酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

ままごとや

2005年11月30日 | オヤジのつぶやき
マダムE子「最近 ふたりで出かけないわね」

私「そういえば そうだね」

E子「どっか行こうか」

私「いいよ どこにする」

E子「あそこにしようか」

私「あそこか いいよ 行こう」

夫婦40年の阿吽の呼吸

昨日の会話で 出てきました 奥多摩渓谷!



家から2時間でこの景色 名水100選の多摩川だ


食事はいつもの「ままごとや」 渓谷沿いにある



ここでは ”ゆばうどん”を中心に おでん 田楽 煮込みの定番だ



食事をしながら 景色にみとれる

マダムE子「お父さんの誕生祝いだわね」

そういえば 27日は特別のセレモニーがなかった

孫からのお祝いFAXで大満足した私

それに 姫路でのお祝いが 代行してくれた



食事の後 御岳までの1キロ強 渓谷沿いを散策する

               

                   我がマダムのE子さん

途中 絵をかいている人が多い



絵が趣味のE子さん プロと称する画家さんと話が弾む

Fの10号? 専門用語?が飛びかった


油絵談義が終わり しばらく歩くと鐘つき堂がある



12回も鐘をついて 周りを驚かせたE子さん

正午の時報にあわせたという

まぁ いくつ 突いても只だからよしとしよう



平日のわりには観光客が多かった


今日の ままごとや行脚

誕生祝が 自分の「趣味の日」と重なった マダムEの贖罪の意味が多分にあった

そう睨んだ私だったが それはおくびにも出さなかった


40年の歴史が語る 夫婦円満の秘訣 ここにありの一席でした

じゃんじゃん  












師匠~師匠リレー

2005年11月29日 | 無農薬野菜作り
28日は久しぶりの野良仕事だった 



里芋 やつがしら 大根 かぶ 壬生菜を収穫した

帰ろうとしたとき 畑の師匠Yさんからの連絡が入った

近くにある 彼の里芋畑に来て欲しいという

”手伝い”かもしれない 

すぐに車で参上した



種芋120キロを植えた広大な里芋畑

Yさん夫妻で8割方の収穫は終了したという







トラックに積まれたこの見事な里芋の株

私と同じ種芋だったはずだが”別人”のような「顔」をしている

数 大きさ 色つや

これが プロというものか


芋掘りの手伝いではなかった

この素晴らしい「作品」をいくつかいただけるという 嬉しい話だった



           (大根の横に収まった里芋)


5月 Yさんの依頼で とまと きゅうり なす すいか等の苗を販売した

売り子として 手伝ったのがH君夫妻をはじめいつもの面々

特に彼ら夫妻は 目を見張るばかりの活躍だった

恩義を忘れないYさん

この里芋のいくつかを H君に渡して欲しいという

家はそんなに遠くはない

引き受けることにした



引渡し場所 笑顔で里芋をかかげるH君

私にブログを紹介してくれた いわば師匠にあたる

足立グリーン・プロジェクトのリーダーだ(ブックマーク表示)

”自然”大好き人間だ

里芋は 明日 例の畑でみなさんと分け合うという 


今日は 師匠~師匠へのリレーになった

里芋が バトンの役目を果たしてくれました
























2日前の誕生会

2005年11月27日 | オヤジのつぶやき
研修終了後 可愛い3姉妹の歓迎が待っていた



長女のMちゃんにおぶさる次女Nちゃん



お父さんのKさんに甘える末っ子のHちゃん



英会話勉強中の美人奥さん Mさんを交えた一家の楽しい晩餐

手作りの郷土料理 おいしいお酒 楽しい会話

この夜は Kさん宅で一泊させていただいた

3姉妹も 私になついてくれた

長女のMちゃんは 4年生

孫娘と同年で誕生月まで一緒だった 読書が大好きだ

次女のNちゃん2年生 鉄棒に夢中な女の子

Hちゃんは絵と山が大好きな末娘だ


一家の主 Kさんとは偶然の出会いだった

2年前の兵庫県の職員研修

趣味がお互いに 野菜作りとわかったときだ

年賀状の交換がはじまった


そのKさんが 今年の4月から PTAの会長に推薦された

若い彼だが 日頃の熱意と人徳が 認められての就任だったのだろう

そのPTA活動の一環として 企画されたのが 今回の講演会だった

テーマは「家庭・地域におけるコミュニケーション」

むずかしい話しはできないが ふだんの研修と同じなら・・

三宮の「花月庵」で打ち合わせをさせていただいた(10月22日の記事です) 



          体育館で1時間半のお話

広島で 悲惨極まりない事件があったばかりだ

いつもの研修より プレッシャーを感じた

終了してからY校長先生 青少年関連のK会長さんと懇談した

歴代校長の話題で 楽しかったのが 丸山校長の息子さんのことだった

その息子さんは いま テレビで活躍 愉快な かの丸山弁護士だという

飾られた元・校長の写真と 瓜ふたつなのがおかしかった


Kさんの家は 東京の我が家からは 想像できない広さだった

ゆっくり休ませていただいた翌朝 ふたりで近所の散歩に出かける



              吊橋を渡る




                           今年 初めて目にした紅葉




                           白壁の家が旧道によく似合う

                       

                      なつかしのポスト  もちろん現役だ

                      力強い 元気をもらった


早朝の散歩から帰れば 3姉妹も元気な笑顔を見せてくれた

名残は惜しいが 列車の時間が迫る

玄関での 記念撮影



車で 姫路まで送っていただいた


思えば 人との出会いは不思議なものだ

私の誕生日は 今日27日だ

Kさんのご家族に 2日前に祝っていただいたようなものだ

これも 2年前にちょっとの機会で交わした 野菜の話がご縁になった

一生忘れられないKさん宅の思い出 次回はみなさんで東京にきていただきたい


新幹線で 車内販売の昼食弁当

残っていたのが これひとつ



ハローキティーの ちらし弁当だった

またまた 3姉妹を思い出してしまった

プラスチックの この器 孫娘に使ってもらおう

それにしても ほのぼのと 温かみの残る4日間だった


誕生日の今朝 メールを開くとKさんからの 便りと写真の数々が贈られてきた

あわせて メル友のIさん・Nさん・Mさんからも・・・

これからも いろいろな方々との ご縁を大事に生きていきたいものです

感謝 感謝のバースディーです! これからも

ブログの先輩方 たぬき猫さん 老春さん nanさんの元気をいただきます


<おまけ>

孫娘からのファックスです



画に描いたような じじバカです







  











鈴鹿の竜さん

2005年11月26日 | コミュニケーション


サーキットで有名な鈴鹿市 来年から車のナンバープレート”鈴鹿”が誕生する

そして 市庁舎も15階建てに生まれ変わる

新しい建物にふさわしい住民サービスを目指しての職員研修だった

中堅職員のみなさん 目の色を変えての取り組み

サービスの向上が確信できる 研修成果だった


前夜の宿泊は 近鉄支線の終点「平田町」だった



単線 なんとものどかな佇まいの駅舎

ホテルも含めて のんびりした街並みだった

ただ 残念なことに好みの「食事」をする店が見当たらない

電車に乗って 2つ目 鈴鹿市まで足を伸ばした


これが正解だった



電車のホームのすぐ脇の店

「千竜」 一見アパートのようだが 下に見える暖簾  実に渋い!

戸を開けると 強持てのオヤジ 昔の悪役”吉田義夫”と顔が合った

う~ん いい面魂だ

カウンターを前に 椅子が4つだけ ますます気に入った

ビール 酒 よく味のしみ込んだ おでん

声のでかいオヤジ T さんだった 予想通り人柄がよい


しばらくして 女性客が入ってきた

オヤジと親しいらしく 二人の笑い声が絶えない

言葉の調子から 中国人女性と判明した


名前は「竜」さん



3年間 ここ鈴鹿で働き 明日 本国の山東省へ帰国するという

在日中 ほとんど毎晩 この店に足を運んだ竜さんだった

店の名前に 親しみを感じての仲間との日参

強持てオヤジに 励まされたらしい


彼女に 日本の感想を聞いてみた

「実に 素晴らしい国  親切な日本の皆さんでした」

薬指に 指輪のあった竜さん 夫と子どもを残しての日本の生活だった

辛いこともあったに違いない竜さん 笑顔を絶やさず 語ってくれた

後から 上司もやって来た  つましい送別会が始まった

彼女の来日中 母親が亡くなったという

旅費が算段できず 死に目に会えなかった竜さん

明日 帰国したら まずは墓参りをするという


思いもかけずの 送別会に交ぜてもらった私

日中友好に 一役かったか

うれしい鈴鹿の夜だった

飲み代 2000円 これもうれしかった ”吉田義夫”と握手して店を出た


研修終了しての 夜の近鉄急行

名古屋に向かう



”その手は 桑名の 焼き蛤” 駅


この後名古屋乗換えで 姫路に直行

姫路では 研修の後 可愛い 娘さんたちが 歓迎してくれました

明日に続きます


 







行政サービス

2005年11月22日 | コミュニケーション
午後から 所用で役所に行った

運動をかねての自転車行脚



まずは 妻から聞いていた 自動空気入れ機で タイヤを満腹にしてやる

かなり入った

これも行政サービスの一環か  もちろん無料だ


民間のサービス合戦に慣れ親しんだ住民たちだ

役所も変わってもらわなくては 満足できない

この区はかなりサービスの努力をしている



ロビーマネジャーをかってでた I さんだ

旭川出身で 元は部長職だった

だれにも笑顔で「こんにちわ」「いらっしゃいませ」

そして 用事を終えて帰るものには「ありがとうございました」

彼のファンが多くなり クレームが減ったという

かくいう私も I さん贔屓のひとりだ

暮れの 忘年会の約束をしてきた


昨日21日は 横浜の研修2日目



交流分析技法もさることながら 住民サービスの要諦は”声かけにあり”

I さんの具体例は ここ浜っ子の賛同を得た

”先に明るく”声かけをしていこう

市営地下鉄の全座席を 社会的弱者のため 優先席にした横浜

今回の研修で 未来は 明るくなるか




早朝の横浜港

ミニ裕次郎を待っていたのは 北原三枝嬢ではなかった

かもめ(?)が「俺は待ってるぜ」をしてくれました


3~4日 草鞋を履きます














いただきます

2005年11月20日 | コミュニケーション
           「いただきます・・」

       学校給食で こどもたちが言うこの言葉

   給食費を払っているのに 食べる前になんで言わせる おかしい
  
       こんなことが問題になっていると聞いた

       土曜日の「永六輔 土曜ワイド」の番組だった

            さすがは 永さん

        永平寺の 老住職の話題を提供してくれた

      この住職 食べ物を前にかならず心に思うという

     「私に 命を与えてくれて ありがとう 命をいただきます」

    「これなら いえるでしょ」  永さんが皮肉をこめて話してた


          給食費云々は たんなる屁理屈だ

    こんなことが罷り通ったら 世の中ますますギスギスしてくる

   店で食事をして お金を払ったあとの「ごちそうさま」もいえなくなる

       ただでさえ 言葉のやりとりがすくなくなった昨今

       子どもたちから 意思疎通能力を奪いとる暴挙だ


         ひとこと多くて顰蹙をかうものがいる

  逆に 言うべきとき 必要なことを 必要なだけ言わない ひとこと不足

             これも 困ったものだ


         言葉は 億劫がらずに発信していきたい

            相手を認めるとき 声がでる

     給食の「いただきます」に文句をつける前に やることがある

         朝起きたとき 自分の子どもに「おはよう!」

            親が 先手で挨拶をすることだ

            子どもは 親の背中を見て育つ

            
   最近の若い者はと愚痴を言う前に 自分の言動も考えてみたいものだ

         ”いただきます ありがとう ごめんなさい”

           日本語で 一番きれいな言葉だと思う

             また ひとつ消えていくのか

     
     ところで 給食の前 子どもたちに なんと言わせるのだろうか

           孫に聞かれたら なんと答えるか

          私は「いただきます」を強調していく


     

     

          












もつ煮込み定食

2005年11月19日 | 無農薬野菜作り
寒さも本格的になってきた19日

後輩のT君夫妻との畑作業

昼食は「松浦」の”もつ煮込み定食”だった

760円 味は小川町で一番いい



元自転車屋さんだったこの店をはじめ 昼食の店は ローテーションで決める

その数 7軒だ

その日の気分によって 店を選んでいる

煮込みは やわらかく しらたきと キャベツとのバランスがなんともいえない

しかし ポリープのできやすい体質なので 月に1回の限定品だ

だからこそ 実にうまい!


食事の後は 作業にも力が入り 快適・快調な身体の動きになる

管理機が作動せず 手作業の畝になった 白菜



隣の大根と競争するように 育っている

里芋・やつがしら・大根・かぶの収穫の後は いつものようにYさんとの歓談だ

例の液肥のNPOも 具体化して順調に進んでいるようだ

いつものように 産み立ての卵を分けてもらった



これは「ぶっかけごはん」で食べる


寒くなってきたが もつ煮込み定食もうまく 年間で一番楽しい作業の1日でした


そして ”渋い家”の今日の姿

やはり 外観がいいです 惚れ惚れします



カーテン・コールにお応えして 三たびの登場でした






幸福度 調査

2005年11月18日 | 酒の席
池袋西口の西武デパート前 ビルの7階にある「北海道」

居酒屋だ 北海道の海産物が 肴の主力で気分の良い店

この夜集ったのは 3人の元保育園長と男性が3人

元の職場で お馴染みの 気の合ったグループだ

蟹鍋・刺身・雲丹・いくら・ほっけ・・・

お酒は 国士無双の冷酒がうまかった


昔話に花が咲く

園長職を勤め上げ 退職辞令を受けた夜

辞令を神棚にささげ 在職中の子どもたちの無事を感謝 頭を深々とさげたという

事務職でリタイヤした男性3人 初めて聞く話に感動した


飲むほどに 酔うほどに楽しい話題に移っていく

それぞれの結婚のキッカケ T園長のエピソードがよかった

当時 彼女には交際中の男性がいた

結婚も 多少の想定をしての付き合いだったという

ある日 制服姿の警察官の訪問を受けた 戸籍調べだった

警察官の制服を見た瞬間 彼女の全身を強烈な電気が流れた

その一瞬で 結婚を決意

それが 現在の旦那さん 

幸せの直感が見事に当たったことになる 


幸せといえば 気になる調査結果がある

18日に発表された 大阪大学の「幸福度調査」だ

女性が65,1% 男性が62,7% 女性の幸せ感が少し高いようだ

気になったのが ドイツ アメリカとの年代別の比較だった

欧米では 歳を重ねる毎に高くなる 幸福度

日本は全く逆で 急激に下がるようだ

年代を経るごとに 住みにくくなる世の中

医療費 年金 税金・・・ 問題山積の身の回りだ


幸せは 自分の心が決める

昨夜の面々 せめてこれからも 元気で 好奇心満々で過ごしていきたい

幸せ感100%の6人組でした


ちなみに 私の”キッカケ”は 学生時代のデパート・アルバイトです


 







 







水戸・三河

2005年11月17日 | コミュニケーション
なんとも 愛らしくも味のある顔の 酒場のおやじUさん



愛知県は三河 東岡崎の居酒屋「だんらん」の主人だ



この店と おやじが面白かった

まず この表示がいい



生ビールの 達人の店!

達人が ジョッキに注ぐとどうなるのか



でてきたビールがこれ

なんら とくに変わったところが見受けられない

この辺から 楽しくなってきた


後から 常連客が入ってきた



私が注文した 鯖の味噌煮を忘れ 客との話しに夢中になるおやじさん



焼酎のお湯割りで おやじと語り合うI氏



私の”食卓”は おでんもなくなり ”達人ビール”も飲み干し 淋しいかぎりだ


これではならじと”仲間に入る算段モード”に切り替えた

ご当地の話題は 家康・ドラゴンズ・琴光喜

特に琴光喜は 3連勝と出足がよかった



この日の午前中は 水戸での研修があった 

「消費者相談」相談員の方々への 2時間の講演だ

その後 水戸から岡崎への直行だった この話題がよかったのか 

徳川ご三家 ドラゴンズ 琴光喜へと会話が弾む

おやじのUさんが 奥から出てきて 隣に座ったのが冒頭の写真だ 


5つの大きな川のおかげで 水不足にならない岡崎

名古屋の花嫁が 持参品を沢山もっていく愉快な理由

近所の琴光喜の実家の話題 

これらの話しは 翌日の研修に多いに役立たせていただいた

再来を約して 店を出た





プレゼン研修は 実習のビデオ再生を取り入れた

参加者のひとりIさん

先日のテレビのクイズ番組 児玉清が司会の「アタック25」で優勝

海外旅行を射止めたという

参加者 担当者の評価もまずまずでホッとした

次回は ぜひ三河の観光もしてみたい


お土産は 名古屋名産の「ういろう」

16日は母の命日 すぐに食べずに まず仏壇に供えた



あちこち飛んだ3日間 今回も充分楽しんできました







 











横浜

2005年11月15日 | 広島東洋カープ
横浜は久しぶりの訪問だった

研修のテーマは「交流分析」

人間の心の状態を 3つに区分けして 自我を分析

他者とのコミュニケーションに 適する自我をさぐる

なかなか 面白い研修技法で それなりの効果があったようだ





横浜といえば海

山下公園には 思い出がある

学生時代は 裕次郎映画の全盛時代

横浜を舞台にした活劇ものが多かった

ダスターコートに長い足

港を背景に 裕ちゃんが闊歩していた


横浜在住の友人と よくこの近辺を歩いたものだ

足の短い”裕次郎”二人

少し足をひきずって歩く 裕ちゃんスタイル

なんとも 小恥ずかしい思い出の場所だった






早朝の 中華街

閑散としている

ここにも 価格競争のはげしい波が押し寄せていた

以前には 考えられなかった食べ放題で 1970円!

庶民には 嬉しい競争だ





牛島新監督のもと 例年の定位置 最下位を脱出

我がカープを抜き去った 横浜ベイスターズの本拠地だ


来年こそ カープ期待のブラウン監督

15年ぶりの勝利の美酒 たらふく飲ませてもらいたいものだ

研修もさることながら 私の「交流分析」は来季のカープそのものでした