作り
「お出かけ」シリーズが続いています

ちょっとこの辺りで一服しましょうか  晩秋の「畑」です  



大根・白菜・春菊・いんげん・かぶ

たまねぎ・キャベツの苗が順調に育っていました

なぜかブロッコリーだけが失敗です

姿・形の見た目は立派ですが 実がついていません



こちらは まだ細目の大根です  もうしばらく成長を見守ります



かぶです  マルマルと育ちました  取立てを包丁で切って口にします

これぞ かぶの刺身です  甘みがあって なんともいえない味でした



9月に種を蒔いたたまねぎとキャベツです

今月中に 新しい畝に「移転」します  順調でした


この日の畑には 嬉しいことがふたつありました



東京の会社をリタイヤしたYさん夫妻です

今年 オジさんが苦戦した「下の畑」の隣を借りたそうです

これからも いろいろ会話が楽しめそうです



そして 嬉しいことのふたつ目はこちらです・・O町のはずれにあった蕎麦店の「里山」です

一日二十食限定の 田舎蕎麦です

750円 これは旨かったですね~腰があってつゆも抜群!

ソバリエの資格を持ったOさん自慢の蕎麦でした

蕎麦粉は 会津から仕入れていました


これからの畑 ますます充実してきそうです




まことに突然ですが・・・



晩秋の「富士山」 新幹線の窓から・・・



こちらも晩秋の「神戸 三宮駅」・・

研修で伺いました



短い時間でしたが ブログ友のまみるさん 二月に結婚されたHさんご夫妻 そしてAちゃんと楽しいひとときを過しました

場所は 蕎麦屋さんの花月庵

主人のOさんの初孫 Aちゃんの二歳の誕生日でした



晩秋の「嬉しい再会」でした  さぁ いよいよ冬ですね


*  明治村に続きます  *


明治村から ( 鉄道編 )

2008年11月12日 | オヤジのつぶやき
名古屋のホテルを出たのが9時でした

前夜求めた詳細な名古屋地図が頼りです

助かったのは ブログ友のこたんさんの行き先案内のメールでした

お陰さまで ほとんど迷うことなく無事に到着できました  ありがとうございました


迎えていただいたのが こちらの方です



明治村の村長 小沢昭一さんです

「小沢昭一的心」に導かれて 「きえうやきうと」 いや 東京駅にでかけました



東京~名古屋間を 30分間隔で運行していました



明治5年 新橋~横浜間を走っていた蒸気機関車です

勢いよく蒸気を噴出しています  まだまだ現役そのものですね



2両編成の客車です  乗務員さんの説明を聞くマダム・・・



ベテランの機関手さんでした  運転資格は「ボイラーマン資格」があればOKだそうです



ボ~! 汽笛いっせい 名古屋へ向かって 出発進行~です



二重屋根も懐かしい「ハフ13型」です  *ハは3等車 フは付随車だそうです*

窓から入ってくる石炭の匂い 煤・・  昔の列車の旅を思い出させてくれました



鎖の連結器! なんともいえない嬉しさがこみ上げてきました



名古屋駅です  東京からの所要時間が4分  リニアモーターカー顔負けのスピードでした


そして 名古屋駅で待っていてくれたのがこちらです



明治44年製の路面電車です  昭和40年代まで京都市電として活躍していたそうです



名古屋~京都三条~品川行きの車中です



急なカーブも・・・



右手と足を上手に操作してのハンドルブレーキ



電車も 数分で品川に到着です


気のいい運転手さんでした

「運転台が露出してますね 雨の日は大変でしょう?」

私の質問に「よくぞ聞いていただきました  昔は箕をつけてたようです いまはさすがにビニールを貼ったり コートを着させていただいてます」


入場券は 乗り物乗り放題券を購入しました

マダムが建物見学中 SL・市電を往復させていただきました



< 特記・・中央道の小牧東ICを降りてから 左折してしまいました 逆方向に走行!

途中で駐車中の小型のバンを発見 運転手さんに道を尋ねました

親切な男性で 詳しく説明していただきました

さらに アクセルを踏み出す直前でした  大きな声で呼び止められました

彼の手には メモ用紙が・・

明治村までの詳しい道順が記されていましたよ  助かりました

ちなみに 彼は小牧市の水道関係の職員さんでした  現場で働いていたところでした

名前は伺いませんでしたが この場で厚くお礼申しあげます >


建物編に続きます


< 特記の特記です >

町田で盛り上がりました  とんぼ博士のwakasamaさんのブログをどうぞ・・


南禅寺 湯豆腐

2008年11月08日 | オヤジのつぶやき
柳生の里を楽しんで 夜は奈良市内で従姉妹たちと食事を共にしました

従姉妹の娘H子は 新婚さんです

夫となったT君は 数年前の研修の受講者でした

世の中は狭く また実に面白いものです


翌日は ホテルを8時に出発  京都 南禅寺「奥丹」で湯豆腐をいただきました

昨年は 木曜日のため休みだった店です





実は 出発の奈良でセットしたカーナビ  マダムの扱い下手で(マダムは私のせいにしますが・・)画面が出なくなってしまいました

なんとか 地図を頼りに到着しましたが 今回の旅行で唯一の「天気晴朗なれど 波高し」の車中でしたね~



その波高し状態も こちらのセットを目の当たりにすると 急速に「波低し」になるから ”湯豆腐力”というのはたいしたものです


マダムの機嫌もよくなりました



あとは 頭のコンピュータを頼りに名古屋のホテルに向かいました

カーナビと違って 自前のナビはまだまだ使えそうでした


次回に続きます


柳生の里から

2008年11月04日 | オヤジのつぶやき
映画少年時代からの夢であった 柳生の里です

柳生新陰流の創始者 柳生石舟斎 

やっと この日 永年の夢が叶えられました

奈良県庁東からゆっくり走って40分 月ヶ瀬街道添いの奈良の景色を楽しみました



十兵衛杉を背に 柳生の里を望みます



あくまで おだやかで のどかな風景です

400年前も 同じような光景だったのでしょう

田植えをする人々のかたわらで 剣術の稽古をしていた若者たち・・

のちに 徳川将軍家に仕えました

映画 テレビ 小説の場面が浮かび上がってきます



その十兵衛杉・・・独眼十兵衛が植えたと伝えられています (ただし これは二代目)

この杉は 柳生から出立する 多くの旅人たちを見送ってきたのでしょうね

落雷にさらされてもなお 毅然とした佇まいは柳生剣士の風格を備えておりました




これは 家老屋敷です 柳生一万石の家老であった小山田主鈴の旧邸です

資料館として存在しています 柳生藩士の生活 大河ドラマ「春の坂道」のロケ風景などが紹介されていました

ほかにも 陣屋跡 柳生一族の墓などを見学

気分は 山岡荘八原作大河ドラマ「春の坂道」主人公の中村錦之介・名脇役長門勇になりきっていました


ひとつだけ残念だったのがこちらです 



昼食の楽しみにしていた「十兵衛食堂」 月曜日は休みのようでした


腹が空いては戦さができない  これは江戸時代も現代も同じこと

急遽 つぎの目的地に車を発進させました



円成寺(えんじょうじ)です

柳生街道随一の名刹と謳われ 草創は平安時代です 



仏像では 特に運慶の作(20歳頃)の大日如来が有名です

楼門をくぐれば そこは俗塵を離れたという表現がぴったりの別世界でした 



あと二週間遅ければ 全山紅葉真っ盛り・・

駐車場で隣り合わせた滋賀ナンバーのオジさんの感想でした


それはそれとして 腹ごしらえです

俗塵に戻って 蕎麦などいただきました

そして さらなる「俗塵」を発揮いたしました

茶店で販売していた松茸  考えれば 最近お目にも お口にもとんとご無沙汰

マダムの許可を得て購入することになりました


俗塵のクライマックス!

交渉の末 大振りな一本をオマケしてもらいました

こうして 奈良の二日目は気分よく暮れてゆくのでした (松茸ごはんの夢?)


次回に続きます


秋のお出かけ 

2008年11月02日 | オヤジのつぶやき
一週間のご無沙汰でした (ロッテ歌のアルバム 玉置 宏さん風に・・)

マダムと小旅行をしてきました

奈良・名古屋近辺です



奈良公園の鹿のお出迎えを受けて まずは「奈良国立博物館」へ向かいます



第60回 正倉院展が開催されていました

宝物の成立は 奈良時代 聖武天皇が亡くなった天平勝宝八歳(756年)に 光明皇后が天皇の遺愛品を東大寺に献納したことに始まります

平日にもかかわらず 見学者が多く 各展示場はかなりの混雑を見せていました

貴族たちの献納品 仏具・飲食器・文書・経典を 時間をかけてじっくり拝見してきました


可笑しかったのは 写経の”専門官”の選出方法でした

役所の"出勤簿”の書体を観察して決めていたようです

さらに "休暇願い””早退願い”の内容は 「腹痛」「義父の看病」・・・二日酔を捜しましたが ありません

願いの理由は 現代に通じるものがあります

これで 奈良時代が グッと身近に感じられましたね


このあと かねてより訪れたかった「柳生の里」へと足を伸ばしました

剣豪の故郷柳生・・次回に続きます



紅葉には ちょと早い奈良の秋でした