酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

梅雨入り直前の畑

2011年05月31日 | 無農薬野菜作り
被災地をはじめ 各地に大きな被害をもたらした台風2号です

みなさまのところはいかがでしたか


ここは 明日から梅雨入りという26日の畑です



かぼちゃの花



ミニトマトも順調でした



好きな紫色 ナスの花です



”親”が 芋とは思えない 可憐な「じゃが芋の花」です



ピーマン  そういえば「ピーマンマン」というキャラクターはいませんね

もしアニメに登場すれば ピーマン苦手なこどもたちがいなくなるでしょうね

誰か考えるといいですね

ちなみに ピーマンが嫌いだった孫たちですが 自分で苗を植え 収穫してから好きになりましたよ



雉が出迎えてくれました

彼には”ふたり”の奥さんがいます

一家を支えるには 彼なりの苦労があるんでしょうね~  ご苦労さん!


平和な畑も いよいよ梅雨です

作業時間の少ないなか そして「腰痛警報発令」のなか 今年も雑草との格闘がはじまります


台風の被害がなかったことを祈ってますが 果たして


猫もつらいよ

2011年05月27日 | コミュニケーション
一見 のどかに見える我が家の「外猫社会」です

朝 雨戸を開けると その音に反応して兄弟仲良く擦り寄ってきます

餌と水を 皿に補給します  頭を撫でてあげます

二匹は 餌の取り合いという喧嘩はしません  しっかり順番を待っています

母親の躾が身についているのか はたまた本能か  見上げたものです


一見 平和そのもののような猫社会ですが時には・・・

「外敵」の襲来があります

そうです 時折 いかにも悪役顔したチョコレート色の猫がやってきます

風貌をわかりやすく説明するなら 上田吉二郎を醤油で煮しめて乾燥させた顔とでもいうのでしょうか

餌を狙って 兄弟のテリトリーに浸入してきます

二匹の兄弟は力をあわせて 吉二郎を撃退するか!

はじめて襲来を目撃したときは期待したものです

ところがギッチョン



兄は素早く姿を隠し 弟はかくのごとく足場の不安定な場所に避難します

傍若無人な吉二郎は食事の後 彼等を睥睨しつつ悠々と去っていくのでした


老猫吉二郎との年齢差からしても 我が外猫兄弟は若武者です

言ってみれば 中村錦之介と東千代之介のようなもの・・・

昔の東映映画だったら ふたりは力を合わせて怨敵吉二郎を叩きのめしたに違いない

それが 東映映画の約束事であり定番でした



笛吹き童子ならぬ逃げ出し童子

♪ ヒャラ~り ヒャラリ~コ ♪

上田吉二郎が去ったあと 兄弟寄り添うように身づくろいに励んでいました


ちょっと不満ではありますが これが 厳しい猫社会を生き抜く智恵かもしれませんね

つらいのは 寅さんだけではありません  猫の社会も充分につらいのでありました

ますます愛しい外猫兄弟です



 逃げ足の早い吉二郎猫です カメラに収めるのは困難を極めますが いずれスクープ写真を・・ 


OB会 雨の箱根

2011年05月24日 | 酒の席
恒例のOB会箱根湯本です

毎年3月か4月に開催されてきましたが 今年は大震災の影響もあって5月の集まりになりました

先の連休あたりまでは 閑散としていた観光地の箱根です

次第に賑わいを取り戻してきたようです

しかし 日曜の夕方といっても小田急ロマンスカーの車内は・・



このとおりです

まだまだ出足は鈍いようです



いつもなら 渋滞の生じる国道一号線湯本駅前もご覧のとおりでした

雨の影響も追い討ちをかけたのでしょう  空いています

昨年までは 歩いて旅館に向いましたが 今年はじめて循環バスを利用しました

100円の運賃でしたが これは無料にすべきでしょうね  意外な感じがしました 


集合した10名は 変わりなく元気な顔を見せてくれました

歳はとってもまだまだ意気軒昂!

宴会までのひととき 近況報告に花が咲きます 

話題は どうしても健康談義ですね

欠席連絡のあった仲間たちからは 健康不順とのこと

そして 毎年なんらかのサプライズがあるOB会なんですが 今年もありました

な なんと置き引き事件が発生しましたよ

被害者はT女史でした

新宿駅での出発前の2号車の車中でした 座席の下に鞄をおいたまま 弁当を買いにホームへ

戻ってみると その鞄がない

駅員に届けた後 よほどそのまま帰ろうかとも思ったそうですが 幸いなことに財布・カードの類は別の鞄です

携帯電話で相談されました 「イヤなことは温泉で流そう 怪我をしなかったのは幸い」 

このひと言で励まされたそうです 彼女は一列車後の特急に乗車しました

結果的には これが幸いしました

特急ロマンスカーが 終点湯本に到着する前 彼女の携帯が鳴りました

湯本の駅員さんからの知らせでした

「先ほど到着した電車の3号車の網棚に鞄がありました」

湯本駅で 駅員さんから無事に鞄が返ってきました


このエピソードは最高に盛り上がりましたね

「電車の号車を間違えたのではないか」「いいえ 最初は2号車の席の下に置いた」とT女史

私はこう考える オレはこう思う いいやそうではない 真相はこうに違いない

にわか明智小五郎 金田一耕介が出現しました


やはり 置き引き被害にあったようです

よく調べると 鞄の中の多少の現金が紛失してました 犯人は2号車の鞄からお金だけ抜き取って 3号車の網棚に置いたのでしょう

プロの仕業でしょうね

号車のカン違いではなかった まだまだボケてはいない 被害のことより この事実のほうが嬉しかったT女史でした



シャンシャンシャンで 全てを水に流してのお開きです


部屋に戻っての二次会では世相談義でした

国を思う熱き心の熱き言の葉・・・

国会の予算委員会顔負けの「オジ・オバ箱根国会」で 雨の夜は更けていきました


ちなみに みんなの熱弁の割りには アルコール消費量は 昨年を下回りました

年々歳々減少傾向にあります

誠によいことです


春は 都電に乗って・・(1)

2011年05月20日 | 都電 荒川線を誉める
                          梅沢写真会館です

                 

昭和2年(1927)竣工されたレトロなビルです  

もとは 都電荒川線の前身「王子電気軌道(株)」のターミナルビルで 内部に本社がありました

王子電気軌道は通称「オーデン」 当時の郊外電車として誕生しています

京成電車との相互乗り入れという いまでは考えられない壮大な計画もありましたが 諸般の事情で中止になりました

その後 東京都に買収され 都電として生まれ変わり大活躍です


ところが 戦後の車社会に疎んじられ 41系統あった都電路線も次々に撤退の昭和40年代でした

そんな時代でしたが 旧オーデンの27番・32番系統は どっこい生き抜きましたね

電車専門の道 専用軌道が功を奏しました  車の邪魔をしないというわけです

仲間の都電たちが姿を消してから40数年たちました

いまでも 下町人種の「下駄」として ず~と愛され続けています (160円という乗車賃も好ましい)


さて 三ノ輪橋商店街表示のビル開口部をくぐると 昭和20年代が待っています

新聞・週刊誌を販売してるおばぁちゃんの店は開店前でした

いまも健在の様子です こちらも元気をもらえます



改装したレストランです  ここでも昭和の匂いがしてきます



そしてタイミングがドンピシャリ!でレトロ電車のお出迎え

この時期 荒川線沿線名物の薔薇に見送られて出発進行~ チンチン♪ ガッタン ゴットン

車内はほぼ満員でした この車輌を目当ての オジさんオバさんたちが多いのです

みなさん なんとも満足げ 車内の造作をキョロキョロ見回していましたね



三ノ輪橋から3つ目の停留所にある「荒川自然公園」です

自然といっても人工公園です  都電の前身は王子電気軌道 こちらは東京都の下水処理場でした

戦前はもとより 戦後の一時期までは少々の「悪臭」が漂っていましたね

なくては困る でも 地元にとっては あっても困る「迷惑施設」の典型でした

下水施設に覆いを施し「自然公園」に生まれ変わったのも やはり昭和40年代初頭だったでしょうか




四季折々の花が咲き 下町の人たちに安らぎを与えています



三ノ輪からの乗客の多くが ここで下車します

公園内を散策し適度な運動を楽しみます

経費もそれほど掛かりません

「東京都シルバーパス」を購入すれば 年間1000円~2万円で都営地下鉄・バス・都電・舎人ライナーが乗り放題ですからね



古希世代には 強~い味方の都営交通機関です

都電荒川線 あんたは偉い!

しばらく留守になってた都電のカテゴリー これから再出発します

出発進行! チンチン♪




三つの自立!

2011年05月17日 | 無農薬野菜作り
15日(日曜)の関越道は空いていました

観光客の多くはGWに集中したのでしょうか

この日の畑は いつもの所用時間の約半分 1時間20分で到着しました



いままでのハウスより狭くなりましたが 畑の規模に合った環境です

師匠のYさんが提供してくれました

右側の一角を間借りしてます



こちらは休憩所です

今年の出番が終わった鯉幟が しばしの休息です

真似たわけでもないのでしょうが この日 広島カープのエース 前田投手も休憩してました

Gに負け・・・



  野菜作りに嵌りかけてるAさんです (上) 助かります 思わず頬も緩みます



雑草退治も助けてもらいました

じゃが芋の収穫には 是非とも誘いたいAさんです


梅雨の前の畑は なんとも気分が晴れ晴れしますね~

Aさんとは それぞれの組織を離れてからの10余年・・

より以上の親交を深めてきました  ここ 畑でも多いに語り合いました


合言葉は「入れる(食べる) 出す(下から) 歩く(文字どおり)」  

高齢者三つの”自立”を一日でも長く!でした


石松代参? 坊ちゃん球場

2011年05月13日 | 広島東洋カープ
「江戸っ子だってねぇ」 「神田の生まれよ」 「そうだってねぇ 食いねぇ 食いねぇ 寿司食いねぇ」

ご存知 広沢虎造の浪曲「石松代参三十石船」の名場面です

宿敵を討ち果たした次郎長親分の名代として 親分の刀を金比羅宮へ収める石松の道中のエピソードとして浪曲で語られました

♪ 旅ゆけば~ 駿河の国に~ 茶の香り~ ♪

昔の銭湯で 熱い湯に浸かり 唸ってたじいさまがいましたね

水で湯を温めようものなら 茹でダコのような真っ赤な顔で怒鳴られ 叱られたものです 

いまは懐かしい戦後の銭湯風景です


そして 時は移り・・・

我が息子が オヤジの代参として 初めて四国の土を踏んできました



松山 坊ちゃん球場です



広島東洋カープ東京ヤクルト・スワローズ第4戦・5戦の観戦でした

航空会社のマイレージが溜まったとかで 往復の交通費が無料でした

その分 球場ではバックネット裏の特等席を奮発したようです

「東京のカープファンだってねぇ」 「下町の生まれよ」「寿司食いねぇ」

好調 梵選手のレプリカの効果 残念ながら”奇跡”は起こりませんでした


白熱の試合は カープの1勝1引き分け

昨年の下位チームが頑張っています

セントラルリーグは まさに戦国時代の様相 下克上の時代がやってきました



その戦国時代を 懐かしんでいるかのような松山城の風貌ですね



道後温泉を楽しんできたそうですが 浪曲唸るじいさまはいなかった・・


それにしても 息子の中でのカープDNAは完全に固定されてましたね

子どものころから オヤジの「やれカープ それカープ なにがなんでもカープ」の環境で育てられました

カープファンとして 清く正しく育った息子です

今年の秋は20年振りの旨いお酒で乾杯・・といきたいものです

昨夜は大敗しましたが 頑張れ広島カープ

今日から 地元で巨大チームを迎え撃ちます

畑もカープも 助っ人活躍!

2011年05月09日 | 無農薬野菜作り
既にご案内のとおり 昨年 腰痛を患いました  椎間板ヘルニア・・・

あまりの激痛で 畑を諦めかけた時期もありました

現在 鍼灸とマッサージで痛みを騙し騙し 腰痛と共存共栄をはかっています

そこで畑ですが・・・



畑の師匠Yさんと 息子のM君が有力な助っ人をかってでてくれました



これは助かりました

今年 畑デビューしたM君の研修を兼ねてのマルチ張りです

父親の指導で 綺麗に張ってくれました



これは 流石に私の仕事です

苗も 昨年の半分以下です  ナス用の「塹壕堀り」も止めました

代わりに 今回から化成肥料を使用します


さぁ 楽しい収穫の前には雑草退治をはじめ いろいろな作業が待っています

畑仕事が続けられた喜びを噛み締めながらも 体調管理に留意して 熱い夏を乗り切っていきます


広島カープの快進撃が 畑仕事の背中を押してくれます

今年のカープは畑と同様 強力な助っ人たちが大活躍です   ただいま ヤクルトと並んで同率首位!

鯉の季節が続いています

亀有の名称由来

2011年05月06日 | オヤジのつぶやき
久し振りに 孫たちが遊びにきました

二泊三日の短い期間でしたが すっかりリラックスしていったようです

高1の姉は 空手の部活で大忙し 弟は6年生ですが 熟で結構スケジュールが埋まっていました

一番暇なのは じじばばのふたりです


弟の たっての希望で 亀有と柴又帝釈天にでかけました

彼のお目当ては 大好きな漫画「こち亀」の両さんに会いにいくことです

  

左は 亀有駅前にある「黄金の両さん像」

右は 亀有香取神社です  最近「建立」されました

ほかにも 漫画のキャラクター”中川巡査"・"麗子巡査”バイクの”ホンダ君”・”大原部長”などの像が街のあちこちに建てられています。

今回は 両さんだけになりました

早く 柴又のうなぎを食べたかったH君だったのでしょう



ところで 急に話題が変わりますが こちらは香取神社にあった亀の石像です

脇に表示されていたのが「亀有」という名称の由来です

長く親しんでいた亀有ですが 由来は知りませんでした

曰く・・・

※ この土地は亀甲の形を成す ゆえに亀成(かめなす)と称していた それが亀梨・あるいは亀無と称されるようになった

正保元年(1644年) 幕府の直轄地として 無しでは縁起が悪い 徳川幕府の命で亀有と地名変更された ※

なるほど 合点! 合点!

これで H君も友達に自慢できるかな


そして帝釈天でした



こちらも 根津神社同様 近間で観光を楽しむ人たちで大盛況!

神明商店街は あちこちで渋滞していました



川千屋で 待望のうな重です

ブログ友たちと入った 昨年を思い出しながら じっくり味わいました

家で休養のS姉ちゃんには草団子のお土産です



そのSちゃんですが じいちゃんのブログを開けて 体育祭の空手訓練の場面に見入っていました

日頃の学業 部活の疲れが癒されたSちゃん曰く・・

「ああ やっぱり実家はくつろげる」 

みんなで大笑いしました


急がしいふたりの孫たちです

今度来るのはいつの日か  今度は こっちから行くからね~



じじばばへのプレゼントを置いていきました

留守番しながら描きあげました


老いの目覚 ?

2011年05月05日 | オヤジのつぶやき
春爛漫の根津神社です

徳川六代将軍・家宣が建立しました

昨年11月 上京されたブログ友の方々をご案内して以来の根津権現・・・



今回は 2月の成田山で一緒したS君の希望が 根津つつじ祭りの鑑賞でした



「連休の観光は近間で・・」の考えの人が多かったのでしょうか

つつじ苑の中は 場所によってはラッシュアワーの電車のような混雑でした

  

オレンジ色と 薄黄色のつつじです  植物に詳しいS君「これは珍しい 初めて見た」

感心してました


ところで 今日のブログの表題は「老いの目覚」です  ??

はるか昔 「春の目覚め」という洋画の青春映画がありましたね

中学生 にきび面のオジさんは 胸をドキドキさせながら観たものです

そして いま ときは春 この歳 オジさんたちは いまさら何に目覚めよというのでしょうか

責任者 出て来い!


責任者は出てきませんでしたが 誰が名づけたか 答えはこちら↓





目覚めは目覚めでも なにかボンヤリ 居眠りしてるオヤジのようなつつじです

わが身を思いあって「しっかりせい!」

思わず気合を入れたくなりましたが それでも世の中うまく出来てるようです


この「老いの目覚」のつつじ君 

艶やか 華やかなつつじたちを押しのけて 圧倒的な”カメラ人気”を博しておりました

これだから 世の中 捨てたもんじゃありません


これからですぞ ご同輩のみなさん!

多いに 目覚めていこうではありませんか


S君とは 固い握手で再会を期しました  「まだまだ目覚めるぞ」が合言葉でした