もののはじめblog

コメント歓迎 ! 
必ずコメントに参ります by iina

日本の神と仏

2018年08月21日 | 歴史
神道という言葉は仏教が入って来てから、この国の精神習俗に対して名づけられた。
神は没落した。「日本の神々は迷っている。」というのが鎮護国家の仏教を受容した奈良朝のころの僧たちの見方であったらしい。僧たちは神々にありがたい経を聞かせて救おうとした。仏は上、神は下だった。有力な神社に祭神を済度するための神宮寺が造られた。そのことで神々は没落をまぬがれた。

「八幡神」という異国めいた神が宇佐に湧出した。欽明天皇32年(571)年に湧出したときに「われは誉田天皇である」と名乗ったため宮廷は無視出来なくなる。この神は風変りにも巫女の口を仮て託宣する、それも国政に関することばかりを。
仏教が盛んになると「自分は昔インドの霊神」と託宣し、新時代に調和した。聖武天皇が大仏を鋳造し東大寺を建立したとき、八幡神は賛同の託宣をした。天皇は喜び、大仏殿の東南の辺に手向山八幡宮を造営して寺院を守護した。いわば同格になった。古来の神々を新時代に先導しはじめた。これが平安朝に入って展開される神仏習合という全き同格化のはじまりといえる。

その奈良朝の時期、神々を救うために考えられたのが、本地垂迹説だった。
まことに絶妙というべき論理で、本地とは普遍的存在のこと。つまり、仏・菩薩のことである。そういう普遍的存在が衆生を済度するために日本の固有の神々に姿を変えているという説である。
そういう論理によって仏教化した神々が、権現とか明神と呼ばれるようになった。例えば、伊勢神宮の神は大日如来が本地であり、熊野権現は阿弥陀如来が本地であるとされた。

本来の仏教というのは、実にすっきりしている。人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦には墓がない。おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教的なのである。世間でいう「霊魂」という思想もなく、その霊魂を祀る廟ももたず、まして霊魂の祟りを恐れたり、霊魂の力を利用?するといった思想もない。霊魂も怨霊も幽霊も祟りも仏教の教義として存在しない。
仏教には啓示がない。解脱だけを目的にしている。解脱とは煩悩から解き放たれることで、本来の仏教というのは、極端にいえば解脱の必要と、そのための多少の方法しか説いていない。要するに、解脱が目的でなければ仏教ではない。
解脱の前に、煩悩がある。煩悩がなければ解脱もない。そもそも煩悩というのは生命そのものではないか。生命の諸現象からの束縛を離れようとする生修行の意識にとらわれるよりも、いっそ煩悩即菩提と開き直る方がいいのではないか、というところから、紀元前一,二世紀ごろ大乗仏教が興った。大乗仏教は、総て釈迦とは何の関係もない。

奈良朝は、仏教の時代だった。当時の仏教というのは「経律論章疏」のことだった。思想的にも釈迦本来の解脱を説く小乗がおもで、それに多少の大乗が混ざりあって何が何だかわからなかった。
奈良時代の遅い時期に華厳経が入った。華厳経も大乗仏教で、従って釈迦以後の成立なのである。
例えば、一はすなわち多である。多はすなわち一であるなどという言い方はのちに多様に応用された。また、一個の米粒をみて宇宙と人事の一切がこめられているという日本的な考え方も、華厳経から出発した。一粒の米は自然が作るだけでなく、社会(農民や配給機構、最後は炊く人)の営みの一切がこめられている。華厳風にいえば、一が多であり多が一でありつつ、その「多」の中の「一」がそれぞれ無限に相互に依存しあって孤立していない。つまり、私どもの住む宇宙も生物界も人間の世界は華厳でいう「重々無尽」しあって相互に関連し、変化し、一が多を包接し、無数・無限に包接しあって出来上がっているのである。

劇的なことに、大乗仏教が出るにおよんで救済が入ったのである。ここで仏教は大きく変身するのだが、このことを奈良朝の人々に教えたのが華厳経だった。
人間どころか、草や石、あるいは餓鬼や地獄まで法(盧舎那仏)に包接され、一つの存在がすべてをふくみ、また一現象が他の現象とかかわりつつ、無碍に円融してゆくというのである。
となると、一切の衆生は当然のありかたとして仏になってゆく、ということになる。奈良仏教は華厳経を得ることによって陽光の世界に出たのである。そういう喜びが大仏を鋳造するという聖武天皇の国家事業になったのにちがいない。

空海が展開した真言密教は、紀元五、六世紀ごろにインドで成立したもので、教主を釈迦でなく大日如来という非現実者としている点でいえば仏教とはいいにくい。が、密教もまた空の思想を持ち、解脱を目標にしている点からみれば、濃厚に仏教といえる。
華厳経は、世界像を提示した。しかし、多分に哲学的説明にとどまり、宗教に必要な行を説かなかったから、行を説く大日如来が出現したともいえる。
東大寺境内を歩くたび、日本の思考のひとつはここからはじまったと思わざるを得ない。
                                      つづく

   「この国のかたち」司馬遼太郎をピックアップ要約

コメント (9)    この記事についてブログを書く
« 蜘蛛と雫 | トップ | 日本の神と仏 2 »

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お早うございます (延岡の山歩人K)
2018-08-21 06:55:16
日本の神や仏
本日は高尚なテーマでしたが
名解説を 頷きながら拝見しました。
何かを祀ったり・・
すがったり 祈ったりする心は
世界(人類)共通なのでしょうね

返信する
(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2018-08-21 08:59:56
「この国のかたち」司馬遼太郎の全6巻から「日本の神と仏」に関するハナシをピックアップして整理しました。

前々から神道の頂点に位置する皇室が、仏教を導入したのが不思議でした。
宗教を受容したというより、新しい文物が欲しくていれたと思い直していました。

そんなところをさぐってみました。

向後、数篇にわたって武家や風流や幕末そして敗戦の要因等々をピックアップいたします。



返信する
御礼 (慶喜)
2018-08-23 07:30:05
司馬遼太郎の「この国のかたち」ピックアップ
して分かり易いコメント有難うございます。
私も同感致します。
極端な話(間違っている)ある面では、最澄は仏教・キリスト教的教え。
空海はイスラム教的教えで、空海の教えの正誤は別に
して完成した教えだったのですね。
司馬遼太郎さんの本は、教えられる点多いですね。
返信する
楽しみ (慶喜)
2018-08-23 07:46:44
興味を感じて拝読しまして
特に「華厳経」に関し知識無いので、成程と思い
読まさせていただきました。
返信する
(慶喜) さん へ (iina)
2018-08-23 08:57:47
「この国のかたち」司馬遼太郎は、随想的に全6巻の中に散漫にいろいろな話題と混じりあっていましたから、
こんかいは「日本の神と仏」に関するハナシをピックアップして整理し直しました。

「神道」という言葉は「仏教」が入って来てから、この国の精神習俗に対して名づけられたなんて新鮮な解釈でした。


それでは、空海と最澄のいずれがエライのでしょうか ❔

空海は真言宗を完成させたので、手を加える余地がないほど完璧すぎて低迷したなんていわれ方もされています。

最澄には手直しする余地が残っており叡山をドグマの府にしなかったからともいわれます。
ひとの探求心というものは、宗教や学問をとことん追求するものなのですね。

   (慶喜)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置いています。

返信する
時刻表出身の街道ファン (コスモタイガー)
2018-08-27 15:04:43
東海道を始めたころは、「愛知県内ぐらいは走破してやろう、たいして金もかからんし…」と気楽に始めたんですけどね。
いつの間にか東海道を完全走破することになり、ついには禁断?の中山道まで足を踏み入れ、莫大な費用を要することとなりました。
そして今も、関西地区でコツコツと。
こんな大がかりなルーティンになるとは思ってもみませんでした。

こんなに街道を走り、熱く語ってる割には、司馬遼太郎、実は読んだことありません!
もちろん街道関連の書物が多いことは知識としては知ってますけどね。

意識して読まないというわけでもありません。
ブログ中にも書きましたが、あくまでも「時刻表」「鉄道」がホームグラウンド。
書物としては種村直樹とか宮脇俊三といった、鉄道専門の作家が好きでした。
(※いずれも鉄道・時刻表の世界では超有名な重鎮作家でしたが、すでにお二方とも鬼籍に入られました、残念。)

鉄道関連の本を読み漁るうち、街道と鉄道路線の関係に気づき…、という流れ。
旧国名も、歴史読本ではなく、鉄道の駅を通じて徐々に理解し、自然と歴史の世界とリンクすることとなりました。(例:飛騨古川/高山本線、肥前山口/長崎本線・佐世保線、等)

鉄道も街道も、日本のどこに何があるか、に興味を持ち、理解しないと、全然面白くない、というのは共通点ですしね。

あくまでも時刻表出身の街道ファンです(笑)。
きっと、純粋な?街道ファンからすると、私はアプローチの仕方が違うのかもしれませんね。
返信する
(コスモタイガー) さん へ (iina)
2018-08-28 09:46:31
京阪電鉄本線は、京都も担当していたので、大阪時代に京橋―京都三条辺りまでよく利用しました。
        乗る時間帯も若干遅らせたので座れました。

八軒家浜船着場跡や伏見に高麗橋などは懐かしいです。 そうです、北浜や淀屋橋界隈を歩きました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e7737f6e5a028b87a28676f4216b14bd

なにごとも凝るのは好いです。コスモタイガーさんな「こだわり」がつづくよう応援いたします。^^

コスモタイガーさんは、やはりコスモスがお好きなのですょね。つぎは、iinaブログ内の秋桜です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/f9a2b41615d709623786b0b5621f2f77

 (コスモタイガー)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

返信する
岐阜城 (コスモタイガー)
2018-10-05 14:32:19
岐阜城も山の上にあって壮大で好きですよ。
先日、家族で遊びに行ったばかりです。
ロープウェイもありますし、山上にはリス園もあります。
家族連れて遊びに行くなら岐阜城でしょうね。

日本ライン下り、3回ですか!
それは凄いです。

地元民なのにコスモタイガーは中学生の頃だったかな?1回乗っただけです。
返信する
(コスモタイガー) さん へ (iina)
2018-10-06 09:03:23
名鉄犬山線とは、なつかしい。
50年ほど前に、ひとりでライン下りしたときに使った鉄道です。あのときは、牛が線路にいるということで、電車が止まったのどかな時代でした。

岩倉街道は、京都ではなく此方方面にもあったのですね。
織田信長が最も愛した側室の出身地・生駒とは、道をたどると歴史ありです。

   (コスモタイガー)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

返信する

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事