酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

ナス 定点観測 (2)

2010年04月27日 | 無農薬野菜作り
雨 雪 寒い日が続きました

畑仕事も ままなりません  あの日以来のナスの「塹壕」がそのままになっていました

久し振りに暖かくなった一日 出かけてきました 畑へ!



落ち葉を詰めた鶏の肥料袋を並べます  その数10袋です



フワフワした落ち葉の山の上を歩いて しっかり踏み固めます

これは なんとも気持ちのよい仕事ですね

サクサクっと音がして 雲の上を歩いているようです

そして 次に・・・



一輪車で運んだ馬糞を被せます  肥料堆積所から20回は往復したでしょうか

大食漢のナスのためとはいえ キツイ仕事でした



最後は 掘り起こした土を馬糞にのせて完了です

あとは 畝に丸みをつける作業が残っていますが ここまでくれば楽な作業ですね

最後は マルチをかけて 5月連休のナス苗植え付けを待つばかりです

☆ ハウスの前で Tさんが薪割りをしていました  新居の囲炉裏用だそうです ☆


* やはり 青森産が・・・



右は青森産 左は中国産のにんにくです

軍配は国産に上がりました


<たけのこ>

Tさんの新居予定地の竹薮で取れた筍です  



家に帰り 茹でてもらって 大谷吉継公の湯呑みでいっぱいやりました

関ケ原で買い求めた湯呑みです

この日の作業 里芋の種芋を埋め 大根・カブの種蒔きの疲れ 一度に飛んでいきました


飛鳥山 紙の博物館 緑の桜

2010年04月23日 | オヤジのつぶやき
紙の博物館をご存知ですか

4月17日土曜日 久し振りに再会した友人たちと訪れました

博物館は 江戸時代からの桜の名所 王子の飛鳥山にあります



その飛鳥山は 八代将軍徳川吉宗が 江戸庶民のために開放した桜の名所として有名です

古典落語の「長屋の花見」のモデルになったかもしれません

いまでも 都内で唯一の都電が頑張っています  すっかり変貌した王子飛鳥山ですが・・・



この一角 JR王子駅の近くには 今も昭和の風景が残っていました

放映中の人気番組「居酒屋放浪記」に"出演”資格がありそうな渋~い飲屋街ですね



懐かしの共同水道です!  嬉しくて涙が溢れます 

今日は写真だけ いずれ訪れましょう  どのような店主たちがいるのか楽しみです 



桜 満開の時期は過ぎた17日でしたが 今年の気候が長持ちさせてくれました

まだまだ咲いていました

そして こちらが・・・



日本で唯一の「紙の博物館」です

この博物館は 昭和25年(1950)戦後まだ間もない時期に設立され 以来 和紙・洋紙を問わず古今東西の紙に関する資料を 幅広く収集・保存・展示しているユニークな博物館です

今年は創立60周年・・



見学者も多く 係員さんの説明はわかりやすく親切でした

ふだん 何気なく使ったり目にする紙ですが 説明を聞いて新たな興味が湧いてきましたね


この日のイベントは「金唐革紙の魅力~過去から未来へ」

撮影はできませんでしたが 中世ヨーロッパで王宮などの壁を彩った装飾革を 和紙で模造した作品・・・

これは見事なものでした  明治初期には輸出されたり 鹿鳴館などの国内の洋館に使用されたそうです


博物館では このほかにも各種イベントが開催されます

ー新石器時代から花開いたアジアの樹皮紙ー -段ボール箱の秘密ー -日本近代洋画の美ー

ー時代紙万華 60年ごとにみる江戸から平成ー -おもちゃ紙の世界ー

思わぬところに 思わぬ楽しい施設がありました この日 紹介してくれた友人のUさんに感謝です


そして 帰路の飛鳥山公園で見つけためずらしいもの ふたつ・・・です



「緑の桜」です

その名は「鬱金」(うこん) ショウガ科のウコンの根の色に似た花を咲かせる珍しい桜です

根津神社の「黒いつつじ」に劣らない めずらしい桜でした

満開のときに 再度会ってみたい桜です

そして こちらは・・・



昨年7月から運行しているモノレールです

無人運転・無料です  都電と並行して飛鳥山を登ってくれます


飛鳥山散策・紙の博物館見学のあとは みんなで王子駅近くの居酒屋へ繰り出しました

この日 桜の時期は過ぎていましたが 数年ぶりで会った友人たちとの居酒屋は 積もり積もった話題の花で満開になりました

春の王子 いい想い出になりました  みなさんに感謝です


首長の育児休業

2010年04月21日 | 酒の席
自治体の首長が育児休業を取得!

3月の全国紙 テレビで大々的に報道されました

意外にも 首長が取得するのは 全国で初めてのことだそうですね

賛否両論の世論を背負って 舞台に飛び出したのは 東京B区のN区長です

「男性職員の育児休業取得率が0パーセントの現状です 子育ての喜びを父親も味わってほしい

取得したからといって 昇進 人事異動には影響しません」 N区長の会見談話でした

そのコトバ通り 2週間の休業を実行 奥さん 家族との育児生活を満悦したようです

4月16日から「現場復帰」したN区長でした


この日の中学校同級会は はからずも区長の育児休業の話題になりました

6月の同級会本会を控えて この日集まったのは昔の紅顔(厚顔?)の少年たち8人です  みんな悪ガキでしたね

場所は例によって 大橋のぞみちゃんの祖父母の店 湯島天神下の居酒屋Tです

残念ながら人間国宝 一龍斎貞水さんは「巡業中」のため欠席・・・

それでも 多いに盛り上がった春の宵(酔い)でしたね


話題の主役は なんといっても「育児休業首長」の父親N君でした

中学時代 一世を風靡したボードビリアン トニー・谷の物真似が抜群にうまかったたN君

♪恋~をするのも 家庭~の事情~♪

ざ~んす ざ~んす さいざ~んす♪  マンボ調で唄って踊っていました

その彼が N区長の父親なんです  

トンビが鷹を生んだ・・我々は昔の悪ガキに戻って 愛情込めて称してます


N君も祖父として孫の育児にひと役ふた役 じじ役を果たしたそうで 目を細めて語っていました

学友の息子さんの発案・実行としても N区長の育児休業 これは結構なことです

集まった「祖父たち」全員の賛同を得ましたね



とは言っても 子育ては 全て奥さんにまかせてきた「戦前生まれオヤジ」たちの集まりです

生まれ変わったら 育児休業取るぞ!

大杉漣扮する ゲゲゲの源兵衛タイプのT君が喚いていましたが 生まれ変わっても果たして・・・

女子を交えた6月の全体会が楽しみです  育児休業 今度はどんな意見が飛び交わされるでしょうね~


メンバーのひとり 芸術家I君の作品です↓  版画から 新たな挑戦がはじまりました



彼の性格どおり おだやかな ほっとさせる画風ですね

実に 多士済々の仲間たちです  みんな 人生を楽しんでます


雨の日のストレス解消!

2010年04月17日 | 無農薬野菜作り
一日おきに気温が上がったり 下がったり・・今朝は雪まで降りました

体調管理が大変です みなさまも苦労されてるでしょうね


寒い日 雨の日が続いたので 畑にもしばらくご無沙汰でした

なんだか 欲求不満になりつつありました   ストレスがひたひたと忍び寄ります

そこで出かけたのが 足立区のホームセンター

ほっとしますね  野菜の種売り場  オアシスです



観光地にも負けない 実にいい景観です 

そして こちらは農機具売り場



こちらも ため息がでるほどの名勝地です  絶景ですね

このコーナーには30分は滞在したでしょう

機具を手にするたびに 身体中からストレスが退散していきました


そしてこの日 ストレスを完全に吹き飛ばしてくれたのが こちらの方々でした↓



苗売り場に並んだ にんにくの苗たちです  

我が畑のにんにくより 多少小ぶりでしょうか

それはいいのですが 値段を見てましたね~~

ひと株が480円! た 高い!  思わず ゲ ゲ ゲ! の女房でした!

するって~と我が畑70本のにんにくですから・・・・算盤はじいて にんにく18? にさんが6 長者成金間違いなし!

さらにさらに キャベツが420円!  キャベツは畑で生育中です

空振りに終わった年末ジャンボの夢が戻ってきそうです  あ 収穫は全て近所へのお裾分け  忘れてました

それでも ストレス解消とともに 6月の収穫が待ち遠しくなりました  果たして?


つい 気分がよくなったので↓



例年より 多く買ってしまった種でした  今年の種蒔き きっと疲れますね




            晴れた日  畑の片隅 ひょこり顔出してた土筆です



           こちらは雄の雉です 雌といっしょに子育てしてます

         ケ~ン! ケ~ン! 早く暖かくなって~~と元気な声でした


サクラ サク ・・ 

2010年04月15日 | コミュニケーション・セミナー
東京の桜は この寒さのためか まだ頑張っているのを見かけます 

今回は"三つのサクラ咲く"の話題になりました

* サクラサク・・その昔 試験合格を知らせる電報に使われた「略語」です

         不合格は サクラチル・・*



まずひとつはこちら・・私の48年前を思い出す 初々しさの残る青年たちの研修でした



厳しかった就職活動も・・・サクラサク

例年より採用が半数以下だった K市新人職員さんたちです

一騎当千!  原石の諸君!  将来のダイヤモンドを目指せ!

ますます求められる 住民サービスの向上です  しっかり鍛えられスクスク伸びてほしい素直な青年たちでした


そして・・・ふたつ目のサクラサク



こちらは 初々しさも 若さもありませんが

現役時代の後輩で 畑では先輩・師匠にあたるTさんです

14年前に いまの野菜作りを紹介してくれた恩人です

このたび定年を待たずに 3月に早期退職しました

従来からの計画であり また夢でもありました

野菜作りのプロを目指して 畑のあるO町に転居・永住します

そして しばらくは 大師匠Yさん門下の研修生になるTさんです


Tさんの作った野菜が 直売所に陳列されるのも近い将来でしょう

新社会人たちのデビューに劣らぬ 希望に満ちたTさんの農民デビューです


そして最後 三つ目のサクラサクはのことです

Tさんの転居・プロ化によっての「畑寿命」が伸びました

将来 車の運転が出来なくなったら そのときはやめようと思っていた畑仕事です 

こうなったら O町まで電車通勤して 彼の野菜作りの手伝いをしましょう

ときには一泊して 野菜談義・カープ談義で一杯やりながら・・もいいもんです


これで さらなる老後もひと安心 誰かさんに言われなくても「立ち上がれ!オジさん!」です 

そして やたらにバタバタしないでマイペース 道草しながらゆっくりズムで参りましょう                                                               

      (似顔絵は ある。さん作の縮小版です  気に入っています)

                  

渋い家のパワー

2010年04月12日 | 無農薬野菜作り


お馴染みの渋い家 今シーズンも健在です

来年から 畑の場所が変わりますので この家を身近に見ることも少なくなるでしょうね

おそらく 戦前に建てられたであろう渋い家

朽ちることなく威風堂々 還暦・古希を過ぎても いつも畑人たちを暖かく見守ってくれました

その渋い家のパワーを借りて・・・今年も始めましたよ



ナス苗のための畝 苗床づくりです  マメトラは使わずラジオを聞きながら スコップ一本で堀り続けています



深さは30センチ~40センチ  二回目のこの日は長さ10メートルは掘ったでしょうか

もうちょっとで終了します

ひと息ついてはお茶を飲み 渋い家を眺めてはパワーを貰いました


この「塹壕」堀りは昼食後で 午前中は山で落ち葉を集めました

にわとりの肥料袋に10袋! ナス畝に敷き詰め上から馬糞をタップリ施します

坂の畑も今年が最後です  来年からは平地の畑!

坂畑での最後です  畝作り・落ち葉・馬糞と気持ちをこめてのナスつくりです





にんにく・・長者を目指して



キャベツ・・やわらかい



タマネギ・・順調です

厳冬を耐えてきた 先輩野菜の元気溌剌とした勇姿です

後輩のナスに贈る先輩たちからの エールでもあります

本格的な畑シーズンが始まりました   渋い家のパワーを受けて 今年もます!


自転車事故 解決

2010年04月09日 | オヤジのつぶやき
1月27日に遭遇した、マダムの自転車事故のその後です

近くの整体医院に通うこと25回・・

3月末に「これで大丈夫でしょう」という先生のお墨付きをいただきました

ヤレヤレでした

骨折もなく 打撲だけで済んだのは不幸中の幸いでした

これで フラ・ウクレレをはじめ 他の趣味も続けられるでしょう


支払った治療費も 思いがけず安価ですみました

相手のSさんに連絡 彼もほっとしてたようです


春の交通安全週間の真っ只中です

意外に多発してる自転車事故  重大事故も多い昨今です  みなさんも充分ご注意ください


ニコポン?  実は融通無碍なコミュニケーション

2010年04月05日 | コミュニケーション・セミナー
ニコポン・・

にっこり笑って 相手の肩をポンとたたく・・「君~ そこをなんとか・・」 「君だけが頼りだ」 「将来は任せろ・・・」

自分も含めてですが たしかにいますね  周りに・・

調子のいい人間の代名詞と捉える向きもあるニコポンですが これはこれで立派なコミュニケーション・スキルでしょう

しかし ニコポンとは言いえて妙ですね~  先人明治人のユーモア・センスに脱帽です

肩を叩かれた側も 実はまんざらでなかったりして・・・


このニコポンスタイル  政治家として日本で初めて確立したのが 後に拓殖大学を創立した桂太郎といわれています

またの名を「明治の武人宰相」  長州出身の「第三期明治元老組」のひとりです

しかし 桂太郎は決して調子よく 優柔不断な人物だけではありませんでした

激動の明治時代  第一次~第三次内閣を組閣し国家の難事に対処してきました

日清 日露戦争をはじめ国家存亡時の宰相として 伊藤博文・山県有朋らの元老には巧みに機嫌をとり 野党とは妥協して難局を切り抜けていきました

そして ときには剛の顔も・・・

筋のとおらない人事 それが たとえ要職であっても毅然と辞退の意思を示しました

台湾総統就任の要請を一蹴しています


いま 幕末・明治の物語がブームになっていますね

社会現象といってもいいでしょう

坂本龍馬 秋山兄弟 歴史の表舞台で活躍した人物にスポットライトが当てられています

いつの時代でも 歴史の表舞台を支えるには 裏方さんの存在が必要不可欠です

強国ロシアを相手にするため交わした日英同盟  日露講和条約の締結  日米通商条約の改正

困難な政局を乗り切るには 桂太郎という融通無碍にして したたかな人物が必要だったのでしょう


学んできた歴史教育で 明治時代以降が欠落していました

授業時間の関係でしょうか  勉強は江戸時代で終わってました

恥ずかしながら 最近になって「明治」に興味を持ち始めましたよ

こちらのお陰です↓



山口県出身の直木賞作家の古川薫です

幕末明治時代の作品が多い作家です  今月 名古屋から郷里の山口県に帰る友人のMさんからの紹介です

読んでみて 明治は決して古くはありませんでした

現代社会 政治の世界 そして人間関係に於いても多いに学ぶべきことが詰まっていました

よろしかったらご一読ください  テレビ版「坂の上の雲」が一層面白くなるはずです


悪評高き(?)ニコポン・コミュニケーション  実は 硬軟合わせた融通無碍なコミュニケーション技法でした


”花より落語”

2010年04月04日 | 酒の席
昨日3日は絶好の花見日和となりました

ここは上野です



桜よりも人が多い感じの不忍池弁天堂前・・・人間の渋滞が生じていました



こちらは渋滞なし なんとも長閑な光景ですね



満開に近い桜の花を見ながら この日の会場に到着しました ↓



精養軒に隣接した 上野でも老舗の「伊豆栄 梅川亭」です

会費は一万円  うなぎの蒲焼がよかった・・・


そしてその後は サタデーナイト・メイン・イベント!



湯島天神下の酒亭「太郎」でした

人間国宝の貞水さんの肝いりで 円生門下・若手落語家たちの競演「花より落語」・・


この日は 桜を見て 落語も堪能・・・

忘れかけた義理と人情噺にどっぷり浸かる落語の世界  これぞ 下町のまことに贅沢な「花見」になりました

こいつぁ~ 春から縁起がよいわい   です


意外! 大谷吉継

2010年04月01日 | コミュニケーション
戦国時代の武将で レキジョたちにも人気の高い大谷吉継です

越前敦賀五万石の大名として 石田三成に請われて関ケ原に出陣 戦場で戦死した唯一の武将です


先日 愛知県の友人Kさんから手紙をいただきました

近況のお知らせとともに「資料」が入っていました   冊子「歴史研究」のコピーでした

機関紙への寄稿者は 全国歴史研究会本部会員の大谷幹伸氏です


”大谷刑部吉隆と その孫刑部吉刻の石碑が 埼玉県東松山の無量寺にあります

しかし それは忘れさられています”

これは驚きでした  大谷吉継が関東 それも埼玉県と所縁があったとは!

それも畑の近くです!  早速行ってきましたよ


寄稿文の内容の概略です

大谷吉隆(吉継)は 天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原の北条氏攻略の一環として 武州松山城攻めをしたとき「無量寺」に程近い「八幡神社」に布陣したとされています



大谷吉継が 松山城攻略時に布陣した「八幡神社」です



420年前 この神社で 吉継はなにを思っていたのでしょうか

10年後の関ケ原合戦 自分の運命を想像していたでしょうか


そして こちらは神社に近い「無量寺」です



南無阿弥陀仏・・・大きな石碑が建っていますね



石碑の裏面を近くで見ると・・・



”大谷吉隆(吉継)の姓は平で 従五位下に叙せられ形部少輔と称し 大谷平次郎盛冶の子である”

これで 秘かに抱いていた夢 「吉継は秀吉の隠し子 ご落胤」の夢が消えました


”豊(秀吉)太閤に仕え 越前州敦賀城主となり五奉行に列せられた

 慶長五年九月十五日に美濃州関ケ原で戦死”


その吉継の石碑がなぜ現在の東松山に・・・?

これも 石碑に記されていました

”吉継の孫 吉刻が武蔵州比企郡野本(埼玉県東松山市上野本)に来て没した

 文政三年(1821) 祖先を祝うために碑を建立した”


関ケ原から221年経過したとはいえ 世は徳川幕府の時代です

徳川の敵 西軍の武将の石碑です 幕府はよくぞ建立を許可したものです

敵の武将とはいえ 吉継の律儀さ 男気が当時から評価されていたのでしょうか


ともあれ 吉継の石碑が意外なところにありました

これも 年に一度お会いしている愛知県のKさんとの交流のおかげです

歴史には まだまだ意外な事実が隠されているんでしょうね~


そして 突然ですが・・・



八幡神社・無量寺を掘ったわけではありません

見学のあと 畑でナス用の畝を掘り始めました  例の「塹壕」です

この日は 朝六時に出発しました

大谷吉継の石碑を堪能し 畑仕事は九時には開始!  気分よく畝作りに励みました

Kさんに感謝!