酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

坂道 (その3  播磨坂)

2006年03月31日 | 坂道
今回ご紹介の坂道は「播磨坂」です



折りしも 地元の自治体が開催する「さくらまつり」の最中でした




「播磨坂」は実は”昭和の坂”です

戦後の区画整理により 新しく造成された環状3号道路によって出来ました

かって このあたりは 府中藩主”松平播磨守”の上屋敷でした

坂下は 千川(小石川)が流れ 低地一帯は「播磨たんぼ」と呼ばれていたそうです



昭和35年(1960)頃から 地元の人たちが協力して 樹齢15年くらいの

桜の木を約150本ほど植えました

そして 丹精の結果現在では「環3のグリーンベルト」として立派に育ち「35回

目のさくらまつり」に発展しました



さて ここ文京区は その名のとおり「文教の街」です

面積が11,44hkという狭い中に 国・都・私立学校・幼稚園が84校あります

これは 区立小・中は除いた数です

全国でもめずらしい現象でしょうね

そこで「播磨坂」近くの学校群だけでも紹介しましょう



                最寄の駅 地下鉄丸の内線 茗荷谷です



             元教育大学 現在は「筑波大」と「放送大学」



           教育大学跡地に建設された「文京スポーツセンター」



                       跡見学園女子大学



                         拓殖大学


そして 学校の近所の風景です  ここ数年の変化には目を見張ります



                     茗荷谷駅の脇道



         戸川昌子さんが 母親と住んでいた女子アパートの跡地
   
                 なにが出来るのでしょうか

         そして 最後の写真は「御茶ノ水女子大学」と その近辺です







ちなみに 私の出身中学・高校はこの区です

なにしろ坂の多い街

自転車通学時には 坂道で難儀をしましたね

次回は その当時を思い出しながらの「17歳バトン」ちょびママさんから受け

てみましょう


今日から セ・リーグも開幕です

な な なんとカープがドラに2-0で完封勝ちです!

しかし 喜んでばかりもおられません

ブログ友の未歩さんは ドラファンです

ここは 謙虚に喜んでおきます(笑)

しかし 思わず・・・うふふ
















運命の”うなぎ”

2006年03月30日 | オヤジのつぶやき


下町 南千住のうなぎ屋「尾花」です

老舗で 天然うなぎが売り物の店です



場所は 江戸時代の東の刑場「小塚原」の近くにあります

駐車場がないので マダムと自転車でやってきました

時間は 昼の12時を少しまわっていたでしょうか

お! いつもは並んで順番を待っているお客さんが見当たりません

しかし これはカン違い

客室は 先発グループで既に満員でした

外で待つこと20分 調理場を覗いたりします



いや~ 実にいい匂いがしてきましたね~ 炭火です

朝食抜きのお腹が グ~とひと声鳴り響きます


うなぎだけは 外で待っている間に注文します

さらに グループできたお客さんは 全員が揃っていないと 順番が後回し

電話の予約も 受け付けていません

ま そこが老舗の老舗たる所以でしょうか

やっと 順番がきて部屋に通されました



満席でした

いったい みなさん何時頃から並んでいたのでしょうか

隣席は 東北(?)からの熟年男女

お国訛りが 耳に心地よかったですね~

実に 旨そうに食べていました


今日は マダムの○○歳の誕生日です

例の「指輪事件」も無事解決しました

一時は 代替品の覚悟をした私です

奮発しましたねぇ それぞれ2人前ずつですよ~

<   <


「鯉の洗い」 「う巻き」 「やきとり」そして「鯉こく・うな重」の5点セット

昼間なので ビールは1本だけです

大瓶ですよ うれしいですね~

指輪の発見がなければ 食べられなかった「運命のうなぎ」でした


帰りの自転車は うなぎのためか やけにペダルが軽く感じられましたね

そして 帰宅してホッと横になった時です

玄関のチャイムが鳴りました


おお!



孫の名前で 花束が届けられました

二重の喜びに浸るマダム

それを見て ん?

私のときは確かお祝いのファックスだけだったが・・?

まあ いいでしょう

指輪がでてくるよう 帝釈天に祈ってくれた孫たちです

ブログ友の方からも 嬉しいメーセージもいただきました

マダムだけでなく 私にも忘れられない誕生日になりました







  










都電に乗って 飛鳥山

2006年03月29日 | 都電 荒川線を誉める
♪つ~い春風に つ~い誘われて~♪

昔懐かしい ラジオから流れていた歌を口ずさみながら やってきました飛鳥山



王子の飛鳥山といえば 桜です

八代将軍吉宗が 江戸庶民のために開放したといわれる飛鳥山

上野 隅田川 千鳥が淵とは趣が異なり 知る人ぞ知る「花見の穴場」です



昭和30年代を彷彿させる この雰囲気がたまりません



公園内で よい子の相手をする 昭和24年製6000型の都電です

かっては青山通り 銀座通りも「闊歩」していた 当時の花形電車でした




「荒城の月」「湯島の白梅」「湖畔の宿」 なんともレトロな歌が流れていました



なにを語るか 老夫妻

好きな光景です


そして 王子といえば ここを忘れるわけにはいきません



そうです

落語で有名な”王子の狐”王子稲荷神社です

料理屋と狐を舞台にした この落語は当時の模様をよく伝えています



                      「御石様」




別名「願掛けの石」です

かなりの重さがありました

重いのをガマンして持ち上げるほど「願いが叶う」そうです



                      「狐の穴跡」

昔は こんもりと茂った杉の大木に包まれて 昼も暗く 山中には沢山の狐が安住

し 神使として大切にされていたそうです


そして 都電の小旅行も「名主の滝公園」で終わりに近づきました

名主さんの住居跡です

「男滝」「女滝」と散策しました

<   <


この滝には 懐かしい思い出がいっぱい詰まっています

昭和20年代の小学生時代

この滝は 夏休みの格好の「プール」でした

「下町赤フン少年隊」が「王子海パン少年隊」に”殴りこみ”をかけたものでした

当時のケンカ相手 みんな いいおじさんになってることでしょう


交通費320円の都電の旅でした


夜は 昔の職場の連中との飲み会

「池袋の夜」を堪能 飲み過ぎでした



福井の酒 「黒龍」の旨い店「松風」でした













奇跡は起こるか?!

2006年03月27日 | オヤジのつぶやき
いまから思うと「事件」は20日に起こりました

その日は じゃがいもを植えつけた日になります

久し振りに 私たち夫婦が 一緒の畑仕事に精をだしました


マダムが そのことを言い出したのは21日の夜 私が飲んで遅く帰ったときです

「お父さん 指輪を失くした 畑かもしれない」

「え? なんのこと?」

じゃがいもの植え付けをしていたときは 確かに嵌めていた指輪が家中さがしても

見つからないというのです

「家中全部捜したか」

マダムは 昔から探し物の名人です

大抵の 失せものは見つけ出してきました

その名人が 1日中懸命に捜しても 見つけられないのでした

こちらも 飲み過ぎて帰ってきた手前 そんなに強く叱ることができません

「よし! 明日 酔いが醒めたら畑に行こう」  鷹揚に構える

オヤジでした (内心とは 別に・・)


翌日は 正午に畑に到着

「あれ 頑張りますね また来たの?」

いぶかるYさん夫妻でした

「ええ まぁ 天気もいいもんで・・」 


ここか あそこか  軍手の中か

はたまた テーブルの下から畑の畝 雑草掻き分けての大捜査を開始しました

テレビで見かける 警視庁捜査一課も及ばぬ熱意と努力でしたね

久しぶりに感じた 夫婦の一体感!


そして 残ったのは徒労と諦めでした

ケガをしたわけでもない 命に変わりもない

品物はなくなるものだ ましてや 畑の中から捜そうなんていくらIT時代でも

奇跡のようなもの 潔くあきらめよう 指輪のサダメだ うん!

いつもの自分に都合のいい解釈で ムリに納得する二人でした


時は移って26日  (講談ですね これは・・)

2泊目の孫たちを誘って 柴又帝釈天に遊びにいきました

ばあちゃんが 指輪を失くしたことを知っている孫たちです

お賽銭を奮発して祈ってくれたそうです

「指輪が みつかりますように・・」

「草団子を買って仏様に あげよう・・」

可愛い孫たちです


亀有の両さんの銅像にもお願いをして家に着きます

チャイムを聞いたマダムが 泳ぐように飛び出してきましたよ!

「お父さん あった! あった! 指輪がでてきた!」

キョトンとする3人です

マダムの指先には 間違いなく かの指輪がありました

「どこにあった?」 

「それがね・・」

聞いて驚きましたね

世の中の「奇跡」を信じてしまいましたよ

この中にあったというのです  一見トイレのようですが・・違います



右にあるビニール入りの土です

マダムが 当日 畑から少量持ってきた土です 庭の植木用でした

これは 奇跡もさることながら 女性の執念ですね

私たちの留守中に 土をふるいにかけたんですね

土に混じっていた指輪が 左のポットにキラリと光りながら ポトリと落ちたとい

うのです

発見したときは 思わず大歓声を発したそうです

今度は4人で万歳三唱でした


奇跡というか 執念というか 世の中は実に劇的なことが起こるものです

草団子は 形式だけ仏壇に供えて すぐ皆のお腹へ収まりました


マウス オン



ま この事件でいちばんホッとしたのは私でしょうね

このままでは 月末のマダムの誕生日が暗くなります

秘かに 代替品を考えていました

それがどうやら うなぎだけで済みそうです 

これが ホントの万歳三唱でした エヘヘ♪



 






森の語り部たち  WONDER OF GIANNT TREES

2006年03月26日 | オヤジのつぶやき


今日は ブログの師匠 H君を改めて紹介します

彼は数年前 北海道のサロベツ原野から 沖縄の西表島まで2年の歳月をかけて南下し 80数枚におよぶ巨樹の絵を完成させました

現在は 生まれ育った地元から 地球環境問題を考えようと NPO活動や 環境カウンセラーとして活躍しています

その彼が 今回「THE NEIGHBOR」で紹介されました その概要をお知らせしましょう

題して「OUTDOOR 達人列伝143」




H君が巨樹に興味を抱いたには理由があります

日本の大学を出たころ 悩みました

”これからの自分にできることはなにか 自分の生きる価値は?”

こうしてアメリカの大学への留学がはじまりました

野外教育学で学んだ「川くだりのガイドトレーニング」で学んだ川・水への憧憬

自然の美しさと 恐さを実感しました


帰国後 川の先にある一滴の水を求めて 初めて「森」と出会います

巨樹との「会話」「コミュニケーション」のはじまりでした

どんな劣悪な環境の中でも 生きていかざるを得ない巨樹

苔・菌類と共生していく 逞しい巨樹

ここから 彼の思いは人間の住む地球環境に発展していきました


彼は 私よりかなりの後輩になります しかし 知り合ってから 私の生き方と考

え方に 多大ないい影響を与え続けてくれる 得がたい「友人」です 

森の語り部を ご訪問ください

H君が あなたの近くで絵を描いた痕跡が 残っていることでしょう

素敵な友人 H君をご紹介しました



さて いよいよ春です

桜です

モノクロ写真がつづきましたので 最後に一服してください



                        近くの公園です


お彼岸にこられなかった 我が家の「語り部」たちです

<   <


実に よく”語って”います  賑やかです

この子たちに よりよい地球環境を残していくのは 私たちの大切な役目ですね





















コミュニケーション 10則  その5

2006年03月23日 | コミュニケーション 10則
<  異質なものを受け入れる  >


コミュニケーション10則 その5は「異質なものを受け入れる」です

私たちは 自分と同質の人間を求めたがりますね

自分と同じ考え タイプ 行動を取るものには 共感を覚えます

それはそれで楽しいものです

ストレスも それほど溜まりませんね

大事に 付き合っていきたいものです


問題は 自分にとって「異質な人間」との交流です

自分とは ものの見方 考え方が全く異なる人間とのコミュニケーションの取り方です

拒絶するのは 簡単です

一切 無視することですね

なまじ 関わっては厄介な問題が生じかねません


しかし これはもったいない

こんな話を聞きました。

東京築地の魚介類の卸売り市場のエピソードです


毎朝 焼津港あたりから 搬入される多くの鰯です

当然 トラック内で死んでいます

しかし あるとき到着した鰯たち

一部が生きていたのです

驚きを隠せなかった担当者たちでした

さらに 調べて驚愕します

鰯に混じって なんと 偶然「ナマズ」が混ざっていました

搬入途中の鰯にとってのナマズは「異質」そのものの存在でした

ナマズという異質が与える 適度なストレス

鰯たちの活性化に繋がったというのです


この話の真偽はわかりません

しかし よく出来た話ですね

同質・同類の人たちとの交流も 多いに楽しみたいものです

同じ趣味 酒飲み友達 仲良しグループ うれしいものです

しかし 一切「異質な人間」とのコミュニケーションを拒絶するのは 惜しい気が
します

ものの見方 考え方が変わります

適度な刺激も 貰えます

人生にとって「得なこと」が増えます



私の 10年になる「畑人生」も同じでした

プロの農民 Yさんは 私のそれまでの人生では「異質」そのものの人物でした

いままで 出会ったことも無い「農民」ですからね

しかし Yさんにとっては私が「異質」です

同じことです

異質なもの同士が時間をかけて お互いの理解に努力してきました

そして 現在があります  以前の私からは 想像もしなかった「畑を楽しむ」
自分がいます


少し 自慢話になりました

ただ 言えることは「異質な人間関係」は 思いもかけない自己実現に繋がるということです

これは 間違いないと確信しています 



マウスオン・プリーズ ( ク~ これを書いてみたかった )

いっこんまさんに教えていただきました





Yさんとオヤジな私

「異質同士」のコミュニケーションがなかったら この2枚の写真は存在しなかったでしょうね

イヤ このブログさえも・・・です













男爵に 女王のヒカリを・・

2006年03月22日 | 無農薬野菜作り
”様子”のいい じゃがいもの「男爵」です



切り口も 実に鮮やかな逸品ですね



先日お話ししたように 今回はじめて「じゃがいもシリカ」を試してみます

「シリカ」は石灰の一種です  切り口に塗り込めます

半数だけ試すことにしました




管理機を使っての 畝作りです  思わず飛び出すVサイン



土が軟らかいので マダムも「参戦」でした




主役の男爵は6キロです

そして 傍に控えし英国生まれのメイクイーン  「女王」が2キロ

さらに 両者にヒカリ スポットライトを浴びせる「キタアカリ」が2キロ

三役 そろい踏みとなりました



きれいに整った4本の畝です

我ながら 惚れ惚れしますね



昨シーズンは あまりの暑さに管理を怠った じゃがいもでした

7月の収獲時には 頑張って 早朝の出発を心掛けましょう


やはり 一人より二人ですね

なんだかんだと言い合っても 能率のいい 夫婦揃っての じゃがいも植えつけになりました



「夫婦」で思い出しました 前回の「坂道」

修正・加筆です

湯島天神から 切通坂に下る石の階段坂を 現在「夫婦坂」(めおとさか)と呼んでいるそうです




門の名を「登竜門」といいます

男坂 女坂 そして夫婦坂

じゃがいもと同じ 三拍子のそろい踏みでした













坂道 (その2 男坂・女坂)

2006年03月19日 | 坂道


                      湯島神社(天神)男坂



梅咲くや 湯島の社頭 春浅し  (高浜虚子)

湯島天満宮の境内から 東に位置する38段の急な石段坂です


そして こちらが女坂です




「御府内備考」に・・”男坂と申すは上るに急な坂なので男坂と唱え 女坂の方は

途中に足休みなどがあって ゆるやかな坂なので女坂と唱えるようになった”・・・

とありました


天神下一帯は戦災にも遭わず 古い家が昔のたたずまいを 今に残しています

                 
         
         


幼い頃の同級生 人間国宝の「一龍斎貞水」さんの居宅も近くにあります

2階が 講談道場になっています


今日の 天神様です



恒例の「梅祭り」も終わり 梅の花も散りはじめました




日取りがよかったのでしょうか



神殿で結婚式がおこなわれていました

見守る 人々です



2月~3月は受験シーズンです

絵馬がところ狭しと掲げられています



息子を思う 切ない母の心ですね


そういえば 思い出します

ここ 男坂は 私の中学時代の通学路でもありました

はるか彼方になった 高校受験

にわかに 蘇ってきましたよ

天神様 梅 受験 切っても切れないご縁がありますね



                   <そして・・・>



                   天神様近くの上野不忍池です

       受験・発表が終わったのか それらしい親子連れで賑わっていました

そして 3月6日に北海道を出発した日本縦断駅伝チームも 今日無事に鹿児島に到達しました

             4月から「石段の坂」を登るような 人生の始まりです

                 みんな 頑張れ!祈るオヤジでした





じ~じ思い?

2006年03月18日 | オヤジのつぶやき
17日は 孫の幼稚園の卒園式でした

風の強い日でしたが いい天気に恵まれました



近年 どこでも同じ現象でしょうか

父親の参加が 多くなったようです  我々のころからは考えられないことです

そのため式場の椅子は ひと家族で一脚という知らせがありました



私たちが到着したときは 既にこんな状況でした

座る場所がありません かなり早く行ったつもりでしたが・・



続々集る お父さん  みなさんビデオカメラを持ってます


園庭で待つことしばし・・・卒園児たちが出てきました

 

和服で正装の先生の後から ワイワイ ガヤガヤ・・

ニコニコ顔がつづきます

 

式場に入る前 先生から一言ありました

この先生は あとで涙を流して泣き出しました

いい光景でしたね

 

お! いました

孫のH君です

すっかり いっちょ前になってくれました

 

入園したときは 幼稚園を嫌がり よく泣いていた彼も 来月から小学生です

なんとか ここまで育ってくれました


卒園式も無事終了です


家に戻って 3年間の「記録集」を読むじじ・ばば

嬉しくなりましたね



質問・ 大人になったら なにになりたい?

150人近くの 卒園児のなかで「でんしゃのうんてんしゅ」と書いてくれたH君

ただひとりでした

私のころは まだまだあった「末は博士か 大臣か」

さすがに 書く子はいなくなりました

「でんしゃのうんてんしゅ」 嬉しいことを書いてくれた孫です 

お祝いを奮発してしまった じじ・ばばでした

マコトに 電車好きなじ~じ思いの孫です







                                                                     





風雲 神宮城!

2006年03月17日 | 広島東洋カープ
天気予報では 夜は風雨が強くなるという16日でした

ここ 神宮の森は いまにも雨が降り出しそうな 風の強い午後になりました



午後1時から プロ野球カープVSスワローズのオープン戦が始まります

昨年の 神宮観戦は2勝0敗でした

前田 ラロッカによる 2イニング連続満塁ホームランも記憶に新しい 縁起の

よい球場です

新生カープは オープン戦を 今日まで7勝2敗の好成績で乗り切ってきました

たとえ オープン戦とはいえ これは特筆すべき出来事です

畑を延期してでもと 秘かに待ち望んでいた試合でした


空は薄暗く 証明灯が 輝く球場です



可愛い カープファンのお出迎えを受けました  将来のカープのスラッガーで

しょうか

1歳半の男の子 お母さんと一緒の観戦です



ちなみに お父さんは「横浜ファン」とのこと  面白いものですね


なぜか 少ないヤクルトファンです  東京音頭も鳴りを潜めていました



太り気味の 3番 衣笠の雄姿です    ここでも前田が一番人気でした

彼は 名人芸の三遊間ヒットで 期待に応えていました



試合は 中盤の5回まで4-1でカープのリードです

森笠 木村 嶋選手たちが大活躍をしてくれました

黒田投手の出来も上々です

応援団もリラックス・ムードになってきました




昨年までカープの主力 ラロッカ選手が元の同僚の嶋と歓談(?)していました

                   やはり オープン戦の雰囲気ですね

            


これは 昨年まで見られなかった光景でした



試合が5回まで進んだときです

控えの15人の選手が全員飛び出してきて 軽い運動を始めました

これは ブラウン新監督の指導でしょうが チームワークの良さが窺いしれる

いい風景でした


8回になったとき 突然の風と強い雨



『風雲 神宮城』は6分の試合中断です

最後は 多少のハラハラはありましたが 4-3でカープの勝利!

天気は 悪くもした いい試合でした

これで 勝率8割です

31日は 開幕戦・・

チロリアンランプさんの ドラが相手のシーズン開始です

                  

           最後の優勝から15年目 そろそろワクワクさせてほしいカープです