酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

桜の季節の カイマナヒラ ♪

2013年03月30日 | オヤジのつぶやき
これまで いくつかご紹介してきたマダムの趣味

今回は何回目になるのでしょうか

とにかく 趣味の多いお方です

また始まりました

ここでのご紹介は習い始めて3年目になるウクレレ♪

グループ初の発表会です



下町の生涯学習センターホールで開催されたスプリング・コンサートでした

カイマナヒラに始まり 五番街のマリー ブルーハワイ

家での特訓が実ったようです


七組のチームがこぞって競演

会場の雰囲気は 春からいっぺんに常夏ハワイに変わりました



のどかでゆったりしたウクレレの調べに乗って 桜の花びらがフラのように舞い降ります


膝の故障で 続けていたフラダンスを断念したマダム

新たな挑戦が始まったようです

この粘り強さ 負けてはおられません オヤジもますぜ!


ボランティア活動のための研修が始まりました

3月の日曜日 二題

2013年03月27日 | コミュニケーション
3月17日 快晴の日曜日

靖国神社の桜開花のこの日 おじさん三人組が銀座に出没

歩行者天国を満悦しました



              (銀座四丁目交差点)

一丁目から新橋方面に向かってゆっくり歩きました

やはり銀座はおとなの街

渋谷・新宿・池袋・上野とは違った落ち着いた雰囲気を満悦しました

ところが この三人組

行きつくところは 落ち着きでなく喧騒求めてのビアホール

いそいそと「ライオン」の”門”をくぐりました


時間も午後2時 店内は満員の盛況

気温の高さが冷えたビールを呼んだのでしょう

家族連れ カップル 友人同士 なかでも多かったのがオジさん族

かくいう我々三人も ホールの雰囲気に溶け込み大ジョッキのお代わりも何杯か?

すっかり出来上がっていきました


割り勘の勘定済んで外に出たほろ酔いオジさん三人に声をかけてきたのが青年でした

ライオンの呼び込みボーイさんです

肩にかけてたカメラが目に入ったのでしょう

「お揃いの写真撮りましょうか」

「お 頼もうかな~」

「スマートに撮りますよ」

青年 地面近くにカメラを構えましたね

「それでスマートに?」

「お任せください」

出来たのがこちらです ↓



撮影直後 カメラの液晶画面を覗いたときは三人が一斉に

「お~ スマートだ」


やはり酔ってたんでしょうね~~

あとから見れれば 池中玄太80キロ三人の揃い踏み!


ま ライオン青年のひとことで いい気持ちにさせてもらいました

やはり 出会いの善し悪しは言葉遣いひとつですね~~これもコミュニケーション

以前より増してライオンファンになりました


そして 月日は移り桜満開の24日の日曜日

前日に比べて肌寒い 花曇りの王子飛鳥山でした



乗車時間1分50秒の 距離も時間も日本一短い名物モノレールに乗って

「山頂」に来てみれば・・



川八代将軍吉宗が 江戸庶民のために開放した花見の名所飛鳥山

見事に咲き誇っていた桜でした

落語「長屋の花見」の舞台ともいわれる由緒ある飛鳥山です

花より団子 いそいそと宴会の場所を探すオジさん四人

「こんにちは」 声をかけてきた五人のオジさんがいました

あれ どこかで見たような?

初めに気づいたのがAさんでした

「O代議士 現職大臣!」 なるほど

SPらしき男性がふたり O代議士がニッコリ笑ってました

「写真 ご一緒に」

地元の有権者でもない私が 思わず声を出しました



気分よく応じてくれた代議士を中央に・・


散策のあとは 親水公園の岩に腰を下ろし キオスクで用意したビール・お酒・”料理”で

満開の桜の下での花見となりました

前回のライオンで散在したので まことにエコな花見 渋い花見

お酒が番茶ならぬ本物でも これぞ落語「長屋の花見」気分というのでしょう

笑い声が弾け すっかり長屋の住人 大家さん はっつぁん くまさんになった面々でした


3月末の日曜日 二週連続の「居心地良い 時と場所 そして人」になりました

まことに 幸せな春到来です

”青春してるね”

2013年03月22日 | オヤジのつぶやき
素敵な女性が紹介されました (読売新聞3月19日 夕刊)

埼玉県川口市在住のKさん81歳

彼女は 東京荒川区の区立第九中学校夜間学級の卒業式で 見事卒業証書を手にしました


紹介記事によるとKさん

幼い頃 戦争や家の手伝いで学校に通えずに「勉強したい」との思いを

ずっと持ち続けていました

終戦時 中学校に通う年下の子をうらやましく感じていたという

結婚して3人の子が生まれると 子育てに仕事にと勉強する暇はなかった

英語で書かれた看板が読めず 子供から「お母さん 教えて」と学校の宿題を見せられても

答えがわからない

勉強へのあこがれが募り 涙がこぼれたといいます


80歳を間近にして「このままで終わりたくない」と意を決して市役所に相談

夜間中学で生徒を受け入れている荒川区立九中を知り 入学を決めた

クラスメートには外国籍の生徒も多く Kさんが日本語を教えることも・・

「私でも人の役に立てるんだ」と充実感も覚えた


この日は15歳の孫も別の中学校で卒業式

「充実した3年間だった 孫といっしょに卒業できてうれしい」

笑顔を見せたKさん 4月からは都立高校の定時制に進学することが決まっている

娘さんから「青春してるね」と言われたKさんでした


そう まさに青春しているKさん81歳!

現役時代 先輩から教えてもらったサミエル・ウルマンの詩を思い出しました

”年を重ねただけで人は老いない  理想を失う時に初めて老いがくる”

忘れていたウルマンの詩

Kさんの快挙で再び接することのできた詩でした

ご同輩のみなさま いまが青春真っただ中です

まだまだ未知のゾーンが待ってます  いろいろやっていきましょう!

 

   卒業証書を授与されるKさん       荒川区立第九中学校
      (読売新聞より)           (映画「学校」のモデル校)

成せば なった!

2013年03月19日 | 自己紹介
成せば成る

この言葉を実践 証明してくれたのが従妹の息子A君でした

思えば 苦節10年近く

京都郊外の自宅で司法試験に挑戦

ひとり黙々と机に向かっていました


その間 近い親戚のひとりとして「そろそろ諦めたら・・」

心の中で何回思ったことか

その都度 彼の決意を秘めた真剣な眼差しをみて 言葉を飲み込んだものです


今回 司法試験に見事に合格!

関東での研修を経て 都心の法律事務所に勤めることになりました

母親とともに我が家に挨拶にきたA君

”あの坊やが将来の弁護士!” 感無量でした

まだ先のことですが 親類の中で初の弁護士誕生です


成せば成った  若いA君に改めて教えてもらった親戚の長老の私です


タネがポロリの世田谷マジック

2013年03月16日 | 高田純次の年金生活


グルコサミンで有名になった世田谷区です

東京の山の手ですね

その世田谷区の区民センターで開催された「寄席 ぼんじゅう亭 弥生席」

世田谷在住のA氏のお誘いでした

木戸銭はロハ 無料! これが素晴らしい! しかもお菓子付き!

 

アマチュアとプロが入り交じっての寄席でした

出し物の”圧巻”は ボランティアマジックのサクマタカシさん



華麗なるハンカチマジックは見事なものでした

思わず拍手をしようと思ったその時!

彼の胸元の裏から赤いハンカチがついポロリ

堂々と大きな顔を覗かせました


可笑しかったのが 気づかないのがマジシャン・サクマ氏ただひとりだったこと

実に堂々と 音楽に乗って演じ続けておりました


偉かったのはお客さんたちです

野次も飛ばさず 笑い声も抑えての拍手喝采!

演じたあとのサクマ氏の満面の笑みが印象的でした


この夜で第89回を数えた「寄席ぼんじゅう亭」です

15年の長きにわたって開催されてきたそうです

笑いが求められる昨今の世相

素人とボランティアが主体の寄席の存在は貴重です

演者と客席が完全に一体になってました

終了後の居酒屋での三人の”感想会”も笑いを交えて大いに盛り上がりました



寄席の前 羽根木公園での観梅  前を行くAさんです



やはり寄席の前 こちらは桜田門外の変で非業の死を遂げた”井伊直弼公”の墓です

豪徳寺にて・・・


寄席 そして適度の世田谷散歩もできて 居心地抜群のいい一日になりました


コミュニケーション”11則”

2013年03月13日 | コミュニケーション 10則
研修講師仲間の女性が亡くなりました Yさん

享年80歳 講師の仕事は5年前に勇退しています


知り合って40年に及ぶ長い付き合いであり同士でした

誰とでも いつも明るい笑顔で接し ユーモア精神に長けた女性でしたね

また 講師仲間・受講者にこよなく愛された講師でもありました

研修所創設以来の功労者 悔いのない人生だったでしょう


お酒の場が好きで 楽しみ方を知っていました  少し酔ってのそぶりが可笑しかった

熱燗の徳利を持った指をかざして「熱っつつ・・・」 顔をしかめます

こんなとき 親指と人差し指を自分の耳たぶに持っていってつまむのが普通の呑んべさん

指を耳たぶで冷やすわけですね

ところが 彼女は男女の差なく 隣席の人の耳たぶをつまむのです

はじめてつままれたときはびっくりしましたが 一瞬の間をおいてみんなで大笑い

固い雰囲気の宴席が笑いに包まれたこともあります

彼女は雰囲気つくり・座談の名手でした


亡くなる2週間前に見舞いに行きましたが それが生前の最後の別れになりました

延命治療を拒み 覚悟の死だったのでしょう

病室を出るとき 順にみんなを見つめてたやさしい顔が忘れられません


会葬のあと 友人知人と話し合いました

「暖かくなったら Yさんの想い出話の会を開こう」「賛成!」

この約束は必ず守られることでしょう


なぜなら 生前Yさんがよく言っていた言葉です

”小さな約束こそ大切にする”

大事なことです

「コミュニケーション10則」の”11番目の法則”  これで決まりです

Yさん 想い出をありがとう!  安らかにおやすみください

合掌・・・



      (せたがや梅まつり  世田谷区羽根木公園にて)




じゃが芋に想う

2013年03月10日 | 無農薬野菜作り
思えば 大陸からの迷惑な贈り物「黄砂・PM25」の飛来が報じられた10日の前日

3月9日です

今月はじめての畑作業に汗を流しました

空 あくまでも青く気温は23度  爽快な気分に浸ることができました



今シーズンの苗つくりで繁忙を極める師匠のYさん

そのため 鍬での土つくりを覚悟してましたが 急遽トラクターの出動です

思わぬ僥倖!  助っ人の到来でした





あっという間に 新鮮な土が顔を出しました

おかげで この日は畝づくりだけ じゃが芋を埋めるのは次回

この予定が嬉しい誤算となりました



男爵4キロ メイクイーン2キロ

出番が早まったので じゃが芋たち 袋の中での緊張感が伝わってきます



右側と中央の畝には男爵50個づつ(半分に切りました)

左はメイクイーン50個です

総数150株のじゃが芋 梅雨の時期には収穫が楽しめそうです

今年も 腰痛と仲良く 畑シーズンの開幕です


※ このブログはここで終わるつもりでした

  今日は3月10日 68年前の東京大空襲の日です

  爆撃で亡くなった方 7万2千人といわれています

  かろうじて生き残った東京人にも 飢餓地獄が待ち受けていました

  人々は争って路地裏で野菜の栽培

  じゃが芋 サツマイモ かぼちゃを作って家族の命を繋いできたのです


  その じゃが芋を趣味と運動目的でつくれる喜び!

  平和であればこその喜びです

  完成した畝を見ながら感慨深い畑作業の一日になりました ※


ボランティア活動

2013年03月08日 | ボランティア
都の福祉関係団体の役員に携わる知人からの依頼です

下町で生まれ育って73年!

よくよく考えたうえでのボランティア活動の承諾でした


生半可な気持ちでは 利用者の方々の迷惑は図りしれないでしょう

個人のプライバシーにも深くかかわります

また 団体への信頼を損なっては大変

研修講師同様の緊張感を覚えています


これから 逐次本格的な専門研修が始まります

当初は先輩方を見習っていきましょう

いずれ 自分のカラーが出せればと思っています


そのとき いままでに培われたコミュニケーション・センスが発揮できればいいのですが・・

これまで世話になった下町への貢献・恩返しです


ほうろく地蔵尊

2013年03月04日 | 坂道


この坂の正式名は「浄心寺坂」といいます

”小石川指ヶ谷町より白山前町を経て東の方 本郷駒込東片町へ上る坂あり

 浄心寺坂といふ (新撰東京名所図会)

浄心寺近くの坂なので この名がつきました

また 坂の下には「八百屋於七」の墓所 円乗寺があることから「於七坂」の別名もあります

現在では「お七坂」と呼ぶ人が多勢を占めています





天和二年(1682)に起きた天和の大火のあと 恋仲になった寺小姓の吉三郎恋しさに

放火の大罪を犯して火あぶりの刑を受けた八百屋お七

数えで16歳であったといいます

円乗寺の門前に供養の地蔵尊がありました

いまでも参拝客が絶えません


この地蔵尊の存在は以前から知っていました

この日の散策で 偶然にもお七関連の新たな地蔵尊を発見!



旧中山道に面した「ほうろく地蔵尊」です



寺の由来によると お七の罪業を救うために 熱した焙烙(ほうろく)を頭にかぶり

自ら焦熱の苦しみを受け入れたお地蔵様とされています


いまも昔も放火は大罪です

火災で生命・財産を一瞬にして失ないます

その 放火の罪を犯したお七に対するこの優しさは どこからきているのでしょうか

罪を憎んで人を憎まず

よく耳にする言葉ですが 江戸人の心意気と優しさ ここに極めり!

こう感じるのは このオジさんだけでしょうか?


人と人との関係 人情が希薄でなかった時代だったのでしょうね


昭和の残像 さくら新道

2013年03月01日 | 都電 荒川線を誉める


都電荒川線の軌道です

正面に見えるのが王子の飛鳥山  かっては将軍家の鷹狩りの場でした

八代将軍徳川吉宗が 江戸庶民のために多くの桜を植え 花見の場所として開放しました

以来 江戸時代の花見時には無礼講の場として また仮装が許可され 庶民の人気を博していました

現在も桜の時期の人気スポットです



明治の世 都電の前身 王子電気軌道時代 ここ飛鳥山~大塚駅間が開通 ”郊外電車”の誕生です

その後 路線が延長され いまでは最新型の車両も登場し都民の大事な「足」になっています



遠くに 黄色い旧型都電が展示されている飛鳥山公園

冬は寒々してますが 季節になれば桜の満開となります

「花見は上野より飛鳥山だね」 江戸通を自任する花見客で大賑わいです



ところで 花見には早い王子飛鳥山の今日の話題ですが・・JR王子駅に通じる坂を下ると・・・

実に渋い木造建築物が迎えてくれます



JR王子駅ガード横の”さくら新道”飲み屋街です



飲み屋街の入口 これまた渋いお地蔵さま





新幹線の高架脇で 王子電気軌道時代そのままの雰囲気を残した飲み屋街!

近代化された王子の町並みですが

ここには昭和というより大正時代の雰囲気 息遣いが感じられます

昼下がりのひとときを建物を眺めながら行ったり来たりでした


若い頃はよく飲みにきました 経営者の多くが高齢者というのがよかった

王子駅前の映画館の帰り 映画の話題で盛り上がりアルコールのピッチがあがったものです

古き佳き時代の佳き飲み屋街 


ところが昨年 この「さくら新道」の奥の店で火災が発生

類焼して3分の2もの多くの店が焼失しました

かろうじて残ったこれらの店も営業が定かでありません

日を改めての再訪が求められます

「営業しててくれ!」

祈る気持ちで”現場”を後にしました



帰路 都電荒川線はいつに変わらぬ元気さでガタゴト快走

周りの風景は変わっても 運転台と車内には 昭和の景色が残っていました


※ 公園内にある三博物館 渋沢史料館・紙の博物館・北区博物館は必見です ※