酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

言 葉 は 心

2008年05月31日 | コミュニケーション
やはり下町人種の血筋でしょうか

先日泊まっていった孫のH君・・ 「じ~じ 柴又へいこうよ」

寅さん映画は見ていないはず

「こち亀よ」とは 母親の弁でした  なるほど

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』 通称「こち亀」の主人公 巡査の両津勘吉君が柴又に出現した漫画を見たそうです

柴又も久し振りでした  早速三人ででかけました 参道も境内も大混雑・・

寅次郎いまだ健在の感です


帝釈天に参拝のあとは お馴染み寅さん記念館に出かけました



これぞ 昭和の居間です  なぜか ほっとする空間 たたずまい・・

ちゃぶ台 障子 電球 白黒テレビ・・寅さん一家の喧騒が聞こえてきそうでした

そして いままで気付かなかったのですが 標語のようなものが貼ってありました



映画「男はつらいよ」全てのエキスが凝縮されたような 五つの言葉の働きです

御前様ではなかったですが 中国の”ある僧侶”の言葉というのが泣かせます

山田監督のユーモアでしょうか


改めて考えてみれば 言葉はあくまで記号

事実とは異なりますね

しかし 私たちは 言葉によって人生を左右・逆転したり されたりしています

また 溺れるものへの浮き輪になったり ときには凶器になったり・・です



おみくじファンのH君  この日は「中吉」を引きました

中身の「いい言葉」で だいぶ喜んでいましたね

言葉は心  相手にも自分にも いい心を伝えたいものです




この日も ”ボランティア寅さん”が 道行く人たちに「明るい挨拶言葉」を振りまいていました

周りの人たちが 元気な返事を返して 参道が一瞬のうちに活気づきました

元気をもらうのも言葉の力

凹んでしまうのも言葉の力です

寅さん一家を見習って 言葉のコミュニケーションに ひと味加える工夫をしたいものですね   のように・・


遠太

2008年05月29日 | 酒の席
トウタではありません  エンタと読みます

エンタとはそも何もの? 「なつかしい芸人たち」でご紹介したエンタツ?


この日は 箱根オジさん仲間のひとりSさんが 友人Mさんと早稲田近辺を散策しました

このことは 事前に情報が入っていましたので ならば三ノ輪で会いましょう!



午後4時 薔薇の花咲く荒川線三ノ輪橋で待ち合わせました

面影橋から 都電でやってきたふたりです


「今日は やってるぞエンタへ行きましょう」とSさん・・

「ん なに? やってるぞ?」と私

「調べました 昭和31年からの飲み屋です」

昭和31年といえば 私は高校生 さすがに お酒は飲んでいませんでした

行ったことはありませんが 聞けば 店の所在地はこの近くです

しかし 時間はまだ4時です 

どこかで時間を過そうということになり 日光街道をまたぎました



浄閑寺です

安政二年(1885)の大地震で たくさんの新吉原の遊女が投げ込むように葬られたことから「投げ込み寺」と呼ばれるようになりました

新吉原総霊塔に手を合わせ 永井荷風の歌碑の前に立ちます

遊女の 暗く悲しい生涯に思いを馳せ 作家永井荷風は しばしば訪れたといいます



エンタ 遠太はユニークな店でした



開店中なのに 暖簾が中に・・・

御歳77歳の女将さんの話では ご主人存命中は”うなぎ・てんぷら”を出していたが 現在はメニューから外しているとのこと・・

「暖簾を変えてもいいんだけど・・」 いや これがよろしい と三人のオジさん

女将は嬉しそうでした

名物の玉子焼き 自家製塩辛 焼酎ハイボール(ジョッキ270円!)を飲みながらのしばしの談笑でした

ウドの酢味噌をはじめ お手製料理は まさにお袋の味でした

いや 我々の世代では「姉の味」でしょうか

さきほど 浄閑寺で出会った国分寺から ひとりでやってきた青年 

お袋の味が病みつきになったそうです  気持ちよ~くわかりましたね



昭和20~30年代の話題に花が咲き(新東宝・第二東映の話題多し) 焼酎ハイボールを重ねること2時間半

「やってるぞ遠太」を後にしました

それにしても ここ遠太 知る人ぞ知る ファンの多い店でした

灯台もと暗し・・・Sさんに一本取られました

飲み屋リストに即追加です  安くて旨い上に なにせ交通費がかかりませんからね


暑さ 日本一!

2008年05月25日 | オヤジのつぶやき
研修で伺ったこの街でした  ところで みなさんは 昨年の8月16日を憶えていますか?

私が 甲子園の 高校野球観戦から帰った翌日のことでした

1933年 山形市で記録した気温40、8度の日本記録

その記録を74年振りに更新したのが あの日のK市でした



岐阜県多治見市が 14:20分に記録した40,9度

遅れること24分 ここK市でも同じ温度を「達成」しました

なかなか”根性”のあるK市です  

さらに 先輩の多治見に敬意を表しての同温度・・武士の情けでしょうか


武士といえば 壇ノ浦での源平合戦・・

K市出自の源氏の武将 熊谷次郎直実は 平 敦盛と一騎打ちをして 見事に討ち果たしました

駅前の銅像が 誇らしげでした


研修受講者の方々の”あの日”の感想です

*家の中にいた家人の話では 46度はあったと言ってました

*毎年 あつい夏ですが 人情もあついですよ  住みやすい街です

*荒川 利根川の夜風は格別です

みなさん 暑さを楽しんでいるようでした

夏の最高温度に動じない気構え 関東武士の流れをくむ堂々たる”心頭滅却”とでもいうのでしょうか

暑い研修室でしたが みなさん真剣に受講していただきました


そして・・・


研修の翌日は畑でした

K市から10キロほどの距離にある我が畑です

気温は K市とほとんど変わりません



この日も 30度を越えました

キャベツの収穫です 昨年の9月に蒔いた種が こんなに成長しました

久し振りに 雑草退治に駆り出されたマダムです

じゃがいも畑も きれいになりました


今年も猛暑になりそうな夏が近づいてきます 温度・・昨年の記録を超えそうな予感がしますね



Yさん夫妻のナスつくりが始まりました  これは 自動マルチ張り機です

プロは 暑いの寒いのと言ってられません

暑さ日本一地域の車のナンバー K市ナンバーを誇らしげにつけ 意地でも頑張るYさんです

これは見習わねば!! 今年も充分な休養と 水分を取っていきます


ひれ酒を 作る ?

2008年05月21日 | 酒の席
19~20日は 変則日程の研修出張でした

初日はK県A市 終了後即S県S市に移動・・・どちらも管理職研修です

S市に到着したのは 20時を過ぎていました

従って 昨年楽しんだおでんには面会できませんでした

公的宿泊施設の門限は 21時30分

しかたなく コンビニで食糧調達です ホテルの部屋でひとり黙々といただきます

わびしい食事です


そこで 工夫しましたね~

自家製 ひれ酒(?)に挑戦しました



「松竹梅・白壁蔵」の中身を ホテルの部屋備え付け”湯沸し器”で暖めます

暖かくなったら 壜に戻します

熱燗にはならず ほどよい人肌ですね

そこへ やはりコンビニで購入した おつまみの固い「焼きあじ」五匹を投入しました

匂いを嗅ぐと なにやら芳ばしい香りがしています

「ひれ酒」成功か!

五分後 期待に胸躍らせ ひとくち啜りました

ふたくち啜ります

三口啜るまでもなく フカひれの味どころか アジのアジさえいたしません


泣く泣く 五匹の焼きあじを 注意深く指でつまんで取り出しました

使用済みお茶パック入れの 小さなお皿に乗せます



一見 立派なあじに見えますが 全長四センチくらいでしょうか 尻尾をいれても・・

ところが この焼きあじ君 緊張感がとれたか はたまた 肩の力が抜けたのか 最初の固さが取れて すっかり柔らかくなっていました

さらに 適度に松竹梅・白壁蔵が全身に滲み込んだのでしょう つまみとしては 一級品に成長していたのです

ひょ~たんから駒  芋から羊羹(?)

なんでも やってみるものですね

立派なつまみに変身した焼きあじでの一杯は ひとり酒のいい感じを運んできましたよ

♪ つまみは 焼きあじだけでいい~♪  八代亜紀ですね


失敗と書いて 成長と読む・・

楽天の 野村監督の言葉が蘇りました

これからも 好奇心だけは持ち続けていきたいものです

リラックスあじ君に誓った 研修前夜でした


なつかしい 芸人たち

2008年05月18日 | オヤジのつぶやき
面白い本を読みました

色川 武大 新潮社の「なつかしい芸人たち」です

戦前 戦後にかけて”活躍”した変人・落ちこぼれ36の肖像!



イラストの 金語楼 横山エンタツ トニー谷をはじめ 著者の愛した映画俳優

コメディアン 歌手 力士 野球選手 行司など 多岐に渡るジャンルの人々が

登場します


馬鹿殿様専門役者の小笠原章二郎は 映画で見た記憶がありました

アノネのオッサン 高瀬 実乗  「わしゃ か~なわんよ」でしたね

パピプペ パピプペ パピプペポの 杉 狂児 「うちの女房にゃ 髯がある♪」

青バットの大下 赤バットの川上

ほかにも 逗子とんぼ 左 卜全 エノケン ロッパ 徳川夢声に笠置シズ子

さらに話題は チャンバラ映画の悪役たちに及びます


嬉しかったのは 時代劇俳優の 原 健策の紹介でした

純主役といった役どころだったでしょうか マイナーな俳優でした 「牢獄の花嫁」「髑髏銭」が忘れられません


原 健策は「風雲将棋谷」の さそり道人の薄田研二ともども 忘れられない渋~い俳優でしたね

ちなみに さそり道人のセリフは ただひとつ・・・

「しゅッ しゅッ  しゅしゅしゅしゅしゅ!」 でしたかね

さそり使いでした さそりを駆使して主人公を追い詰めます 下町少年たちのチャンバラごっこの 英雄でした

実に渋い 私好みの役どころでしたね~

ほかにも 有島一郎 三遊亭歌笑 名寄岩などのエピソードが満載です

590円で 楽しみました


一読をお薦めします

小・中学生時代が 蘇りましたよ


その後の 趣味の館 

2008年05月15日 | 広島東洋カープ
先月ご紹介した趣味の館の その後です

毎週木曜日に 下町カミさん連が集まっています

お茶 お菓子を持ち寄っての四~五人でしょうか

屋根のある 井戸端会議といった風情です

みなさん それぞれ得意技を披露して 教えられたり教えたり・・

結構 楽しんでいるようです



これは マダムE子の作品です

一見 金魚?

いいえ これはまさしく 鯉 カープです

夫唱婦随の我が家ですからね  誰がなんといっても広島の鯉ですよ

昨夜は逆転負けでしたが 今年は三位を狙ってます




作品も 揃ってきました


さつま芋の 想い出

2008年05月14日 | 無農薬野菜作り
先日 小雨の畑でしたが さつま芋の苗を植えました

五年ぶりでしょうか なつかしい苗の感触でした

そして これは偶然ですが その数88本・・ 縁起のよい数になりました

値段は〆て1350円  一本で15円強のスグレものです



彼ら さつま芋のすぐれてるのは 値段だけではありません

その強靭さにあります

花の茎をスパっと切ったような苗を 土に刺すだけでいいのです

肥料は 全く必要ありません

いまは このようにヘタッていますが これは世を忍ぶ仮の姿です

いずれ シャキっと背を伸ばして やがて畑いっぱいに葉っぱと茎で占拠することでしょう

このような性質だからこそ 戦後の東京焼け野原で育ったわけです

彼らは戦後のスーパーマン かぼちゃマン共々 命の恩人でした あらゆる工夫をして食したものです

サイコロのように細かく刻んで 米に交ぜてお釜で炊く

”サイコロ”の周りに ご飯が張り付いていましたね

少ないご飯が さつま芋に謝っていました  「すまん


芋を蒸かして 塩をつけていただく

乾燥芋に加工して おやつがわりに"かじる” これは固かったです

そのため 歯が欠けた友人が 何人かいました 

芋で歯を欠く いま思えば 実にいもいもしいことです


芋羊羹も忘れられません 蒸かした芋をしゃもじで潰しただけのものです

形は 団子のようでした 羊羹というより「芋団子」・・

舟和のヒントにでもなったのでしょうか


葉っぱも 捨てるものはいませんでしたね

味噌汁 塩汁のなかで 堂々主役を張っていましたよ


月島で 練ったさつま芋を ハゼの餌にしたのは かなり食料に余裕がでてからのことでしょう

たいして釣れませんでした  なにしろ芋が海中ですぐに溶けてしまいましたから・・


今回は「紅あづま」です  戦後の恩人たちは 水気を多く含んだ軟弱な芋族でしたが 紅さんは旨い

戦後の一時期に 男子一生分のさつま芋を食べた気分のオジさんですが 自分で作ったとなると 話は別です

当時を回顧しながら 懐かしさと 感謝の気持ちでいただきます

もちろん 孫たちには さつま芋にかかわる 戦後の食料事情を語り継ぎながらです

さらに 環境が悪くても 逞しく育っていくさつま芋の一族・・

教育素材には 最適任の”華麗なる芋族”です


♪さつま芋よ 今夜もありがとう~♪


箱根のオジさん  それぞれの生き方

2008年05月13日 | オヤジのつぶやき


この日もまた 40年近くを 現役で生き抜いてきたオジさんたちの集まりがありました

箱根湯本の「すずめのお宿」です

そうです 昨年は外国の方々と ひょんなことから「箱根サミット」が開催されました

同じ宿です

今回は 特にハプニングはありませんでしたが 参加者は それぞれ元気で まだまだ酒量もそれほど落ちていませんでしたね


生き方も ますます精彩(迷彩?)を放ち それぞれが自分なりの楽しみを見つけていました

Sさん・・居酒屋で知り合った M大の教授の無人の家を借りています

     京都のU市です  関西の大学で日本の中世史を勉強しています

     蕎麦打ちの名人で ソバリエの名刺を作りました

     もちろん単身赴任です  奥さんが偉い!

Aさん・・好きだったお酒の減量に成功  あまったエネルギーをカメラに集中しました

     山岳写真 モンブランの作品は 専門家にも評価されました  娘さんの嫁ぎ先 フランス行きを楽しみにしています

Kさん・・念願のパソコン教室を 優秀な成績で卒業  美人講師との別れが残念そうでした  

     自転車で成田山まで出かけます 往復80キロの実力は ここでの歩くスピードで証明されました  

     71歳とは思えませんでしたね  スタスタと早いこと!

KAさん・合計七人の孫たちが近所に住んでます  駅前で一杯飲んで 孫宅訪問  いいじ~さましてました

     地元 帝釈天でボランティアを目指したらどうでしょうか

     この笑顔で いい案内ができそうです

Mさん・・コミュニケーション名人で人にやさしいMさん  新車でやってきました

     現役時代に果たせなかった 奥さん孝行に励んでました

     奥さんは かっての私と同じ病を克服しました 

先に帰ったHさん・・地元自治体の児童館職員に応募 採用されました

     児童館で 子どもたちのおじいちゃん役をしていました

     技術職で辣腕をふるった彼も 柔和な笑顔になりました  こどもたちに慕われているのでしょう 嬉しそうでしたね~

     気分も若返ったそうです

今回の幹事役Tさん・・定年後 全く再就職なし 奥さんと過しています

     生活は 年金だけで充分! 言い切るTさんでした

     これもまた いい生き方です 考えさせられました

今回は いつものオバさんトリオが所用で欠席 ちょっぴり残念でした


日曜日~月曜日の小旅行でしたが 箱根湯本は混んでいましたよ

小田急ロマンスカーも ほぼ満席でした


きみまろさんいうところの 中高年で溢れていました

それぞれの方々が それぞれの生き方をしているのでしょう

戦後の混乱期を乗り切ってきた先輩たちです

見ているだけで 愛おしさを感じてきます  よくぞここまで

これからの人生はご褒美でしょう 



夏以降 Sさんの 京都のU市宅訪問を約しての散会になりました


次回定例会の開催権は ビート・たけし出身区のOBに委ねています


人間関係は 面白いものです  

2008年05月10日 | コミュニケーション
世の中には こんなこともあるんですね~

ま 偶然といえば偶然・・

大袈裟に言えば 奇跡ともいえますね

オジさんとしては 後者の「奇跡派」が好みです

話は こういうことでした  まずは聞いてください・・



5年ほど前になりますが 鹿 大仏が名所の県 そうです ブログ友のanikobeさん おがたんさんがお住まいの歴史ある県ですね

その県に いつもの研修にでかけたのです  講師仲間のSさんとふたりでした

50人くらいの受講者の方々だったでしょうか

5年もたちますと 記憶は定かでありません (昨日のことも定かでないのでは?との陰の声は無視させていただいて と・・

本題に戻ります (ゴホン といえば龍角散 エヘンといえばタバコ盆)


近畿在住の従姉妹がおります  彼女には娘がおります  独身です

先日 その娘H子から 電話がありました  ウキウキしていました

「オジさん 結婚することになりました!」

「やぁ よかったね おめでとう  どういう人?」

「それが びっくりしたけど オジさんを知ってる人なの・・」(以上 優雅な関西弁でしたが・・)

「え~~ 誰だろ?」

聞いて 私は椅子からコロげ落ちそうになりましたよ

な な な~~んと~~ドスコイ

5年前の研修受講者の方々のひとりだったんです お相手の男性がです

なにかの話題で判明したらしく 男性も驚き かつ 喜んでくれたそうです

それを聞いて なにやら安心しました

「あの いやな講師のヤツが親戚か」

これでは 従姉妹に面目がたちません


広いようでも 狭い日本です

人間の縁 コミュニケーションは網の目のように どこかで結びついているものです

確信しました

実に 誠にもって 人間関係は面白いものです  それは 多大な可能性と エネルギーを秘めています

これからも 大事にしていきましょう 人間関係 飲みニュケーション

幸せになってほしいふたり H子ちゃん そして 不思議なご縁の青年T君です


いまさらながらの 馬力に驚く!

2008年05月08日 | 無農薬野菜作り
この連休中は 孫たちが遊びにきていました

そのため 畑の畝も あのまんまです  ナスの苗の植え付けが気がかりです

そんなときでしたね  小3になったH君が「じ~じ 畑に行きたい・・」

耳を疑いましたよ  お姉ちゃんのSちゃんは大の虫好き少女です

幼い頃は 畑でとかげを追い回していましたからね  H君はダンゴ虫さえ逃げ回っていました

それが この変身ぶり   畑に行ってみたい

じゃぁ 出かけましょう



母親といっしょに 枯葉 肥料を入れた畝をレーキで整地する マメトラ2号です

結構 さまになっていました



蕗取りにも夢中になり・・・



肥料の馬糞の脇に発生した 不思議なきのこも発見

まじまじと 眺めていましたね


結局 この日は苗の植え付けまでには至らず 昼食をしての帰還となりました

苦手だった畑に慣れてもらっただけでも 良しとしましょう


そして みんなが帰った7日でした  頑張りましたよ  ひとりで・・・

出発が 朝の6時15分  畑到着が8時30分でした

ハウスで Yさん夫妻としばしの歓談  苗を譲っていただきました

9時・・いよいよ作業の開始です

まずは ナスの畝を もう一度レーキで整理してから 黒いマルチを張ります

終了が 10時でした  ひとり作業ですから1時間は仕方ないですね

そして 苗を植えていきました  昨年までの坂の畑と違って 土が固いんですね~

苦労しました  その代わり 苗に固い土の負担をかけた分だけ おいしいナスが期待できます



難儀だった作業のほどが窺える マルチ張りです

ナス18本  ピーマン7本  ししとう3本  とうがらし4本が勢ぞろいしました

さらに 余勢をかって・・・



マメトラを駆って 耕した場所に ミニトマト10本  中玉トマト8本を植えました

トマトには 肥料は必要ありません  その分だけでも楽な仕事でした



最後は きゅうり10本でした

ここは肥料が大事です  マメトラのあと一輪車で潤沢に用意してあげました

今日の作業はここまでです


道具類をハウスに戻して ふと時計を見てびっくりしました

午後3時半になっていました

思えば 昼も食事をしていませんでした

6時間以上 働きづめだったのでした

それでいて 疲労感は全くなく 達成感 満足感でいっぱいでした

話しを聞いたYさんたちまでが 驚いていました


帰りの運転も 少しも眠気を覚えず しっかりしたものでした

いまさらながらの わけのわからない「馬力」に 我ながら”なんだろな”の思いにかられてる 中期高齢者のオジさんでした

次回は かぼちゃ 赤紫蘇 あまながとうがらし そして さつまいもの苗を植えます

楽な作業になりそうです





じゃが芋をはじめ 収穫のときには 真っ先に参加を表明していた姉のSちゃん

新中学生区切りの連休です  ポケモン裏技の勉強をしてました