酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

荒川放水路物語

2015年08月26日 | 隅田川
興味深い本を読みました

絹田幸恵著「荒川放水路物語」です

著者は 足立区の小学校の教諭でした



学校の近くを流れる荒川放水路 人工の川です

子どもたちは この大きな川が人間の手で掘られたと聞いてびっくり仰天

これが契機になって本の執筆にとりかかった著者でした


私にとっても荒川放水路は身近な川です

小学校時代の遊び場でした

夏は西新井橋の下で水泳 ボート遊び 土手でバッタをとったり餅草を摘んだり・・

自然の恵みを満悦させてもらいました

あまりにも身近な存在であった放水路です



埼玉県川口市から東京湾までの24キロ

川幅455米~582米

放水路の開削前 1302戸 2500名を超える住民が生活をしていたのです


東京・埼玉が明治40年 同43年と続いて大洪水に見舞われたのが放水路計画の契機になりました

現在の隅田川 当時の名称荒川がその名のとおり大荒れしたのです

荒川に人工河川放水路を! 水量を分派する


大正2年から土地の買収と移転の相談が始まります

3か月で目標の8割5分の契約を結んだといいます



最後まで移転を拒んだ人たちがいましたが 最後は裁判で決着 泣く泣く移転していったそうです

土地の買収価格は坪1円が平均価格で 安いところでは90銭の提示もありました

土地買収費については悲劇も生まれています

10万円近くの保障を受けた大地主さん

いろいろな人が寄ってきて 投資 新規事業等を薦められいいなりに・・・ほとんど無一文になったといいます

また 買収金を銀行に預けていたら その銀行が倒産!

通帳を眺めては「この金があったなら・・」


東京都北区 埼玉県川口市に架かる東北本線の鉄橋から開削が始まったのが明治44年

東京湾までの24キロ 完成は昭和5年でした 19年の長き期間です

総工費は2945万円 当時の軍艦一隻の建造費3200万円に匹敵しています

これで 隅田川に流れる水量の4分の3を荒川放水路が担いました

以降 隅田川の大洪水被害は皆無になりました

これも 住み慣れた愛着もある故郷から立ち退いていった2500名の方々のお蔭です

ちなみに 我が家の親戚のj・tさん 後に足立区の議長を務めました 早期に立ち退きに応じて子孫は現在地に居住しています



自転車で出かけた放水路河川敷です

高速道路下の日陰に寝そべり いまは水底に沈んだ小学校 民家など100年前の下町風景に想いを馳せるオヤジな私でございました

花火 神宮・隅田川

2015年07月27日 | 隅田川


7月24日の神宮球場です

試合はヤクルト中日でした

なんでだろう~なんでだろ~ カープ戦でないのに

答えは簡単 絶大なヤクルトファンwakasamaさんのお誘いでした

信州からの日帰り観戦 その意欲に負けての観戦同行になりました

試合はヤクルトの快勝



神宮の森に祝砲の花火が舞い上がりました

ご満悦のwakasamaさんは 22時10分発の最終の新幹線でご帰還でした

ヤクルト 昨夜までの7連勝のキッカケともなったこの試合でしたね

明日からのカープ戦が楽しみです


そして明けて25日 隅田川花火大会でした



花火打ち上げ30分前の 本所吾妻橋ハウジングギャラリー広場です

住宅展示場での花火見物に招待されました

現在の我が家と最近新築した建物は 耐震・耐火構造で名を上げた○化成が施工業者です

会社の営業担当者からの招待でした

この日 前触れもなく突然遊びにきた高1の孫も急遽の参加

                  

職人さんが握る寿司 お酒のつまみ ハンバーグ ビール お酒 ジュース等々

最高のおもてなしを受けました

そして展示家屋の4階から屋上へ 打ち上げ開始を待ちました





間近のスカイツリー 展望台は鈴なりの人出でしょう



お母さんと一緒にきていた坊やが「たまや~」







右下の灯りは東武電車です

電車は全て徐行運転してましたが この電車は完全に停止してましたね

サービスでしょうか


午後7時からはじまった花火は合計2万発 8時半に終了しました

90万人が集まった真夏の祭典は終わりました

郊外に住んでいる孫 毎年テレビで観ているそうですが 今回の実物の迫力に仰天してました

下町っ子入門コースの入口に立ったようです


交通規制が厳しく 帰路はかなりの大回り

じじばばクタクタの隅田川花火大会でございました

でも楽しかったです 森と川の花火 2日続けての贅沢な見物になりました

孫と出かけた 浅草 三社祭

2015年05月27日 | 隅田川


今年の浅草三社祭です



前日 孫娘から連絡があって 急遽 研修の合間をみての祭り見物となりました

彼女は大学2年生 薬学部はとにかく忙しいらしい

土曜・日曜も研究や実験のため 学校へ行っているようです

そのため アルバイトの暇がない

従って 財布の中はいつもカラッケツ

そこで 財布の中身充当は”じじ ばば”のお役目となります

これは嬉しいお役目で じじばば馬鹿振りを大いに発揮しています



スカイツリーに向かって手を上げる担ぎ手の面々

展望台から景色を楽しんでいた観光客にも素敵な贈り物になりました


いつもなら ここまで歩いて汗をかいた後は「高橋」にはせ参じてホッピーで喉を潤します

孫娘は来月末の誕生日までは未成年

本人の希望で 甘い団子に付き合うことになりました

 

隅田公園手前にある「言問団子」(ことといだんご)です

江戸時代からの老舗の店で TBSアナウンサー外山恵理さんの実家でもあります

江戸の風味を楽しみ 熱い渋いお茶で気分はすっかり江戸人でした



こちらは長命寺の”桜餅”

塩漬けの桜の葉につつまれた白い餅 言問団子と微妙に異なった甘さです

留守部隊の御土産として買い求めました


三社祭も終わって いよいよ初夏です

昨日 気温30度を超えた東京です

猛暑対策 今年も油断なく!




浅草神社 なにを占うのか 孫娘でした


復活! 戦前の五色桜

2015年02月14日 | 隅田川


遠くにスカイツリーを望む荒川土手

若い桜の木が根付いてきました

実はこの桜の若木 明治から戦前まで「荒川の五色桜」として有名だった桜並木の復活を目指して植樹されたものです

最盛期は 3000本以上が6キロにわたって咲き誇っていました



1912年には この桜の苗木が東京市からワシントンに贈られ いまもポトマック公園の名所になっています

足立区では この伝統のある桜並木を再現させようと90年代に整備事業に着手



           ( おじいちゃんから孫への贈りもの )

1本につき3万円の寄付によって 名前・メッセージ入りのプレートが取り付けられた桜の木



見頃になるには 20年ほどかかるといいます

5年後の東京オリンピックどころではありません

歴史に立ち会う五色桜は諦めか


ところが ところがですよ

昨日の朝刊でしたが なんともまぁ・・・



墨田区在住のGさん 明治36年生まれの111歳!(ご長男 87歳)

ご自身の人生と作品を紹介された本を出版されました


素晴らしいこの先輩からのお裾分け 著書に記された健康の秘訣などを学べば 五色桜観覧 もしやもしや?

愉快な 芭蕉論争

2015年01月23日 | 隅田川
芭蕉が舟を降りた千住は 大川の(現 隅田川)どちら側の岸だったか?

奥の細道の出発地点はどちらの岸辺から?

いま 隅田川を挟んでAR区とAD区で愉快な論争が勃発しています

最近 森本毅郎さんのTV番組で紹介され 改めて両区の間で舌戦が再燃しました



AR区側の天王神社には 千住大橋の模型と芭蕉の編笠 矢立はじめの碑も建ててアピール

かたや AD区では・・・



千住大橋の脇に石碑 そして芭蕉・曽良の全日程の表示板を作成

大PR作戦を展開しています


ところで AD区在住のT君はもちろんAD派

千住宿場跡の残る北千住 つまり大川右岸こそ芭蕉・曽良出立の地として譲りません

彼は 行政に働きかけて 石碑をたてた団体のボスです

かたや我が陣営のAR区派

ふたりが 命を賭けての長旅に望んでの出立が 江戸でないはずがない

当時は 千住大橋を渡れば もはや江戸ではなかった

別れを惜しむ見送り人たちとの別れは江戸でしょう

さらには 当時の大川を行きかう舟は左側通行だった(これは さすがに怪しい説ですが)

TV番組では AR区は区長さんまでが応援に参加してました

AD区はなぜか学芸員さん

応援合戦ではAR区に分があるようですが 今後の展開やいかに・・



AR区主催の「奥の細道・旅立ち展」です

昨年12月で終了の予定でしたが 期間延長

2月から3月末まで再開することになりました


名古屋方面では[桶狭間論争] やはりふたつの市が愉快な戦場跡論争を繰り広げています

東京では芭蕉と曽良 名古屋では信長と今川義元がびっくりしてることでしょう

江戸を守った日本堤

2014年10月08日 | 隅田川


台風18号一過 隅田川左岸(右側)の光景です

浅草桜橋から遠く白髭橋を望む箇所からの撮影です

夏の花火大会で賑わった場所ですが 

秋になって人も疎らになりました



見上げれば首都高速道路で 東北道・常磐道に繋がっています


実はこの隅田川の左岸堤防 かの明暦の大火以降 川幕府によって改めて整備されました

江戸の「都市計画」ですね

この事業で いよいよ下総の国が江戸に編入 武家屋敷・町屋が建ち並びました


大川(隅田川)の氾濫 洪水を防ぐためのインフラはここ墨堤だけではありません

右岸には 全国の大名に命じて 浅草から三ノ輪まで高さ3米・幅8米の土堤を築きました

いまも 地名に残る「日本堤」です (全国の大名に普請を命じたので日本堤)

その痕跡がこちらです ↓





これで江戸市中は 大川の洪水の危険から守られ 世界一の100万人都市に発展していきました


信長・秀吉に比べて なにかと人気度の低い家康ですが現在の東京の基礎つくりをした貢献を忘れてはなりませんね

暴れる利根川を江戸湾から 銚子に移す (利根川東遷事業)

歴史小説には顕われない家康の功績です


以来 明治・大正・昭和と続いた河川管理のお蔭で今回の大型台風18号の被害がありませんでした

ただし江戸時代 我が住居地域は「日本堤」から離れた湿地帯の農村でした 

荒川(大川)の氾濫・洪水は日常茶飯事で 農作物に多大な被害を与えたようです


それも今では昔の話・・・



日本堤(土手)の近くで明治22年に開業した老舗の天丼屋「土手の伊勢屋」です

時折 出かけています

丼の蓋からはみ出すアナゴ エビ カキ揚げ  

ご先祖様に成り代わって 当時の思いを込め舌鼓を打っています

墨堤・日本堤 土手の伊勢屋 いまでも江戸の香りを漂わせていました 

テレビ東京の頑張り!

2014年07月29日 | 隅田川
首都圏の民放テレビ局で ラストに開局したのが現在の「テレビ東京」です

以前は「東京12チャンネルテレビ」と称していました

この12チャンネル 当初は視聴率が最低といっていいほどの悪戦苦闘

経営も青息吐息だったのではないでしょうか


しかし よく頑張ってここまできたと今では賞賛したい気分です

かの局は 制作資金が不足ならアイディア勝負とばかりに ヒット作を連発しました

時代も味方したようです

世は高齢化社会の到来でした

その最たる番組が「隅田川花火大会実況中継」です

まだ若かった我々夫婦も「花火をテレビで? てやんでー・べらぼーめー!

なに考えてんだ 花火は現場で見るのが江戸っ子で~~!」

馬鹿にしてたもんです


それが寄る年波で 出かけるのが次第に億劫になってきました



いまでは陽の高いうちに”現場視察” 午後7時からの本番は 高橋英樹さん司会の実況中継に頼っています

缶ビールで「たまや~~ かぎや~~」

今年も 2万発の花火の打ち上げ

デジタル化でより鮮明になった画面を楽しみました


そういえば「なんでも鑑定団」「路線バスの旅」「アド街ック天国」「高田純次の年金生活」

高齢者が喜びそうな番組が並びますね





諦めないで頑張ってきたテレビ東京です

これからも”華”を咲かせ続けてほしいものです

(上野 不忍池)

三丁目の夕日Ⅱ世 誕生!

2012年05月23日 | 隅田川
                        

                   
                           5月22日 スカイツリー・グランドオープン!

前日の金冠日食の天候と異なり あいにくの雨になりました

展望台から上は 厚い雲に覆われています

それでも 倍率300以上で見事当選した来場者のみなさんには 生涯のいい思い出になったことでしょう


そして 50年もたったなら「三丁目の夕日」の”ツリー版” 平成時代を描く懐かしい映画としての物語を紡ぎだすかもしれません

そのときの主演者はじめ 登場人物・監督はいまいずこ?

六ちゃん役だった堀北さんは その作品では おばあちゃん役かもしれませんね


                 

                           同じ日 静かな佇まいの銀座通り

                        マダムの絵画教室通い アッシー役の亭主でした


                          スカイツリー 空いてから〝登り”ます




新旧 下町のシンボル リレー

2012年04月25日 | 隅田川
スカイツリーの公開もあと1か月になりました

東京タワーから引き継いで 新たな 東京のシンボルになることでしょう


夏を思わせる気温となったこの日

家にいるのはもったいない 思わず 自転車で飛び出しました



尾竹橋です 足立区と荒川区を跨いだ隅田川に架かっています

♪ 春も うららな 隅田川 ♪  のどかな光景ですね~



建物の前に 若い人たちが集まっています

学生さんです



建物は帝京科学大学のキャンパスでした

入口の大きな輪のモニュメントがあります これはいったいなにを顕しているのでしょうか

そうなんです これぞ今日の主役 煙突です



昭和39年まで稼働していた千住火力発電所 通称「お化け煙突」の”輪切り”なんですね

四本の煙突が 菱形に配置されていたため 煙突を見る場所によって一本から四本に見える

ニックネームのお化けの種明かしです





当時 お化け煙突は下町のどの位置からも見ることができました

下町のシンボル的存在でしたね

映画にもなりました (煙突の見える場所)



当時からは想像もできないスマートな風景に変わりましたが・・



同じ地点からの撮影です (昭和28年 中学生時代の二眼レフで撮影)

荷車と自転車がなんともレトロ これぞ昭和20年代の象徴です

そして 変化したのはお化け煙突だけではありませんでした



こちらは都立尾久の原公園です

化学工場旭電化の跡地に造成されました


思えば先の大戦で 本土の初空襲を実行した(昭和17年4月18日)米空軍ドーリットル爆撃機隊の一機が来襲 工場に爆弾を投下

近隣住民にも死傷者がでて 全国に大きな衝撃を与えました

その事実も徐々に風化され この日も親子連れが楽しそうに遊んでいました


そしてここでもスカイツリー

お化け煙突からバトンタッチされた下町のシンボルです

どうやら下町では 東京タワーからの引き継ぎでなく お化け煙突からの襷の受け渡しを受けた感覚が濃厚ですね

”本数が変わらない”新しい象徴の風景にも次第に慣れてきたようです


パワースポット IN 浅草

2012年02月25日 | 隅田川
この日 Wさんとの浅草での待ち合わせは午後3時でした

その2時間前 ひとりで訪れました

最近有名になってきた奥浅草の新名所 パワースポットです



その名も「今戸神社」です

宮司さんをテレビで拝見したことがあります 女性です 美人です 

たしか 腹話術を特技とされてたような・・・



参拝客は圧倒的に女性が多いですね  それも若い女性たちです

その理由はこちら↓にありました



の猫の下に並べられた絵馬です

入試合格祈願絵馬と違って なにやら丸い形をしてますね

そうなんです



今戸神社は 縁結びの神様だったのですね~

平日にもかかわらず 大勢の女性たちが訪れていました

遠く北海道・九州あたりからも上京するようです

ちょっと地味な感じがしていた今戸神社

いまや 未婚女性たちに広まってきたパワースポットの中心地として輝きを増してきました


そして オジさんオバさんたちのパワースポット 元気の源はこちらです



そうです お馴染みの浅草演芸ホールです



昭和の名人のひとり かの円楽さんの師匠でもあった三遊亭円生の名跡を狙う円丈師匠

昭和39年のデビュー以来 新作落語にかけてきた話芸は磨きがかかり まさに名人芸です

親爺三平の芸風を踏襲した息子の三平 昭和のいるこいるの「ご返事漫才」

連れのWさん共々大笑いのパワーを貰ってきました

若い女性は今戸神社で 若くない男女は演芸ホールへ!

浅草のパワースポットで それぞれのハードルを乗り越えていきましょうか




       スカイツリーを背景に 隅田川を渡る日光行きの東武特急電車です