酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

一葉忌に想う

2014年11月23日 | 地下鉄に乗って・・・


地下鉄後楽園下車 文京シビックセンターの地下一階です



11月23日 樋口一葉の命日に合わせて「文京一葉忌」が開催されました





式典プログラムは 午前10時に開会(奇しくも 一葉が息を引き取ったのが10時5分と伝えられています)

司会は一葉の歴史・作品に対して造詣の深い一葉会副会長のS氏

挨拶は これも一葉が住んでいたお寺「法真寺」の22代住職I氏

来賓はN文京区長でした


そして10時50分 いよいよ一葉作品「たけくらべ」の朗読です

朗読は女優であり朗読家でもある幸田弘子さん 昭和7年生まれの82歳になられます

はじめて伺う幸田さんの朗読 驚きました

知識がないため 朗読といえば原作本を傍らに読み聴かせるものとばかりに・・・

端正な和服姿の彼女は 手になにも持っていませんでした  ???

なんとなんと 一言一句 完全に諳んじているんですね~~~

登場人物のセリフの場面では 感情をこめての語り!

場面場面が 映画を観ているように頭に浮かびました

BGMまで聞こえてきたような・・・


物語の最後はゆっくり立ち上がっての余韻の残る語り口でした

時計を見ると11時40分になっていました

あっという間の50分の経過でした


暗記力・体力・集中力・精神力 ets・・・

一葉を愛してやまない幸田さんだからこその偉業ですね

160人の参加者全員が一葉の世界に引き込まれました


一葉忌終了後は 明治時代を身に纏ったまま 10分ほど歩きます

例の質屋 菊坂の「伊勢屋」へ向かいました



質屋の前 みなさんが並んでいますね



そうなんです

この日は 年に一度だけの質屋内部の一般公開日なのです

初めて中を拝見しました



古い質札を無駄にせず”はたき”に再利用です



頑丈な鉄の扉の向こうは蔵です



蔵の中



一葉の肖像画です

 

家族の写真です



質屋さんの居間



庭先から出口へ



振り返って見上げれば ここにも樹齢何年かの 大きな銀杏の木が聳えていました

質屋の帰り道 一葉はなにを思ってこの銀杏の木を眺めたのでしょうか


11月23日勤労感謝の日 オジ3号電動アシスト自転車の本郷界隈散策の中日を〆る記念すべき一日になりました

最後に この日の一葉忌に想いました ”幸田弘子さんを目標に生きていきたい!” 幸田さんに感謝!

地下鉄漫才に答える

2014年08月04日 | 地下鉄に乗って・・・
”地下鉄漫才”で一世を風靡したのは 春日三球・照代さんの夫婦コンビです

「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中眠られないの」

トボけた味の三球さん 妻の照代さんがやさしく応じていました

どこから入れるのでしょうか


いまでこそ「銀座線」の名がある地下鉄ですが 戦後のしばらくまでは日本で唯一の

地下鉄でした 昭和2年12月開通 当初は上野~浅草往復

当時 地下鉄といえばこの路線のみでした

夏は涼しく 冬は暖かい地下鉄

小学生時代 浅草~渋谷 全線の乗車賃が15円!

警笛がポオ~ン 黄色い三両編成 電車がポイントに差し掛かると 一瞬車内の灯りが消えます

電力取り入れの第三レールが途切れるためですが それが楽しかった


現代の地下鉄は 地上部分が多くなりましたが

浅草~渋谷間で地上に姿を現すのは渋谷駅を出発してからしばらくの高架部分だけです

ならば 地下鉄車両はどこから入れるのか?

小学生だった私たちにも 三球さんと同じ疑問が湧きましたね


しかし そこはよくしたものでした

当時の小学生たちの遊び仲間は年齢差がまちまちで 先輩がいっぱいいましたね

あるとき 先輩のひとりが教えてくれました

「それはおまえ 上野にあるんだよ 連れてってやろう」

少し自慢げに鼻を膨らませて 後輩たちの顔を見回した先輩でした


みんなで 自転車で繰り出したのがこちらでした



正面の昭和通りの上に架かるのは高速道路で その先は渥美清さん誕生の地 車坂です

手前の通りを横切るレールが四本

その踏切から左を見れば・・・



上野駅に至るトンネルが見えますね



危険防止のフェンスがあります

そして右側を眺めれば・・・



真夏の太陽に全身をさらして 日光浴中の最新鋭の車両が待機していました

車両基地です

周辺の景色は一変しましたが 踏切・トンネル・車両基地は往年のままの位置にありました

この日は 当時と同じ 自転車オジ3号に乗っての65年ぶりの訪問になりました

三球・照代さんも訪れたであろう”地下鉄の出入り口”です

ゆったり ほのぼの漫才が受け入れられた日々

異年齢のこども集団の中で 社会のルールを学んでいった日々

どちらも 懐かしい記憶が蘇るオジ3号”上野散歩”になりました

NHK 放送博物館

2014年04月20日 | 地下鉄に乗って・・・
愛宕神社の出世の石段から久しぶりの更新です

ちょこっと お出かけしてました


実は 愛宕神社の隣にあるめずらしい施設というのはこちらです





NHK放送博物館です

世界で初めてのラジオ放送の開始は アメリカで1920年(大正9年)でした

日本は5年遅れての1925年(大正14年)に ここ愛宕山からラジオ放送が開始されました

一日5時間の放送で 聴取契約は3500件だったそうです



放送が始まった日の部屋の様子です

アナウンサーが 姿勢を正してマイクに向かったのが想像されますね

緊張して 前夜は眠れなかったのでは・・・



びっくりしたのがこちらのコーナーでした↑

ラジオ放送開始の翌年 1926年12月25日(昭和元年)には 高柳健次郎氏によるテレビ伝送実験に

成功していました

「イ」の字が見事に映し出されています



実験成功から20数年後 我が家の居間にも鎮座していた14インチの白黒テレビです

家の宝物のような存在でした



歴代のラジオたちです

疎開先の新潟で「終戦の詔勅」を聞いたのはこのようなラジオだったのでしょう

庭の真ん中に持ち出されたラジオで 親戚の大人たちに混ざって聞いた記憶があります

なにが言われて なにが起こったのか 皆目わからなかった6歳の少年でした



徹底抗戦を叫ぶ一部軍人たちが必死に探し求めた「玉音盤」

映画「日本の一番長い日」で初めて事実を知りました



従来の漫才の形式を破って しゃべくり漫才で一世を風靡した「エンタツ・アチャコ」の名コンビです

ラジオで放送された”早慶戦”は 画期的な漫才でした

いまに語り継がれる名人芸 現在の漫才の原型です



大河ドラマの主人公が着用した衣装の展示です

常磐貴子ファンとしては 一番左の衣装が気にいりましたが 彼女はなんの役だったでしょうか?

そして さらにさらに・・・



歴代の大河ドラマで いまもって一番のお気に入りが「花神」です

原作 司馬遼太郎 主演 中村梅之助(村田蔵六 大村益次郎役)

このコーナーでは 過去の大河ドラマを選択して楽しめます

一回の視聴は2時間 

これは病みつきになりそうです


春の一日 愛宕神社から放送博物館の見学でした

ちょっとお出かけのご報告は次回になります

出世の石段

2014年04月12日 | 地下鉄に乗って・・・
地下鉄を利用して 都心・港区の愛宕神社にやってきました

家康が 江戸開府と同時に建立しました

現在の23区内で 一番の標高26メートルの高さを誇ります



急な石段の前に掲げられた「出世の石段」の秘密は?



石段の角度は45度はありそうですね



実は37度だそうです



石段の数は86段!

いまさら出世しなくもよい

実際に 登り降りの途中で気分が悪くなったり コケそうになった人もいるようです

エレベーターを利用しました  正解でした



神社で参拝を済ませて散策です



「将軍梅 平九郎手折りの梅樹」の説明があります

そうです これぞ「出世の石段」の”秘密”でした


時は 三代将軍家光の世です

石段を見上げた家光の目に映ったのは 愛宕神社に咲く梅の花でした

「誰ぞ あの梅をもて 馬で石段を駆け上がれ」

この石段です 家来一同が躊躇したとき・・・

「いざ 拙者めが!」

みなが あれよあれよと見上げるなか 見事な手綱さばきで86段を駆け上った侍が

曲垣平九郎その人でした

これには 家光のおぼえも目出度く 異例の出世を遂げました


以来 この石段は「出世の石段」と称され こんにちに至っています

それにしても馬術の名人 曲垣平九郎 

彼にあやかりたいものですが 御身大切なオヤジの私でございました



このあと すぐ傍にあるめずらしい施設を訪問しましたが それは次回に譲りましょう

都心のオアシス 愛宕神社の逸話のご紹介でした


東京にも大仏さまが・・・

2014年02月28日 | 地下鉄に乗って・・・
大仏といえば誰もが奈良と 鎌倉長谷を思い出しますね

当然でしょう

ところが 驚いたことに東京にも大仏さまが存在していたのです



よく駄洒落でつかわれる「勝ってくるぞと板橋区~」♪

そうです 東京大仏は板橋区赤塚の地に鎮座していました

寺の名前は乗漣寺  東京都と埼玉県の境にある大仏像は都民でも知っている人は少ないでしょう





高さは 堂々たる13メートル!

穏かな表情で参拝者の幸せを願っています

建立は昭和52年と新しく 前回の訪問はそのときでした

近くには・・・



江戸時代から流れる不動の滝



釣り人が楽しむ小さな池



そして 紅梅も春の訪れを告げていました


ほかにも 古民家を移設した郷土資料館 ミニ美術館があります

手打ち大仏蕎麦の店 ここではおいしくいただきました


大仏様へのアクセスは 地下鉄「西高島平」下車徒歩20分です

高島平は東京の大団地 昭和40年代後半は団地といえば「高島平団地」と言われていたものです

その高島平も江戸時代は「徳丸原」と称されていました

1841年 幕府により西洋式砲術の訓練所が開設され 指導者として指名されたのが高島秋帆です

長崎出身の彼の名をとって 以来 高島平と改称されたそうです


地下鉄を利用しましたが この日の歩数は15000歩を超えました

次回にご紹介する 研修で習った「認知症予防策」のひとつ”一日8000歩を歩く”もクリアーでき さらに

東京の隠れた名所を堪能した 春近しの一日になりました

露天の大仏様も待ち焦がれている春です

新参者の街

2014年01月23日 | 地下鉄に乗って・・・
今回 新たに参入したカテゴリー「地下鉄に乗って・・」の第一回目です

まさに 拙ブログの”新参者”となりました


メトロ・日比谷線と都営浅草線が交差した街 日本橋人形町

東野圭吾の泣けるミステリー「新参者」の舞台となった街です 

新カテゴリーの初回としては なかなか良い街を選んだつもりでおりますが・・?

地下鉄を降りて しばしの散策です



まず 目に飛び込んできた店が煎餅屋 主人が手焼き煎餅の実演中です 

「新参者・煎餅屋の娘」のテレビ版では女主人役(煎餅屋)の市原悦子さんが 同じ場所で焼いていました

店の中を覗いてみましたが 娘の杏さんは不在でした 





下町 人形町らしい楽しげな店が並んでいます



昔は 甘酒の店が軒を並べていたのでしょう

いまでは・・・



酒屋さんが 提供していました

店に入って一杯だけ所望

空襲で全焼したあと 戦後再興した店でした

初老の主人との昔談義が愉快でしたね

「日本橋吉原は すぐそこにあったんですよ」

「都電 21番が疾走してました」

話しが弾み 暖かい甘酒で身体も暖かくなり 足取りも軽くなりました





こちらが 旧吉原あたりでしょう

歯医者 寿司屋 酒屋の佇まいが郷愁を呼びます

そして 人形町で忘れてならないのがこちらです ↓



明治座と・・



安産の神様 水天宮です

「時計屋の犬」でキーワードとなった水天宮

ただいま改装中で 2年半後にはお色直ししてのお目見えになります


新参者の街 人形町 

「瀬戸物屋の嫁」「時計屋の犬」「洋菓子屋の店員「料亭の小僧」「翻訳家の友」etc

下町に住む人たちが織りなす 切なくも余韻の残る物語の舞台の街です

阿部 寛が扮する所轄刑事「加賀恭一郎」の気分には成り切れませんでしたが

すれ違う人たちがなんとなく三浦友和 泉谷しげる 笹野高史 倍賞美津子に見えてきたから不思議です


道を教えてくれた店員さんも親切で さすが 新参者・散歩者にもやさしい人形町でした


9638歩