酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

友来る

2006年08月31日 | 酒の席
久し振りで貞水さんの店「太郎」へ行きました

うれしい方が 所用で上京しました

F市の元研修担当Uさんです

お付き合いをはじめて6年になります

F市では 研修の前夜 飲み屋さんで交流をはかり 研修の成果を高めた(?)ものです

* 初めてのとき よく飲む講師だと思ったそうです *


共通の話題になりました

彼は 中国のメル友Rさんと現地でお会いしてきたというのです

私はN県でのうれしい出会い

「新しい人間関係」の話題は 尽きることがありませんでした

そして 日中交流 将来の大きな夢を語るUさんでした


貞水さんは忙しい毎日のようです

そういえば 最近NHKによく出演してますね

店は いつものように奥さんが仕切っていました

先にきていた 常連のSさんとスッカリ意気投合



               ご了解の上での撮影です


それにしても 飲むコミュニケーション

最近の若い人たちには 敬遠され気味ですが シンポジュームの語源

ギリシャ語で「饗宴」というそうです 古代ギリシャの人たちは飲んだり食べたりしながら 語り合ったのでしょうね

この夜もかなりの”競飲”いや「饗宴」になりました

ときには本音で話せる”飲ミュニケーション”  復活を祈ります


そしてUさん 電話をありがとう  

また 研修で伺いますね











秋キャベツ・ブロッコリー

2006年08月28日 | 無農薬野菜作り
27日 日曜日の畑は曇天でした

普段は土曜日に稼動する後輩のT夫妻からのお誘いです

彼らは いよいよ本格的になってきたようです

秋キャベツとブロッコリーの苗を 自宅マンションのベランダで育成したというのです

貴重な苗をいただける

これは嬉しいことです  

問題は ジャングル状態の我が畑  苗を植える畝の整備が未完です



この綺麗な畑は 彼らの成果です すぐにも植えられます

私の畑は この上にあります  雑草の宝庫



いただいた元気な苗です 「早く植えてくれ~」 待ち構えていますね

まぁ しばし待ってちょうだい  ちゃんと「家」を作ってやるからね。。

途中で気付いてビックリしました

苗を相手に 声をだして喋っていましたよ  後輩も笑っていました



なにはともあれ まずは収獲です

草塗れのナスから始めます



ひと株80個ペースを死守しています  オクラは硬いです。。



ミニかぼちゃ「小菊」のはずが「大菊」になってました 栄養過多 肥満です



ジャングルを刈り上げ 掘り起こした最後のじゃがいも


これで 準備は整いました

いただいた苗は持ち帰りました

今週中には 畝を整備して 彼らの住みかに定着してやりましょう



下町で2~3泊することになりました ニコニコ嬉しそうでした













うれしい出会い

2006年08月26日 | コミュニケーション
25日は うれしい出会いがありました



ご了解を得ての「全員集合!」の写真です

新潟県 M市のコミュニケーション研修でした

実は この研修はブログが取り持つご縁で実現しました

私の隣の女性が Shizuko diaryさんです

市議会議員さんです

ブログを通しての 想像していたとおりの方でした

明るく 闊達 見識深く M市の発展に全力投球をされていました

5人の方々は 役所の課長をはじめご担当の職員さんです

研修終了後 親しく懇談をさせていただきました


ブログでお知り合いになった方と お会いできたのはShizuko diaryさんが3人目

の方になります

どなたも 初対面とは思えない出会いの楽しさがありました

今回は 研修のご依頼でした

心底 感激しました 

お互いの信頼感がなければ 到底実現しなかったでしょう

そして 議員さんと 役所の方との信頼関係も素晴らしいことでした


これからの自治体運営は 地域住民・行政・議会の三位一体 協力体制の構築が求められます

セミナー効果が 少しでもいい影響を及ぼすことを祈念しての「出会いの研修」の1日でした



庁舎と おだやかな”越後平野”です

<   <


道の駅ならぬ「町の駅」です

<   <


物産 健康 伝統芸 こどもの広場。。

市民のオアシスでした

そして これは。。





町の駅で求めた”メダカ料理” 「うるめの田舎煮」でした

M市ではメダカを うるめと呼び 昔から食べていた食習慣がありました

醤油で煮付けただけの素朴なものですが メダカのもつ独特の”ほろ苦さ”

”しっかりした魚の味”がおいしいと称賛されてきました

また 豊作 商売繁昌 家内安全の願いを込めた「縁起もの」として 正月料理の一品にも使われ愛されてきました


61年前 N県の親戚疎開から帰ってきたときは8時間の道のりだった上越線です

便利になりました



亡き母の故郷に近いM市です

講師で招いていただいたSizuko diaryさんはじめ 役所の方々に感謝いたします

ブログのコミュニケーションに ますます元気をいただきました


みなさんとは 充分いただいたはずなのに。。。



上野まで 気持ちよく新幹線の人となった「酒と戯れるオヤジな私」でした

人生最良の日でしたね

                                                           



















                    







三四郎でも。。

2006年08月24日 | オヤジのつぶやき
今回はいつもの三四郎ではありません

東京大学構内にある三四郎池のご案内です



東京大学 龍岡門です

そしてなんと! 驚くことでもありませんが 左側が我が中学校の跡地です



昨今の少子化のあおりを受けて 見事「廃校」になりました

昭和20年代の後半をすごした思い出深い校庭です



ということは。。

天下の東大は なんと ここのニキビ中学生たちにとっては 格好の遊び場だったのです

同級生の 人間国宝『一龍斎貞水さん』なんかと鞍馬天狗ゴッコをやりましたね

そして みんなの合言葉 ”だてに 東大出ていない!”

そうです 後のプロ野球大洋に入団した東大卒の投手N君以外 だれもこの大学には嫌われてしまいました

みんな出ていないのです 散々 中学時代に出入りだけはしましたが。。

私たちと 東大の関係はこんなところです


では 池にご案内しましょう

前回の 「無縁坂」でコメントいただいたba-baさんには懐かしい写真でしょうか



夕日に映える 東大病院です

病院の左手に進んで行くと。。



気温が 一気に3度は低くなりましたね



加賀藩 前田家の名園の面影がいまに残っています



外人さんのカップル 留学生でした

「サンシ~ロ!」 「おお サンシ~ロ イケ!」



わかったような わからないような。。

コミュニケーションはこれでよろしいでしょう



結構 起伏のある池の一周でした いい運動になりますよ

そして心は 中学時代の思い出にも充分浸ることも出来ました


そして 東大といえばここですね



安田講堂です

いまは昔 昭和43年の東大闘争 変なところで有名になってしまいました


50年前の遊び場探索も 終わりに近づいてきました

弥生門から外に出ます



弥生式土器発見の地「弥生」です

サトウ・ハチロウ記念館  竹下夢ニ美術館が近くにあります


すっかり中学校時代を懐かしんだオジサンでした

このオジサン このあと 『三四郎』で軽くを一杯だけ楽しみました



                         < おまけ。。>



                    23日のT区研修会場から皇居を望む



                          平河門でしょうか

                   この庁舎は 来年5月に新庁舎に移ります

                         皇居の桜ともお別れです
















無縁坂

2006年08月22日 | 坂道


事務所での打ち合わせが 予定より早くおわりました

一杯やるには日が高い

久し振りに近くを散歩しました 無縁坂。。 (湯島4丁目12)



その昔 この周辺は武家屋敷が多く『武家』に『縁』 武縁坂とも称されたらしい

         (左側の煉瓦塀は 旧岩崎弥太郎邸です  右の奥は東京大学)

しかし やはり私には『無縁坂』が呼びやすいですね

森 鴎外の作品『雁』の主人公 岡田青年の散歩道ということで 多くの人に親しまれる坂になりました



お玉さんが住んだと思われるような 最後の格子戸の家も 昭和50年代半ばに姿を消しました

いまは 高級マンションになっていました



当時の面影を偲ばせる 岩崎邸の石垣です



東京大学を背にして 坂の上から。。



                      (真っ直ぐ行くと 上野不忍池です) 

近年 若い人たちが多くこの坂を訪れますが「ひまわりの歌」の主題歌  さだまさしさんの”無縁坂”の影響のようです 



昭和40年代の 住居表示改正によって 両門町が消えました

近くの真砂町も消えました 婦系図も「本郷4丁目の先生」になってしまいました

岡田青年 お玉さんは 迷わないで ここに無事に帰ってこられるでしょうか

坂を歩きながら 心配になってきましたよ


ここまで 散歩しながら「例の場所」に行かないわけにはいきません

暑い中 高校球児の頑張りに励まされて 足を伸ばしてしまいました

次回です

             





浅草で”風の盆”

2006年08月20日 | オヤジのつぶやき


                    お馴染みの 浅草雷門です


                   
              五重塔とのライトアップが 夜の浅草を演出していました

                    旧盆あけの浅草は 誠に静かでした



                        雷門 ゴロゴロ会館です

  いま このゴロゴロ会館の横で 今夜の浅草の静けさを象徴するイベントが開催されようとしていました

                そうです! 富山の「おわら風の盆」の開催でした




       初めて見た「おわら風の盆」でした  実に静寂そのものの踊りです

            幻想の祭りとも称される 越中八尾おわら風の盆

     元禄15年に 210日の厄日の風を払い静めるために考案されたといいます

                   五穀豊穣を願ったのでしょう




      鳴り物も三味線だけでした  短い列が誠に静かに通り過ぎていきました



              三社祭・夏のカーニバルに代表される浅草です 

               静かな風の盆は似つかわしくないのでは。。


                    予想は はずれました

           深い菅笠 時代の変遷で工夫に工夫を重ねてきた鳴り物と歌

             普段は 賑やか好きな浅草っ子の共感を得ましたね

         せわしい日常の生活をひとときだけでも ホッとさせてもらいました



            賑やか好きな両さんも 賛成してくれたことでしょう


息子と出かけた浅草でした 盆休みで帰省していましたが 20日に帰ります

いつものところで「送別会」でした




8時を過ぎて大盛況の店内 アルバイトのお兄さんたちもヘトヘトのようでした

隣にいたひとり客のオジさん

次々に入ってくる客のため 空いてる席の案内役をやってました  これぞ浅草風景です



一気に飲んで あわてて写した大ジョッキ950円!

このあと デンキブラン 黒ビールと結構いきましたね


10時近くまで よもやま話をして外にでました



酔ったまなこで見えた 例のものです


祭りの静けさ 喧騒のカミヤ  どちらも浅草の原点です

我が家も 今日から静かになります


早実駒大苫小牧の引き分け再試合は 羽田で知りました

どちらにも勝たせたいのは このような試合をいうのでしょうね

明日の畑は中止です

TV観戦になります  どちらもぞでいってほしい!

               































朝倉彫塑館

2006年08月18日 | オヤジのつぶやき
1週間の「孫タイム」が終わりました

札幌息子の帰省も日曜日まで。。

少し"平穏”の時間となりました

高校野球の早実・日大山形をラジオで聞いています



先日 訪問してきた「朝倉彫塑館」です

明治16年 大分県に生まれた朝倉文夫がこの谷中に居を構えたのが明治40年

東京美術大学を卒業した24歳のときだそうです

その後 増改築を繰り返し 現在の建物は朝倉自らの設計により 昭和10年に完成しました

独特の様式 居室のたたずまい 造園の妙味は朝倉芸術全体を表しているといわれています



                   屋外の展示物です 

代表作の「墓守」「進化」「時の流れ」「大隈重信像」「九世団十郎之像」などは撮影禁止でした



                   1階のアトリエです



                  膨大な書籍が収まった書斎



                  名横綱 双葉山の椅子です



朝倉彫塑館の中央には 自然の湧き水を利用した日本庭園があります



この中庭は 朝倉文夫が自己反省の場として設計したものです

「五典の水庭」と呼ばれ 儒教の五常を象徴した「仁」「義」「礼」「智」「信」

の五つの巨石が配されていました

* 仁も過れば弱となる * 義も過れば頑となる  * 礼も過れば諂となる

* 智も過れば詐となる * 信も過れば損となる

彫刻家としての 揺るぎない名声に甘んじることなく 日々反省の毎日を送った朝倉文夫でした

頭が下がる思いがしますね



彫刻以外にも 質量感のある陶磁器の作品群です


そして 天才の人間的側面に触れることのできる作品がありました



                        猫です





猫をこよなく愛した作者でした  猫の彫刻だけ展示された一室でした



              屋上から望む 谷中の街並みです



                    日本家屋の玄関


朝倉彫塑館は 昭和61年に 遺族の方々のご厚意によって台東区に寄贈されました

区では 全国の美術愛好家のみなさまの来訪をお待ちしています

谷中・根津・千駄木の 谷・根・千見学の折にでもいかがでしょうか

元コームインが宣伝してしまいましたね

でも 撮影禁止作品は一見の価値がありますよ


そして 芸術観賞で喉の渇いたオトーさんには ここがお奨めです



彫塑館から左へ30秒 谷中の飲み屋横丁です

一番奥の左の店 「加代」のばぁ~ちゃんが面白いです













終戦記念日に。。

2006年08月16日 | オヤジのつぶやき
終戦の日は 親戚疎開の新潟県の新発田市で迎えました 暑い日でしたね

正午の玉音放送のラジオの前で 親戚の人たちがじっと俯いて 天皇陛下の放送を聞いていたのを憶えています

あれから61年

日本は平和になりました

そして 平和の象徴のラジオ体操です



めったに参加しないラジオ体操 孫たちに誘われて 近くの会場にでかけてみました 

61年前と異なり 涼しい朝でした



参加者のほとんどが60代以上です

みなさん元気に足腰を伸ばしたり 縮めたり。。

エネルギーが満ち溢れていました

背中が丸くなったおばぁちゃん 松葉杖のおじいちゃん

戦中戦後の 過酷な運命を生き抜いてきた方々ばかりです


ラジオ体操の帰り道 孫たちに当時の話の続きを語るじ~じでした

そして 我が家での昼食タイムです

久し振りに”てんやもの”を取ることになりました

考えてみれば これも平和のお陰です

当時は「外食券」での配給制度でしたからね。。

食料といえば スイトン 雑炊 さつまいも かぼちゃ そしてスケソウタラ。。

そんな話をしながら 各自の注文を聞きました

私はもりそば 帰省中の息子ももりそば マダムと娘が天丼

ま このへんまでは想像どおりのリクエストでした

驚いたのが 孫のふたりの注文でした

『鍋焼きうどん!』 この暑い真夏に

「夏だからやってないよ」

「だって マンガで食べてるよ」

「ん?」



例の「コチ亀」148巻です 確かに主役の両さんが夏の時期に食べています

しかし マンガはマンガです  納得させるため 電話で問い合わせました

「やってますよ~」  

「ほら ごらん」喜ぶ孫たち

蕎麦やのバイクに乗ってやってきたのが こちらでした



思えば 私が「もりそば」と初めて対面したのは 小学校の5年生

間違いなく昭和25年の秋でしたね

鍋焼きうどんについては全くのご縁なし お初にお目にかかったのは ごく最近のような気がします

それも 寒い冬の食べ物という固定観念がありました


この暑い中 鍋焼きうどんをペロリと平らげたふたりの孫でした


もりそばを食べながら考えました

マンガに鍋焼き。。しかも真夏の。。どちらも平和の象徴なのかもしれません



一度は乗ってみたかった イトー○ーカドーのミニSLです

61年前の夏 上越線の列車で 東京へ引き上げてきた元少年が 孫の後ろに腰掛けていました

平和の味を かみしめながら。。です

このふたり どちらも年です

戦争もなく 私の歳より永く生きてもらいたいこどもたちです



 








じ~じ 尊敬されるの巻

2006年08月15日 | オヤジのつぶやき
釜戸のお釜・鍋に 火が入りました

ご飯は ほどよく炊き上がっています

カレーの鍋が 勢いよく湯気を吹き上げていました

中身のじゃがいもは もちろん”私の”じゃがいもです!



何年振りのことでしょうか

昔は 山での飯盒炊飯はワンゲルの必修科目でした



11日から 孫たちとキャンプにでかけました

青梅の「ままごとや」の向かいにある「寒山寺」の鐘をついて 道中の無事を祈りました

キャンプ場は 山梨県の小菅村です



プールなどは整備されていません いわゆる”都会的”なキャンプ場ではありませんでした

管理人さんも 家族総出で手伝う素朴なキャンプ場です



木の枝のような虫 可愛い顔をした「ななふし」のお出迎えでした

薪に火をつけただけで すっかり尊敬されてしまったじ~じです

カレーの夕食の後は 花火を楽しみます



花火の後は 宿題に取り組むSちゃんでした



2泊3日のバンガローです 11畳の広さは快適でした



テレビもゲームもない3日間

「テレビなしでも生活できるんだね」 Sちゃんの感想には考えさせられました


そして2日目です

近くの丹波キャンプ場まで足を伸ばしました

またもや 尊敬されてしまったのが「虹鱒釣り」ですね



餌のつけかた 浮きの沈み具合 竿の上げ方を教えました



さすが 男の子のH君でした

見事に 2匹を釣り上げました

すっかり気分をよくした2人です 今度はつかみ取りに挑戦です



釣果は〆て18匹でした 炭火で待つこと40分



"炭火焼け”を愚痴とともに"自慢”していたKさんです

仕事とはいえ 頭の下がる思いがします

もちろん 子どもたちにも説明をしておきましたよ 「お陰でおいしい鱒が食べられる。。」



ここの薬湯は 効きましたね  ピリピリ感が いかにも効くぞ~ でした

2日目は 鉄板焼きです  畑のなす ピーマン じゃがいもたちが活躍してくれました



意外でもあり 嬉しかったのがこちらです。。↓



管理人さんからの「いわな」の差し入れでした  わずかばかりのスイカのお裾分けのお礼だそうです

この後 昔の下町のような「物々交換」が繰り広げられましたよ

管理人さん夫妻との楽しい会話

食事の準備の1時間 その間の家族との会話

テレビなしの時間をもてたのは 何年振りだったでしょうね


早寝 早起きの翌朝です



特設ステージで記念撮影 そして出発しました

帰路は 勝沼経由で中央高速に入ります


今回の旅行 最後の楽しみ 桃狩りです





この桃はあたりましたよ 甘かったですね~

予定どうりの時間に無事帰宅しました


今日は終戦記念日です

61年前のこの日 じ~じは小学校に入学の前年でした

到底 夏のキャンプどころではありません

食うや食わずの毎日でした

そのまま帰ると思っていた3人が 我が家に3泊しています (亭主は留守番)

いい機会です

戦争時代 終戦後の話をしてやりましょう

我々世代の役目ですね


ただし どの家庭も 家族の絆 団欒は当時のほうが優れていたようですが。。


このキャンプも 今が花なんでしょうね

いずれは ふたりとも仲間たちと出かけるようになるのでしょう

そうでなければ困りますが、一抹の淋しさが胸を過ぎりました