酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

大人の社交場 健康マージャン

2005年05月31日 | コミュニケーション
タレント 毒蝮三太夫さんの同級生T女史にさそわれた

その名も ”いきいき健康マージャン”

賭けない(お金を)飲まない(お酒を)吸わない(タバコを)の「3ないマージャン」だ

まずは見学 会場の社会教育センターを訪ねた

雀卓は5卓 20人の参加者のうち女性が14人

指導者の3人をいれても男性は9人だ

ここでも女性が元気・ハツラツとしていた

中でも目を引いたのが 88歳という女性

牌の積み方 判断の早さ おばぁちゃんなどと侮れない

しかも 自転車に乗ってやってくるという

素晴らしい!見習わなくては コツを教わらなくては、、


参加者の平均年齢は65歳くらいか

おだやかな表情と笑顔がこれまでの人生を物語っているようだ


麻雀は頭と指を使う

特に指の運動は ぼけの防止にいいと聞いたことがある

月に3回ほどの健康マージャン 混ぜてもらおう

キーボード以外の指の運動

そして 新たな出会い コミュニケーションの場

しかし できれば勝負にも勝ちたい

秘かに心に決めたオヤジでした







湯島神社 男坂

2005年05月30日 | オヤジのつぶやき
研修講師の打ち合わせのため 湯島の近くまで来た

ついでに寄った通称湯島天神

祭礼は終わり雨の中 神社はひっそりとしていた

上野から徒歩15分くらいの場所とは想像外の静謐さだ

思えば 50年以上も前 昭和20年代の後半

中学生だった私の通学路だった天神様の石坂 またの名を「男坂」という

38の石段の数に変わりなく ただ磨耗が確実に増しているさまが 時代を感じさせてくれた

しばし 感慨にふける

過ぎ去った時代

みな貧しく なにもなかったが 生徒同士 先生と生徒

泣いたり 笑ったり ケンカをしたりしながら育っていった

「もはや戦後ではない」「所得倍増計画」さらに「一人一日牛乳一本」

高度経済成長に向かう直前の中学時代

中学生は気づきもしなかったが 戦前の日本型社会の最後の時代・世相だったのだろう


打ち合わせのあと 油島駅入り口にある喫茶店”ボンジュール”に入った

流れる音楽は ライムライト 昔の名曲喫茶の雰囲気だ


そんなとき 突如 客の着メロが鳴り響いた

まさに時代の変わりようを いやでも認識させられた一瞬でした

 








下町のコミュニケーション

2005年05月29日 | コミュニケーション
昭和20年代の下町の各家庭

みそ 醤油 砂糖 塩等の調味料の貸し借りは日常茶飯事だった

鍵などかけている家は皆無で

なまじ鍵なんぞかけようものなら

「水くさい 近所を信用していない 下町の名折れ」

悪口雑言が雨あられのように降り注いだ

プライバシーという言葉はもちろん存在しないが となり近所がみな家族のようだった


私には なつかしくも しかし 少しこそばゆい思い出だ

その下町が変わった

いわゆる昔あこがれた山の手ふうの近所つきあいに変化をとげた

みその貸し借りはもちろん皆無

味気なさすら感じる昨今


失われつつある下町コミュニケーションに 威力を発揮してくれるのが”無農薬野菜”だ

畑で取れたばかりの 形はわるいが新鮮な安全野菜が つないでくれた

妻が自転車で収穫したてを配送する

玄関先で会話がはずむ

井戸端会議の復権だ

こうして 下町コミュニケーションは いまもなお 生きつづけています

(写真は本日お配りする 取りたてのキャベツです)




  




孫娘の運動会 (1)

2005年05月28日 | オヤジのつぶやき
はじめてリレーに選ばれた孫娘の運動会だった

自分の走りで抜きもしなければ 抜かれもしないで2位をキープ

見ている家族をホッとさせた 最終も見事に2等賞だった


最近の運動会は 等級を決めず みな平等な扱いをする学校があるらしい

昔の運動会はちがった

勉強の出来の悪いのが この日は絶対的なヒーローになった

日ごろの挽回のチャンスを与えてくれるもの それが運動会だ 

精神的バランスを維持するのは 子どもにとっても不可欠

すべて平等でなくても 時には良しとしたい

それが 余裕というものだろう


総合得点は なんと赤・白ともに275点の引き分け

44年間の運動会の歴史で 初めてのことだという

運動会の神様は 恣意的に「等級を平等」にしないでも

子どもたちを チャント見ていたわけでございます






北ノ庄城祉 柴田神社

2005年05月27日 | コミュニケーション
信長軍中随一の猛将として知られ 威勢を誇った 瓶割り権六

柴田勝家の名で有名なこの武将が好きだ

不器用でまっすぐなイメージがうかぶ

賤ケ岳の戦いで 秀吉に敗れ ここ北ノ庄城で 妻・お市の方とともに自害した

福井駅から徒歩10分

柴田神社としていまも その名を残す


2日間の新任対象のコミュニケーション研修だった

若さはそれだけで 変えがたい財産だ

56人の中には 個性的で毛色の変わったものもいる

やはり地元なのか 勝家を彷彿させる雰囲気をもつ男性がいた

なにをやらせても不器用で失敗が多いが

なぜか みんなの人気者だ

チマチマとなんとなくまとまっている青年の多い この時代

彼が初めから苦労するのは分かりきっている

しかし 先輩として ちょっと応援をしたくなる

そんなK君でした








俳画  妻の趣味その2

2005年05月24日 | オヤジのつぶやき
妻は絵を描くのが好きだ

ハガキ絵 油絵 エンピツのスケッチ そして俳画

いまも 銀座の俳画教室へ出かけて行った

私は留守番 作ってもらったカレーライスを食べ終わったところ

TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」を聞きながらユウユウとボードに向かっている

リタイヤのあと お互いに こういう時間の取り方が習慣になったようだ

現役時代には想像もできなかったことだ

お互いの共有時間は3割か

2人それぞれの時間を尊重している


退職後の生活スタイルについて いま 真剣に悩んでいる後輩がいる

自分もそうだった

有り余る時間 自己管理 配偶者との折り合い

現実を目の当たりにしたとき

わかったことがひとつだけある

”いやなことはやらない” これにつきる

現役のときは 決してできなかった これは最高の贅沢だ


現役でいまも働いている方々 すみません 40年近くシコシコ蠢いていたオヤジのタワゴトです


50年振りの再会

2005年05月23日 | 都電 荒川線を誉める
昨日乗った都電荒川線

1台乗り過ごして乗った車両は 50年前にも乗った車両だった

これは間違いない

7000型の5ナンバー 7005

もちろん近代的に改良されているが 当時は大塚車庫に配属

16系統の大塚駅~錦糸堀 17系統の池袋駅~数寄屋橋を疾走していた

都立高校の通学でお世話になった

7000型は当時の新車だ

時間がたっぷりあった電車ファンの高校生は大塚車庫に5台が配置されたのを察知

7000が来るまで時間つぶしをしたものだった


運転台の機器は昔のスタイル シンプルそのもの

交通局を誉めてあげたい

リサイクルの極地だ

最近は女性運転手も誕生しているが みな電車好き 愛してやまない職人集団だ

窓が開閉し 5月の風が心地よい

”一昔前の電車”が荒川線には残っている


昔 にきび面だった高校生がその孫と50年振りに 同じ電車に乗っている

ちょっとした タイムスリップ気分を味わいました


*念のため荒川営業所に問い合わせ 7005は当時 大塚にいたと判明しました


  

薔薇電車

2005年05月22日 | 都電 荒川線を誉める
浅草は三社祭で賑わっている 今日は最終日だ

この日に都電 荒川線の終点 三ノ輪橋に行った

そばのヨーカ堂でテレビゲーム プランクトン某を”視察”するためだ

このソフトを「運動会で頑張ったら買ってほしい」と言う孫娘と一緒に現物を見にきた

頑張ったら 買う約束をした

その後 近くの自然公園に行きたいという

5月の連休のときは まだ蕾だった薔薇を見たいらしい

そこで 乗るのが 初めてという都電に乗ることにした

停留所の周辺は すでに満開の各種の薔薇で それはそれは見事なものだった

大人160円 子ども80円の荒川線

3つ目が 荒川自然公園だ

ここも目の醒めるような とりどりの薔薇 極彩色の世界が繰り広げられていた

沿線の両側も よく手入れされた薔薇の花々 箱根のあじさい電車の荒川版 薔薇電車だ



ところで 荒川線の「エライ」ことのひとつに その線名がある

三ノ輪橋~早稲田の路線だから ひょっとしたら「早稲田線」のアイディアがあったかもしれない

地下鉄の「千代田線」「丸の内線」「日比谷線」「半蔵門線」さらに一番古い路線も「銀座線」

なにかと都心の名称にしたがる風潮に あえてローカルな名前の「荒川線」にした

勇気があったと思う

”都心地名志向”の昨今 これは大ヒットだ

下町オヤジでありながら 広島東洋カープファンの私としては

荒川線を愛して止まない所以であります


トマトの接ぎ木

2005年05月22日 | 無農薬野菜作り
野菜プロの仕事のひとつに 接ぎ木がある

接ぎ木とは 植物の芽や枝を近隣関係にある他の植物の枝や茎などにつぐこと

妻と孫娘を連れて訪れた畑のハウス

Yさんがトマトの接ぎ木に精をだしていた

実に細かい 神経を使う仕事だ

「接ぎ木は野菜の手術と同じ 私は彼らの医者ですよ」

Yさんの言葉には説得力があった

私の拙い体験でも 同じ親戚同士のトマトとトマト

接いだものと そうでないものとでは 出来具合と収穫の数で 差が歴然としていた


「人間同士でも同じかなぁ」と Yさん

”自分と同質の人間との付き合いは楽しいし 大事にしたい

しかし そればかりだと 進歩と変化がない気がする

たまには 気の合わない相手 自分と異質な人間との付き合い

これもいい刺激があって いいのかもしれない 人間も接ぎ木の心構えが大事”


年下の畑の師匠は 野菜作りと人生両方の師匠でした

(草むしりに疲れ 帰宅後すぐ熟睡 夜中の投稿となりました)