酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

桜は咲いたが 梅はまだかいな?

2012年02月29日 | 酒の席


湯島天神の男坂と・・・



こちらは ゆるやかな女坂です


天神下の居酒屋Tが 東京都の道路拡幅計画によって近々閉店になります

それを惜しんで 25日に同窓会が開かれました

Tの大将 オーナーが 同窓生のO君という縁があります

集まった面々は男女25名  元気であればこそ参加のじじばば一行でした


会場の集合時間前に天神様に集まりました

こどもの頃から慣れ親しんだ湯島神社です  観梅が目当てでした



例年なら 甘酒 団子の出店で賑わうのですが・・・

残念ながら 梅祭りの開幕には間に合わなかったですね 全国的な寒波の影響でしょう

寒々してます




それでも 健気に頑張っていた白梅と紅梅です

一輪ずつ ほかの梅たちに遠慮するように咲いていました



梅たちの満開にはいま少し間があるようですが こちらは満開!



合格祈願が叶っての「サクラサク」

お礼参りの絵馬が咲き誇ってましたよ

S君の孫も願いが叶ったようでした  我が孫もなんとか・・・


サクラは咲いても梅が咲かない天神様でしたが こちらは大満開でした



4のつく日は巣鴨地蔵尊の縁日です  同窓会の前日24日でした

この中に 少なからずいるに違いない”ウメ”さん”梅子”さんで商店街通りは大盛況

こちらの”梅さん”は満開でした

それにしても  ホンモノの梅が咲くのもしばらくの辛抱でしょうね

春よ はよ来いです

寒さが堪える同窓会でした


そして今日は 朝から今年最高の積雪です  下町は5センチ積もりました



梅の人生 ますます過酷な環境ですが いまひと息です

苛酷な戦後生活を乗り切ってきた同窓会メンバーが いい見本です

頑張れ梅たち!


パワースポット IN 浅草

2012年02月25日 | 隅田川
この日 Wさんとの浅草での待ち合わせは午後3時でした

その2時間前 ひとりで訪れました

最近有名になってきた奥浅草の新名所 パワースポットです



その名も「今戸神社」です

宮司さんをテレビで拝見したことがあります 女性です 美人です 

たしか 腹話術を特技とされてたような・・・



参拝客は圧倒的に女性が多いですね  それも若い女性たちです

その理由はこちら↓にありました



の猫の下に並べられた絵馬です

入試合格祈願絵馬と違って なにやら丸い形をしてますね

そうなんです



今戸神社は 縁結びの神様だったのですね~

平日にもかかわらず 大勢の女性たちが訪れていました

遠く北海道・九州あたりからも上京するようです

ちょっと地味な感じがしていた今戸神社

いまや 未婚女性たちに広まってきたパワースポットの中心地として輝きを増してきました


そして オジさんオバさんたちのパワースポット 元気の源はこちらです



そうです お馴染みの浅草演芸ホールです



昭和の名人のひとり かの円楽さんの師匠でもあった三遊亭円生の名跡を狙う円丈師匠

昭和39年のデビュー以来 新作落語にかけてきた話芸は磨きがかかり まさに名人芸です

親爺三平の芸風を踏襲した息子の三平 昭和のいるこいるの「ご返事漫才」

連れのWさん共々大笑いのパワーを貰ってきました

若い女性は今戸神社で 若くない男女は演芸ホールへ!

浅草のパワースポットで それぞれのハードルを乗り越えていきましょうか




       スカイツリーを背景に 隅田川を渡る日光行きの東武特急電車です


畑に春が・・

2012年02月22日 | 無農薬野菜作り
寒い日が続き ちょっとご無沙汰の畑でした

この日は 暖かさに誘われて 久し振りの訪問です

ひと足早い春を満悦



Yさんと息子のM君がトラクターで丁寧に耕してくれました

肥料も入っています  完璧です

遅ればせながら たまねぎの苗を移植しました



時折 笑い声を交えながら母と息子M君の農作業です

微笑ましくも 羨ましい光景でした  親子共同です

これが農業の良さです



ハウスの中に紛れ込んできたヒヨドリです

M君に捕らえられましたが すぐに青空に舞い上がっていきました


やはり 畑はいいもんですね

腰痛も忘れ 両手を大きく広げ 胸一杯新鮮な空気を吸い込みました

足に伝わる土の感触もなんともいえない心地よさ

しばらくはYさんの手伝いをしながら 3月中旬に備えます

お彼岸前後の「じゃがいも」あたりが今年の”畑仕事始め”になるでしょう

今年も野菜作りが出来る喜び・・

これは何ものにも変えがたいものです  


そして・・・



Tさん夫妻の新居が完成しました

   

     日当たり抜群の縁側           土間の薪ストーブ

囲炉裏でお茶を馳走になりました

七寸角の柱が数本  確かに築後200年は保証されますね


車での訪問だったため お酒はご法度です

お祝い会には 電車で伺いましょう   畑の春も間近です


このブログも8年目を迎えました  皆様のお陰です  感謝してます



最後の砦 清龍!

2012年02月18日 | 酒の席
今年の干支が辰だからではないでしょうが いま 辰に関連した店が人気を呼んでいます

居酒屋です

本店は池袋駅東口 サンシャイン通りの一角にあります

創業は1858年! なんと幕末ですね  黒船来航の5年後です

現役時代から何回か通っていた清龍です

20年振りに入ってみました

打ち合わせと 懇談を兼ねたお相手は若いSさんでした



ここはオヤジたちの「最後の砦」「隠れ家」ですね

アラモの砦といってもいいでしょう

清龍が気にいった理由がふたつあります

① なにしろ安い  この夜の勘定はふたり合わせて4200円

          時間は6時から8時半まで  摂取したもの・・

          生ビール大2杯  ニッカハイボール大1杯

          ホッピー6杯 生牡蠣 カニ玉 焼き蕎麦

  円安もびっくりの超廉価販売の嬉しさです


② 最近オジさんたちの陣地を侵食しつつある「女子会」なるものが皆無でした

  女性の居酒屋界進出は大歓迎ですが たまには昔の雰囲気に浸りたい

  これもオジさん族の本音でしょう

  地下・1階・2階と女性客の姿はまばらでした

  生気を取り戻したオジさんたちの熱気がスゴイ!


若いSさんとは昨年12月以来二回目の清龍でしたが すっかり気にいってくれました

いずれ 女性軍の"来襲”は時間の問題でしょうが オジさんの砦が不況時代の

救世主として これからもず~と営業してくれるよう願ってやみません


清龍よ 永久に・・・



ジジ鉄ふたりの東武電車

2012年02月15日 | オヤジのつぶやき


ここは東武鉄道博物館です

東向島駅の高架下にあります  平成元年に開設されました

この日の同行者はジジ鉄仲間のS君でした  同年輩です

急な誘いにもかかわらずふたつ返事のS君



まずは往年の東武電車の顔 デハ1型に歓声を上げます

運転台は中央 窓は5枚並んでいます  パンタグラフの大きいのが特徴です

行き先を表わす正面のサボには「西新井」 懐かしくて泣けてきます



座席に掛けて東武談義にふけりました

同型電車にはよく乗りました  北千住から西新井大師までが多かったですね

最近の車輌のようなスマートさ 機能美こそありませんが「これが電車だ!」

野武士のような重量感・圧倒感・落ち着き感はさすが昭和初期の電車です

正面からみた「顔」もそれぞれの個性がありますね

そして・・・



私鉄とは思えない 貫禄充分な電気機関車です

荒川橋梁を 長い長い貨物列車を牽引していました  小学生時代の記憶に残っています



ママ鉄 パパ鉄にも人気の蒸気機関車でしたが なんといっても大人気だったのは・・・



実物ソックリに設置されていた運転体験シミュレーションでしたね

春日部駅から終点浅草までの運転が楽しめます

正面のスクリーンには実写風景が流れてきます

ドアの閉じる音 出発進行灯の点灯 スピードコントローラを操作

スピードを75キロまで上げます

「草加駅が近づいてきました」アナウンスの声に導かれてブレーキ弁を右へゆっくり回します

電車はホームに進入します  ここからがむずかしい・・

停止位置の前で止まったり ホームの端から飛び出たり 自動列車停止装置(ATS)のお世話になったり・・

慣れるまでは5駅体験は必要でしょう



新型車輌運転に挑戦するS君です

平日で空いていたため ほとんど独り占めの運転を楽しみました


東武鉄道博物館は「穴場」です

入館料が200円! 安い

高架下の空間を上手に利用して ジオラマの面積もかなり広かったですね

さらに 近くには「向島百花園」があって四季折々の花が楽しめます


S君も大喜びしてくれました

幼い頃からの夢”電車の運転手になるんだ” この日は少しだけでもその夢が叶ったでしょうか

次回は孫と遊びにくるそうです

ジジ鉄ふたり 寒い日でしたが心温まる一日になりました



※ セットアップ8に「昇進」したせいでしょうか ただいまブロローグが不調です

  そろそろセブンに切り替え時でしょうね ※


電気ブラン

2012年02月09日 | 鬼平を歩く


長谷川平蔵の時代にはなかった 隅田川吾妻橋際の神谷バーです

創業は明治15年(1882)

電気が珍しい時代 目新しいものには「電気○○」と名付けてイメージアップを計りました

飲んでビリビリくるわけではありません

そういえば日本初の映画館も「浅草電気館」


電気ブランは ブランデーをベースにジン ワイン キュラソー ハーブなどが

ブレンドされますが その配合だけは未だに秘伝となっています

その下町の貴公子 電気ブランをお土産でいただきました


その友人は40年来のお付き合いあるMさんです (男性 79歳)

Mさんが山歩きを始めたのは1995年 以来17年間で380山

重複を除くと248山を完登することができました

今年も400山目指して歩き続けるそうです

  

旨いけれど 三杯以上飲むと腰が抜けるといわれる電気ブラン(そんなこともないのですが)

Mさんには適当な酒量でガソリン満タン エンジンフル回転

90歳までも山登りを続けていただきたいものです

見習いたい先輩のひとりです

この日も 浅草で多いに語り合いました


果たして その名の実態は?

2012年02月06日 | コミュニケーション・セミナー
往年の東映探偵映画「七つの顔の男」シリーズ

片岡千恵蔵扮する”多羅尾伴内”の決めセリフ・「果たしてその名の実態は・・正義と真実の人 藤村泰三」

変装の衣装を片手で剥ぎ取ると なんと立派な三つボタン背広の紳士!

二丁拳銃を構えてましたね

悪役の進藤英太郎 阿部九州男などが撃ち負けてました

(ちなみに たけし軍団の松尾伴内は この主人公の名 多羅尾伴内のパロディです)



それはそれとして本題に入りましょう   まずは なんの発祥の地でしょうか?

その実態とは!



なんと「からあげ」発祥の地なんですね~

からあげ専門の販売店は 市内で48軒!



夕食で立ち寄った居酒屋「京」のからあげです

鶏がいいのでしょう

肉付きよく やわらかく 実に美味でした

女将のS子さん(75歳)が自慢していました

地元酒造産の”いいちこ”を飲み おいしくいただきました


そして二つ目は?

映像はありませんが これもなんと「御輿」発祥の地・宇佐だったのです

驚きですが 考えてみれば四万ある全国の八幡様の”親方”ですからね

納得しました  浅草三社祭の面々もこれは知らないでしょう

話題の種が増えましたよ


そして いよいよ69の”秘密”とは?



あるスーパーの壁に掲げられていた看板です

そうです!

宇佐市は 昭和の大横綱双葉山の生誕の地でした



いまだ破られることない69連勝の大記録です







丁寧に保存されていた生誕の家・・

少年時代の双葉山は 海にでて小船を漕ぎ足腰を鍛えました

この荷車も 鍛錬に多いに役立ったのでしょう


2月9日には 生誕100年のイベントが開かれます

昨年12月には 横綱白鳳が宇佐神宮で横綱土俵入りをしたそうです



               (往路 機内からの富士山)

日本一の名横綱双葉山を象徴する”勇姿”でした

以上 前回の予告報告をさせていただきました  

宇佐はいいところでした  次回は暖かい季節に訪問したいものです


神託事件の宇佐神宮

2012年02月03日 | コミュニケーション・セミナー


大分県宇佐市の宇佐神宮です

全国四万余社の八幡様の総本宮として有名です

この宇佐の地に 初めて八幡宮が御示顕になられたのは欽明天皇の御世です(571年)

奈良時代ですね 宇佐神宮の始まりとされています


やがて朝廷は国の重要な事柄について 八幡様にうかがいをたてるようになりました



宇佐神宮の存在を知ったのは「逆説の日本史・古代言霊編」(井沢元彦著)でした

戦前の教育を受けたものなら誰でも知っているといわれる”宇佐八幡神託事件”

第四十八代称徳天皇に仕えていた道鏡が 宇佐八幡の神託と称して次代の天皇の座を”我が物にしよう”と企みます



称徳天皇は 和気清麻呂を宇佐に派遣 神のお告げを確認させました

宇佐から帰った清麻呂は 道鏡の前でも臆することなく「君臣の分をわきまえぬ無道のものは すぐにも除くよう・・これが宇佐の神のおつげです」


激怒した道鏡により 清麻呂は”穢麻呂”と改名されますが やがて名誉を回復

道鏡は下野の国(栃木県)へ流されました



これが宇佐八幡神託事件の概要ですが ときは古の奈良時代です

江戸時代には 盛んに揶揄された事件も 明治時代になって様相が変わってきました 




寒風のなかを歩き回った宇佐八幡近辺・・

奈良から瀬戸内を舟で渡り 九州上陸してから馬と徒歩であったであろう和気清麻呂

気分はすっかり清麻呂でした


一度は訪ねたかった宇佐神宮です  想いが叶いました

そしてこの地では 思いもかけなかった”ふたつの事柄?発祥の地”であったことを発見

そして69という数字の重みを刻んだ街だったのです



これらは 次回に譲りましょう