酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

歩く  ひたすら歩きました

2009年02月28日 | オヤジのつぶやき


環七通り 足立区西新井近辺の歩道で見かけた いまどき珍しい石像でした

なんとなく丸まっちい小太りな姿と顔ですが まぎれもなく二宮尊徳像です

平成の尊徳 栄養がよく行き届いて多少メタボのようです

薪を背負って歩いて本を読んでるのは 昔の小学校校庭にあったのと同じでした

久し振りにお会いしたので懐かしかったですね~


そうなんです

26日は 尊徳さんのようによく歩きました

足立のヤマダ電機へカメラの三脚を買いにいきました



いつもは 車でひとっ飛びの西新井橋です  昔は木造の橋でした

昭和20年代 ところどころ 穴が開いていましたからね  呑気な時代でした

夏休みには 橋の上から 川に飛び込んで泳いだのも懐かしい思い出です

河川敷の 泥のプールが制限時間なしの5円・・・よく憶えていますね

いま思い返すと冷や汗がでますが・・よく溺れなかったものです

大人たちも あまり喧しくなかったんでしょうね~


着いたところが これまた久し振りの西新井大師でした

この大師さまでは カメラの想い出が強烈です

昭和27年 はじめてのカメラ「スタート」(エボナイト製でした)で境内の梅を写しました

白黒12枚撮りの1台750円のカメラだったでしょうか

写真屋さんに持っていっても 1日では出来上がりません

1日に2度 3度と足を運んだものでした



57年たったら デジカメ一眼レフになっていました

当時としては  想像すら出来なかったカメラの進歩ですね

感無量です



長く歩いたので 足にマメ誕生の前兆がありましたがイボではありません 折角だからイボコロリの元祖 いぼ取り地蔵に参拝して 持参のおにぎりを食べました

(白いものは大量の塩です  イボの取れた人々がお礼に振りかけていくのだそうです  意味は不明・・ おにぎりに塩を借用していません)


西新井大師で行程の3分の2にはなったでしょう

小雨のなか 環七通りをさらに北に向かいます

このあたりも 田圃か畑でしたよ  バケツを持ってきてエビガニ(いまは何故かザリガニ)を釣ったものです  えさは棒につるした糸に結んだ「するめ」でした

面白いように釣れました  もっとも家に帰ればほとんどが参っていましたね

そんな想い出を満悦しながら 日光街道沿いのヤマダで三脚と一脚を購入しました

これで 例の一眼友の会のふたりと持ち物だけは同等になりました

あとは 腕だけです


北千住への帰路・・

戦後まもなく家族写真を撮った「S写真館」を捜しましたが残念!

この辺りかな と思われた場所はパチンコ屋さんになってました



奥の細道行脚で 芭蕉翁も歩いたであろう千住宿 旧街道です




往時の面影を残した家々もそこここに・・イトー○ーカドー発祥のこの商店街

なかなか面白い街でした


朝の10時に家をでて 帰ってきたのが3時半

久し振りに長く歩きました  たまにはいいですね

よく言われることですが 車では見えなかったものがよく見えます

見慣れたものが新鮮に感じられます


家に帰ると待っていたもの。。。



昨年 大統領でご一緒した名古屋のNさんからの贈り物でした

桶狭間!

まだ昨年暮れのお酒が残っていますが 歴史好きなオジさんには嬉しい桶狭間でした

これも多いに歩き回ったので 「歩きの神さま」からの贈り物でしょう

王子事件も すっかりどっかに吹っ飛びました

今日から 車に戻ります


毎度馬鹿々々しい ブログ寄席

2009年02月24日 | オヤジのつぶやき
ま 世の中っつうもんは いろんなことがおきるもんでして・・

そこの沢庵しゃぶって 渋茶でも飲みながら聞いておくんなせぇな 


こないだの日曜日の朝のこってす

久し振りに かかあ孝行をしようってんで 車をだしゃ~した

行き先はそれ 前に行ったとき休みだった埼玉の和紙の里なんでさ~

かかあも助手席でウキウキしてやしたよ

「おまいさん 今日は休館日じゃないよね」

「あたぼうよ~べらぼ~め~ 日曜日に休んだしにゃ~おてんとさまの罰があたるってぇもんよ

 安心しね~な」

「はいよ おまいさん」


そんでもって 30分も走りこんだ頃でしたかね~

「あらま おまいさん 大変だよ」 

「なにがどうした 富くじでも当ったか」

「そうじゃないよ いま思い出したんけど 戸ばくちの鍵ををキチンとかけてきたかね~」

「なにお~ このとおへんぼくめ~~あれだけ戸締りしっかり見ろといってたじゃね~か」

出鼻をくじかれたんで つい乱暴になっちまった

「そんなこといったておまいさん ど~しよう」

「ど~しようも へったくれもねぇ ここからとってけ~すぞ しっかりつかまってろよ」

腕は確かでやす 駕籠かき・・ いや 運転暦48年  キュキューと急カーブを切りやしたよ


異変はすぐに起こりやがった

場所はそれ ついこの間も 相棒の熊のやろうが騙された北区の王子

娘に化けたキツネから 饅頭といわれて馬糞をつかまされ 悔しがってた王子稲荷付近

その王子 最近トンネルをくぐるようになったんで~ 熊のやろうがバイパスってましたがね

交差点で待たね~でもいい こいつは便利なもんですぜ

快適にトンネルに飛び込んでいきやした


???

出口のあたりに 奉行所の役人ばらが・・??

メガネをかけた 藤田まことみたいな役人が御用提灯を振って こっちこい!

なんだ なんだ なにがど~した

「貴殿の交通手形を拝見いたしたい」

「なにお~ 拝見してどうする」

「見れば 奥方といっしょではないか 無謀運転はつつしんでいただきたい」

「お~ おいらは確かに帽子なんぞ被って運転してね~よ  言われなくてもつつしんでるよ」

「いや そうではない 無帽子運転を咎めているのではない  早い話が早すぎたのだ」

「早い話が早すぎた? 遅い話が遅すぎた? なにをわけのわからんことを・・」

「ありていに言えば スピード違反じゃ」

「ありていに言わなきゃどうなる」

「ありていに言わなくともスピード゛違反じゃ」

「どっちにしてもいいけどさ オイラはちっとも違反してねぇよ」

「22キロオーバーじゃよ」

「22キロ~! いってえここは何キロなんで~」

「制限40キロ ちゃんと書いてある」

「40キロだ~~ トンネルの外は50キロじゃね~か」

「外は外 内は内じゃ 鬼は外 福は内というではないか」

「また わけのわからんことを・・煙に巻く気だな この~」

「ともかく 切符を切るから1万5千両を払っていただきたい 後日でよいぞ」


卑怯者! ろくでなし! 鼠取り! 家に帰れば婿殿といわれてんだろ!

あらゆる罵倒にも泰然自若 見上げたもんだよ八丁堀ってなもんでしたね~

こっちも疲れやした

助手席で ハラハラしていたかかあの一言で助かりやしたね

「おまいさん 早く戸締りを見ないと・・」

渡りに舟 どう決着をつけるか困ってやしたからね~

「旦那~ ここはかかあに免じてしき下がるがよ 反則金はお上のテーガク給付金てぇのがでてからでもいいかね?」

「う~ん 例のなにか~ あれ以外にも”ろれつ事件”やらなんやら いま幕府の中では もめてっからな~ 将軍家もいつまでもつか」 

「旦那がそんなこと言っちゃっていいのかね」

「そういうな 宮仕えはつらいんじゃよ  家庭もあるし・・」

この藤田まこと 急に頭の中に姑の菅井きんさんでも浮かんだか 急に静かになっちまった

なんだか気の毒になっちまってねぇ  武士は相みたがいってなもんや三度笠

これは前にも言ったけね  へへ・・

旦那のよこした切符を受け取っちまった


「おまいさん 悪かったねぇ」

今度は かかあがしょげ返る番だ

「くよくよすんね~ こちとら江戸っ子よ~ 宵越しのテーガク給付金は持たねぇ
 パパっと使っちまうのが江戸っ子っつうもんよ~」 (グッスン)


いろいろありやしたが 家に帰りゃ幸いなことに戸締りはガッチリ承知の助

かかぁのかん違いてなもんでした

「あ~よかった ほっとしたよ とんだ1万5千両になっちまったね~  おまいさん堪忍しておくれ」

「ま~いいってことよ  こうして盗人にも入られず 安心しただけでもなぁ あのまんまじゃ和紙見学どころじゃなかったぜ」

「そうだねぇ  あれ おまいさん・・」

「なんだよ またなんか仕出かしたか」

「そうじゃないよ さっき貰った切符のようすが変だよ」

「ん~?どれ   ありゃ こりゃシワシワの葉っぱじゃね~か」

「木の葉っぱかい おまいさん」

「あれ 裏だけ紙だぜ」

「葉っぱの裏だけ紙かい  するって~と熊さんみたいに おキツネさんに騙された?」

「藤田まことはキツネだったか  こいつぁー参ったさんに成田山 それにしてもよ 王子のキツネさんも粋なヤツだぜ」

「なんでだい」

「考えてもみね~な シワシワの葉っぱの裏の紙だからワシワシだろ  埼玉まで行かなくてもワシ 和紙に会えたじゃね~か」


お後がよろしいようで・・・・チャンチャン♪  



本編は 実話に基づいて創作された「落語」です

決して 警察関係者の方々を茶化してるものではありません

くれぐれも 良い子は言いつけたりしないように・・・


ブログ 5年目になりました

2009年02月21日 | 自己紹介
つたないこのブログも 20日で満4年になりました

これから「5年生」になります  ここまで続けられたのもみなさまのコメントのお陰です  感謝しています

そして 「4年生」最後の19日は 例の大腸内視鏡検査の日でした


前夜9時に 粉末の下剤を180mlの水に溶かして服用しました

厠にお呼ばれされること4たび  午前3時までウトウトしてしまいました


明けて翌日 朝8時30分にK病院に到着

検査承諾書を提出 血圧測定と順調にすすんで 新たに配給された下剤溶液1,5ℓを1時間~1時間半かけて飲み干します

今回の「同期の桜」は9名でした

男性6人 女性3人  下剤で乾杯・差しつ差されつまず一献というわけにもいきませんが すぐにも仲良くなってしまいました

牢名主の世界ではありませんが やはりここでもベテランが幅をきかせるようですね

手術暦があるやなしや これが第一次査定

手術をいつ行ったか  動物園の猿山は実力社会ですが ここでは手術の古い順に「座席」が決まるようです

これが 第二次査定になります

オジさんですか まぁ 今回も古手のほうでしたね 課長補佐くらいでしょうか

訊ねられるまま 新規参入の方に検査について わかりやすい説明をしました  ちょっとだけでも 不安感が払拭できたと思いますよ


ここでの3箇所の専用トイレ お呼ばれの平均回数がひとり7~8回だったでしょうか

お腹の中がきれいになった順に 内視鏡検査室に入っていきます

この日のオジさんは3番目にお声がかかりました

残っている同期の桜 12の瞳が「早くていいな~頑張ってね~」と暖かく見送ってくれました


検査をしていただいた先生は 前回と同じここk病院が誇るk先生でした

名人だと思います  検査時間15分 通常の半分以下のタイムです

それで しっかりと3つのポリープを発見 除去していただきました

普通は 腸を広げるための空気注入時には 脇腹に少しくらいの痛みは感じるものですが
それが皆無でした

検査の管を操作する先生の左手の5本の指

ピアノの鍵盤をなでるような繊細な動きをしていました  まさに神の手でしたね


検査後は 1時間の休養です  ベッドに横たわってリラックスします

あちこちのベッドから 心地よい無臭のテンシキを奏でる音色が・・

元気なラッパを(オ)鳴らしていました


休養後は 主治医のT先生に呼ばれます

先月の採血検査の結果も良好でした

そして これは・・・



先生のご許可をいただいて掲載する さきほど検査のオジさんの腸です

チョーなんです ミクロの決死圏の世界です 我ながらきれいなもんでした

NHKテレビにもたびたび出演されるT先生

内視鏡名人のK先生とは大学の同窓です


これからも 名コンビぶりを発揮して 大腸がん早期発見の啓蒙に尽くしてください

ブログ4周年の いい記念になった内視鏡検査でした



追記です

ちなみにT先生  このブログの愛読者?です

嬉しい限りです

 

江戸川界隈

2009年02月18日 | オヤジのつぶやき
曇りでも 2月の季節とは思われないほどの気温が上がったこの日・・・

マダムはフラの練習でおでかけです

なにもやることもなく ふと思い立ってのドライブ散歩でした

久し振りの江戸川界隈です  



川の向こうは東京葛飾柴又  ひとり片道100円の渡し舟がやってきます

波が穏やかなので モーターは使用していません 船頭さんが漕いでます



東京と千葉の間を流れる江戸川  千葉県松戸市側の矢切の渡しです 

この「茶店」の風情がなんともいえませんね

暖かいお茶をいただき 持参したおにぎりを食べます



二本で150円の矢切のネギを購入  見事なネギでした



土手にあった案内標識です  これから「野菊の墓文学碑」に向かいます

(大きな声では言えませんが この土手の下には松戸市観光協会が設置してくれた
無料の駐車場がありますよ  葛飾側はすべて有料ですので これからお越しの方は参考にしてください)



土手下の畑にはネギ キャベツ 小松菜が収穫を待っていました

どれどれ・・ゆっくり観察しながら歩を進めます

どの野菜も見事なものでした


ゆっくり歩いても30分弱です

たどり着きましたよ




駐車場はありません  少しの時間なら路上駐車が可能です

石段を登ってみると・・



文学碑です



伊藤左千夫「野菊のごとき君なりき」の書き出しの部分です

「僕の家といふは 矢切の渡しを東へ渡り 小高い岡の上・・」の僕  昭和30年 木下作品の映画では 少年時代を回顧する老人役は笠智衆が演じてましたね

政夫役は忘れましたが 民子は新人の有田紀子 憧れていましたので憶えています

白黒 楕円形にカットされた画面での彼女が蘇ります

オジさんも 多感な高校一年生でしたね~ 映画を見ながら完全に政夫になっていましたからね~

他にも 杉村春子 大好きだった浦辺粂子さんたちが出演してました


多感だった少年も いまでは すっかり笠智衆の年代になってしまいました



橋を渡って向こう側に移りました



先ほどまで歩いてきた田園風景です

政夫と民子も仲良く眺めていたんでしょうね  いとこ同士でなにを語り合っていたのか 

ふたりの一番よかった頃でしょう



戻ってみると 誰もいなかったはずの建物の中に 人影が見えました

珍しい男性がいましたよ



写真掲載のお許しをいただいた「自然術彫刻家・自然の使者・地上発掘家」の肩書きを持つOさんでした

(名刺をいただきました)

初対面でしたが 先に話しかけられました

なにを発掘してるのか?

たとえば こちらです



電柱下の松の木 上部の形です  戦国武者が馬に乗り敵に襲い掛かっているように見えますね

ほかにも 怒る龍の象形 坂本龍馬象形の松・・・

すべてOさんが発掘して写真に収め ここに展示されていました

齢81歳!

私も戦国時代の物語が好きですが Oさんの博識 400年以上前にこの地で戦われた北条氏と里見氏の合戦談には ほとほと感心させられました

生き字引のような知識です

これで少しの訛りをいれてぼそぼそ喋れば これはもう笠智衆そのものの雰囲気でした

野菊の墓で 笠智衆のごとき人に会う

写真をお送りしました 次は帝釈天でお会いしたいものです


すっかり楽しい そして充実の一日になりました  


湯島・小石川を歩く  (2)

2009年02月16日 | 坂道
「富坂」を登りきって右に曲がると 伝通院に突き当たります



伝通院は 徳川家所縁の寺院で 家康の生母"於大の方”孫の"千姫”の墓等があります

また 幕末に浪士隊を結成 結果的に新撰組の「生みの親」となった清河八郎も眠っていました

そういえば 浪士隊が京に上るとき 近藤勇 芹沢鴨をはじめ数百名の浪士が集められたのが ここ伝通院でした

庄内藩出身の清河八郎の墓があるのも頷けますね

* 柴田練三郎  佐藤八郎の墓もあります *


オジさん三人は さらに「善光寺坂」へと向かいました 

すると・・

道の真ん中に大きな木が



そうです  ここが かの「小石川の家」でした

大木の左側が 現在 作家の青木玉さんの家です



彼女の祖父幸田露伴 母の幸田文さんの時代には この大木は家の敷地内にあったようです

青木玉さんの著作「小石川の家」がテレビ化されたとき(露伴役は森繁久弥さん?)は 画面の庭にあった記憶があります

ただいま老人大学で 幸田文さんの研究をしている仲間のAさんです



「うん うん なるほど・・これは仲間に自慢できるな」 大喜びしてました


ここまでで 万歩計は8000歩に達しました

「旅」は まだ続きます

印刷と製本業がひしめく街並を歩いて 到着したのが「小石川植物園」でした



小石川療養所(山本周五郎 赤ひげ診療譚)跡地に残る井戸です

吉宗の時代から幕末まで 140年余り 江戸庶民の療養施設として機能しました



平日だからでしょう こちらは一眼オジ・オバ大集合の「カンザクラ」です





早速 同世代の桜のごとき六人組に撮影を依頼されたAさんです



彼女たちからのお返しの写真ですが 人間よりも桜が主役に見えるのは僻みでしょうか

はたまた 足の短いのをカバーしてくれたオバごころか いまだ謎です


ま 気を取り直して ・・



梅の剪定です シルバーセンターの会員さんです 頑張っていました  元は植木職人さんでした

先輩方の元気な姿を見るのがいちばんですね



湯島の梅に始まり 植物園の梅に終わった今回の友の会

先日 事故で亡くなった仲間のKさんを偲びながらのカメラ旅でした


湯島・小石川を歩く  (1)

2009年02月13日 | 坂道
三人のオジさんたちで 昨年結成された一眼レフ友の会です

全員が充分暇なはずなのですが 七ヶ月振りに集まりました

坂の街 文京区巡りです



まずは お馴染みの湯島天神「男坂」・・・梅祭りです

男坂はかなりの勾配です

会員の平均年齢は 67、33歳になりました

迷うことなく 穏やかな「女坂」を選びました  異を唱えるものはいませんでした

* 実はあのとき 私は反対だった・・こじれてしまいますからね

坂の下で いつものように 店を開いていたのがこちらの方でした



書き出された鑑定実績が凄い!

美空ひばり 森 進一 松田聖子 ビートたけし 志村 けん 山田邦子・・・

人間国宝の貞水さんの名前も書かれていました

写され慣れているんでしょうね~  一眼レフのパシャパシャ音にも泰然自若

じっくり小説?を読んでいました  信頼感のおける態度といえましょう

変にお世辞を言ったり 笑顔をみせたら「軽く」思われるんでしょうね

ま オジさんたちの将来は たかがしれてるようですから そっと離れました



梅園は 平日にもかかわらず五分の入り・・

梅は 三~四分咲きというところでしょうか



暖かい甘酒を飲んでからの撮影です

(酔ってませんね  ピントは合ってるようです)



天神様名物の猿回しです  大ジャンプに成功の瞬間です

大きな拍手を送った若い人たち・・

合格お礼に出かけてきたのでしょうか


多いに笑わせてもらって 天神様をあとにしました


岩崎弥太郎邸の脇を通る「切り通し坂」を昇って「菊坂」に着きました

同好のAさん Sさんが大喜びしたのがこちらです



この近くに 宮沢賢治が下宿していたと伝わっています

木造3階建ての昭和 いや 大正時代らしき家屋です

ふたりは あらゆる角度からシャッターを押していました

そして・・・「菊坂」といえばなんと言っても・・



樋口一葉も使用したであろう井戸です

いまだ現役であり 災害時には大活躍しそうですね

オジさんたちより先輩なのは間違いないでしょう

Aさんは 井戸の周りをやさしく撫でたりしてました  同年輩に親しみを感じたんでしょうね


いまだ現役真っ盛りの井戸から勇気をもらった一眼レフ友の会の面々

「富坂」に近い”いろは寿司”で昼食になりました

ちらし700円 熱燗300円 おしんこ 味噌汁付きです

ガソリン満タンとはいえませんが これで勇気凛々

「富坂」を一気に駆け上りました


以下 小石川編につづく


今年の畑も キャンプイン

2009年02月10日 | 無農薬野菜作り


沖縄 九州・・

プロ野球のキャンプも盛んに行われています  今シーズンも熱戦を展開してくれることでしょう

ここ 埼玉県O町の山でも 青空の下 うまい野菜作りのための準備が始まりました



そうです  クヌギの落葉  落ち葉掃きが始まりました

この日は総勢六名 勢揃いです

集めた落ち葉は肥料 苗床に使用します



上の方の緑の部分は 掃き終わったところです



今年の落ち葉は 軽いようです

そのため 草刈りも 落ち葉掃きも例年よりスピーディーに進みました

六人の畑人にも 余裕が感じられます



? ? ?  帽子の忘れ物 ? !



昼食後 暖かいベッドで昼寝の I さんでした



奥さんに任せた Y さん・・  休憩時間もたっぷりです

オジさんですか ?

はい・・・



枯れ葉の下に隠れていた 栄養満点の腐葉土です

枯れ葉の10倍の効き目があります

枯れ葉ベッドでゆっくり休養後 米袋にセッセと詰め込みました  今年のナスが楽しみです



焚き木も集まりました  焼き芋が楽しみです


この日の作業が終わって畑に顔を出しました

なんたる強風! 寒い!

山は風がなく 汗ばむほどでした  落ち葉掃きは全身運動になります

無理なく身体を動かしたせいでしょう  晩酌が実に旨かった~

やっぱり 野菜作りはやめられません


欽ちゃんファミリー

2009年02月07日 | オヤジのつぶやき
マダムの友人で 近所に住んでるMさん

闊達で 前向きに生きてる 素敵な経営者兼主婦です

彼女のご主人は 五年前に亡くなっています

そのご主人が闘病生活を送っているとき知り合ったのが この方でした


萩本欽一さんの実兄 I さんです  81歳!



会場はMさん宅の二階です 二十名ほどが集まりました

このお兄さん 当然ですが 欽ちゃんそっくり・・・それにしても若いです

話は 欽ちゃんの生い立ちから 芸人になりたての頃の愉快なエピソード

なかでも印象的だったのが 五歳のとき 父親につれられて行った寄席の話でした

上野の鈴本で 芸人たちの話芸に目覚めた欽一少年・・

中学を出ると 大宮デン助さんに弟子入りを願いました

願いは叶いませんでしたが 父親の知人だった益田キートンさんの紹介で 浅草東洋劇場に入りました

そこで知り合った奥さんとの愛情物語は 会場のみんなをほろりとさせる いい話でしたね~

その後の二郎さんとの出会いも運命的 かつ劇的でした


爆笑を誘ったのが 見栄晴君をはじめ 欽ちゃんの弟子たちの採用試験(?)でした

見栄晴君は 最終的に残った三人の中でジャンケンに勝ちました


また あるものは テスト終了後の一時間後にたまたま自宅にいました

「自宅にいて 電話に出たものを採用しよう!」という欽ちゃんの発想でした

ちなみに このときの最終選考で残ったのは十人です

そのまま自宅に直行したのは 彼だけでした 欽ちゃんの電話を受けました

「運を大切にする弟なんです」

そう言うお兄さんは 化粧品会社の会長職に就いてます


会長ご自身の話もよかったですよ

部下を昇進させるとき・・・

上司 「君に課長になってもらうよ」

部下1 「え ほんとうですか」  * これはダメ

部下2 「え まさか!」   * これが伸びる


部下1は ”課長になって当然”と自負の固まり (なるほど)

部下2は まさか!と晴天のへきれき (ふむふむ) しっかり頑張るでしょうね~

堂々と「自分は小学校卒です」 言い切る会長でした

人間通のお兄さんです  欽ちゃんも このお兄さんのいい影響を受けてきたんでしょうね


夕食が並べられても まだまだ喋り続けるお兄さん・・

”お兄さん どこまでやるの” 愉快な欽ちゃんファミリーでした


会場は笑いに誘われて 一気に春がやってきました・・・



こちらは 明日からの「梅祭り」を待ち望んでいる湯島天神の梅です

春はそこまで来たようです


救急車

2009年02月05日 | オヤジのつぶやき


私たちの生命と財産を守ってくれる消防・・

先月のこの日は 某市の消防幹部の方々のリーダー研修でした


消防といえば まずは火災を思い起こしますね

今年の冬は火事が多く 亡くなった方が毎日のように報道されています


消防は もうひとつ大切な役目を担っています

そうです 救急活動です

研修内容とは異なりますが 事前にこんなことを勉強していきました  

統計数字です

平成18年度版消防庁のレポートによると・・・

17年度の救急出動件数は528万428件で 6秒に1回の割合で出動

救急搬送された人数は495万8363人 国民の26人に1人が搬送されたことになる


他にも こんな数字がありました

頻繁な救急出動の弊害として 大阪のH市では5台の救急車がすべて出払ってしまったことが月に8回も起きたそうです

18年度の救急車の現場到着平均時間は 6分強 医療機関までは31分かかりました


コストについては 次の記載がありました

群馬県O市では 救急車1回当たりに平均11万円かかっていました

年間にすると 相当な金額になるでしょうね


また こんな統計もあります

救急車で搬送した人のうち 死亡・重症・中等症の傷病者は47・7パーセント

52・3パーセントが入院加療を要しない軽症 その他であったということです


”雨が降ってきたから” ”泥酔したので” ”大きな荷物を運べない”

タクシー代わりに要請する人もいるようです


こうなってくるとと 当然のように湧き起こってきたのが 救急車利用の「有料化」問題です

古い資料ですが 平成15年に内閣府広報室が世論調査を実施していました

結果は「現在と同様に無料としたほうがよい」51・1パーセント

「利用者が一部負担したほうがよい」36・5パーセント

「利用者が全部負担したほうがよい」4・1パーセント


この調査結果が すぐに有料化への道を開くことにはならないでしょうが 海外の有料の例など考えますと いずれ検討課題になるのでしょうね


調べていったこの統計資料など・・

今回の研修では 使う機会はありませんでした

使わなかったけれど 消防専門の方々を相手とした講師の立場としては 多少の自信・バックボーンになりました


火災に救急 避けて通りたいものですね



親しくしていた友人が 強い雨の夜 交通事故に遭遇しました

娘さんからの一報に絶句  昨年12月に会ったばかりです

国道を横断中にトラックにはねられたのです

救急車で運ばれましたが 残念ながら帰らぬ人となりました 享年71歳

一昨日は告別式でした

春の温泉旅行を楽しみにしていたKさん 仲間と家族思いだったKさん

いつも明るく元気で リタイヤ後のサークル「A会」のリーダー的存在であったKさんでした  寂しくなります


冬の雨でも・・・

2009年02月01日 | 酒の席
冬の雨が強く降った1月30日 中学の同級会がありました

午後5時からです  ちょっと時間がありました

早めに家を出て散策したのが こちらです



何年振りになるでしょう  地下街です  閑散としてました  地上の大混雑とは別世界です 



業種も雑多・・ どこへ入っても安そうです



店名がいいですね~ ”たんぼ” 寅さん御用達の雰囲気!

同級会があるので 横目で眺めただけでした  次回は必ず!


さて タイムマシンで 昭和30年代に戻ったようなこの地下街・・

いったい どこでしょうか?



そうなんです  なんとびっくり!  地下鉄銀座線「浅草駅」です

突き当りが改札口です

傘を手にしたおばあちゃん サッポロビールのひとり客がいい雰囲気を出していますね~

ワイシャツ 500円!

浅草駅で降りた乗客は ほとんどが改札口の正面から地上に出て行きます

この地下街 知る人ぞ知る 穴場のような また宝物のような通路でした

昭和2年に 日本で初めて開通した地下鉄です

その浅草駅地下街は 昭和の匂いをふんだんに残していました  再開発はして欲しくない場所のひとつでしょう



ここでも時間調整です 浅草演芸場で落語を堪能しました

こちらも昭和が充満してました

ご贔屓の 柳家はん冶師匠です  ちょっとかすれた声が魅力です

この方の新作落語は絶品ですよ  超満員の観客の爆笑を誘っていました



浅草のあと 湯島天神下で同級会に参加しました 

ポニョを唄った のぞみちゃんのじ~さまが交ざってます

二次会でのカラオケ じ~さまが孫のポニョを唄いました

やはり 孫のほうが上手 全員一致の感想でしたが 本人はニコニコ顔・・


帰りの冬の雨も 暖かく感じられるような一日になりました