酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

”冷やかし”は ここから始まった

2017年09月24日 | 江戸検定
冷やかす 冷やかしの客なんて言葉がありますね

店に入ってきても なにも買わずに無駄口なんぞを吐くだけ・・・

江戸時代から使われていたこの言葉

ちゃんとした語源がありました



浅草日本堤(にほんづつみ)です 別名吉原土手

江戸を洪水から守るために 德川幕府が築いた土手の名残です

タモリさんが喜びそうな土手の跡です

手前の 右から左に抜ける道路は暗渠になっていて 昔は川でした

橋が架かっていました

その橋の名称が・・・・



「紙 洗 橋」  紙を洗う橋

江戸時代の紙すき職人が 紙の原料を冷水につけておく間に

時間つぶしに 近くの吉原の遊郭にでかけました

といっても 店に入るわけでもなく ただ 遊女たちを見て歩くだけ

そこから 買う気もないのに店で値段をきいたりする

これが 冷やかし語源の由来 語源でした



スカイツリーが見つめるこの界隈



あしたのジョーのふるさと



いろは商店街がありますが・・・



ほとんどがシャッターを下ろしていました

残念!


復活が望まれます

”明治維新という過ち”

2015年10月25日 | 江戸検定
今年も残すところ2か月余り・・・

師走も間近になりました


術後の体調も順調で 日常生活に支障はありません

ただし 驚いていることがただひとつ

それは 流れる時間の速さです

いままでの生涯のなかで この2か月の経過の速かったこと!

まさに あっという間の9月・10月でした


ボランティア 自転車 散歩 友人たちとの交流

自分なりに充実した毎日を送っています

そして欠かせないのが読書です

先日 歴史好きの友人から薦められたのがこの本でした ↓



「明治維新そのものを丸ごと否定」(立花隆氏)

「維新の歴史が悉く覆される爽快感」(斉藤美奈子氏)

「福沢諭吉が西郷隆盛を評価、とは面白い」(池田信夫氏)

ー”明治維新こそが近代を開き 明治維新がなければ我が国は植民地にされていた”という

日本近代史の大前提を敢然と否定する衝撃の維新論ー

一気に読んでしまいました


今回は江戸検定ならぬ「明治検定」になりました  面白い本に出会うと 一日の時間がますます短くなります

癌の転移を防ぐ抗がん剤治療を受けますが 数冊の本持参なのであっという間の退院でしょう

大関ヶ原展  江戸東京博物館

2015年04月23日 | 江戸検定


JR総武線 その昔 SLが発着していた両国駅の旧ホームを望みながらの「江戸・東京博物館」です

この古いホームは 小学生時代に夏の臨海学校で内房の上総湊へ行ったときに利用したホームです

あれから60有余年 よくぞ残してくれたものです

感慨深い眺めでした

この日 友人のS君と出かけたのは博物館で開催中の「大関ヶ原展」でした



歴史好きなふたりです

以前から 待ちに待った歴史展の開催でした

両国駅で待ち合わせ 海鮮丼(800円也)を食してからの入館になりました

入場料は通常1350円のところ 65歳以上割引680円です  これは有難い  流石は都立!


館内は平日といっても かなりの混雑でした

これは予想してた通りでしたが 若い人 それも女性が多かったのにはちょっと驚きです

なるほど 世にいう”歴女”は確かに増幅傾向にありますね 納得です

若い人たちが歴史に興味をもってくれることは大歓迎です

歴史から 多くのことを学んでください

ついでに 昭和史にも関心を! 特に戦前 昭和の10年代! なにかを学べるはずです


ふたりで館内を巡ること数十分  何百点もある展示物の中で一番お目に掛かりたかったお宝に遭遇することができました



     左は大谷吉継の短刀です     そして右は島左近の兜と肖像画です

どちらの武将もこの戦いで敗れた西軍の勇者であり かつ石田三成が最も信頼していた友人と部下でした

家康側の調略により 寝返り 裏切り行為が多発した関ヶ原の合戦です

このふたりの武将たち 戦前からほとんど味方の敗北を察知していた節があります

それでも最後まで 親友・主君と運命を共にしました

そこに 人間の美学を感じるのでしょう 陳列台の前は歴女たちと一緒にオジさん・オバさんたちで大混雑!  

やっと最前列に出られた我々も 感慨深く鑑賞することができました


関ヶ原には二度訪れています

一度は徒歩で戦場を巡り 二度目はレンタサイクルでした

二度とも坂を登った先にあった大谷吉継のお墓 墓前の花が絶えたことがないそうです

現代に生きる我々にも なにか訴えるものがある大谷吉継の人生なのでしょう


そして島左近 「三成に過ぎたるものがふたつあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた島左近ですが

通説では関ヶ原で戦死したとされています

吉継のような墓のない左近ですが 400年後 小説世界では見事に蘇りましたよ

かの歴史小説作家 隆 慶一郎の大長編小説「影武者 川家康」です

これほど面白い時代小説もないのでは?  島左近が痛快な大暴れ!

それも 歴史を無視した荒唐無稽な物語でなく 史実を背景にしての活躍です

本屋大賞ならぬ オジさん大賞を進呈しましょうか

泉下の左近も「よくわかってくれた ありがとう・・・」

豪快に笑い飛ばしているかもしれない傑作です


S君と楽しんだ大関ヶ原展でした これから京都・福岡での開催が計画されています

お近くの方々は是非ご観覧を! 1600年9月15日にタイムスリップ 夢見心地の時間になること 請け合います

いつの時代も 歴史はロマンです


それにしても この関ヶ原合戦 もしも西軍が勝利していたら?

今の日本はどのような国になっていたでしょうね?

コツ通りの ご紹介

2015年02月04日 | 江戸検定
日光街道スサノウ神社からJR南千住駅にかけての通り

その名を「コツ通り商店会」といいます

いまでこそコツ通りですが 昔はたしか骨通りと称していました



なぜか?

理由はどうもこちらにあるようです



商店会近くにある延命寺の首切り地蔵です



江戸時代 南の処刑場は東海道の鈴ケ森 (品川区)

そして 北の処刑場はここ延命寺のある小塚原(荒川区)でした

どちらの刑場にも 近くに同じ地名「泪橋」(なみだばし)が今も残っています

受刑者と親近者が 泣きながら最後の別れを惜しんだ場所なのでしょう

吉田松陰も ここで首を刎ねられています


そこで 骨通りですが 多くの罪人が処刑されたため 明治維新後もこのあたりは地面をちょっと掘ると

やたらに人骨が出現した

それが理由の骨通り命名のようです(諸説あるようですが)

戦後 これでは露骨(あ 骨ですね)すぎる

さりとて 全て変えるには忍び難し

賢い長老がいたのでしょうか

カタカナ文字でコツ通りとなりました

以来 トンコツを売る精肉店をはじめ 商店会が存続しています



今回久しぶりに訪問したコツ通り商店会でしたが 

なんともユニークな名称をもって開業してたのが・・・



治療効果抜群と思わせる整骨院です コツ骨ですからね

日本史の謎は地形で解ける 第3弾!

2014年12月16日 | 江戸検定


地形で解ける日本史の謎第3弾は 環境・民族編でした

前2冊と同様 ゆっくりゆっくり読みました

速読ではもったいない もったいない

おいしい料理と同じです じっくり味わいながら読み進みました

今回も 目からウロコの落下が幾たびぞ・・でした


ところで 著者の竹村公太郎氏がこのシリーズの中で 頻繁に引用するのが

歌川広重の「名所江戸百景」と「東海道五十三次」です

一見 なんの意味もなさそうな景色から あるときは江戸市民に水を供給した水源

江戸市中にあったダムを発見したり 荒川を下る筏の画からエネルギー源であった木材の枯渇を推理しています

そのため 読者としてはごく自然に広重の画の世界に馴染んでいきます


この日は 長野から友人が出てきました

仲間四人と上野広小路の居酒屋で昼間からの忘年会でした

早めに出かけたのが上野のお山 

西郷さんの銅像の背中の方角にあるのが 上野清水堂です



その清水堂を不忍池から眺めると・・・



松の枝が輪になったのを「月の松」と呼んで江戸っ子たちが奇景として楽しみました



広重の描いた月の松は 明治初期の火災で失われましたが 約150年ぶりに復活しました



気分はまさに江戸時代に没入です

竹村公太郎氏の著書と広重の浮世絵 合わせて読み進む贅沢な読書になりました


ちなみに 第3弾の内容の一部ですが

なぜ世界一の「リサイクル都市」江戸は崩壊したか  なぜ日本列島は「生きたリン鉱脈」の宝庫なのか

なぜ勝海舟は「治水と堤防」で明治新政府に怒ったか

なぜ江戸時代には車の動力が「人間」に退化したか なぜ京都が日本の「線路誕生の地」となったか


全18章 すべてワクワクするテーマーに満ちています

年末のあわただしい日々のいっとき 好奇心が大満足の清涼剤になることを請負いますよ

歴史 こういう見解もあったのか! (2)

2014年07月14日 | 江戸検定
前作は 大変興味深く読み 目からウロコの一冊になりました

日本の歴史を 地形・気候で読み解く 全く新しい論理的思考に驚嘆したものです

その竹村氏の第二弾! 立ち寄った八重洲ブックセンターで発見!

早速 購入して一気に読み終わりました



今回の著書は 日本の文化・文明に言及しています

  ① なぜ日本は欧米列国の植民地にならなっかたか

  ② 日本人の平均寿命をV字回復させたのは誰か (大正10年の謎)

  ③ なぜ江戸は世界最大の都市になれたか 1~3

      川幕府が制定したシステムは現在の東京にも継承されていた

  ④ 貧しい横浜村がなぜ近代日本の表玄関になれたか

 
  ⑤ 「弥生時代のない」北海道で いかにして稲作が可能になったか

  ⑥ 上野の西郷隆盛像はなぜ「あの場所」に建てられたか

  ⑦ 小型化が日本人の得意技になったのはなぜか

  ⑧ 日本の将棋はなぜ「持ち駒」を使えるようになったか

  ⑨ なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか

  ⑩ なぜ日本人は「もったいない」と思うか


以上の魅力的なテーマを著者独特の専門知識と 思考で解明していきます

前作同様 脳にいい刺激を与えてくれました


番外編の「ピラミッドはなぜ建設されたか」  これも面白い説でした

ある国際会議で 著者が自説を披露したところ エジプトのカイロ大学の教授が

「今まで多くのピラミッド論を聞いてきたが 今日 初めてピラミッド建設の合理的な説明を聞いた」

教授の感想を聞いて 著者竹村氏はホッとしたと同時に 喜びが湧いてきたと述べています


台風一過の夏の蒸し暑い日



西郷隆盛所縁の上野公園のベンチで 一気に読み終えました

帰路の電動アシスト自転車オジ3号は さらに軽快に疾走してくれました

無事 我が家にトーチャコ!


頭を適当にかき混ぜてくれる お薦めの本です

歴史 こういう見解もあったのか!

2014年01月05日 | 江戸検定


目からウロコの一冊です

① 関ヶ原勝利後 なぜ家康はすぐ江戸へ戻ったか

② なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか

③ なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか

④ 元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か

⑤ 半蔵門は本当に裏門だったのか

⑥ 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか  ※ ほかに赤穂浪士関係のなぜが二項目あります ※

この他にも全18章に及ぶ「なぜ」を心躍らせて一気に読んでしまいました


「地形」を見直すと まったく新しい歴史が見えてくる!

作者の竹村公太郎氏は 大学を卒業すると建設省のダム現場に配属されました

以来 各地のダム現場にかかわってきてます

その転勤生活で 全国各地の地形・気象の多様性に驚かされたといいます

そして氏の興味は歴史へと!


「従来の常識を覆すようなことを データで裏づけしながらやってくれる

だから面白いし納得できる (養老孟司氏 評)

「ほとんど人がつくり上げた日本の国土 だったら日本史も国土を読めば解ける (荒俣宏氏 評)


読者としても同感! 納得させられました


興味深かったのは「なぜ京都が都になったか」

「二つの遷都はなぜ行われたか」

暗記するほど読みふけってしまいました


2日にテレビ放映された「影武者川家康」は 故・隆慶一郎の渾身の時代小説が原作 

家康は関ヶ原で刺殺され 後の家康は替え玉だった!?

ちょっと視点の角度を変えると全く違った世界に変貌するのが歴史です

お屠蘇を飲みながら 歴史のifに想いを馳せるのも一興でしょう

歴史好きの方にはもちろん そうでない方にもお薦めしたい本ですよ

"江戸城"の 怪!

2007年02月26日 | 江戸検定
11月3日に受験した江戸検定試験  なんとか3級の資格を取得できました

試験の帰りにもらったのが 「江戸城展」の無料入場券でした  高かった受験料の おまけでしょうか

すっかり 忘れていましたよ

それを ひょんなことから思い出し やってきました両国へ。。 



平日というのに かなりの混雑でした  ここにもシニアの大量発生現象が見受けられました

かくいう私も 立派なシニア それも親玉クラスの貫禄が身についてきました 

いかにも 「さきほど定年しました よろしくね」族とは一線を画していますね~



ピンボケになってしまいましたが お江戸グッツの売店ですよ  

現役時代のラッシュアワーを彷彿させる大混雑

みなさん 人にぶつっかたりしないで スイスイ泳ぐように進みます  買います 流石です


ここが混んでいるには 理由がありました  (以下 シニア親玉 おじさんの推理です)


理由①

会場は なんと メモを取ることが禁止されていました  (なぜでしょうね)

ましてや カメラはご法度です  フラッシュを使わなくても。。です

* そのため 売店で参考書などを”メモ代わり”に求めるのでしょうね *


理由②

我々シニア族は 別名”自慢族”とも言われています (言われてないか。。)

帰ってから お土産を証拠に仲間へ自慢 威張りたいのでしょう(笑) (どうだ! 行ってきたぞ!)

以上が 売店の混雑していた 正当な理由でございます (かなり 理論的ですね


「わたし シニア初心者です」 「先ほど定年しました」 族の面々は いたって真面目でした

用意してきたメモ カメラを構えようものなら 「あんた!」

警備員より イヤ鬼よりコワイ カミさんに睨まれます

そこで。。です  



この日 一番の「渋滞」をしていた展示品  そうです 秀吉時代の”天正大判金”です

腰溜めにした カメラでの決死の撮影でした

渋滞シニアに 見つめられ過ぎて 穴があいた金貨 (笑)

こちらは。。



明暦の大火で 消失してから再建されることのなかった 江戸城天守閣です

こちらは 撮影してる人がいましたね

レプリカには 寛大なのでしょう


そして。。



やはり 腰溜め撮影のためピントがハッキリしませんが お菓子です

キンツバなど 実にうまそうでした  しかし 撮影の限界はここまで。。


ことほどさように 撮影はまだしも メモまで禁止!

これを 江戸城の怪!と言わずになんとしょう!

シニアは 老人力はあっても 記憶力は抜群に○○イのです

次回は なんとかしていただきたいものです  私は おまけでタダでしたが 本来は1300円ですからね  入場料


ちなみに メモなしでも憶えてきたものが ひとつだけ。。。

徳川歴代将軍と 諸大名とのコミュニケーション  これは面白かったですね


一般大名には「それへ。。」のひとこと  イヤ三言です  みごとにミコト 

山内・島津家など 大藩の大名には 「息災そふに見えて 一段な。。」

だったそうです  十五文字! それでも三言の5倍ですが 会話は弾まなかったでしょうね(笑)


< というわけで 写真が少なかったので おまけです >



昨日 マダムと出かけた畑でした  満開の梅が 華やかに迎えてくれました

江戸城の魅力にも負けない 愛すべき「渋い家」は健在でした!


















号外!

2006年12月17日 | 江戸検定
尾張から帰ってきました

信じられないほどの「びっくり」を体験できた研修会です

詳細はのちほどご報告させていただきます


家で待っていたのは マダムだけではありませんでした

認定証とバッチでした



実に 何年振りかの試験でした

参級試験に合格しました   

この歳になると 学校の入試結果よりも嬉しいものです


マイぐい呑み 認定証 そしてバッチ

三役揃い踏みです

飲み会での「うんちく披露」が楽しみです

ただし くどくなって嫌がられないように。。

みなさまの暖かいご支援に感謝しています




江戸検定  その1

2006年11月24日 | 江戸検定
今日は 頭の体操です

先日受けた「江戸検定試験」からの問題を再掲しました

気楽にお試しください


1 江戸時代の大道芸人「手妻使い」とは 今でいうとどんな芸人でしょう?

  い)コミックバンド ろ)ものまね芸人 は)マジシャン に)人形遣い


2  日本初の百貨店として知られる三越百貨店の前身であり、「現銀(金)掛け値無し」の商法によって江戸最大の呉服屋となった店はどれでしょう?

  い)長崎屋 ろ)近江屋 は)三河屋 に)越後屋

3 幕府が管理した御公儀橋の中でも、格式の高い日本橋などには、橋の欄干の柱頭などに飾りつけがつけられていました。この飾りをなんと呼ぶでしょう

  い)葱坊主 ろ)松飾り は)擬宝珠(ぎぼし) に)鳳凰

4 天和2年(1682)12月の火事で避難先の寺小姓と恋仲になり、再びその寺小姓に会いたい一心で放火し、犯人として処刑されたとされる女性は誰でしょう?

  い)魚屋お六 ろ)八百屋お七 は)薬屋お八 に)居酒屋お千

5 江戸時代、三都と通称された都市は、江戸と京と、どこでしょう

  い)長崎 ろ)奈良 は)大坂 に)神戸

6 戊辰戦争で会津藩は官軍に徹底抗戦しますが、飯盛山の戦いで有名な16~17歳の若者を隊士とする部隊の名前は何でしょう?

  い)少年隊 ろ)彰義隊 は)青竜隊 に)白虎隊

7 延宝元年(1673)岩国藩主・吉川広嘉の命により、中国の名勝地・西湖に架かる橋をモデルに造られた木造5連の美しいアーチ橋で、日本三大名橋のひとつとされるのは、どれでしょう

  い)通天閣 ろ)錦帯橋 は)三条大橋 に)一ツ橋

8 江戸時代中期、長崎での中国・オランダとの貿易を通じ、日本がもっとも大量に輸入していたものは何でしょう?

  い)貴金属製品 ろ)香辛料 は)生糸 に)医学・科学書

9 江戸城の天守は、ある大火で焼失した後は、再建されませんでした。その大火はどれでしょう?

  い)明暦の大火 ろ)天和の大火 は)目黒行人坂の大火 に)丙寅の大火

10 元禄15年(1702)赤穂浪士による吉良上野介邸への討ち入り事件が起こりました 吉良邸があったのはどこでしょう?

  い)三番町 ろ)本所 は)新橋 に)小石川


いかがでしたか?

答えは 吉良邸の跡地の写真の後に掲載されています






平日でも 訪れる方々が多い記念公園です



それでは 答えです

1は(は)  2は(に)  3は(は)  4は(ろ)  5は(は)

6は(に)  7は(ろ)  8は(は)  9は(い)  10は(ろ)

以上でした  また 折をみて「その2」を掲載します